本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

話しの展開

2024-09-17 19:38:39 | 十地経

第七地に出てきた「深淨なる三業」

ということから

話が展開していきます。

先生の考え方でしょうか、

言葉を繰り返しながら思考が

展開していくという。

 

「深淨なる三業、

深淨。深く淨らかなというよな。

ただ三業といううのじゃない、

深淨なる三業、それから成就する、

畢竟じて成就する。

深淨なる三業を畢竟じて成就すると。

畢竟じて深淨なる三業を成就する。

畢竟成就というようなことですね。

ついにはというような字ですね、

畢竟は。

 

今、

全部やっとるというんじゃないと。

ついには、ついにはその

深淨なる三業を成就すると。

今やっとると

いうんじゃないけども、

そうかといって、

その深淨なる三業というものが、

よその方からぽんと

出てくるものじゃない、

奇跡としてね。

 

今は成就しとるというわけでは

ないけれども、

成就する第一歩の中に

あるんだと。

つまり成就するのは畢竟ですから、

永遠の未来かも知らん。

 

しかし未来というものの鍵を

握っているんだと。

こういうわけですね。

未来があるが、その未来という

ものが現在の向こうの方から、

外から来るんじゃない。

 

もう未来の中に自分を置いた、

それが現在なんだと。

未来はここから始まっている。

未だ来らざる未来も

今の中にちゃんとはや、あの、

展開しとるんだと。

未だ未来に到達せずして、

未来をつかんどるんだと。

こういうような意味がここに

あるわけです。」

 

「深」という字から、

仏教ではおもに(じん)と読み

ますが、

安田先生の名前も「理深」リジン

といいます。

また先生がよく書かれた言葉に

「深心妙行」ジンシンミョウギョウ

があります。

深いところに立って自由にはたらく

さとりの世界を表現した言葉です。

単なる深という言葉一つでも

深く考察される。

ということもあってでしょうか。

 

同じ言葉を繰り返しながら

考えを進めていかれます。

 

そして、今は成就してないが

成就するという未来の鍵は

今握ったと。

未来が今の現在に始まっている。

という展開から、さらに進みます。

 

話しは混乱するかもしれんけど

と前置きして、

 

「福音書の中に『神の国』

ということが出てくるんですが、

神の国が近づいたというのが

キリストの福音です。

仏教の方は、

苦悩を解脱する道が見つかった

というのが、仏教の初転法輪。

キリスト教の方では

神の国は近づいた。

悔い改めよ。

というのがキリストの福音の

初めです。

その神の国が近づいたという、

近く来たという言葉ですね。

非常に含蓄あるでしょ。

 

神の国はどこへ来たんかと。

汝等の内にありと。

内というようなこともあるんです

汝等のそこに来ているという

ような意味ですね。

 

神が来るということは、

喜ばしい音信というけど、

それは、

人間の批判というものを

もっとるんですから。

最後の、

人間の最後の審判ですね。

 

ちょうど、

今の原子核みたいなものだ。

これは保守党も革新党も

全部が絶滅するような意味を

もっているのが核でしょう。

どちらの、イデオロギーを

超えているでしょう。

その矛盾対立の全体を包んで、

一挙に殺してしまうものが核です。

 

今言った神の審判というのは。

それを終末論的というのです。

だから汝の内とかね、

汝の近くという意味が、

終末論的な表現なんです。

 

つまり今日の言葉で言えば、

バルトという人が、神学者ですが、

バルトは我々今、信仰を得とるが、

それで信仰の全てが

終わったんじゃないと、

完成したんじゃない。

完成は未来だと。

 

今我々は、しかし我々は

救われとらんのじゃない。

救いの中に入っとるんだと。

しかしながら救いが

完成しとるんじゃないと。

だから中間時というんですが。

中間時や。

中間的な時間ですね。

 

我々が生きているのは

中間時に生きているのだと。

もう迷っとる中に

おるわけじゃない。

迷いは超えた。

しかしながら、

それは完成した

というわけじゃないと。

中間時というような。」

 

何か難しいですが、

こういうように話が展開して

またもとの問題、

三業清浄ということに戻ってくる

こういうような形で

話しが円を描くように展開する

ということが面白いところです。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身・口・意の三業

2024-09-14 19:40:01 | 十地経

在家の方でも一番初めに読む

勤行法則の最初は、

開経偈(かいきょうげ)があり

それから、三帰サンキ・三竟サンキョウ・

十善戒ジュウゼンカと続きます。

ですから十善戒といえば

一番初歩的なお経です。

その十善戒が『十地経』では

第七遠行地に出てきます。

遠行地といえば、

次の地が第八不動地といって

もう仏の世界です。

その一歩手前の七地になぜ、

誰もが読む「十善戒」が出てくる

のか面白いところです。

 

