ついにコイン立てに成功。盛岡塾長 平純子さんが早速試されました。
何だかコインが愛らしく見えます。(笑)
ヨーガ・スートラに夢中になり、気がつくと今、般若心経に夢中になっています。
何故ならば、ヨーガ・スートラは仏教の影響も受けているからです。
『ヨーガの四季』に般若心経が登場したのはNO37ですから1999年春・夏号からです。
見開きページの片面にサンスクリット。もう片面には友松円諦先生の新譯般若心経でした。
しかし、NO65 2013年春・秋号から趣を変え、見開き2ページにサンスクリットを掲載していることに、お気づきでしょうか?
中村元博士監修のものを掲載させていただいているのです。
不思議なのは、この小本『般若心経』のサンスクリット写本が日本の法隆寺に保存されていたということです。聖徳太子の命を受け、小野妹子が伝来したもの…という説もありますが、根拠は薄弱だと中村元先生はおっしゃっています。
謎を秘めた『般若心経』ですが、日本では浄土教以外のすべての宗派に大事にされ読誦されています。
私はカトリックですが、どういうわけか、子供の時からこの『般若心経』に慣れ親しんでいます。
ちなみに「摩訶」や「仏説摩訶」が題名につけられているのは般若心経が日本に渡来してのちに加えられたと言われています。鳩摩羅什の訳には「摩訶」はあるそうですが、玄奘三蔵訳には一切つけられていないようです。
般若心経大本によれば…
「あるとき世尊は弟子や菩薩とともにいらっしゃったが深い瞑想に入られていた。
と、その時、舎利子は仏の神通力を借りて、観音菩薩に質問し、それに観音菩薩が答えた。……
観音菩薩の教えが終わったとき、世尊は瞑想から覚め、観音菩薩の教えを称賛され、それを全世界の生類が喜んだ」(春秋社刊 宮元啓一著『般若心経とは何か』)
とあります。
私たちが慣れ親しんでいる小本は、その観音菩薩が舎利子に教えを説いている箇所だけを呈示しているだけ。
さて、片面サンスクリットの時のものと現在のものとを見比べますと実は微妙な違いがあります。この微妙な違いについては、またの機会に…。
中村元博士は、法隆寺の写本のもとになったと思われる玄奘本『唐梵翻対字音般若波羅蜜多心経』と法隆寺の写本を尊重しつつ、様々な写本やチベットに伝わったものなどを参考に研究されました。
その研究は想像もつかないほど膨大なものですが、私たちは博士のご著書を自由に手に入れることができるのですから本当にありがたいことですね。
それでは今日はこのくらいに…
うっとしい毎日に体調を崩されているかたも多いようです。
お元気で…。(荻山貴美子)