本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

今週の言葉 9/2~9/8 「桃李不言 下自成蹊」

2013-09-01 20:14:10 | 今週の言葉

「 桃李不言

 

  下自成蹊 」 

 

   司馬遷

 

- 桃李もの言わざれども、

    下おのずから蹊(みち)を成す -

 

 

 「 桃や李 ( すもも ) は美しく咲いたと

   見に来いと自己宣伝はしない。

  ただ自らの勤めとして、精一杯

  花を咲かせているだけではあるが、

  その美しさにひかれて人々が集まり、

  下に自ずから小道ができたという。」

 

 これは司馬遷 ( しばせん ) の

『 史記 』 の中に、李将軍を讃える

言葉として出てきます。

 

 また、日航系のホテルでは中華料理の店は

『 桃李 』  で統一されているようです。

 そして、いま一番有名な俳優さんに

『 松坂桃李 さん 』  がいらっしゃいます。

 また、 『 成蹊学園 』 という大学は

この言葉の最後の文句を学校の名前につけられました。

 

 東寺いた頃お会いした先生に、

「 東井義雄先生 」 がいらっしゃいます。

東寺でお話しもしていただき、

三浦先生も親しくしておられました。

 その先生の言葉に、

『 根を養えば 樹はおのずから育つ 』

ということを思い出します。

 花や実はすぐに目につき、

そこだけを求めようとするのですが、

その花が育ち実が結ぶということの

根の働きをほめる人はいません。

 

人の人生も同じです。

 長い月日をかけて土作りをし、

種をまき、根を張らせていくという

報いのないところで、もくもくと精進し続ける

ことができる人は少ないようです。

 毎日のお勤め、掃除、

そして日々出会う人とのなんでもない挨拶、

そのなんでもないことの積み重ね、

それが、

 「 お会いしてよかった ! 」

 「 何気ない一言で元気が出た ! 」

という出会いがあって、

自然と人生の根が張っていくのではないでしょうか。

 

 『 徳は事業の基なり。

  いまだ基の固からずして、

  棟宇の堅久なる者はあらず。

  心は後裔の根なり。

  いまだ根の植 ( た ) たずして、

  枝葉の栄茂する者はあらず。 』

 

ということばもあります。

 「 土台がしっかりしていなければ

   家も長持ちせず、

   根がしっかりしていなければ、

   枝葉も繁茂することができないように

   いかなる事業も、それにあたる人の

   徳そして人格が大切である。 」

 

人づくりも、年月を忘れ、努力を惜しまず、

結果を問わず精進し続けること以外に

ないとうことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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今週の言葉 8/26~9/1 「わしがしなけりゃ だれがする  …」

2013-08-25 18:08:52 | 今週の言葉

 わしがしなけりゃ

 

  だれがする

 

 いましなければ

 

  いつできる

 

 

 この言葉は新しく物事を切り開いていく

その決意の言葉です。

 

 生きようとする 「 動物 」 のために

 動物と共に生きる 「 人 」 のために

 動物と人が暮らす 「 社会 」 のために

この理念は、『 竜之介動物病院 』 の

徳田院長の信念です。

 

 ものごとが動き始める

そのときには 「 わしがしなければ 」

という覚悟なかったらできません。

 なかなか覚悟は出来ないものです。

あれやこれや言い訳がましいことを

並べ挙げて、結局何もしないで終わってしまうことが多いのです。

 

 三浦先生も洛南高校・東寺を再建していかれる時

全員の教職員が

 「 わしがしなければ だれがする 」

その気持ちで一つになったのです。

でも、最初は一人の願いだったのが

それは友を呼び、同じく共感する人が

一人二人と増えていきます。

そして、一人の願いが伝播していき、

ついには、皆に行き渡っていたのです。

 

 久しぶりにこの言葉に出会い、

身が引き締まる思いでした。

 

 そして、この度、新築された

「 竜之介動物医療センター 」 「 九州動物学院 」

の、徳田院長のことが頭に浮かびました。

採算性から考えたら、

今の仮事務所でやっていかれるほうが

随分といいのではないでしょうか。

しかし、今回、立派な病院と学院の建設

院長を突き動かしたのは

院長の信念がそうさせたのでしょう。

 