今読んでいるのは

『十地経論講義』です。

ですからこの論のもとになる経は

『十地経』です。

『十地経論』の中では、

「経に曰く」(きょうにいわく)

という言葉で始まり、

その経に対する論が、

「論じて曰く」(ろんじていわく)

と、世親菩薩の解釈が始まる、

という構成になっています。

 

今問題になったところの

経の部分を紹介します。

 

「経に曰く、

是の菩薩は此の

第七の菩薩遠行地の中に住して、

畢竟じて深淨の身業を成就し、

畢竟じて深淨の口業を成就し、

畢竟じて深淨の意業を成就す。」

 

こういう形で出てきます。

十善戒でいうと

身業にあたるところが、

 不殺生・不偸盗チュウトウ・不邪淫

の三つです。

口業(くごう)にあたるのが、

 不妄語・不綺語・不悪口アック・

 不両舌、の四つです。

意業にあたるところが、

 不慳貪ケンドン・不瞋恚シンニ・

不邪見の三つになります。

 

身が三、口が四、意が三で、

口に関する戒めが四つあります、

やはり、口は禍の元ということでしょう

 

畢竟(ひっきょう)というのは

究極というか、

英語ではアルティメット

ということです。

 

こういうことを踏まえて講義では、

 

「この経文を

世親は戒淨とこういう。

なぜ戒ということをいっているか

というと、

今読んだ内容がですね、

三業が清浄であると。それから

善、不善の今度は業道ですね。

業とか業道とかいうことが

語られとる、

それで戒といったんでしょう。

 

ま、こんなことがね、

第七遠行地というものの果として、

あまりに平凡じゃないかと。

今更善悪というようなこと

いっているのは

どういうことかと。

身口意の三業というようなことは

いかにも平凡なことのように

見えるけど、

経文をよく注意してもらうと、

 

三業は三業に違いないけど、

深淨(じんじょう)と書いてある。

深淨なる三業。

それから成就する、

畢竟(ひっきょう)じて成就する。

深淨なる三業を畢竟じて成就する。

畢竟じて、

ついにはというような字です。」

 

ここらは、先生も読み解いて

いかれるところです。

言葉を繰り返しながら、

思索を深められるのでしょう。

なかなか話がすんなりと進まない。

こういうことが、

聞いている私たちも三昧の世界に

引き込まれていくところです。

 

「深淨」という言葉一つでも

深くて清らかな、というような

簡単な意味では終わらせないで

繰り返しながら考えていかれます。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物質の中に意味を見出す、それが宗教経験

2024-09-12 18:49:00 | 十地経

水は命を支える大切なもの

それで、水の中にも魂を感じ

水神様としてお祀りし、

山には山の神、川にも川の神、

そういうように物もただの物

として見ずにそこに精神を感じる

そういうことがあるようです。

 

サッカーでもグランドに入る前に

一礼してはいる、

西洋の選手は十字を切って

天を見上げて祈ってから

入っている。

勝つように神さまに祈っている

のか分かりませんが、

東洋の考え方では

グランドを自分を磨く道場と

見るのでしょう。

デパートでも職員の人が

職場に入る時、一礼して入られる

たぶん無意識にされている

のでしょうが、

思うに、職場は戦場であり

また神聖な場所、自分を磨く、

そういう意味が根底にはあると

思うのです。

 

この講義とは意味は

違っているかもしれませんが、

 

「この仏教というものは、

自分というものを超えたような

法というものをですね、

自分の内面に持っている

ということですね、外でなしに。

 

そういう思想が自性唯心なんです。

自性唯心ということが実は

純粋な仏教の教えなんじゃないかと

思いますね。

 

我々が一つの、親鸞の場合、

我々が念仏を通してそこに、

我々の根元の声に触れる

わけです。

魂に触れるわけだ、念仏を通して。

念仏の本モトに触れるわけです。

念仏の本になっているものが

実は我々の根拠なんです。

 

ただ、念仏そのものといったら

物質なんです。

発音とかね。

もっと言うなら文字とかね。

 

