かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

黄葉、それとも紅葉? 若かへるでの黄葉つまで

2018年11月07日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

結論から先にいえば、どちらでも良いのですが、

秋の「紅葉」は、「黄葉」とも書きます。


 これまで、群馬の恵まれた自然のなかで秋の紅葉を毎年見ていると、標高の高いところでは、ブナ樹林帯を中心に黄色に染まる「黄葉」の方が一般的で、標高が下がるにつれてナナカマドやヤマウルシが増えて、やがてカエデの比率も高まり、黄色の中に赤い「紅葉」が増えてくるかの印象を持っていました。

 事実、萬葉集ではほとんどが「紅葉」ではなく「黄葉」の字が使われています。
          参照リンク  萬葉集に見られる「黄葉」について 

 私は万葉の時代は、まだ人工の森林が少ない時代だから自然とそうなるのだろうと長い間、勝手に決めつけていました。

 ところが、最近になって涸沢カールなどの高山の紅葉の名所の写真などを見ると、必ずしも標高が高ければ黄色が多いとは限らないことにも気づきました。
 むしろ樹林限界を越えると、赤く紅葉する低木も意外と多くなってくるのです。
 

  写真のせいもありますが、いくら絶景とはいえ、これはやりすぎでしょうと言いたくなるほど鮮やかな色です。

 

 

 そこで冷静に考えてみると、萬葉集の表現であっても「黄葉」という表記を使うのは、必ずしも古い時代の自然の山々が黄色だから「黄葉」と書くのではなく、目に入る景色に「紅葉」の赤が入っていても「黄葉」の表記を使うのだと思うようになりました。

それは何よりも、群馬の地元の東歌で北毛地域に住む私たちに愛されている、色気たっぷりの次の歌がその答えを示しています。

  子持山 若(わか)かへるでの 黄葉(もみ)つまで

 寝(ね)もと我(わ)は思(も)ふ 汝(な)は何度(あど)か思(も)  

             (万葉集 巻十四 3494)

 

20年近く前に作成した枝折ですが、最初に作成した校正ミスの枝折がまだ残っています(右側)
気づく前に、おそらく2、30枚は配ってしまったと思います。 

 

「若かへるで」 カエデのもみつまで、というのですから、カエデが赤くなることを「黄葉つまで」の表記にしていることに間違いはありません。

 と、結論づけたいところだったのですが、

 実は、カエデも赤色の印象が強いかもしれませんが、黄色く黄葉します。

 

 このように先に黄色くなってから、赤くなるわけです。

とすると

 

「若かへるでの黄葉つまで」は、萬葉の時代には「紅葉」の表現が一般的に使われていなかったからではなく、
事実の表現として率直に使われていたのだということも考えられます。

さらには、「黄葉つまで 寝もと我は思ふ」という黄葉するまで一緒に寝ようという思いは、「若かへるで」の表現とともにずっと長くともに寝ていようというニュアンスよりは、ちょっとせっかちな赤く紅葉する前の時間に限定してイメージしているようにも見えます。

あなたとずっと長く寝ていましょう、
というより、
さっさと一緒に寝ましょう 
といった思いの方が強かったのかもしれません。 

確かに、さっさと寝てさえしてしまえば、
あとは勝手に赤く燃え上がるのですから(笑) 

 

 

加えて私は、この寝ようという相手は、
子持の眠り姫」であることに間違いないと考えているのですが、
また話が長くなるので、詳細はリンクをご参照ください。
黄葉といえば・・・子持の眠り姫 

 

 何かわかったようなつもりで書き出したものの、結局、素人にはただわけがわからなくなるばかりなのですが、これまで群馬県の奥利根地方の美しい紅葉を毎年追いかけてきた私たちからすると、鮮やかに赤く染まる「紅葉」が美しいことに変わりはありませんが、その前の段階や、赤い紅葉の背景にいかにたくさんの美しい黄色の「黄葉」 があるかということだけは、間違いなく強調させていただきたいと思うのです。

 

京都などの観光名所の写真や文学、芸術のイメージなどとともに、紅葉といえば赤く染まった景観とばかり思われがちですが、その赤を引き立たせるのも、緑や黄色の他の木々や葉っぱ達であることを見落としてはなりません。 

 

白洲正子『木 なまえ・かたち・たくみ』(住まいの図書館出版局)より

 

そんな思いでこの尾形光琳のうちわ絵の構図を見ると、改めて日本美術の極みを感じます。 

これは「竜田川」の銘があることから、在原業平の

「ちはやふる 神代(かみよ)も聞(き)かず 竜田川(たつたがわ)

    からくれないに 水(みず)くくるとは」

を描いたものとわかりますが、

「竜田川 からくれないに水くくるとは」の動きが紅葉をギリギリに抑えて見事に表現されています。

 

 

春の桜のインパクトの強さを考える時も同様ですが、千両役者の赤か黄色か緑色か金色かではなく、目立つものを支える数多の背景の豊かさこそが、それぞれを引き立てているのであり、事実、生命はそのようなものによってこそ支えられているのだということもあらためて考えさせられました。

 

 

 

 

ま、それにつけても

紅葉の美しさに酒のうまさよ(笑)

 

 

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新緑の季節。「生命の誕生」が緑色であることの意味

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たとえ人類が亡びても、地球にとってはそれほど問題ではない

2018年09月23日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

人のいのちは地球よりも重いというけれど、

もしも人類が絶滅して、この地球からいなくなったならば、

どれだけ地球は、ホッとすることでしょう。

 

 

 

何十億年という地球生命の歴史のなかで、

サルから人類の祖先が分化して300万年くらい。

そのなかでも現代の定住型人類の歴史がはじまって1万年くらい。

さらに文明の歴史などは、地球の歴史からみたら数千年程度のほんの一瞬にすぎません。

 

 

