日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

電車が止まってツイてる!ツイてる!

2014年06月11日 20時12分00秒 | 思うがままに

何十年も前のことです。私は美容室で不覚にも居眠りをしてしまいました。

夢うつつの中で聞こえたリズミカルなハサミの音。

その頃、女の子の刈り上げがちょっと流行ったのです。だからかなり昔のことです。

眼が覚めた私は絶叫しそうでしたが言葉もでません。男性美容師さんはもう満足度100%で「似合いますねえ」と。

何と!刈り上げ。

サザエさんに出てくるワカメちゃん?口さがない人はワカメちゃんなんてもんじゃない。タラちゃんみたい…と。

乙女心は傷つき、私はウィッグの店に行きました。

そしてしばらくそれで過ごしたのです。

でも段々見慣れてきた私はある日、試しにウィッグをとりました。すると、いつもは口の悪い父が「そっちのほうが全然いいじゃないか」と。

そのひとことで私は堂々とタラちゃんスタイルで髪が伸びるのを待ちました。

さて、私は2ヶ月ほど前に、何を血迷ったか...髪を切りました。

ほとんどの方から悪評でしたが、心優しい皆さんは静かに見守ってくれていました。

失敗作であることは、誰よりも私自身がよく分かっていました。

厳しいかたはクレームを…。これも愛情の表現?

ここで、以前ブログに投稿した五木寛之氏の言葉を思い出したのです。

「ちょっとお疲れのようですけど」「きょうは顔色がよくありませんね」と気遣ってくれるのが、いやでいやでしようがない...と。

そうなんです。私も常に、嘘でもいいから元気が出る言葉が欲しい!
と思っているひとりです。

ペンは剣よりも強し...と言いますが、言葉は刃物より鋭いと思います。

何故なら、私は、見たり聞いたりすることでいつも心が揺れ動くタイプだからです。

だから私には『ヨーガ・スートラ』が必要なんです。

東上線が踏み切り事故で止まりました。2時間以上は再開の見込みなし...というアナウンス。

仕方なくタクシーで。
タクシー乗り場は長蛇の列です。のんびり構えましょう...と、並んだら、私の前にずぶ濡れになっている若くて美しい女性。傘をさしかけ「どこまでいらっしゃるのですか?」と聞いたら何と同じ駅。そしてタクシーを待つこと1時間半。彼女と一緒に乗り込んだタクシーの中での投稿です。

私のジンクス。電車が止まると必ず良いことがある!

アッ!勿論タクシー代は私が払いました。(荻山貴美子)
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中村 元博士の偉業

2014年06月10日 15時16分50秒 | 思うがままに


ついにコイン立てに成功。盛岡塾長 平純子さんが早速試されました。
何だかコインが愛らしく見えます。(笑)

ヨーガ・スートラに夢中になり、気がつくと今、般若心経に夢中になっています。
何故ならば、ヨーガ・スートラは仏教の影響も受けているからです。

『ヨーガの四季』に般若心経が登場したのはNO37ですから1999年春・夏号からです。
見開きページの片面にサンスクリット。もう片面には友松円諦先生の新譯般若心経でした。

しかし、NO65 2013年春・秋号から趣を変え、見開き2ページにサンスクリットを掲載していることに、お気づきでしょうか?

中村元博士監修のものを掲載させていただいているのです。

不思議なのは、この小本『般若心経』のサンスクリット写本が日本の法隆寺に保存されていたということです。聖徳太子の命を受け、小野妹子が伝来したもの…という説もありますが、根拠は薄弱だと中村元先生はおっしゃっています。

謎を秘めた『般若心経』ですが、日本では浄土教以外のすべての宗派に大事にされ読誦されています。
私はカトリックですが、どういうわけか、子供の時からこの『般若心経』に慣れ親しんでいます。

ちなみに「摩訶」や「仏説摩訶」が題名につけられているのは般若心経が日本に渡来してのちに加えられたと言われています。鳩摩羅什の訳には「摩訶」はあるそうですが、玄奘三蔵訳には一切つけられていないようです。


般若心経大本によれば…

「あるとき世尊は弟子や菩薩とともにいらっしゃったが深い瞑想に入られていた。
と、その時、舎利子は仏の神通力を借りて、観音菩薩に質問し、それに観音菩薩が答えた。……

観音菩薩の教えが終わったとき、世尊は瞑想から覚め、観音菩薩の教えを称賛され、それを全世界の生類が喜んだ」(春秋社刊 宮元啓一著『般若心経とは何か』)

とあります。

私たちが慣れ親しんでいる小本は、その観音菩薩が舎利子に教えを説いている箇所だけを呈示しているだけ。


さて、片面サンスクリットの時のものと現在のものとを見比べますと実は微妙な違いがあります。この微妙な違いについては、またの機会に…。


中村元博士は、法隆寺の写本のもとになったと思われる玄奘本『唐梵翻対字音般若波羅蜜多心経』と法隆寺の写本を尊重しつつ、様々な写本やチベットに伝わったものなどを参考に研究されました。

その研究は想像もつかないほど膨大なものですが、私たちは博士のご著書を自由に手に入れることができるのですから本当にありがたいことですね。
それでは今日はこのくらいに…

うっとしい毎日に体調を崩されているかたも多いようです。
お元気で…。(荻山貴美子)



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証拠写真?

2014年06月08日 21時14分33秒 | 思うがままに


久しぶりの卵たて。早速証拠写真を頂戴しました。
盛岡の神谷立子さん、ありがとうございました。
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雨がシトシト...

2014年06月08日 19時24分15秒 | 思うがままに
梅雨らしい毎日です。
盛岡塾が終わり、仙台に移動しました。

今日のヨーガ・スートラはプラーナーヤーマ。

肉体のあらゆる部分はプラーナ(生命力、活力)で満たすことができることを、皆さんと再確認しました。肉体に感じるすべての苦痛はプラーナで制することができるということも...。

良いことであれ、悪いことであれ、何もかもが伝染する...と、ヴェヴェーカーナンダ師がおっしゃっていますが、私自身がいつも感じていることです。

皆さんから発するキラキラしたエネルギーで、田原先生も私も元気を倍増しているのです。
ん?これが倍返し?(笑)

小保方晴子さんの残念な論文取り下げ。卵を立てるように皆の前でSTAP細胞を見せて名誉挽回して欲しい!
優秀な若い研究者が天国から地獄へ...。ずるい理研への不信感はつのるばかりです。
私は彼女に心からエールを送っている者です。

という訳で、卵たてがまた復活。証拠写真をお待ちしています。(荻山貴美子)
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こだわりにはワケがある!

2014年06月05日 18時43分42秒 | 思うがままに
昨日まで暑い日が続いていましたが、今日はホッとひと息と言ったところでしょうか?

でも私はどんなに暑くても夏が好きです。

前から気になっていた和服。そんなに高価なものではないにしても、思い出が詰まったものでした。しかし、いさぎよく処分。驚いたことにウェディングドレスまで後生大事にしまい込んでいました。これも処分。

昨年末には本をダンボール6箱処分。しかし、今はそれ以上に増えてしまいました。
何のことはない。ただ本が入れ替わっただけ...。

この癖は、ほとんど病気です。(笑)

ひょんなことから般若心経を真剣に読みたくなりました。
般若心経は人気度が高い経典ですが、謎の経典でもあります。

その解釈は『ヨーガ・スートラ』と同じくらいさまざまです。

たとえば、ニローダという語です。

日本で古来もっとも知られ、読まれていた般若心経の漢訳では「滅」。

この漢訳語でニローダは誤解をされたようです。

チベット訳では「制する」。
つまり、チベット人は「滅す」ことではなく「制する」という意味に解しています。

また、原始仏教聖典の中の古い詩によれば、ニローダとは「制する」とハッキリ書かれているようですから、せっかくホームヨーガ提唱40周年を記念して、『ヨーガ・スートラ』を世に送り出すなら...と、トコトンこだわり妥協しなかった経緯はそこにあります。

パタンジャリは究極の心の平安を『ヨーガ・スートラ』という一冊にまとめました。

お釈迦さまも思考と感情の産物である欲望の消滅を目指したものの、欲望を力ずくで抑え込む苦行や、思考と感情を停止状態に持ち込むことが、最終的な解脱をもたらすものではない...ということに気づかれたとか。