 今日のテレビ 「 夢の扉 」 は

再生医療の最前線の話でした。

ずっと赤字続き、

でも、この医療はこれから必ず

人のために成る、そして必要なんだ

という信念が今まで続けてこられたのです。

 

 そもそも  何をするために

 自分はここにいるのか

 

ということをいつも自分に問いかけます、

といっておられました。

この問いかけが歩みを作ったのでしょう。

自分に問いかけつつ、

百万人といえども我行かん

という、覚悟

問い返しつつ、腹を決めて、

それがその道程を作っていくように思います。

 

 わしがしなければ だれがする

 

あつかましいようにも聞こえるかもしれませんが、

その心は謙虚でありつつ、

腹を決めたら大胆に

ということだと思います。

 

 

 

 

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今週の言葉 8/19~8/25 「釈迦といういたずらものが …」

2013-08-18 16:51:53 | 今週の言葉

釈迦という 

 

  いたずらものが

 

 世にいでて

 

おおくの人を 

 

   まよわすかな

 

       「一休」  

 

 

 「 一休さん 」 ならではの一句のようです。

普通に読んでしまうと  ! ??

と、不思議に思われるかもしれません。

 

 お釈迦さまは、悟りを開いて

多くの迷える人たちを導いた、

と思うところです。

 

 ところが、

一休さんは、 「 おおくの人をまよわした 」

といっておられます。

 

 逆説的には、

この世の中で迷ったのは 「 お釈迦さま 」

お一人ということも出来ます。

お釈迦さま一人が悟ったんじゃない。

お釈迦さま一人が迷ったんだ。!

 

 ある所に、猿ばっかりいる島があったそうです。

その島の猿は全部頭がはげていた、というのです。

そして、一匹だけ頭に毛のある猿がいて、

みなが笑ったんです。

「 頭に毛がある 」  と言って。

 

 お釈迦さまも、ただ一人悟ったというけど、

迷った人間からすると、

大多数が迷っているのですから、

「 ありゃどうかしている 」  と

なってしまいます。

 

 般若心経にも、

『 一切顛倒 』  ( いっさいてんどう )

という、言葉が出てきます。

「 すべてはさかさまだ 」  というのです。

目が開いた人から見ると、

私たちの生き様は 「 さかさま 」 なのでしょう。

しかし、周りはみなそうですから、

さかさまとはわからない。

 

 師匠の三浦先生も困っておられました。

「 言わなければ、わからないし。

  言えば誤解する。 」

今ごろになって身に沁みる言葉です。

本当に求める心がないと、

 言っても、自分本位に勝手に受け止めるし、

言わなければ、これまたまったくわからない。

そういうジレンマがあるものです。

 

 しかし、

『 迷い 』 ということは

「 量 よりも  」 ということがあります。

千年の暗闇も一本のマッチで破れるものです。

たしかに、

量的にいうと、迷っている人がはるかに多い

ですから、世間的には迷っているほうが強い。

しかし、迷いは質であって、

一人の目覚めた人にとっては

百万人の迷った人の力は何でもないのです。

 

 一休さんの言葉は、

人間は悟りたいというよりも

楽しく迷っていたいのです。

そこに、お釈迦さまがでてきて、

「 人間何のために生きるのか ? 」

という、考えたくない問題を掲げられたのです。

だから楽しく迷っている人にとっては

お釈迦さまの悟りは迷惑な話なのでしょう。

 

 昔の歌に、

「 どうせ私をだますなら、

  だまし続けてほしかった。」

という歌もあったようですが、

人間は理知的に上手に迷っていたいものでしょう。

 

 しかし、

「 ほんとうにそれでいいのか !! 」

という問題も心のどこかに残るのも

確かなことではないでしょうか。  ?