真言宗でもそうなんでしょう。

『声字実相義』ショウジジッソウギ

といって、声と字とね、実相と。

『声字実相義』て、弘法大師に

ありましょう。

やっぱり声とか字とかは物質

ですね。

実相は物質じゃない。

この物質というものに

意味があるわけじゃないんです。

 

その物質の中に、

実相というものを見出してくる。

物質に、物質を超えた実相

というものを結合する概念を

自覚というんです。

経験といってもいいかも知れん

ですね。

 

その物質の中に

意味を見出してくるんです。

それが宗教経験というもの

なんです。

物質というものが、

そこに直結さしてくるんです。

物質と実相というものを

直結させるような経験が

宗教経験というものなんです。

 

そういうものに

我々が何か一つのですね、

経験をするんだ。

そこに自己を見出すというか、

一つの経験というものを

もってくるととですね、

ああ、

あの言葉が語られとったのは

これであったかと。

言葉を、初めて言葉を、

その言葉を初めて、

その言葉のいおうとしとった

ことを我々が確証することが

できるんです。

 

言葉が言葉になるんです。

 

それまでは言葉だけど

記号に過ぎんのです。

内面的な経験というものによって

初めて記号の言葉を表現にする

ことができるんです。

 

ああこの言葉の語ろうと

しとった意味はこれだったのか、

とこういっとたときにそれ、

表現になる。

初めて自分の言葉になるんです。

 

我々に過去から伝えられた

トラディションとしてあった

言葉がですね、

概念がですね、初めて自己表現を

もってくる。

これいっとったんかと

こう気がつかなきゃですね。

それは概念でしょう。」

 

難しいようですが、

何か初めは点としてあった言葉が

繰り返し読んだり書いたり

していると、次第に

じゅじゅつなぎの様につながって

何か自分の言葉になっていく

そういうことがあるようです。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

波羅提木叉(はらだいもくしゃ)

2024-09-10 21:03:29 | 十地経

波羅提木叉、プラティモークシャ

律のことですけど、

あえて訳さず音写した言葉です。

お経の中ではこの言葉で

よく出てきます。

仏教には戒律ということが

ありますが、熟語として使う場合

と戒と律というように分けて

使う場合とがあります。

 

簡単には、

戒というのは自分で自分を

いましめていくもので、

律というのは

教団とか僧伽ソウギャの中での

決まりです。

大きく違うのは

律には犯したら罰がある

ということです。

「随犯随制」ズイハンズイセイ

といって、

お釈迦さまの時代最初は簡単な

ものだったのでしょうが、

弟子たちが犯すたびに

お釈迦さまが定められていった

ということがあります。

 

三蔵法師の「三蔵」ということは

経・律・論といって

お釈迦さまの説かれた教えが経蔵

で、教団として守っていくべき

決まりが律蔵、

経を解釈したものが論蔵という

ことです。

三蔵法師はこの三蔵をおさめた人

ということですが、

三蔵法師といえば玄奘を

指すようになりました。

 

経と論があればそれいいような

気もしますが、

律ということがとても重要

なのです。

鑑真はこの律を伝えるために

何度も渡航を失敗しながら

艱難辛苦の末やっと日本へ到着し

その時には鑑真の眼は見えなく

なっていました。

それで、唐招提寺において

日本に戒を伝えたのです。

 

今では、法要というと

先祖供養とか願い事を叶える

祈願法要ということが盛んですが

古い時代は

いかにして戒を保つかという

ことが法要の中心でした。

奈良の東大寺のお水取りも

修二会シュニエという、悔過ケカの

法要です。

つまり、罪を懺悔するお勤め

なのです。

 

講義では

「釈尊がその法を残したという

『涅槃経』の場合はですね、

プラティモークシャ波羅提木叉と

いって律のことなんです、律ね。

だから今日の律法ですね。

あるいは法律といってもいい

かも知れんね。

律という一つの法なんです。

 

律の中に定も慧も含んでいる。

これは戒といってもいいですね。

戒律。戒といっても、

戒だけ述べているわけじゃない。

戒の中に包んで止観です、

止観が与えてあるのでしょう。

戒の中に定も慧も包んである。

 

だから戒をやめてもう、

手っ取りばやく定と智慧とを

得るというような、戒はやめやと。

そういうわけにかんのです。

戒をくぐって定に触れ、

定によって慧というものを

明かにしていくんです。

 

戒定慧というものは、

横に並んでいるものじゃない。

縦に連続しているものです。

何でも縦に連続しなきゃ、

行ということはいえんのです。

 