人間がいようがいまいが何億年と続く地球生命の歴史、

人間が意識しようがしまいが天文学的奇跡の連続で続く宇宙の歴史に「信」をおく世界観。

そもそも美とは、人間の存在と意識がなくては成り立たないものかもしれませんが、

人間抜きの世界や宇宙が美しいこと、疑う余地はないでしょう。

 

 

 

 世界は人間なしに始まったし、

 人間なしで終わるだろう。

        レヴィ・ストロース 

 

 

 

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お墓参りに行く前に、ご先祖様の正確な渋滞情報をお届けします

2018年08月10日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

私の妻は、お墓まいりや先祖の供養などをとても大事にしています。
といっても、何らかの宗派的なしきたりにこだわっているわけではありません。 
ずっとそういうことを大切にする習慣が身についているということです。 

そんなこともあり、妻とはよく信仰のあり方や供養の仕方などについて話すことが季節を問わず多いものです。
といっても、たいていはそうしたことにルーズな私への説教なのですが(笑) 

日ごろ、そうした会話が多いおかげで以前気づいたことをひとつ。

 

小さい頃から持っていたイメージなのですが、このお盆の季節は、これまで亡くなった先祖がみんな帰ってくるわけですから、お墓から家までの道のりは、ぞろぞろ、ぞろぞろ相当な大渋滞になっているのだろうと。
それは、きっと想像もつかないほどのたくさんの人たちであふれているのだろうと。 

ずっとそう思っていました。 
そう思っている人は、私に限らずきっと多いのではないでしょうか。 

ところが、人類の歴史、あるいは日本の歴史を冷静に見ると、
驚異的な人口爆発が起きている現代では、

これまでに亡くなった全ての人間の総数よりも、
現代のこの地上に生きている人の総数の方がずっと多いのだということに気づくのです。

この現実、想像できますか? 

 

少し冷静になれば、下のような図はイメージできるかと思います。

 

歴史人口学の鬼頭宏が整理した日本の人口の超長期推移を整理したグラフ

 

確かに、明治以降の人口爆発がすごいことはわかります。

しかし、人類の長い歴史は、そんなものではありません。

 

 国連人口基金東京事務所ホームページより

 

十数万年ほどの人類の歴史の中でも、ここほんの1世紀ほどの間に、20億から70億に爆発してしまっているのです。

もう少し詳しく数字を見ると、

1700年には、世界で約7億人が暮らしていました。

1800年には、人口は9億5000万人になり、

1900年までにその数字はほぼ倍増して16億になりました。

そして2000年には、人口はその4倍の60億に増大。

今では間も無く70億に達しようとしています。

 

桁違いの増加数とこの図をみれば、これまでの人類の歴史のすべてのご先祖様の総数よりも、
現代のこの地上に生きている人類の総数の方が多いということがイメージでもよくわかるかと思います。

 

つまり、別の表現では、
もし今生きている世界のすべての人びとが全員、真面目にお墓と家の間に並んだとしたら、
ご先祖さまたちは、自分たちの列に比べてあまりにも迎えてくれる生きている人間の方が多いことにびっくりしているわけです。 

にわかには信じがたいことかもしれませんが、これはとても大事なことと思います。

 

人類はずっと長い歴史の間、民族を問わず、先祖を敬い子孫の繁栄を願ってきました。

もしかしたら現代人の多くは、この紛れもない歴史ですら、民俗学や文化人類学でも学ばない限り知ることもなく、歴史資産を受け継いでいくことよりも、今日の現金をより多く稼ぐことこそが大事だと思っているのかもしれません。

たぶん、多くのご先祖さまがそんな現代人の姿を見て嘆いていることでしょう。

俺たちが願っていた子孫の繁栄とは、こんな世界だったのか!と。 

 

ところが、どんなにご先祖さまたちが嘆いても、ご先祖さまの総数と現在生きている人類の総数が、もし多数決をしたならば彼らご先祖さまたちは我われには勝てないのです。

つまり、地球に今いる人類は、それほど大きな決定権を持って今を生きているわけです。

これまでの長い歴史の間ずっと続けてきたこと、先祖を敬い子孫の繁栄を願うことを忘れ、無視して現代人の勝手な判断だけで、どちらの方向にでも決めてしまうほどの「決定権」を持ってしまっているのです。

もっとも、ご先祖さまと現代人が何か意見の違いがあったとしても、実際にはご先祖さまはただ指を加えて草葉の影で黙っていることしかできないでしょうが。 

確かにご先祖さまは、何も言わないでしょう。
もし何かを言ってくれたとしても、多数決では、いま生きている人間には太刀打ちできないでしょう。

何千年、何万年と岩をどかし、切り株を掘り起こし、代々培ってきたものがどれほどあろうが、
現代に生きる私たちには、瞬く間にブルドーザーでひっくり返してしまう力があります。それどころか、指をぱっちんと弾く瞬間に、世界中を変えてしまうことさえできてしまう時代です。 

だからこそ、いま生きている私たちの判断すること、決定することにはとてつもなく「大きな責任」があるのだと思うのです。 

十数万年に及んで受け継がれてきた歴史の分岐点で、大事な「決定権」がとてつもなく大きな力を持って、今生きている私たちの手に委ねられているのだと。 

それは、人類全員で協議や合意を得ることなくても、一部の人々の行動だけで、長い歴史を簡単にひっくり返してしまうほどの力を持っているということです。

 

 

このお墓まいりの時期に、そんな風に太刀打ちできない少数派に成り下がってしまいながらも、

じっと草葉の影で黙って指をくわえて私たちを見守っているご先祖さまのことを、

我われは、もう少し気遣ってやりたいものだと思いました。 

 

 

 

 

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福島県の阿武隈高地を貫く国道399(サン・キュー・ク) ー 日本屈指の山里景観 ー

