台風9号・10号が来ているさなかのお盆に長女が住んでいる沖縄へ向かった。
少し前から計画して飛行機のチケットとホテルを予約していたのだ
台風の心配をしながら新幹線に乗って羽田へ向かった。
欠航なら引き返すしかないが何とか出発してほしい。フライト時間は午後4時10分。JAL便だ。
夏休みとお盆が重なりエコノミーのチケットが取れなくてJクラスのチケットとなった。価格は高かったが仕方ない。
羽田には1時頃に到着した
気になって台風の位置を確認したが天気概況では先島諸島に中心がある。
一方羽田の天候は太陽が出ていて晴れだ。
カウンターで運行状況を確認してみると30分遅れ出発できる予定。
ただし現地那覇空港の状況次第では引き返す事も有るという事だった。
約30分遅れて出発
途中少し揺れたが無事那覇に到着。この便の管制誘導は娘がしたのだろうか。
管制の音声が聞けないのが残念だ。いつかは聞いてみたい。
熱帯海水魚のお出迎え。
モノレールに乗って国際通りのホテルへ
ホテルは牧志駅前・長女は今晩は飲み会という事で女房と二人で
地元の居酒屋へ
島唄が演奏されていてなかなか雰囲気がいい。
少し泡盛がすすんだ。雰囲気のある店で飲むと肴は美味しいな。
翌日は長女がレンタカーで迎えに来てくれて世界遺産の首里城へ
今までは写真でしか見たことがないので現物が見れて感激だ。
独特の赤瓦が良いね。
空模様は台風の影響がまだ残っていて時々雨がぱらつく
今でも周りでは発掘調査が行われていて、赤ではなく灰色の瓦が出くるそうです。
赤瓦になったのは、火事で首里城が焼けた後、1715年に再建した時代からのようです。
なぜ灰色から赤瓦に変わったかと言うと、その頃の琉球で起こった人口増加問題にあったようです。
400年前の琉球の人口は約10万人。それから100年後、人口は20万人近くになったようです。
今も昔も、生活に欠かせない火は、薪を燃料にしていたので、人が増えると薪が無くなります。
灰色の瓦だと高い温度で焼かないといけませんが、赤瓦だと低い温度でも焼けるので、薪を使う量を節約できるのです。
首里城の瓦を赤くして資材を節約した後、琉球王国では、山原(やんばる)に植林して、各村の山を管理し、守ろうとしました。
当時の琉球の人々は、すでに自然の大切さに気付いていたのです。
その証拠の一つが、首里城の赤瓦とも言えるのではないでしょうか。
この日はこの後海岸近くをドライブしながら終わり。
翌日は瀬永島へ天気はだいぶ回復した。
短い沖縄訪問であったが楽しく過ごせて満足でした。