だからそこに、波羅提木叉、

律のことを、

それは自分が今死ぬのは色身、

色身ですね。肉体。

仏陀の肉体は今入滅する。

が、しかし、

残した波羅提木叉は法でしょう。

これは法身です。

 

仏の残した法が実は、

それが法としての仏なんだと。

法身です。

色身は入滅してもですね、

汝等が法を行ずるならば、

法身は永遠不滅なんだと。

汝等が法を行ずる時、

法身は生きとるんだと。」

 

お釈迦さまの最後の言葉も

戒律をよく守りそれを行ずる

ならばそれが仏だと、

いうことです。

戒律・波羅提木叉それが

法身なんだということです。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三浦先生と安田先生の出会い

2024-09-09 20:37:23 | 十地経

三浦先生が創設された幼稚園

「西京極幼稚園」では毎月

『たんぽぽ』という新聞が

発刊されています。

そこには三浦先生の言葉が

紹介されています。

洛南高校の生徒に毎月話された

講話なのです。

 

『人生は苦なり』という題で、

本日は、

洛南高等学校を建て直そうと

決心したことの

お話をさせて頂きます。

私はあるご縁により、

よき師にお逢いできて仏教精神

というものに触れさせて

いただいたように思っております。

小さい時から大変我の強い人間で

これと思ったら

思いを通さなければ

諦めぬ癖がありますが、

師のお話を聞き、

この話には嘘がない、

この人のおっしゃるとおりに

すなおに実践してみようと

思ったわけです。

 

それがちょうど昭和37年の3月

のことでした。

しかし、その年の11月には突然

あることで教育に疑問を抱き、

壁に突き当たってしまいました。

 

「私はよその人の子どもを育てて

何になるのか」

「何の生きがいがあるのか」

と思いついたら寝込んでしまい、

何日もご飯を食べずに過ごした

ことがあります。

しかしこの時、師から

「自分の一生はかけがえのない

ものではないか。

三浦は広い世界でただ一人だけだ

このかけがえのない自分を

空しく過ごしてはいけない」

とはげまされて、

途中でやめてなるものかと

思い直して立ち上がったわけで

ございます。

 

たとえ誰がなんといいましょうとも

責任者は絶対に弱音を吐いてはいけない。

自分のような者でも頼ってくれる

人がいる間は弱音を吐いたら

おしまいだ

ということはわかっています。

しかし

本当に人間は弱いものですから

泣き言もいいます、愚痴も出ます。

 

自分が壁にぶち当たった時、

人に過度の期待をかけるものではない、

世話をして自分の思い通りにさせ

ようとする心が背かれるのだ、

ということを

つくづく思い知らされたわけで

ございます。

 

釈尊が6年間の苦行の内容は

「世間は苦なり」でございました。

人生は楽から出発しているのでは

ありません。

世間は苦以外にはない。

苦を背負うよりほかに道はない

ように思います。

結局は、

いつ死んでもいいのだから

死ぬまでこの道を叫び続けようと

思い定めたわけでございます。

 

ただ、このように決心がついた

からといって、二度と迷わない

といわけにはまいりません。

 

ついこの間までは

東寺で師を囲んでの仏教の勉強会

がございまして、いろいろな問題は

その会で師のお話を聞けば、

なんという愚かなことに

迷っていたのだと、

気がついたものでしたが、

その師が突然に倒れられました。

その後、同志も一人去り、

二人去りというわけで

ちょうど仕事の方も難関に

ぶつかりかけてきましたし、

この時ほど

「教えを聞く場があればこそ

救われていた」のだと

思い知らされたことはありません

でした。

 

聞くことそのものが救いであって、

聞いてそれをどうしよということが

救いではなかったわけでございます。

 

中略…

 

最初の「十地経講義」は

ここにありますように

昭和37年3月です。

この当時は先生も泊りがけで

二日にわたっての講義でした。

この時が一番講義も熱が入り

喧々諤々、話も盛り上がり

その話が実践に移され

洛南高等学校の建設の礎に

なったのです。

この時は先生の声を残すという

考えはなく、

ただ聞いてその言葉をいかに

実践するかということに

力がそそがれたようです。

 

講義として本になったのは

先生が退院されてからの

昭和46年3月28日からです。

先生の言葉を残しておくべき

必要があると思ったからです。

 

三浦先生の言葉にあったように、

聞いてどうこうしようとする

のではなく、

聞くこと自体が救いであった。

ということです。

講義が途絶えた途端、

それこそいろいろな問題が起こり

苦難の時代が続いたのです。

 