2018年07月28日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

群馬県は山ばかりの県と思われがちですが、群馬に住んでいる私たちが、
群馬よりずっと平野部であるはずの埼玉県や千葉県に行くと、
なぜか群馬以上に緑が豊かであるように思えてしまうことがあります。

それはおそらく、里山と言われるような緑の空間が群馬より多いためです。

山の緑が豊富な群馬には違いありませんが、山の広大な裾野や平野部に入ると
里山と言われるような木々が生い茂った空間が群馬は意外と少ないのです。

これは、養蚕が盛んであった頃に平野部の多くが桑畑にされたことや、お蚕を育てるにも風通しが良いことが必要なため、屋敷林のようなものは嫌われたことによるのかもしれません。
また赤城山、榛名山などの裾野が火山灰地であることもその理由にあると思われます。 

 

一口に「関東平野」といっても、急峻な山間部と平野部が明確に分かれているのは群馬県が特別で、埼玉県でも北西部は丘陵地帯が多く、茨城県、千葉県も筑波山以外に高い山はほとんどなく、それ以外の場所は完全な平野部というよりは、緩やかな丘陵地帯が意外と多いものです。こうした山の裾野エリアでもない平野部にある丘陵構造というのが、群馬県人にはとても新鮮に感じられるのです。

そんな印象を茨城県へ行った時は、とくに感じていました。
群馬と知名度ランクングの最下位をいつも争うライバル、栃木、茨城の3県ですが、
そのなかでも最も群馬から遠い位置にある茨城県は、はるばる訪ねる理由が、
私には水戸芸術館か岡倉天心ゆかりの五浦くらいしか思い浮かびませんでした。

それでも、その太平洋岸へ至る内陸の丘陵地を通り抜けるときにいつも感じるのは、
失礼ながら納豆以外にこれといった名産もないかの印象であった農村風景が、
どこも予想外に豊かな生活感があふれており、これといった産業はないかもしれませんが
群馬よりは意外と豊かな暮らしぶりが感じられるのです。
失礼ながら、群馬に比べたらたいした山もないのに、林業もそこそこに生きており、
荒れた景観が思いの外少ないことにも驚かされたものです。 

同じように千葉県の内陸部では、北海道並みの大規模農場が多いことにも驚かされます。
群馬だったら、昭和村か嬬恋村でしか見られない広大な農場風景が、東京からすぐ近くのところに広がっているのです。 



前書きが長くなりましたが、そんな思いを感じていると、その千葉、茨城の丘陵部の延長線上にある福島県の阿武隈高地のことがとても気になって仕方がなくなってきました。

この千葉から茨城にいたる丘陵地形の発端は、福島と宮城の県境に端を発する阿武隈高地から始まっているからです。 

 

そこで、福島県内では、原発被害でも最も高汚染の被害を受けている阿武隈高地の北部、
とりわけ飯館村周辺と、そこへ至る阿武隈山系の中心部をまっすぐ南北に貫いている国道399号沿線を、実際にこの目で確認してくることにしました。

1度目にそこを訪ねたのは、2018年5月18日、19日。 
2度目は、同年、7月22日。 

 

 

そこには、阿武隈高地特有の千メートル未満の穏やかな山並みが続き、

緩やかな起伏の里の風景がどこまでも続きます。

 


 

この阿武隈高地一帯すべて、群馬のような赤城山、榛名山、妙義山といったように
独立した高さを競うかのような山はほとんどありません。

標高1,000m以上というと、
 ・日山(天王山)1057m
 ・大滝根山 1193m
の2峰のみです。 

そのためか、山並みを切り裂くような大きな川もあまりありません。

利根川のように、この川が本流、この川が支流といった区別もほとんど感じられないのです。 

無数の沢と谷が穏やかな流れをつくるのみの地形です。

 

どこも緩やかな山なみのため、無数に点在する集落は、

とても日当たりがよく、明るい里の風景が延々と続きます。

 

ここと似たような地形といえば、中国山地が思い浮かびます。
瀬戸内に面した中国山地は雨量が少ないこともあり、植生がまた異なることと思います。

このたびの未曾有の豪雨災害のからみでもここの地形のことは大事な比較材料ですが、私は数回通っただけでとくに意識して地形、風土をみていたわけではないので、今回は深入りは避けることにします。

そこで他にこの阿武隈山系に似た土地として私が思い浮かんだのは、
新潟県の棚田で有名な十日町市、
あるいは中越地震で有名になった山古志村周辺です。
これらの土地は、周辺の山地がどこも標高300〜700mくらいで、
周辺に高い山が迫っていないことなど、阿武隈高地と条件が似ています。 

新潟県は全国の土砂災害の2割を占めるといわれるほど地盤のゆるい土地です。 

上の写真のように、山肌に岩盤を見ることは少なく、粘土質の柔らかい地層が多いのが特徴です。
よく私たちはこの辺のトンネルなどを通過するとき、
このあたりでトンネルを掘るのは鼻くそほじくるよりも簡単だ、
などと冗談を言ったりしてます。

それは山古志村へ行ったときも、まったく同様の印象を持ちました。

 

あちこちで中越地震の復旧作業がされていましたが、急峻な斜面ばかりが続き、
いかにも柔らかそうな地盤が見えているため、直してもすぐに他の場所が
何かきっかけがあればまた崩れてしまいそうに見えてなりませんでした。


それに比べると、この阿武隈高地は土砂崩れが起きそうな場所はとても少なく感じます。
山の勾配が緩やかなだけでなく、粘土質の地肌はそれほど見られませんでした。
さらに、このあたりが照葉樹林の北限にもあたるらしいので、
もしかしたら常緑広葉樹の比率が多いことも幸いしているのかもしれません。 

 

 

 

