仙台での目覚めです。
インドが目前になりました。
今年もロナワラにあるヨーガ研究所に行きますが、何年ぶりでしょうか。
前所長のガロテ博士の素晴らしさを思い出しています。
ヨーガを治療法の一種であると考えるのは間違いだと明言されていました。
治療法であるならば、現在、ヨーガをしている人は皆、病気だということになるし、ヨーガの先人たちは皆、病気だったとでもいうのでしょうか…と。
ハタ・ヨーガは心の束縛からの解放という真の目的がある一方で、あらゆる疾病の破壊者であることに違いありません。
しかし、ガロテ博士は、ヨーガを治療の一種と思うのは、ヨーガの一側面の切り売りに過ぎない…と。
アーユルヴェーダのクリシュナ先生がこんなことをおっしゃっていました。
象を見たことがない目の不自由な人はあの大きな耳を触って大きなお皿のようだと、象を認識します。
ある人は足を触って、象は柱のようだ、と認識します。
ある人は鼻を触って、象はホースのようだ、と認識します。
つまり、部分を知るだけでは全体を知ることができない…と。
この話は面白いですね。
忌野清志郎さんが、昔歌っていましたね。
家のなかではトドみたいでさ
ゴロゴロしててあくびして
だけどよ
昼間のパパはちょっとちがう
昼間のパパは光ってる
昼間のパパは男だぜ
家でゴロゴロしている父親しか見たことがない子どもがある日、仕事をしている父親を見た時、誇らしく頼もしく思ったのですね。
私たちも、ある一側面だけを見て全体を見失なうことがないようにしたいですね。(荻山貴美子)