話しは続きます、

 

けれども現実には、今の暮らし、

生活する場を守らなければなりません。

またこの国土を破壊してはなりません。

釈尊にしろ、弘法大師にしろ、

最後まで努力を放棄されなかった

欲生心の深い方であったと思います。

 

いやになったら

何時でもやめることのできる人は

しあわせです。

しかしそういう腰かけの意識では、

どんな小さな仕事でも成就する

とは思えません。

そこからは耐えるという力強さは

出てこないでしょう。

私どもは逃げ出したいという

思いが強い。

私も逃げたいのが本音です。

でも私は逃げることはできません。

また逃げてはいけないと思います。

 

後略します。

 

という

当時のことを思い出すような

話しですが、

安田先生と三浦先生の出会いは

昭和37年の3月ということです。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失われたものを数えるな、残っているものを最大限に生かせ

2024-09-05 18:13:04 | 十地経

今、パリパラリンピックが

面白い、

眠い目をこすりながら応援

していました。

 

「失われたものを数えるな

残っているものを最大限に生かせ」

という言葉は

パラリンピックを開かれた

ルードヴィッヒ・グッドマン博士

の言葉です。

 

水泳にしても

足をなくされた、手をなくされた

よくもあのような体で

泳げるものだと感心します。

 

テニスの国枝さん、

テニスを引退されて水泳を

始めたといことです。

足が不自由になるまでは

水泳もやっていたので、

難なく泳げるだろうと思って

いざ水の中に入り泳ごうとすると

体がぐるぐる回って泳げない、

上半身は鍛えているので

ムキムキの体で

力で泳ごうとすると

昔の感覚とは違って泳げなかった

ということです。

ですから、

あのように泳げるのは

本当に素晴らしいことだと

自分の経験を踏まえてしみじみと

話しておられました。

 

また、車いすラグビーも

とても面白いものです。

東京オリンピックからファンになり

何よりも面白いのは

色々の障害のある方も参加できる

そして、女性も、

それぞれの役目を果たし

全員の連係プレーが

金メダルという

見事な結果を生んだのです

遠くから拍手喝采です。

 

ところで

仏教にこういう言葉があります。

「一切衆生・悉有仏性」

(いっさいしゅじょう・

    しつうぶっしょう)

一切の生きとし生けるものには

仏性があるのだと。

全ての生き物は仏になる可能性を

もっているということです。

しかし、反面には

泣き言を言うなという

一面もあるのです。

 

調子のいいときには

私たちには必ず仏になる可能性を

もっているのだと思うのです。

しかし、

お寺の中で人間関係や

修行の厳しさが増してくると

もういい、自分だけは

人間関係もすて、

厳しい修行も捨てて、

平々凡々と呑気に生きていきたい

と思うものです。

 

そのような時、

師匠の言葉は厳しいものが

ありました。

何を言うかと、

そんなことでどうするのかと

叱咤激励が跳ぶのです。

激励だけならいいのですが

厳しい、叱咤があります。

今は死語かもしれません

叱咤激励ということは。

 

そうかそうかと甘やかすのでなく

厳しく叱り飛ばす、

今思えばよくぞ叱ってくれた

と思うのです。

叱咤激励というのは言う方が

何倍もエネルギーを使う。

 

一切衆生悉有仏性という言葉には

仏になる可能性がある

というだけではなく

「自分はもう駄目です」

ということを言ってはいけない

という一面もあるのです。

可能性があるのですから、

もうこれくらいで、ということは

許さないのです。

 

残っているものを最大限に生かせ

という言葉には

そういう厳しさもあるようです。

私たちはすぐに

あれがないから、これがないからと

失われたものを数え上げ、

出来ないことの言い訳にします。

 

医学的に見ても

人間の脳細胞は

あの天才と言われた方でも

脳細胞の半分も使っていない

ということです。

そうすうると、

私たちの脳細胞は

一割も使っていないのでしょう。

可能性ということからすれば

勿体無いことです。

 

お釈迦さまの涅槃に際し

なすべき事はすべてなし終えた

ということは

完全に燃え尽きたという

それで涅槃(ニルバーナ・吹き消す)

というのでしょうけれども、

医学的には

すべての脳細胞も使い切った

ということになるのでしょうか。

 