 

 

 

 

 

 

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今週の言葉 8/12~8/18 「人しれず 人らしき わざせしあとの …」

2013-08-11 17:27:54 | 今週の言葉

人しれず

 

人らしき

 

わざせしあとの

 

おのが心の

 

奥のあかるさ

 

 

 人に知ってもらうように、目立つことをして、

人に少々恨みを買っても、自分の得になるように、

というのが私たちの心のようですが、

そのあとの気持ちは決して、

心地よいものではありません。

 

 表舞台で活躍する人が

その組織を支えているように思うのですが、

本当は、誰も気が付かないところで、

人のカバーをできる人が、

その組織を支え強くしているのです。

 全部の人が目立つ仕事ばかりしていると、

根無し草のような仕事になってしまいます。

 

 人に目立たない、隠れた仕事ばかりですと、

とても損をしたような気分になります。

 自分が認めてもらえない、 !! …

 

人間、自分のことを分かってもらう、ということが

一番うれしいものです。

 

 しかし、自分が知っている自分とは

案外いい加減なもので、

人が見てくれる自分の姿が

案外本当のような気がします。

 

 そして、お釈迦さまも、

  「 他人の罪は見やすく

    己の罪は見難い

    愚者は他人の罪を吹聴し

    己の罪は隠す 」

といっておられます。

 

 自己主張の激しい昨今、

「 人知れずして … 」

ということは、逆行しているかもしれません。

しかし、

 「 俺がした、 これも自分がした ! 」

と、いくら越え高々に叫んでも、

ふと静かに考えれば、

心に空しいものが残ります。

 

 見る人は見ているものです。

まして、自分の本当の心が

自分のしていることを

一番先にちゃんと見ているものです。

 

 もう、お盆休みに入っていることでしょう。

ご先祖さまに、

  『 人しれず

    人らしき

    わざがせしあとの … 』

ということが報告できたら、

それが何よりの供養になるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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今週の言葉 8/5~8/11 「兎にも角にも自分でやってみること …」

2013-08-04 22:47:08 | 今週の言葉

  兎にも角にも

 

自分でやってみること

 

  間違っていたら

 

    直ちに

 

   改めること

 

 

 大学の時に 「 原始仏教 」 を

教えて頂いた、

 『 舟橋一哉 』 先生の言葉です。

 

 まずやってみること、

そして間違っていたらすぐに改める

 

簡単なようでも、難しい !!

 

 三浦先生も、

  「 成功したいなら何もしないこと 」

とよく言われていました。

 

 今日お邪魔したお宅で、

家訓は 「 石橋をたたいても渡るな ! 」

ということです。

面白いことに、その方の友人が

親が亡くなるとき、遺言は

 「 なにもするな !

   家賃を大切に守っていけ ! 」

ということだったそうです。

 

 確かに、一理あるかもしれません。

また三浦先生は、

 「 危ないだの、 いやだの、

  できぬだの、

  そんなことは、いやしくも

  仏道を求めんとするものには

  あるべきことではない。」

と叱咤されていました。

 

 その場所と時を与えられたら、

兎にも角にも死にもの狂いでやってみること。

やってみたら、必ず

間違いが見えてくるものです。

そこで、 「 直ちに改める 」

これがなかなか出来ないのです。

自分のやったことに固執してしまいます。

だから、間違いではないと思いたがるのです。

 

 間違いであるかどうか、

判断できるのは、経験ということもありましょう。

それよりも 「 法に照らして 」 みて

間違いかどうか、照らし合わせてみるのです。

そこには、教えを聞くという、ことが

とても大切です。

 20数年前、熊本に帰って、

お寺の修理を始めました。

その時、いつも三浦先生の言葉を思い出していました。

先生だったら、

「 このときはどう判断されただろう。」

そして、悩んで、

「 これをやるしかない !! 」

という決断に至り、行なってきました。

 少々の間違いでも、この場合は

「 こうするより仕方がない。」

という確信で実践してきたように思います。

 

 「 間違っていたら 」

ということも、いろいろ周りから言われて

ふらふらと、考えを変えるのではなく、

そこに、 「 法 というものに照らして 」

確信を頂く、ということが大切だと思います。

 

 まずは、与えられた仕事は

死にもの狂いでやってみることです。

そしたら、必ず、いろいろなことが見えてきます。

そこから一歩一歩の歩みも始まるのではないでしょうか。

 

 

 

 

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今週の言葉 7/29~8/4 「 下手だったから もっと上 … 」

2013-07-28 21:59:05 | 今週の言葉

下手だったから

 

もっと上、もっと上を

 

めざすことができた。

 

     中山雅史

 

 

東アジアカップ 「 ザック・ジャパン 」 

 優勝  を飾ることが出来ました。

 けど、試合内容はハラハラドキドキ、

数少ないチャンスをものにしての

優勝です。

  よかった   おめでとうございます。  

 

