私の友人が今は亡きお母様のことでこんなことを言っていました。
長年病を抱えていたお母様はまったく笑顔を忘れ、毎日、憂鬱な顔で病を呪い、自分の置かれている環境を恨んでいたそうです。
一所懸命仕事の合間に実家に通う彼女は、そのうち、実家に行くこと自体が苦痛になり、実家の玄関の前に行くと足が竦むようになったそうです。
私の母は、40歳で原因不明で倒れ救急車で搬送されたことがあります。それがキッカケで20年以上、母はいつ襲ってくるかわからない原因不明の引きつけ症状に不安な毎日を送っていました。
時折母を訪ねてくる友人は有難かったです。
昔話が弾み、時には父への不満や子どもの自慢話。笑い声と明るい母の声に本当に嬉しくなったものです。
しかし、友人が帰った途端に憂鬱で愚痴っぽい母に戻りました。
夜中には何度も具合が悪い…と起こされる。
具合が悪いのは確かだけれど、原因がわからない……。
15、16、17と私の人生暗かった♫
過去はどんなに暗くても夢は夜ひらく♫
と歌いたくなるくらいでした。(笑)
私には心因性のものだと分かっていました。
何故かと言うと…
夜中や出先に私を呼び出した母は私の顔を見た途端に、いつも血色がよくなるのです。
そうそう母の愛読書は『家庭の医学』でした。(笑)
そんな症状も父が脳梗塞で倒れた途端にピタッとおさまりました。
父の病気療養という大きな目標ができたからです。
母は寂しがりやだったのだと思います。
子どもも大きくなれば自分の世界を持つようになります。子離れできなかった母の身体から発する寂しいという声だったのだと思います。
私はそんな母を見ていたので、頭痛がしても熱があってもその渦中では人前ではガマンする癖がつきました。人に弱みを見せたくない…という意地っ張りになったのかもしれません。
ある人が「身体の不調や自分の不運を聞いてもらうと楽になる」と言っているのを聞いたことがあります。
そうかな?
と思います。
子どもの時から頭痛持ちだった私は、小学校の時にハッと気づいたことがありました。
その日も朝から頭痛でした。
考えることは「今、頭が痛い」ということだけ。
私の心は頭痛でいっぱいでした。
あまりの痛さに猛然と部屋の片づけを始めたのです。机の引き出し、タンスの中、私は一人部屋を与えられていましたから、自分の好きなように模様替えをして片づけをしました。
全部終わった頃私は頭痛から解放されていました。
だから今でも不意に頭痛がやってきたら私は何かに夢中になります。
明日から松山に行きます。
塾長の高木秀子さんのお母様はステキです。
毎日、瞬間瞬間の幸せを噛み締めていらっしゃるとか……。
確か田原豊道先生と同じ年齢。
田原先生も終わったことをクヨクヨ考えない明るい性格。
勿論、愚痴もこぼさない。
だからこそ全国の皆さんが先生から元気をもらえるのですね。(荻山貴美子)
長年病を抱えていたお母様はまったく笑顔を忘れ、毎日、憂鬱な顔で病を呪い、自分の置かれている環境を恨んでいたそうです。
一所懸命仕事の合間に実家に通う彼女は、そのうち、実家に行くこと自体が苦痛になり、実家の玄関の前に行くと足が竦むようになったそうです。
私の母は、40歳で原因不明で倒れ救急車で搬送されたことがあります。それがキッカケで20年以上、母はいつ襲ってくるかわからない原因不明の引きつけ症状に不安な毎日を送っていました。
時折母を訪ねてくる友人は有難かったです。
昔話が弾み、時には父への不満や子どもの自慢話。笑い声と明るい母の声に本当に嬉しくなったものです。
しかし、友人が帰った途端に憂鬱で愚痴っぽい母に戻りました。
夜中には何度も具合が悪い…と起こされる。
具合が悪いのは確かだけれど、原因がわからない……。
15、16、17と私の人生暗かった♫
過去はどんなに暗くても夢は夜ひらく♫
と歌いたくなるくらいでした。(笑)
私には心因性のものだと分かっていました。
何故かと言うと…
夜中や出先に私を呼び出した母は私の顔を見た途端に、いつも血色がよくなるのです。
そうそう母の愛読書は『家庭の医学』でした。(笑)
そんな症状も父が脳梗塞で倒れた途端にピタッとおさまりました。
父の病気療養という大きな目標ができたからです。
母は寂しがりやだったのだと思います。
子どもも大きくなれば自分の世界を持つようになります。子離れできなかった母の身体から発する寂しいという声だったのだと思います。
私はそんな母を見ていたので、頭痛がしても熱があってもその渦中では人前ではガマンする癖がつきました。人に弱みを見せたくない…という意地っ張りになったのかもしれません。
ある人が「身体の不調や自分の不運を聞いてもらうと楽になる」と言っているのを聞いたことがあります。
そうかな?
と思います。
子どもの時から頭痛持ちだった私は、小学校の時にハッと気づいたことがありました。
その日も朝から頭痛でした。
考えることは「今、頭が痛い」ということだけ。
私の心は頭痛でいっぱいでした。
あまりの痛さに猛然と部屋の片づけを始めたのです。机の引き出し、タンスの中、私は一人部屋を与えられていましたから、自分の好きなように模様替えをして片づけをしました。
全部終わった頃私は頭痛から解放されていました。
だから今でも不意に頭痛がやってきたら私は何かに夢中になります。
明日から松山に行きます。
塾長の高木秀子さんのお母様はステキです。
毎日、瞬間瞬間の幸せを噛み締めていらっしゃるとか……。
確か田原豊道先生と同じ年齢。
田原先生も終わったことをクヨクヨ考えない明るい性格。
勿論、愚痴もこぼさない。
だからこそ全国の皆さんが先生から元気をもらえるのですね。(荻山貴美子)