なんだかんだ言い訳せず

出来うる限り

与えられた命を全うすることが

あたえられた使命の

ようにも感じます。

呑気にはしておれないのですが

肉体的にはどうもゆっくりと

しがちになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遺教経(ゆいきょうぎょう)

2024-09-04 19:54:18 | 十地経

普通には「遺」という字

イ、と読むようです

遺言も法律的にはイゴンと

一般的にはユイゴンと読みます。

遺教ということも

お釈迦さまの最後に残された

教えということで、

その言葉がお経になったので

「遺教経」といいます。

 

「『遺教経』というお経が

ありまして、釈尊の遺言です。

つまり『涅槃経』です。

その中に、

自分は今、入滅すると。

あのお経には如是我聞がない

お経です。つまり最後です。

沙羅双樹の間に入滅されるとき

そこへ集まった悲しんどる

弟子を激励してですね、

泣き悲しむなと、

こういって遺言を垂れられる

経文です。

だからして非常に独特の感銘を

与える経典です、短いけど。

 

その時に自分は今、

これから涅槃に入ると。

しかし法は残したと。

つまり度すべきところのものは

ことごとく度し終わり、

未だ度せざるもののためには、

度すべき因縁を与えたと。

だから仕事は済んだと。

 

死んでも死に切れん、

そんなことじゃない。

仕事が済んだから涅槃に入る。

だから死ぬるんじゃない。

涅槃に入るという。

仏に死んだということはない。

凡夫にこそ死ぬるということは

あるのです、

仏は仕事が済んだというだけの

話しです。

 

仕事は終わったんだと。

だからして、今、

度せざるものがあるけれども、

それらの人もまた、

済度されるような法が与えられたと。

 

つまりお釈迦さんは、

自分も仏になったから、

その仏になった経験を通して、

仏にならしめた法を見つけたと。

法で救われるんだと。

 

自分という人格で

救われるんじゃないと、

こういうんです。

 

私は仏という人格を得しめられた。

得しめたものは法なんだ。

我を仏にした法はちゃんと見つけた。

だから、この法を与えると。

 

だから仏は人間を直接

手を出して救うということはない。

法を通して救うんです。

これ、大事な点です。

だから法を明らかにしたら、

それで仏の仕事は終わったんだ。

 

法を明らかにするってことが

仏の仕事なんだ。

その法に救われるのは、

我々の仕事だ。

 

法が見つかった、

見出したというときに、

仏の仕事は済んだんだ。

あと、我々はまた、

時機到来して、

法に救われていくというだです。

 

仏というのも法によって救われた

人ですし、

我々はこれから救われる仏なんです。

未来の仏なんだ、我々は。

釈尊は既に成就された仏です。

我々はこれからなる仏なんです。

その法というものが、

実は、釈尊を仏にし、

我々を仏にするものなのです。」

 

どうしても私たちは

法というより人につくというか

そういう弱さがあります。

惚れこみすぎてもいかん、

ということも仰ってました。

人より法だといっても

人に就くのが人間の習性です。

そこのところを

よくよく存じ上げられていたので

お釈迦さまは念を押すように

人ではない、法なんだ、

ということを厳しく仰って

おられます。

 

私に近くにいて

私を見る人よりも

法を実践する人の方が

私の近くにある。

ということを仰っておられます。

 

こういうことを

知っておくことが大事なのでは

ないでしょうか。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みらい・ミライ・未来・当来

2024-09-03 20:41:26 | 十地経

「未来」というと

何か知らないけれど

素晴らしい世界が待っている

ような、そのような気がする

意味合いをもった言葉です。

そういうせいか、

「みらい」と名のつく会社もあり、

また「ミライ」という名前の車

水素で走るという、

本当に未来の車です。

 

仏教では、未来のことを

当来(とうらい)といいます。

当に来るべき、という意味で

未来は偶然にやって来るのではなく

現在の中に内包されている、と

現在は過去の積み重ねが

今の自分を作っているし、

今やっていることが

未来の自分を作っている

ということです。

 

棚から牡丹餅のように

待っていたら美味しいものが

やって来るというのでは

ありません。

そういうことを大谷さんが

コマーシャルの文句の中で

言っておられました。

 

「何の準備もなく

凄いことをやり遂げるという

ことはないのであって、

未来は勝手にやって来るもの

ではなく、

自分で作るものだと思います。

そのために今何をすべきか」

 

ということでが、

まさに「当来」という内容を

表すものだと思います。

素晴らしい成績というか

前人未到の記録を成し遂げられて

いる大谷さんだからこそ

重みのある言葉だと思います。

 

