その家は蔦に覆われていて
そこだけ時間が止まっているように見えた。
閑静な住宅街。
その日は友達の代理バイトで犬の散歩をしていた。
犬は全部で3匹。
大型犬(ラブ)と中型犬(柴)と小型犬(ポメ)という
大きさも性格もてんでバラバラな犬達。
だけどしつけが行き届いているせいか散歩は思ったほど
大変ではなく言われた通りの道順に沿って
地図を片手に散歩をしていくだけだった。
30分程歩くと散歩にも慣れてきて周りの景色を
堪能するまでになっていた。
その頃にはポメはもう歩けないと足を引っ掻いてくるから
時々抱っこしながら散歩を続ける。
ふと、一軒の家が目に入った。
その家は一面にツタが覆われていて
人が住んでいるのか住んでいないのかそれさえも分からない。
ただそこだけ時が止まっているように見えた。
そのままその家を眺めていたかったが
わんこ達が先を急ぐので仕方なくその場を去る。
“後でまた来てみよう”
犬達を無事飼い主に返すと先程まで歩いていた道順を
思い出しながら歩く。
“あった”
その蔦に覆われた家を見上げた。
退屈な毎日。
ネットにもゲームにも飽きた。
テレビもつまらない。映画も本も見尽くした。
仕方なく子供の頃少しだけ習っていた絵を描いてはみたものの
家の中のものはもうすべて描きつくしてしまった。
“自分はいつまでこんな生活を続けるのだろう?”
今日も蔦の葉の間から外を見る。
“ん?”
自分よりも年下と思われる男の人が好奇心いっぱいの目で
家を見上げているのが目に入った。
思わず目が合ってしまったのかと思い目をそらす。
“いや、こんな葉っぱだらけで見えるはずなんてない”
そう思いながら自分自身に苦笑いした。
そのまま見つめていたら3匹のわんこ達に引きずられるように
その男の人は行ってしまった。
“どっちが主導権握られているんだかわかんねーな”
思わず笑ってしまう。
“それにしても初めて見た顔だった”
なぜか家を好奇心いっぱいの目で見つめていた。
もう一度戻ってこないかな?
もう一度その顔が見たくて蔦の葉の間から窓の外を見つめ念じる。
しばらくすると周りをきょろきょろしながらその人が戻ってきた。
“戻ってきた”
その人はまた好奇心いっぱいの可愛らしい顔で見つめる。
「俺の家になんか用?」
思わず駆け出し玄関を開け道路に出る。
そしてその人に声をかけた。
「あっ、ごめんなさい」
その人はびっくりした表情を浮かべるとすぐに謝り
そして慌てて立ち去ろうとした。
「待って。さっきも見てたよね?」
「ご、ごめんなさい」
慌ててその人を呼び止めるとそう聞いた。
「……別にいいんだけど。何かあるのかなって」
「……何かって いうか」
「……?」
何でそんな好奇心いっぱいの目で見ていたのか気になり
そう聞くとその人は言葉に詰まりながら一生懸命言葉を探している。
その顔をよく見るととても綺麗で可愛らしい顔をしていた。
そう言えば外に出てその人を見た瞬間とても綺麗な横顔を
しているなと思ったんだっけ。
「……何だか 無性に惹かれるものがあって それで」
「ふふっ。惹かれるっていう意味がよく分からないけど?」
どんな答えが返ってくるのかと思い興味津々でいたら
思いがけない言葉が返ってきた。
ひかれるって、惹かれるって事だよね?