 今週の言葉、中山選手の言葉です。

フットボールの選手としては息の長い選手だということです。

それで、

 「 どうして、長く続けることができたのですか ? 」

という質問に答えて、

 

 『 自分は下手だったから、

   もっと上、もっと上を

   めざすことができた。 』

 

と話されておられました。 

 

 昨晩、世界の頭脳選手権みたいな番組がありました。

質問もわからないし、

答えも、わからない。

これから世界を背負っていくであろう

頭脳集団の集まりのようでした。

 

 しかし、かのソクラテスは

『 無知の智 』

と、いわれています。

自分は何も知らない、

ということだけは知っている。

 また、ジョブズさんも

『 愚かであれ 』  ( stay foolish )

と、スピーチされています。

 

 今の世の中、知識を競う世界で、

「 愚かであれ 」 というのは

逆行するようですが、

一歩深く考えると、

いろんなことは知っているが、

肝心の自分のことは何も知らない、

ということがあります。

「 何のために生まれてきたのか 」

この一つがわからなかったならば、

せっかく生まれてきた意味をなくしてしまいます。

 でなければ、名誉や財で自分を誤魔化して生きるしかありません。

お経の中では 「 名利 」 という言葉で出てきます。

名誉と利益です。

そこを厳密に分析して、

利益を隠蔽するために、

名誉というもので覆っている。

と、いやなことを書いてあります。

( そこまで分析しなくてもいいのに )

 

 そういう中にあって、

中山選手は 「 自分は下手だから 」 と

自分の立場を一番下においておられたのでしょう。

理解する、という 「 understand 」 英語も

分けてみると 「 under 」 下に

「 stand 」 立つ、 となります。

自分の居場所を一番下に置かれたからこそ、

いつまでも、求める心が続いたのでしょう。

 

 自分の立ち居地をどこに置くか、

出来上がった完成した自分と見るか、

愚かな自分と見るか、

人それぞれと思います。

 

 たとえ歩みはのろくとも、

素直に愚かに一歩一歩ずつ歩む姿が

これからは信頼される人と成ることができるし、

また、

自分にとっても本当のことが見えてくるように思うのです。

 

 いつまでたっても下手だから、  …

落ち着ける言葉です。

そして、精進努力ということが身に具わってくる

ようにも思うのです。

 

 

 

 

 

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今週の言葉 7/22~7/28 「自分で自分を一番見失いやすい …」

2013-07-21 21:18:58 | 今週の言葉

  自分で自分を

 

一番見失いやすいのは

 

  ブレークしたり

 

  低迷したとき

 

 

仏教で一番大きな罪は 「 自分を見失う 」

ということでしょう。

不安という罰が与えられます。

 人間調子がいいときは

世界は自分のものというような錯覚をして

有頂天になってしまうものです。

 また、反対に落ち込んだときは

何もやる気がなくなってしまうものです。

 

いま、読んでいる 「 唯識三十頌 」

大随煩悩 ( だいずいぼんのう ) ということがあって、

そのなかに、面白い煩悩が出てきます。

『 掉挙 』  ( じょうご )  と

『 惛沈 』  ( こんじん )

という煩悩です。

 「 掉 」  普段はあまり目することのない言葉です。

  騒がしい、という意味になります。

 「 挙 」 は何か突き上げられるような落ち着けない

  じっとしておれない、そわそわする。

『 掉挙 』  というのは、そわそわして落ち着かせない。

  静かにさせない。別に何があるというわけでもないのに

  じっとしておれない。

  静寂をを失わせる、というのが本質です。

『 惛沈 』  は反対に、心が何か沈む。

  心が重苦しく沈んでくる。

  何もやる気がしない。

という煩悩なのです。

 

 そわそわするのも煩悩なら、

重く沈んで何もやる気がしないというのも煩悩です。

それによって自分を見失ってしまうのです。

 お経の中では、

「 私たちが我執をもった意識の運命 」

と書いてあります。

 

 人間は我執があると、

そわそわするか、

それともじっと深く重く沈むかのどちらかなのです。

 

 よく三浦先生から、言われたものです。

「 顔が暗いということは腹に一物持っているか

  よからぬ事を考えている、

  明るい心でなければ何事も出来ませんよ ! 」

 