過去・現在・未来ということは

仏教では三世(さんぜ)といいます

略して、去来現(きょらいげん)、

已今当(いこんとう)ともいいます

詳しくは

過去世・現在世・未来世といい、

現在世と未来世とを

「現当二世」(げんとうにせ)

ともいいます。

よくお経の中に出てくる文句です

 

未来ということも

若い人と老いている人にとっては

受け取り方が違うようです。

檀家の方で80過ぎたご婦人

通いなれた医院で先生から、

「前を向いて元気を出して

いきなさい」と言われて、

「先生、前を向いたら

あの世しかありません」

と答えて、先生も絶句された

ようです。

 

年とってくると未来よりも

過去のことに生きるようです。

よく母が、

「毎晩死んだ人の夢ばかり見る」

と嘆いていましたが、

その当時はなぜなのだろうと

分からなかったのですが、

母の年に近くなってくると

そういう私も亡くなった人の

ことばかり夢見るようになった

のです。

 

現在と未来が欠けていき

過去の思い出だけがありありと

思い出されてくるのです。

そういうせいか、

身近な人と話す時、

昔話が出てくると、

「その話は何べんも聞いた」

という返事が返ってきます。

しかし、

大事なのは過去の話が大切で

過去の話の中から新たな展開が

生まれてくるものです。

 

過去現在未来が

同時だとも言います。

「過現未同時」と、

何時から何時までが過去で

何時からが現在が始まり

そして何時からが未来が来るのか

といわれても、

今という一瞬の中に過現未という

ことが含まれてるのです。

「今」といった瞬間にその時は

過去になり、未来が来ている

ということです。

 

年とっても未来はあるもので

その未来を迎えるためには

現在の行いが正されなければ

いけないのではないかと

思うのです。

お釈迦さまが最後に説かれた

お経『遺教経』(ゆいきょうぎょう)

というのがあって、

非常に短い経典です。

その時、度すべきもの人たちは

ことごとく度した。

(度というのは渡ということで

真理の世界へ導いたということ)

まだ度していない人には

その至る道を示したと。

それで、自分のなすべき仕事は

すべてなし終えたと、

だから涅槃へ入ると、

こういうことが書いてあるのが

この『遺教経』です。

 

なかなかそうはいきません、

あの、一休さんでも

亡くなる時に

周りの弟子達がお言葉を

と言った時

「止にとうない」

と、

お弟子たちがびっくりされて

もう一度聞き直すと

「死にとうない」

と答えたという話しが有名です。

 

まして、凡人である私たちは

何と言う言葉が出てくるか

恐ろしいような気もします。

まあ、

何とか素晴らしい未来が

迎えられたら

これこそ冥利に尽きるような

気がするのです。が

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

汝の Du と Sie

2024-09-02 20:36:42 | 十地経

「ドイツ語でね、

同じ汝でも Du という

言葉を使う場合と

Sie という言葉を使う場合と

あるんです、区別して。

Sie の方は、

尊敬をもっとるんです。

尊敬をもっとるということは

よそよそしいんです。

 

だから神なんかは、Sie とは

いわんです。

やっぱり Du といってる。

自分の愛人でも Du という。

Sie というようなことは、

やっぱり何か、

尊敬を表すんであって、

なにかそこによそよそしさが

ある。

 

こんなことがあって、

同じナンジでも近い方は、

Du を使うんだ。

こっちの方は

やっぱり独立したものと

独立したものとの対比の

場合には、Sie を使う。

どっちも独立しているんだ。

 

だから先生も、教師の、

先生も学生も人格は平等でしょう。

学生は別に先生の部分じゃないん

です。

だからして対等なんです。

位置は、

その教えると教えられる

という区別はあるけれど、

人格は平等なんです。

それで仁者というような

使い方がある。

 

けれど汝の方、

汝の方はですね、

これはそんなものじゃない。

独立者と独立者との

対比じゃない。

独立者の構造なんだ、

一人ずつのね。

 

実は汝ということによって、

真の独立ということが

成り立ってくるんだ。

内面的なもんだ。

個物を個物として成り立たせる

範疇が汝なんだ。

個物と個物との関係が仁者

なんだ。

 

我、仁者、、我と仁者。

我と仁者と、我と汝と

同じナンジでも違いがある

んですね。

こういうところは非常に

仏教はですね、

救主と教主とを混乱せない

んです。

救い主というものと、

教え主というものとを混乱

せない。」

 