引かれるって事じゃないよね?そう思いながら思わず笑ってしまう。
「……」
「まあ、いいけど。で、さっきのわんこ達は?」
「あれは、散歩のバイトで」
「バイト?」
「今日は代理だったんですけど」
「あ~だからか」
「……?」
確か近所の家で散歩をバイトにお願いしているという家があったっけ。
でもいつも散歩している人と違うと思ったらそう言う事だったのか。
そう思いながらその顔を見つめていたら
その人はなぜ突然犬達の事を聞いてくるのかと不思議そうな顔を浮かべている。
「ああ、ごめん。そう言えば代理って言ったっけ?」
「……はい」
「だったら今度から俺のところでバイトしない?」
「……」
その人は突然思いがけない事を言われて不審そうな表情を浮かべた。
「いや、今さ絵描いてるんだけど家の中のもの描きつくしちゃって
飽きちゃったんだよね。だから絵のモデルとしてどうかなって」
「……」
「……まぁ、突然こんな事言われても不審に思うだけだよね」
突然そんな事を言われて困惑しているのがありありと分かった。
確かにそんな事を言われて、はい、そうですかなんて思えるはずもない。
怪しく思われても仕方がない、当然断ってくるだろうと思った。
「……えっと、絵のモデルって 脱いだりとか?」
「ちっ 違うよ。そんなんじゃないよ」
そんな事を思っていたらその人はとまどいながらそう聞いてきた。
思いがけないその言葉にびっくりしながらも慌てて否定すると
よかった、と安心したような表情を浮かべた。
そして思いがけずOKを貰う。
そしてそのままお互い自己紹介をするとそのままその日は別れた。
その人は都内の専門学校に通う学生で自分よりも一つ年上。
来週から毎週水曜日に来てもらう事が決まった。
約束した時間ぴったりに智はくる。
もしかしたら来ないかもしれないと思っていたから
凄く嬉しくて飛び上がりそうになった。
「家の人は?」
「いないよ」
「ふぅん」
家の中に案内すると智はきょろきょろしながら
不思議そうにそう聞いてくる。
いないというと、ふぅんと言ってまたきょろきょろしている。
「あ、この窓。葉っぱがあっても外が見えるところは見えるんだね」
「まぁね」
「中から見るとどんな感じなんだろうって、ずっと不思議に思ってたんだよね」
通りがかった窓から外を見つめると嬉しそうにそう言った。
そしてアトリエに案内すると結構本格的なんだねと言って笑った。
「そりゃそうか。バイト代出してまで描くんだもんね」
そう言いながら自分自身の言った言葉に一人で納得している。
バイト代出してって言うのは今回が初めてなんだけど
それは言わないでおいた。
そして窓際の椅子に座ってもらうと角度を打合せする。
正面の絵も考えたけどその目に見つめられたら
気恥ずかしくてとても絵が描けそうもないと思い横顔を描く事にした。
「いつもいないね、家の人たち」
何回か家に通い家族の誰とも会わないのを
不思議に思ったのか智がそう聞いてくる。
「まぁね、一人で暮らしてるから」
「一人で!?」
そう言うとびっくりした顔をする。
そりゃそうだろう。
家族と暮らしていた家なんだから。
「そう。みんないなくなっちゃったけどね」
「いなくなった?」
「事故でね、あっけなく」
「ご、ごめんなさい」
そう言うと智は慌てて謝った。
「別にいいよ。こうやって家も、それに一生困らないだけのお金も残してくれたしね」
「……」
「もしかして言ってはいけない事を言ってしまったと思い悩んでる?」
「……」
智が思いつめた顔をしていたから心配になりそう聞くとこくりと頷いた。
「俺は気にしてないから智もこの事を気にして、もう来ないだなんて言わないでね」
「……うん」
「よかった」
自分にとっては現在進行形ではあるけど過去の事。
言う必要のなかった事なのかもしれないけど
智には何故か知っててもらいたくて伝えた。
でもこれを気にして智が来てくれない事、それだけが心配だった。
「だいぶ、絵、出来上がってきたね。
俺がここに来るのもあと何回かって感じ」
「……」
何週間か通ってもらってだいぶ絵は完成に近づいていた。
絵を眺めながら智は満足そうにそう言う。
もうすぐ絵が完成する。
「……ね?」
「ん?」
絵を描いていると智は言おうか言わないか迷っている感じで
横を向いた状態のままそう話しかけてきた。
「ずっと翔くんはこのままでいるの?」
「……何 で?」
智の思いがけないその言葉に何で、としか言えなかった。
「……何か」
「……」
「……もったいないって思って」
そう言ったまま智は押し黙ってしまった。
言いたい事は自分自身が一番よく分かっている。
それにいつまでもこんな生活を続けていても
意味なんてないって事も十分わかっている。
そして智自身それを分かっていてあえて
それだけしか言わないんだという事も分かっていた。
智が来る最後の日。
「……どうしたの?」
「ふふっ。ちょっと待っててね」
家に梯子をかけ家に覆われているツタの葉を取り除き片づけていたら
智がやってきてびっくりしたように声をかけてきた。
「どうしたの?」
「心境の変化、かな」
智は何が起こったのかと心配そうな顔でそう聞いてくる。
「俺、ずっとこんなことがあって悲劇のヒーロー気取って
殻に閉じこもってたんだよね」
「……」
部屋に一緒に入ると智に定位置についてもらい
絵を描き始めながらそう言った。
「明日から大学にも行く。今日大学にもそう伝えてきた」
「……」
智は不思議そうな顔でこちらを見た。
でもそのまま絵を描き続けていたら顔の角度を
いつもの状態に戻す。
「考えてみたら俺ずっと探していたんだよね」
「……え?」
智は言われた角度のままの状態でえっとびっくりした声を上げる。
「ずっと家の中に籠っていてネットもゲームも飽きちゃって
しまいにはたいして上手くもないのに絵なんかに手なんか出しちゃってさ」
「……」
智は黙ったまま聞いている。
「それにもとうとう飽きて外に出るきっかけを探していたのかもしれない」
「……」
絵を描き続けた状態のまま話を続ける。
「で、来る日も来る日も窓の外を葉っぱの陰からのぞいててさ。
で、出会ったんだよね」
「……」
智はまっすぐ言われた角度を見ている。
「最初見かけない顔だな~って思ってたんだけど
好奇心いっぱいで見ているその顔がやたら可愛くてさ。
犬を連れているんだけどそれがまた完全に犬達に主導権握られててさ。
で、もう一度戻ってくるように念じてたら、
これがまた戻ってきたんだよね~」
「……」
「で、どうしようと思ってさ。で、考えたのが絵のモデルってワケ」
「……」
「でもこんなに好きになるなんて思わなかったなぁ
まぁ、考えてみたら初めて会った時からずっと好きだったんだけど、ね。
で、その人に言われた言葉にグサッと来て歩み出そうって決めたんだ」
「あの、翔くん?」
智は我慢できなくなったのかそう言ってこちらの顔を見た。
「あ、ごめん。一方的に喋っちゃって。
でも今日最後だしそれだけどうしても伝えたかったから」
「……」
智はそのまままっすぐな視線で見つめる。
恥ずかしくなって目をそらし
そして絵を描き始めると智はまた角度を戻した。
「……」
「……」
お互い無言になり絵に集中する。
「……できた」
「ほんと? 見せて」
そう言って智は椅子から立ち上がると絵の前に立つ。
「翔くんらしい絵だね」
「ふふっ。それってどういう意味?」
「んふふっ。温かみがあって、優しい絵」
「ありがと、智。
それに突然変なバイトお願いしちゃってごめんね」
「……」
そう言うと智は黙ったまままっすぐな目で見つめる。
そのまま目が離せずに見つめていたら智の顔が近づいてきた
そしてあっと思った瞬間唇にちゅっとキスをされた。
びっくりしてそのまま見つめていたら頬を手で包み込むようにされ
今度は角度を変えまたちゅっとキスをしてくる。
「あ、あの、智?」
唇が離された瞬間そう思わず話しかける。
「黙って」
そう言って智は角度を変えながら口づけを続ける。
頭が沸騰しそうになる。
「あの、智?」
そう思わず声をかけると
智はにっと笑い今度は緩く唇を開くとそのまま深いキスをしてきた。
もう何も考えられない。
ただ無我夢中でその口づけについていく。
そして唇が離されると智は目を見つめたまま
ご褒美と言って可愛らしい顔でにっこりと笑った。