またこのあたりの景観には、関東のように首都圏へ送る送電線が視界を遮ることもありません。

道路をいくら走っても営業看板などもありません。

確かに温泉地、ゴルフ場、スキー場などもないので、規制以前のことなのかもしれません。

起伏が緩やかなためか、道も山を削りコンクリートで固めることがありません。
群馬ではいたるところで見られる下の写真のような光景は、なかなか見られないのです。 

 

 わずかな違いなのですが、周辺の山の勾配が少しゆるやかであるというだけで、
道路などの管理・維持コストは劇的に変わってくるようです。

写真ではわかりにくいかもしれませんが、下の写真のように垂直に近い斜面ではなく、道路わきに限らず、山全体にかけてほとんどの勾配がゆるやかなのです。

 

したがって、白ペンキのガードレールも多くつくる必要がありません。

急峻な山がないということは、土砂崩れなどの恐れも少なく、

道路などの維持管理コストも抑えることができているかと思われます。

 

視界の中にコンクリートがないというだけで、どれほど景観が美しく見えるかということを

あらためて痛感させられます。

何十キロ走っても、どこへ行っても緩やかな曲線を描いて美しい景観が流れていくのです。 

 

 

これらの特徴は399号線の太平洋側よりも、中通り地方側、阿武隈川寄りの地域の方が顕著にあらわれているように思えました。

その違いは、川の流れの方向に如実に現れています。

太平洋側では、どの川も西の阿武隈高地から太平洋側へほぼ一直線に流れているのに対して、

内陸部では、あるところでは阿武隈高地から西へ流れていますが、またあるところでは北から南へ、他のあるところでは南から北へと、様ざまな方向に川が流れているのです。

そうしたエリアのなかに、桜で有名な三春町や田村市の風景もあります。
 

妻が気づいたことですが、このあたりの農家の庭には群馬の農家の庭に比べると
あまり花々が植えられていません。

なにか周りの山々の緑の風景だけで完璧に満たされているから、
あえて園芸花を植える必要性を感じないかのようです。

真偽はわかりませんが、余計な努力をせずとも十分に満たされているらしい雰囲気だけは確かです。

それだけに、桜だけを大切に守りそだてることに集中できていているかにも見えます。

 

 

 

こうした阿武隈高地の山里の風景を見れば見るほどに私は、

「他と比べる必要を感じない穏やかなくらしの風景」

といったようなものを強く感じました。

 


そんな感動に浸って走っていると、ある地域を境に、

谷ごとにどこも汚染土の仮置き場が現れてきます。 

 

 

気づけばここは、汚染レベルの最も高いエリアなわけです。

 

  

災害避難を余儀なくされた人の言葉ですが、

「村では米は自分で作ってたし、野菜も作ってた。

(今は買わなきゃいけない)買った野菜は美味しくない。味がヘンだ。

ここまで(買わないで暮らしてきた暮らしから一変したこと、国は)考えてくれるだべかなあ。」

 


一斉に花咲く春、

山菜採り、

カエルの合唱、

菖蒲の香り、

天の川、

蛍の乱舞、

緑のにおい、

土のにおい、

草のにおい、

紅葉に映える山々、

雪景色。


これらが失われることの重大な意味を、そもそも都会の役人や政治家たちは、知りません。
大自然のもつ大きな力や豊かな恵みそのものを理解できていません。
観光のための自然保護程度にしか考えていません。


彼らは大真面目に、所得を上げて、たくさんモノを買うことで成り立つ暮らしへ誘導するのです。
だから、どうすべきか、何をすべきかが噛み合わないのです。
 

 

 

             

   

私たちはナビを頼りながらも、最新の交通規制情報を見ないまま彷徨ったため、最終的には399号線を外れて国道114号線で浪江町へ抜けました。

 


ここは399号線沿線とともに、もっとも汚染レベルの高い地域を走っている道です。 

汚染土を仮置き場へはこむダンプが絶え間なく通過していきます。 

  

 

前日、国道6号線を北上した時は、帰還困難区域の富岡町、大熊町、双葉町から浪江町に入った途端に、まるで戒厳令が解かれたかのような開放感がありましたが、そんな印象は1日で吹き飛びました。

浪江町は東西に広がるまちで、国道6号線の通る市街地のみが汚染レベルがやや低くなっており、
浪江町の大半を占める西側の山間地は、高汚染地域だったのです。 

  

 

 

2006年に埼玉県から福島県飯舘村に移り住んだ三角常雄さん(68)

あれから七年が過ぎた。家の周りは除染され、放射線量は、家の中なら毎時約〇・三マイクロシーベルトと国の長期目標(〇・二三マイクロシーベルト)を少し上回る程度には下がった。

 だが、山とともに生きる暮らしは完全に壊された。家を一歩出れば、線量ははね上がり、敷地内の林では二マイクロシーベルトを大きく超える。林の土を本紙が二地点で測定したところ、一キログラム当たり一万八〇〇〇ベクレルと四万九〇〇〇ベクレルだった。厳重な分別処理が求められる基準の二~六倍のレベル。十分の一になるまで百年かかる。

 「こんな状況じゃ孫が来たって遊ばせられない。山菜もダメ、キノコもダメ。何のための山暮らしか。もう住めない。理想の暮らしを目指して、少しずつ築いてきた年月は無駄になり、仲間は新潟や山形、東京などに移住して、離ればなれになってしまった」

 三角さんは自宅を見つめて唇をかんだ。

 (東京新聞 2018年7月20日 朝刊より抜粋)

 

 

 

 

それでも、まわりの山なみなど風景の美しさにまったく変わりはありません。  

このことの意味するところは、次のような現実を示してもいます。

 

 

日本には、人口3万人未満の自治体が954あります。

しかし、その人口を合計しても、日本の総人口の約8%にすぎません。

他方、この人口3万人未満の自治体の面積を合わせると、日本全体の約48%になるのです。

つまり、日本の面積の半分近くをわずか8%の住民が支えてくれているということなのです。

           枝廣淳子『地元経済を創りなおす』岩波新書

 