早速難し文が続きますが、

読みながらふと思い出すのは

洛南高校で、

卒業生が先生としてもとの

洛南高校へ帰って来られる。

その時、

三浦先生は教え子であっても

必ず、○○先生と呼ばれて

おられました。

「おい」とか「お前」と

いうようには呼ばれなかった。

 

ちょっと前までは今まで

教えていた生徒であっても

教師という免許をもって

帰って来られたら先生です。

そこは厳密に守っておられた

ようです。

人格は平等でも立場は

先生と生徒という位です。

 

おい、おまえ、とか言い出すと

呼ぶ自分もそうなってくる。

相手をさげすんで呼べば

自分も自ずからさげすんでいる

ということです。

相手を汝と認めることによって

自分もそのように汝となってくる

そこに教育が成り立つと

そういうことを仰っておられた

ように思います。

 

「我と汝」ということも

哲学的には難しい問題ですが

そういうことを実践として

実行する場合、

一つの「先生」という呼称

にも気を使われ、

先生と呼ぶことによって

呼ばれた方も先生になっていく

そういうところに

「我と汝」ということを

実行しておられたようです。

 

なかなか面白い問題です。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

背きながら近づく

2024-09-01 20:52:03 | 十地経

仏教の話とか、また

こういう「十地経講義」の

ような話でも、

好きでたまらないというのも

おかしいし、

また反対に

全く受け入れないというのも

どうかと思うのです。

 

大学生の頃この話を聞いて

全く分からなかったのですが

何かしら、今まで求めていた

ことの答えが

あるような気がしたのです。

分からないなりにも、

毎月、お世話になっていた

東寺の宝菩提院で講義があり

聞かざるを得ないような

状況でもあったのですが

何か惹かれるように

出席していたのです。

 

その当時は話の内容よりも

準備の忙しさが大変で

そのことに追われていた

ように尾思います。

また、一泊二日で夕食のおでん

も出て、お酒も出るという

楽しい一面もあったのです。

 

講義を離れて、

世間の新聞に出てくるような

話題についての先生の考え方

もとても興味あるものでした

ときには歌も出るという

和やかなものでした。

先生の順が来ると決まって

「菩提樹」をドイツ語で

歌われました。

 

毎月あったのですが

やはり講義の日が近づくと

鬱陶しいものでした。

しかし、聞き終わると

何かスッキリしたものが

残っていたのです。

 

こういう話しも

好きでたまらないという

ことでもなく、

嫌ということでもなく、

何かしら聞かずにはおれない

というものがあったのです。

怖いもの見たさではないですが

一度聞くと、

また聞かねばというような

そういうことがあるようです。

 

背きながら近づく

ということがありますが、

反抗しているということは

反抗しながら近づいている

ということがあります。

高校生の頃、

祖父の生き方というか

信仰について疑問が起こり

毎日のように議論を

持ちかけたものでした。

ところが、

今思うと、反抗しながら

逆に近づいていったようです

 

先生の十地経講義は

ひとえに三浦先生に対して

講義されました。

お釈迦さまも弟子の中で

舎利子(舎利弗シャリホツ)に

対して話されました。

それで、

先生は三浦先生に

ノートはとらなくてもいい、

私の眼を見て聞きなさい。

と仰っておられました。

 

普通は聞きっぱなしで

その聞いたことを実行に

移された人はあまりおられません

でしたが、聞いて感動したことを

一つっ一つ実行されたのが

三浦先生でした。

 

ですから、

こういう話しは分かるとか

分からないということは

ないのであって、

ただ頷けばいいと思うのです

私たちのたかが知れた頭で

聞いて理解するということは

おこがましいことであって、

算盤の世界に生きている

私たちに分かるはずはないのです

 

ソクラテスではないのですが

こういう話しが

分からないということが

分かっただけでも

大変なことだと思います。

 

好き嫌い、損得勘定

という撥水加工が私たちの

頭には施されているのです。

何回か、繰り返し聞いていくうちに

その撥水加工が破られて

針の穴くらいの穴が開くのです

そこから少しづつ

仏法の話が沁みこんでいき

初めは点だった話が

次第に線として、面として

繋がっていくような気がします

 

分からないといことは

いいことで

反発するのは反発する

真なるものが自分の中に

芽生えてきたということ

のようにも思います。

 

やはり、真なるものには

喜んで近づくというより

背きながら近づいていく

ものでしょう。

 

そのように思いますが、…

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする