本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

道には終わりがない

2023-07-02 20:53:19 | 十地経

道というと幅広い意味を

もった言葉です

六道輪廻という

迷いの道もありますが

八正道という

さとりへの道もあります

涅槃へ到達する

その道程ですが

その道程、道を見つける

ことが大事で歩み続ける道が

見つかったということが

それはそれで一つの

完成のように思います

 

講義では、

「道、道というものは、

これは終わりがないという

ことです。

そういうものが道なんだ。

ここまで来たら終わりだと

いうことがない。

 

仏になるのも道程なんだ。

涅槃に成仏するということも

道程なんだ。

この間、

我々が読んだところの

楽無作行みたいなもんだ。

般若に到達して

そこに留まったら駄目なんだ

 

無限に一つの道程があると。

悟りでも、

悟りに留まったら駄目なんだ

それは得たものを

失ってしまう。

あるものは無限の道程です。

道そのものが無限なんだ。

 

無限に転回してやまんという

成仏というようなことも

一つの道程なんだ。

だからして、

迷いは悪いもの、

悟りはよいもんだ

とそんなような簡単な

割り切ったような話では

ないんだ。

迷いも悟りも道程なんだ。

一波乱なんですわ、道の。

 

人間はその迷いを捨てて

早く悟りを得たい

というのが人間の考えなんだ

人間は力が有限なもんだから

道は無限だし、

人間は有限でしょう。

急ぐわね、それは。

いつまでも

生きているもんではない。

道は永遠ですね。

しかし人生は短いと。

 

道は永遠であると、

しかし、

道に目覚める人生は

一度しかないんだと。

朝に道を聞いて

夕べに死んでもいいんだと。

 

こういうわけで、

その目覚めるために

生きとるんだと。

もし人間に生まれて

道に目覚めることが

なかったら、

何のために生まれてきたか

意味を失ってしまうんだ。

こういう意味だ。

 

そこで我々は、

ボーンとただ生かされている

のではない、

大きな課題を

背負わされとるんだ。

それが大事なことだ。

儲けだとか、

そんなことで失ってはならん

成功や失敗で。

 

だから一瞬でも

それに目覚めたら、

永遠に生きたんだ。

80、90まで生きても

道に目覚めなんだら、

無駄に生きたんだ。

 

生きんのと生きたのと

区別がない。

空過(くうか)という

言葉がある。

いつか言いましたように、

空しく過ぎたという

ことになる。

 

それで、悠々と

道を求めるということは

できないんです。

二面あるんです。

人生は短いという意味から

いったら、

悠々と道を求める

ということはできない。

全力をかけて求めなければ

ならない。

しかし、

道は永遠だという意味から

いうと、

悠々たるものなんです。

 

頭が火がついたように

慌てたって駄目なんだ。

道そのものが悠久なんだ。

迷いも悟りも道程なんです。

悠々と迷うことができる。

そういう意味もあるね。

悠々と迷うこともできると。

こういう二面がある。」

 

 

 

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