自宅近くの居酒屋で7~8年くらい一緒に呑でいる友人に高校の先輩原◯さんがいる。
保育園と幼稚園を併合しているめずらしい園の理事長さんだその施設は認定こども園というらしい。
教育・保育を一体的に行う施設で、いわば幼稚園と保育所の両方の良さを併せ持っている施設
なのだ。積極的に時代の流れを取り入れた経営をしている。
この先輩は私が高校に入学した時に同じ高校を卒業されているので学校の校舎で顔を合わせたことはない。
従って居酒屋で顔見知りになった時には同窓であることは事は全くきづかなかった。
気付いたいきさつはもう忘れたがその後はすっかり同じ高校の先輩と後輩という関係ができて仲良くなり互いに連絡を取り合ってよく飲みに出かけていた。
私が後輩という事も有り御馳走されたことが多く、いつも恐縮していた。
そこで何回か園へ訪問をして自作のハチミツもお届けしている。
呑んでいる席でキンモクセイの樹の話になり私の自宅に植わっている結構大きな
キンモクセイを園に寄贈した事も有った。
しかしすこし前に理事長が大腸がんの手術を受けてから、酒が一滴も飲めなくなり
お互いの共通のコミュニケーションの場である居酒屋で会う事が出来なくなってしまっていた
それでも共通の知人である焼き鳥◯関の大将のところでまちあわせをして
酒も飲まずにウーロン茶だけで私の付き合いをしてくれていた。
理事長は酒が入ると少し人が変わるので焼き鳥屋の大将とよく大喧嘩になり
私が仲裁の役目で焼き鳥屋に同行などをした、酒癖の悪さは私も他人事とは言えない。家族から酒乱気味、いや酒乱といわれている。 w
しかし理事長根はいい人なので簡単に大将とは仲直りはできている、私は後輩で理事長をたてていたので喧嘩は無かった。
理事長と酒では楽しい思い出複雑な思いで色々あるが、私には文才がないのでここに多くを書ききれなく残念だ。
ゴルフは互いの共通の趣味なのでいままでで4、5回ほど一緒に楽しくプレーをしたことがある。
今年の春先も近くのコースを予約してプレーする手はずで楽しみにしていたのだが
あいにく当日は天気が悪くてキャンセルになってしまっていた。
そんな付き合い状態がつづいたがやはり酒が呑めないので少し疎遠になっていた。
先日新聞のお悔み欄で理事長が亡くなったことを突然に知った、葬式にも間に合わずに大変に失礼なことをしてしまった。
それにしてもあまりに亡くなるのが早かった、がんの怖さを改めて知った。
私も今から15年ほど前に同じガンで手術をしているが幸いにも此処まで何もなく来ていることに改めて感謝だ。
去年までは原◯さんの園のオーナーをしていたのは氏の高齢の父親だった、この方は太平洋戦争の時にはゼロ戦のパイロットであり最後の生き残りとして全国的に有名で理事長には誇りであり親孝行をしていた。
その父親が昨年に亡くなり園の相続で色々あったようだった。
というかその問題があったので奥様と別居までして父親の下で理事長をしていたようである。
亡くなる前に相続に関してはすべてきれいに片づけて亡くなったと焼き鳥屋の大将から聞いた。
個人的には親しくしていたのだが奥様や家族の方との付き合いがなかったので葬式の日程もわからず残念だったがこのごお別れの会が開かれるようなのでそちらに出席する予定だ。
別居中の奥様は静岡に住んでいて一週間に一度金曜日夜に長野に来るのだが2日間の滞在だけで
帰ってしまうので一度もお会いすることが出来なかった。
10年近く休みなく毎週長野へ車で通ってきたのだから立派な奥様だ、理事長も本来なら静岡で奥さんと一緒に暮らしたかったのだろうが結局園の相続の事情で長野に単身で戻って来ていたのだ。
相続って難しいんだろうね、他人の家の事だからよくわからんが。
そういった意味では資産のない私はあまり悩まずに済む、たぶん。
また一人個性ある呑み友達がいなくなり淋しくなってしまったな。
家の近くのスナックのままさんとも昨日理事長の話をして名残りを惜しんだ、
そういえばここのママさんとも理事長よくケンカしていたな、酔ってママさんをブス呼ばわりして何回も出禁になっていたっけね、でも数日もすると平気な顔をして店に顔を出して私も一緒に良く飲んだ。
あの口の悪さは私が思うにはママさんにかまってもらいたかったのだと今は解釈している、
単身だったので淋しさが強かったんだろう。 金曜日はそそくさと帰って行ったものね
それって恐妻家だったんだろうか。w
ママさんも今も理事長の事を一言も悪く言わなかったから憎めなくて徳のある人と思っていたんだろう。
ママと思いで話をたくさんして、笑って店を出た。
家へ歩いて帰る道すがら理事長との思い出がふっと頭をよぎり思わず笑い、泣きそうになった。
合掌。
最近はどうも感傷気味でいかんな。