そのことが我執なのです。

我執の心というものは重い、

また、濁っているから暗い、

濁った暗い心は得てして事が起こっても、

それを引き受けて立ち上がる力をなくすものです。

 

 このことは、日常生活よく直面します。

何か物事がちょっとうまくいくと、

そわそわして調子に乗り、 「 掉挙 」 になって、

自分を見失うし、反対に

ちょっと失敗でもすれば、

すぐに落ち込んで 「 惛沈 」 と暗く重いにふけって

これまた、自分を見失ってしまうものなのです。

 

 仏法を聞くということは、

大事なことをしっかり覚え、

それによって意識が散乱しない。

だから、生活に意識において散乱しないという

功徳があるとかいてあります。

 普通の生活の中では心は散りじりバラバラで、

集中力をなくしてしまいがちです。

 だかた、常に教えを聞いていくということは

わかるとかわからない、ということよりも

聞くことによって、私たちの心に集中力が出てくる

という事が何よりも大切なことなのです。

 

 今週の言葉も、

じつは 『 壇蜜 』 という方が

なにかのインタビューに答えて言われた

一言なのです。

 やはり、今もてはやされていても

自分を見失ってはいけない、

ということをよく認識しておられるのでしょう。

 

 

 

 

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今週の言葉 7/15~7/21 「仏教の精神とは 子々孫々に至るまで

2013-07-14 21:36:33 | 今週の言葉

仏教の精神とは

 

子々孫々に至るまで

 

人類の平和にあります。

 

以って吾々は人類のよき祖先となり

 

子孫永遠の安住の

 

仏種を残すことに

 

精進努力することが

 

大切であります。

 

 

 ひとえに、仏教の目的はといったら、

人類の平和を願うということです。

 

 といっても、周りを見渡しても、

悲しい事件ばかりです。

 世界も不安定で一向に平和になる気配さえ

感じることが出来ない状況です。

 

 しかし、願い続けることが大切です。

出来そうだから、願う

とても無理、出来そうにないものは

願うことも出来ない、

というのではなく、出来る出来ないを超えて

願いつづけるのです。

 

 自分の時代にはとても出来そうにないかもしれません

けれども、子どもの時代

孫の時代、ひ孫の時代、さらにさらに

もっと先かもしれません。

 

 人類の平和を願う、

小さくてもいい、その種を残すのです。

その種はいつかどこかで花開くかもしれません。

 

 千年も眠り続けた、蓮の種が

発掘という、機械の刺激で芽を出した

ということもあります。

 

 人間の心は構造的に

平和を完成したいという願いを持っています。

浅いところで見ると、

目先の欲で争いが絶えませんが、

心の深いところでは、

皆平等に平和になることを願っているのです。

 

 一人がどこかで願いを持つことが

ついには大きな願いになっていくに違いありません。

 

 自分ひとりといってしまえば、

世界の中では本当に小さな独りかもしれません。

しかし、願いを持ったということは

人類を代表する一人になるのです。

よく、

 ONE for ALL

 ALL for ONE

ということをいいますが、

仏教的に言うと

 ONE is ALL

 ALL is ONE

となると思います。

 全体から見れば、名もなき一人かもしれませんが、

人類平和の願いをもった時、

その人は世界を代表する一人になる、

世界を背負って立つ一人になる。

 ONE is ALL

一人ではあるが世界を代表する一人なのだ、

ということになると思います。

 

 お盆の季節でもあり、

ご先祖さまを偲び、そして

次の世代に平和の心の種を残していく

それも、先輩達の勤めのような気もします。

そのような気持ちで手を合わせ、

花を手向け、香を供えたいものです。

 

 

 

 

 

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今週の言葉 7/8~7/14 「くじけそうになったら、いいことだけを …」

2013-07-07 07:38:42 | 今週の言葉

もし自信をなくして

 

くじけそうになったら

 

  いいことだけを

 

   思い出せ

 

  アンパンマンたいそう  より

 

 

 「 アンパンマン 」  もよくよく見ると

とても意味が深い !