ですから、お釈迦さまの瞑想は思考停止を目指すのではなく、徹底的に思考するものだったようです。

田原豊道先生はこれにこだわり続けておられたのです。そのこだわりのワケが、私は心の底から分かるようになりました。

今月、『ヨーガ・スートラ』第3章が刊行されます。

ヨーガを学んできた証し、つまり副産物が述べられています。
そこにもニローダなる用語がふんだんに出てきますが、訳はやはり「制御」「寂静」にこだわりました。

たとえば、3の9

【心の発現状態の潜在印象が鎮静され寂静状態の潜在印象があらわれるとき、寂静の一瞬の心のつながりが寂静転変である】

心の発現状態とは、いつも私たちが感じている不安定な心の状態のこと。それが鎮静されて寂静(ニローダ)(心の平安)状態の潜在印象があらわれたとき、その心のつながりが寂静転変(ニローダ・パリーナーマ)だ…と。
パリナーマはとても大事な用語です。宇宙の一切は、根本の実在が開展して生成されるものだという説で、ヨーガ・スートラはその根本実在は2つだと説きます。その2つはプルシャとプラクリティです。

ところで、ニローダ・パリナーマを「止滅転変」とせず「寂静転変」とするのが、日本ヨーガ学会流です。

ちょっと笑えたのは、ある人が、ず~と、間違いに気づかないまま「死滅」としていることです。(多分気づいていないと思うのですが、ひょっとしたらそうかたく信じているのかもしれません)
 
さて…

「昔からそう言われている」
「あの学者がそう言っている」

いかに私たちはこういう慣例に従い、惰性的な思考と権威ある人にがんじがらめになっていることでしょうか。

この洗脳から自由になるには、何を信じるのか?にかかっているような気がします。

道を信じ、師匠を信じる...。

そうすればブレは生じない。だからこそ、インドではグルが絶対なんですね。

「ただ健康のためにヨーガを習っているのであって、難しい理論はいらない!」

今どきはこんなことを言う人は本当に少なくなりましたが、もし、そういう人がいたら、私はお聞きしたいです。

健康って何ですか?と。

ただ肉体が元気なだけが健康でしょうか?

健康とは単に疾病や病弱の存在しないことではなく、身体の体力値が高く、知的で、社会的(家族、地域社会、職場)には豊かな人間関係があり、精神的にも安定している状態。

これは世界保健機関の健康の定義です。

つまり、精神的健康、社会的健康、身体的健康のバランスが取れた状態。

『ヨーガの四季』67号に、口幅ったいようですが、私はこんなことを書かせていただきました。

ヨーガを学ぶ者はヨーガ(無上の幸福を得るための道)があること、さらにそれを得るための技術(=方法)『ヨーガ・スートラ』を知らなければ成就は成立しない…と。

勿論、とっても偉い先生の書かれたもので、私が感動した言葉がヒントです。

ヨーガを「楽しむ」ことは「知る、好む」という段階を経てこそ達する境地だとか。

松原泰道先生が、90歳くらいのときによくおっしゃっていました。
年を取ると、確かに身体は言うことをきかないようになってきた。しかし、心はどんどんと広がりを持ち、どんなに学んでも学び足りない…と。

松原泰道先生…

懐かしいですねぇ。

100歳のお誕生日パーティーでお目にかかったのが最後になりました。
その日はまだ99歳だった先生が「私はまだ100歳なんて年寄ではありません!」とニッコリしておっしゃったので、会場は爆笑の渦に巻き込まれました。
矍鑠として、お優しくて、お茶目な先生でした。(荻山貴美子)
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お伊勢さんと高野山はパワースポット!

2014年06月01日 15時55分23秒 | 思うがままに
数か月分の身心を癒すために伊勢神宮に行ってきました。
私は本当にお伊勢さんが好きなんです。5年前の全国大会の開催地にもなりましたね。

五十鈴川は人間の洗濯をしてくれる…とか。
ちょっと洗濯できた私です。

と言いたいのですが、ノンビリしすぎて間抜けな顔です。(笑)




帰りに、おかげ横丁でひもの塾に寄りました。
ここは渡辺哲雄先生のお勧めだったのです。
主人と私が、お店に入るとき、入れ替わりに「あゝ、美味しかった。腹いっぱい!」と言いながら出てきたオジサン4人組。しかし、彼らは試食を十二分に味わいながら何も買っていきませんでした。

いい度胸!

お魚があまり得意じゃない私もつい買ってしまうほど美味しかったのですが…。

さて、今月は日本3大霊山の一つ高野山で全国大会です。

聖地、神秘…

この言葉がぴったりの高野山は理屈抜きで身心を満たしてくれるでしょう。

大会後は那智の滝や、秦の始皇帝に命を受け、アムリタ(不老不死の妙薬)を求めて東方に行き、ついに帰らなかったと言われる徐福伝説にも触れてきます。

またまたパワーアップ!(荻山貴美子)




コメント (3)
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