 「 何のために生まれて

   なにをして生きるのか 」

というアンパンマンの歌も

仏教の主題みたいな曲です。

 

 そこには、「 やなせたかし 」 さんの

子どもさんへの深いメッセージが込められているのでしょう。

 

 この 「 アンパンマンたいそう 」 の歌も、

じっくり読めばが心にジ~ンとくる内容です。

 

 「 もし自信をなくして

   くじけそうになったら

  いいことだけ いいことだけ 思いだせ

  そうさ空と海とを越えて

  風のように走れ

  夢と愛をつれて 地球をひとっ飛び

  アンパンマンは君さ 元気を出して

  アンパンマンは君さ 力のかぎり

  ほらキラめくよ

  君はやさしいヒーローさ 」

 

というのが1番の歌の内容です。

この歌は2番3番とあります。

それに体操ですから振り付けもあるのです。

ユーチューブを見ながら踊ってみました。

   私にはむつかしい  

 

 先日、お参りしたお宅、

お母さまがホームに入院された。

しばらくすると、認知症もでてきたような ?

そんな折、花を見てとても喜ばれた。

そう、お花の先生だったのです。

そこで、ホームの方も食堂とかロビーとかの

いけばなをお願いされたところ、

さすが先生   といわれるだけあって、

やはりどこか違う 。

それから、毎週のお花を生けられるようになったそうです。

 

 いい記憶がよみがえってきたのです。

「 くじけそうになったら いいことだけを思いだせ 」

です。

 わたしたち、年を重ねてくると

話もくどくなるし、昔の話に花が咲きます。

「 またしても、同じはなしに、孫ほめる

   達者自慢に人は嫌がる 」

という、老人六歌仙の歌もあります。

 

 けれども、同じはなしでも、よく聞くことです。

最初は同じでも、新たな展開の話になったりします。

そこが脳が活性化しているのでしょう。

 

 本当に、自信をなくしくじけそうになったら

いいことを思い出していくうちに、

次第に自信を取り戻していくものです。

 

 辛かったり、くじけそうになったら

 いいことだけを思い出しましょう。

 必ず、元気が出てくるものです。

 

 

 

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今週の言葉 7/1~7/7 「生涯をかけて 打ち込める仕事を …」

2013-06-30 21:34:24 | 今週の言葉

生涯をかけて

 打ち込める仕事を一つ

生涯をかけて

 信じあえる友一人

生涯読んで

 いつも太陽となる本一冊

 

 あれやこれやと、いろいろ気になり

また、欲しいものもたくさんあるのですが、

究極、削り落としていくと、

 打ち込める仕事、

 信じあえる友

 心の糧になる本、

ということしかないのではないでしょうか。

 

 いま自分を振り返ってみても、

この三つのことだけはそろっていたことは

有り難い境遇であったと思います。

 三浦先生に出会えたことが、

仕事に打ち込む面白さを教えていただき、

教え ( 法 ) ということを通して、

人と語り合う大切さを学び、

三浦先生に講義されていた、

安田先生の 「 十地経 」 という教えを

垣間見ることができ、

それ以来、いまだ、同じ本を読み続けている。

 それは、何回読んでも日々新しい、

不思議なことに読むたびに新たな感動が

心に湧き上がってくるのです。

 

 忘れるから、いいのかもしれません ?!

「 憶念不忘 」  といって、

仏教では一番大切なことですが、

私の場合は、何回読んでも忘れてしまいます。

 

 感動したところを、アンダーラインを引き、

もう全部が黄色いラインだらけになってきて、

いままた、感動したところを

ノートに書き写しています。

 するとまた、新たな感動が出てくるのです。

 

安田先生も講義の中で、

 「 とにかく何べんも読むという

   習慣をいつけるということが大事なことで

   暗記しようとして暗記したのは駄目で、

   おのずから暗記してしまうということが

   大事だと思います。

   我々が思想生活をするに耐えるような

   教養というものはページをめくって

   探し出すというというような程度の

   記憶では駄目なんです。」

と、おっしゃっています。

 

 ということで、今の私には忘れるということは

有り難いことで、

いつでも、日々新たに感動して読めるということは

生涯読み続けることができると思います。

 

 あれこれあれこれあれこれあれこれ、と

気になることはたくさんあると思いますが、

 生涯かけて打ち込める仕事

 生涯かけて信じあえる友

 生涯かけて読める本

ということは何かということも

考えてみることも必要なことではないでしょうか。

 

 

 

 

 

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