  

福島県に限らず、日本全国どこへ行っても、この地図の色の薄い部分にずっと昔から住む人々からは、

「俺たちの町には何もない」という言葉がしばしば聞かれます。

ところがそれらの言葉の多くは、「都会と比較したらば・・・」「有名観光地に比べたならば・・・」という意味のことです。

どんな土地でもそれらの意味をのぞいたならば、長い歴史をずっとそこにしがみついて生きてきた自然の恵み豊かな土地であるわけです。

長い歴史を通じて田んぼでお米をつくり、畑を耕し、林業や狩猟をしてきた彼らは、ここにどんな恵みがあるのか、どれだけ多くの先人たちがそれらの恵みに支えられてずっと生きてきたのかは十分知りつくしています。

わたしたちは、こうした姿を確認したくて再度、7月21日、福島を訪ねました。

 前回は北の飯館村から399号に入ろうとして失敗したので、今度は南のいわき市の方から北上しました。

 

するとそこで目にしたのは、またしても予想外の景観でした。

もちろん、たった一本の399号線沿いを通っただけの印象なので、それを根拠にその一帯のことを判断するのは当然無理があるとは思いますが、それでも他のエリアとの明確な差は感じずには入られませんでした。

そもそも私は、いかなる土地に行っても、地元でよく「オレたちの地域にはなんにもない」と言われような実態は滅多になく、常に豊かな自然に代表される恵みあふれる場所であることは間違いのないことくらいに思って各地を見てまわっているのですが、いわき三和インターを降りて周辺の集落を抜け399号に入った途端に、周辺は本当にそこは何も見えない山道になってしまいました。

通常は、山道を深くわけいるといっても、それは群馬の山奥でも奥会津の山奥であっても、こんなに山奥までよく人が暮らしているものだと感心させられるほど、狭い谷あいでもケモノたちから必死に小さな田畑を守りながら暮らしている人たちの痕跡をみることができるものですが、この399号線の川内村へ至る区間は、本当にそういった痕跡がほとんど見られないのです。

飯館村から日山へいたる長閑な農村風景が、ずっとこのあたりまでも続いていることを勝手に想像していただけに、ちょっとこれは残念なことでした。

放射能被害があったから人が減ってしまったというようなものではなく、この一帯はずっと山村の暮らしというようなものがなかったのではないかという風景なのです。

人家はなくても林業でも行われていれば、里にはそれなりの貯木場や製材所の風景があるものですが、そういった景観もほとんど見当たりません。

今回ここへ来た目的は「オレたちの町はなんにもないというけれど、そんなことは絶対にない」ことを立証することなのですが、このエリアではさすがにその信念がかなり揺らいでしまった区間です。

このことを国道6号線を含めたエリアで見ると、いわき市や広野町周辺と北の相馬市、南相馬市、浪江町あたりに挟まれた原発近辺の富岡町、大熊町、双葉町の区間ですが、この一帯が、山間部を含めて、大変失礼ながら本当になんにもないように見えてしまうエリアなのだと痛感させられました。
だからこそ、原発誘致に飛びつくことも無理からぬことだったようにも見えます。

逆に、それらの土地からは距離のある葛尾村や飯館村の方が最も汚染被害を受け、利用価値のない山間部ではなく、美しい田園風景が広がっていた田畑のほとんどが汚染土の仮置き場になってしまっている現実が、いっそう際立って見えてきてしまいました。

  

田村市から葛尾村へ向かう399号の北限通行止めゲート 

 

これがたまたま原発事故の時の風向きによる偶然のことなのかどうか、わかりませんが、飯館村、葛尾村といった日山の周辺の最も美しく豊かな恵みあふれる山村エリアが、一番深刻に後世まで放射能汚染の影響を受ける地域になってしまったのです。

もちろん、これらのエリアは富岡町、大熊町、双葉町の帰還困難区域の人口に比べたら少ない人口のエリアかもしれません。

どちらの方が被害者人口が多いかという問題ではなくて、どこを取ってもそこに暮らす人の掛け替えのない生活エリアの問題なのですが、自然一般ではないそれぞれの土地のもつ掛け替えのない価値という問題を399号線は、見事に私にあぶり出して見せてくれました。

そんなことから思わず私は399号線をサンキュー・ク(苦)と読んでしまいました。

 

 

 2018年7月、国道399号線で立ち入れなかった区間

 

急峻な山や谷の少ない穏やかな山間部としての阿武隈山地の印象は、そのままさらに南下して、
石川郡の石川町、古殿町、浅川町。
東白川郡の鮫川町、棚倉町、塙町、矢祭町。
そして茨城県に入って大子町へと続く景観の中でさらに検証していきたいと考えています。

きっと川俣町、飯館村、日山周辺と田村市周辺で見た美しい山里風景に近い景観が
これらの地域でも見られるのではないかと思っています。

もちろん、続きはいつのことになるかわかりませんが、とりあえず「オレたちの町はなんにもないというけれど、そんなことは絶対にない」ことを立証するシリーズ、今回はここまでとさせていただきます。 

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人里に出没するクマの事情取材。

2018年07月14日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

今年はドングリが少ないため、クマが里に出没する機会が増えたなどという報道をしばしば目にします。でも、クマの側の事情はほんとうのところはどうなのか、

まだ誰も直接クマに詳しいことを聞いたことのある人がいるわけではありません。

そこで、 

その辺の事情をうちの息子ヨコチンが山へ行き、クマに直接会って取材してくることにしました。

同じ猛獣仲間であれば、人間より少しは心を開いて話をしてくれるんじゃないかと息子は思い、念のためリュックに熊撃退スプレーを忍ばせ、ちょうど芸能界デビューの下心のあるクマをひとり紹介してもらえたので、彼を探しにヨコチンは森の中に分け入っていきました。

 

 

 すると、

ある〜日、、

もりのなか、、

クマさんに、、

出会った ♪

 

 

 

びっくりしたヨコチンは自己紹介もそこそこに、勇気を振り絞ってクマさんに聞きました。

なんで危険な人里にキミらはそんなに降りてくるんだと。
 

 

すると森のクマさんいわく、

山のドングリが不作だったから人里へ俺たちが侵入したかのようなことをお前らは言ってるけどなあ、確かにドングリの不作の年はあるけれど、オレたちクマにはもうちっと複雑な事情があることも知っておいて欲しいんだよ。

確かに、ドングリとかが不作の年はとても厳しいので、里に降りてくこともある。

だけど、こっちの事情からしたら、必ずしも不作=里に下りるというわけではないんだな。

言われるとおり甘いものがたくさんある人里は魅力的だ。

ひと昔前に比べたら、蜜たっぷりの甘〜い果樹や野菜がどうぞとばかりに人里にはたくさんある。

でもそこは俺たちの間では、誰もが命の危険を冒してでもみんなが行くようなとこじゃないんだ。

オレたちクマ社会が、一体どれくらいの規模でこのあたりの山にいるか、お前らは考えてもいないんだろうけどな、オレたちクマ社会全体からすると里に降りてくクマっちゅうのは、ほんのごく一部のヤツだってこと、もうちっと人間側も理解してほしいんだ。

この群馬の山にいるオレたちの仲間は、およそ1000頭くらい(生息数への疑問)らしい。

そのうち人里に降りていくのは、数パーセントのヤツらだ。

2%としても20頭くらいだぜ。

そもそも、俺たちの仲間ひとりだけが里に下りただけなのに、人間はそいつを目撃するたびにあっちにクマが出た、こっちにクマが出た、と大騒ぎする。

下りてるのはひとりだけだっていうのに、まるで何人も下りてるかのように騒ぐんだ、人間は。

オレたちクマ社会全体は、そのほんの数人のしたことでどんだけ迷惑を被ってることか。

わかるか?


 

それと、もう一つ山に俺たちのエサが少ないから人里に下りて行くって話で誤解されているのは、そういう深刻な年があるのは事実なんだけど、いつもそういう理由だけで人里に下りて行ってるわけじゃないんだな。

お前たち人間とオレたちの違いで大事なとこなんだけど、オレたち野生の生き物は、親の遺産(縄張り)を相続できないんだよ。

わかるか? 

お前たちと違って、長男だろうが長女だろうが、親の遺産(縄張り)は譲ってもらえない。

必ず親の縄張りから追い出されて、新規開拓をしなければ生きていけないんだ。

そこがお前らとは違うんだ。

わかるか?この苦労。

 

ヨコチン「わかります。ボクたちライオンは、子育ては家族でするけど、最後は君らと同じようにあの優しい母さんにボクも追い出された。」(そして現在は人間界で養子となって育てられてます)



さらに、それだけじゃない。

嫁さん探しってのがその先にある。

俺たちは、地図も電話帳も合コンどころか、婚活サイトもないなか、

この広い山の中を、ただ匂いだけを頼りに嫁さんを探さなきゃいけない。

どれだけ行動範囲を広げないといけないかってこと、お前らにわかるか?

グラビアアイドルで気を紛らわすなんて余裕はオレたちには一切なく、必死で嫁さんを探してんだぞ!

だからって、人間界に行けばオレ好みのいい女がいるわけじゃないんだけど、

今までの行動範囲を相当広げないと、チャンスはめぐってこないことだけはわかるだろ。

 

オレたちは、そんな地道な努力をしているだけなのに、お前らはなにかにつけて

クマが出た!

クマが出た!

って大騒ぎする。

 

ヨコチン「わかります。アフリカではボクたちの仲間も同じような立場にあるって聞いたことがあります」

 

 

お互いの安全のためにも、

もう少し静かに見過ごすってことできないもんかね〜

だいたい、群馬の山にいるオレたちの仲間は、およそ1000頭くらいだ。

それと出くわす確率はそもそも低いはずだけれど、その実態をわかりやすくいうと、
登山をした人間が、山頂で見渡せる山並みの中には、
だいたいその山頂にいる人間よりずっと多くのクマが確実に視界の中には必ずいるってことだ。 

上州武尊山頂から見渡す片品・尾瀬方面、藤原・谷川方面だけでも、
少なくとも数百頭は間違いなくいるってこと。

その数を想像してもらえれば、
いかにオレ達が理性的に人間を避けて暮らしているかってことが
少しはわかってもらえるんじゃないかな。

 

 

ただ気をつけてほしいのは急な「はち合わせ」だよ。

それを避けることだけ十分に気をつけて、

あとは静かに見過ごすようにしてほしいんだな。

 

確かに人間界とオレ達は、価値観の違う世界で暮らしているんだということはわかる。

だけど、現実はいつも一方的に人間側の価値観をオレ達に押し付けて、

オレ達には有無をいわせずに鉄砲ぶっ放してくるだろ。

口には出さないけど、オレたちにも一応、人間界流の人権つうもんがある。

お前らの世界だったら不利な立場に立てば弁護士立てて裁判だってできるだろうが、オレ達にはそんなことまったくない。もちろん、オレ達はいつだって野生人のプライド持って生きてるから、どんな理不尽なことでも命を投げ出す覚悟はあるさ。

俺たちが命かけて勝負かけるのと同じ理由で、人間側も命を守るために必死で鉄砲ぶってくるのもわかるさ。

ただそん時に、ほんのひとかけらでもいいから、オレ達の側の事情を頭の片隅に入れといてほしいんだ。

その辺をわかってくれれば、少なくとも「害獣」なんて言葉でクマもイノシシもシカもサルも一緒くたにすることはなくなると思うぜ。

クマが害獣なんじゃなくて、特定の利害衝突が起きる環境下で「クマ害」は発生するだってこと。

だいたい性格の悪いあのサルやイノシシに比べたら、俺たちクマはずっと付き合いやすいぜ。

そもそも、生態系の頂点に位置するクマやオオカミ、タカ、ワシやフクロウなどは、いずれも人間とはカミに近い位置で親和性がとても高い生き物だ。

 

祖田修『鳥獣害 動物たちと、どう向き合うか』岩波新書

 

もちろん、オレ達の中にも性格の悪いヤツってのはいる。その辺はそっち側だって同じようなもんだろう。

お互い初対面のモノ同士が突然出会ったら、

一度、人間を襲って自分が人間より強いと思ってるクマか、ひたすら人間は自分より強く怖い存在と思ってるクマか、若くて相手の力量を全く顧みない未熟なクマかなんてお前らに判断できないだろう。

それとオレたちも同じで、優しい人間か、鉄砲やナイフを隠し持ってる人間かなんて、初対面の時には絶対にわからない。

ちょっと無責任のようで申し訳ないが、念のために言っとくと、クマ鈴だろうが、クマ撃退スプレーだろうが、用意はしておくべきだけど、これをもってれば絶対安全なんて方法はないことだけは、わきまえておいてほしい。

 

同じように、イノシシもシカもそれぞれみんな違うそれぞれの条件で生きてるってことさ。

それは、日本人が欧米人から中国人や韓国人と同じに見られてしまうことと同じくらい、相手のことを理解してくれていないんだと感じるように、オレ達にとっても悲しいことなんだ。

ここで勘違いされたくないんだけど、なにも俺は人間と仲良くしようって言ってるんじゃないぜ。

そこがお前とは違うとこかもしれないな。

相手の尊厳を認めてほしいと言ってるだけだ。

自分たちの世界をは違うところに生きているもののことをもっとよく知ってほしいと言ってるんだ。

わかるか?

それはそっちの社会内部でも同じだろ?

 

もしこれまでの話がわかってくれるようならば、、、、

下の本とかを買ってしっかり読んどいてくれ!

  

米田一彦『山でクマに会う方法』(山と渓谷社)

 

アイヌ民族最後の狩人 姉崎等『クマにあったらどうするか』ちくま文庫

 

 

 

狩野順司『群馬藤原郷と最後の熊捕り名人』文芸社

本書で紹介されている熊雄獲り名人、吉野さんがワンシーズンに獲った熊の数、32頭という記録があります。
どのくらいのエリアでその数を仕留めたのかはわかりませんが、
現代よりも狩猟圧力がず
っとあった時代のことです。 

いかにたくさんの熊が生息しているかということです。
これは吉野さんの腕が良いことが第一ですが、この藤原から玉原高原周辺がブナ樹林帯の南限で、
かつては秋田のマタギが遠征してくるほどクマの密集生息エリアであったようです。 
 

上図の冷温帯林がブナの多いエリアで、
クマの生息密度も格段に高い。

 

ヨコチン「クマさん、ありがとう。ボク字は読めないから、帰ったらブログにきちんと書くよう父さんに言っとく」

 

という息子の報告をもとにこのブログはまとめられました。

(なお、ライオンであるヨコチンが、どのような経緯で私の息子(養子)になったのかということは、他の機会に説明させていただきます) 

 

ポイントを整理すると

① クマが里に出没するのは、ごく一部のクマで、クマ全体の数パーセント
  99%に近いクマは、エサが無くて痩せ衰えようが、里に甘い農作物がたくさんあろうが、
  山の中で理性的な暮らしをしている。 

② それらのクマが出没するのは、山でドングリなどのエサが不足した時ばかりでなく、親の縄張りから追い出された若者、嫁さん探しで遠出しているもの、甘い食べ物がいっぱいある場所を知ってしまったものなど、いろいろな事情がある

③ 人間とクマが遭遇した時は、お互いが初対面同士なのだから、相手がどんな性格かはわからないということを十分知ってほしい。人間だって、クマだって、いいヤツもいれば悪いヤツもいる。
 より安全な方法はいろいろあるが、走って逃げることだけは絶対にしない。
 ただ「これがあれば絶対安全な方法は原則としてない」ということは忘れない 

④ お互いの生態を理解しあえれば、サルやイノシシに比べたら、まだクマは付き合いやすい

 

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〜ヤノマミ〜 天と地は本来つながったひとつの世界 

2018年07月07日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

「天円地方」の話のつながりなのですが、本来、天と地は一体のものです。

天と地は、決して分離した別次元のものではありません。

このあたりまえのことが、日常では感じられなくなてしまったのが現代社会です。

かたや宗教行事のときのみ天にいる「カミ」との接点を意識し、

たかや天文学の知識を得たときのみ、天(宇宙)とのつながりを垣間見るかのようです。

 

 

そのあたりまえの天と地が一体であることが崩れはじめたのは、
古代、集落の暮らしから古代国家が誕生し、
自然界=天から隔離した人間社会の内側で暮らす領域が徐々に拡大し始めたころからです。 

それまでの「自然が主」で「人間が従」である社会、
「天円」=自然界の側に軸足を置いた人間の暮らしから、

「地方」=人間界の内側に軸足を置いて、
「人間が主」で「自然が従」の社会を(可能かのような錯覚)拡大してきたのです。

             *「天円地方」について詳しくは、「地方」の本来の意味は「天円地方」からをご参照ください 

 

確かに見かけは、このことによってコントロールの及ばない自然=天円から独立した空間を拡大し、コントロール可能な多くの「安心」「安全」を人間社会は獲得し「自由」の領域を拡大してきました。

 

 

しかし、その「安心」「安全」 は、より多くの人工物に依存したものであるため、自然界のような不確定なもの、未知なるものは排除してきましたが、その内側では、限りなく自分と他人や世界の分別を要求する世界観が広がってきました。

人工物を増やすことで「安全」「安心」を獲得してきた人間界(地方)の内側では、その「安全」「安心」が崩れるたびに必ず「誰がやったんだ」とか「誰の責任だ」とか、他の人間を追求することが当たり前になっていきます。

一般にはこれこそが、「文明の進歩」の条件であり、「アイデンティティーの確立」と言われるものです。

かたや人間界(地方)の内側ではなく、天円(自然界)の側に軸足を置いた社会では、それが人間社会であってもそのなかでは「仕方がない」という言葉が許容された社会になっています。

もともと人間にはコントロールのおよばない環境が
圧倒的部分を占める社会で生きているからです。

これを西欧文明では「未開社会」、あるいは「後進国」と言います。 

 

 

 

広大なアマゾンで今なお原初の暮らしを営むヤノマミ族は、この写真のような円形に屋根を連ねた共同住居(シャボノ)で暮らしています。

「シャボノは丸い。天の入り口だから丸い」

とヤノマミの長老は言います。

天(自然界)と区別する人間界を拡大しようとする文明は、四角い住居や集落、あるいは方形の都市を拡大してきました。

他方、自分たちの世界と天との間に境界を設けようとしない、精霊たちと一体の中で生きるヤノマミは、丸い空間の中で安らぎを感じます。

このヤノマミの丸い共同住居を見たとき、わたしは「天円地方」という言葉が、中国思想の特殊な概念ではなく、人間と自然との関係をあらわす普遍的な概念であることを確信しました。

 

もしかしてこれも?「アップル社の新社屋」

 

 

「ヤノマミ」とは、現地語で「人間」を意味します。

彼らは未開人だからということではなく、ヤノマミ=人間とは、

人間の定義が現代人のそれとはまったく違うのだということを気づいてください。

 

 

国分拓『ヤノマミ』(新潮文庫)

長倉洋海『人間が好き アマゾン先住民からの伝言』(福音館書店) 

 

 「天円地方」の思想では、「人間」というものを「先進国」と「後進国」の違い、「文明社会」と「未開社会」の対比といった比較では物事を考えません。

自然界に軸足をおいた世界観で生きるか、人口の人間界の内側に軸足をおいた世界観(自然を人間界「地方」の外側に見る世界)で生きるか、もともと天地一体の世界のどちらに軸足を置いて生きるかの違いをすべての基本とする世界観です。

 

私はこれを哲学の根本問題(物質が第一次的か精神が第一次的か)や資本主義か社会主義か、大きい政府か小さい政府か、などといった対立よりもずっと人間社会にとって根源的な視点であると思っています。

 

 

 

 

確かに世の中は、自己やプライバシーの保護なくして成り立たない社会(かのよう)です。

こう書くとあなたは、自己の確立やプライバシーの保護を否定するのかをいわれそうですが、確かにそれらは必要なことに違いはありませんが、それがなければ生きていけない都市社会というのは、むしろ異様な不健康な社会ではないかと私は感じています。

そういう私もプライバシーは守られなければ、間違いなく不自由を感じるものですが、「にもかかわらず」と以下を続けさせていただきます。

 

 

 

人工物に囲まれ保護された「安全」「安心」の拡大は、このような景観を作りだしました。

コンクリートで固められて、つまずく心配のない安全な舗装道路。

倒れる心配のない丈夫な鉄筋コンクリートの電柱。

土地を有効活用したビルでの暮らし。

 

これらは日常目にする当たり前の空間ですが、

「天円」「自然界」とのつながりは、観光やレジャーでしか感じられないかのような世界です。

 

それらはすべて、

「日常の手間を省く」

ことを優先して作られてきたものばかりです。

それこそが、自由の拡大であり、豊かさの証明であると信じて。

 

 

さらに見上げる「天円」に対しても、無数の網を張り巡らせ遮断された景観が、指摘されなければあたりまえのような景色として日常の隅々に浸透しています。

こうした天から遮断された世界の中でも、私たちは必死に観葉植物を室内に植えたり、公園を増やしたりして、なんとか「天円」とのつながりを維持しようと努めてきました。 

  

そこにわたしたちは多くのボランティアや公園整備の予算をつぎこみ、大変な努力を積み重ねてきました。

 

確かに丈夫なマリーゴールド、パンジー、サルビア、ベゴニアなどは、大量に植える道端の花壇には適しています。

でもそれは、人間の側に軸を置いた鑑賞用の園芸植物による世界です。

それ以外に何があるんだとも言い返されそうですが、私たちの暮らしの景観には、

管理されていない同じ道端に、ふきのとうが出て、ツクシが伸び、タンポポの花が咲く環境もあります。

地上世界も、人間界の内側だけから見られた自然と、天界とつながった自然との差がこうしたところに現れています。

まさにそこにある雑草や昆虫、微生物を含めた連環の世界こそが、

天円につながった地上の楽園の実態です。

 

  

冬の時期は、葉っぱがすべて落ちた木の枝ぶりだけでも美しいものです。

派手な花を見せないススキや枝垂れ柳なども同じです。

 

林の間にリンドウ、ホタルブクロ、ヤマブキなどを見つけることができます。

でも、これらは通常そのままでは都市の「景観美」にはなりません。

 

 

街路樹として整備されたハナミズキ、ポプラ、サルスベリ、ケヤキなどの木々も美しいものです。

でも私たちの田舎暮らしの景観の中では、大きく育った杉、ケヤキの大木の横に

低木のツツジやヒサカキなどが育ち

田んぼの風景の中に梅や柿の木がただ一本たっているような

とても変化に富んだ姿をしています。

 

 

単一の花が延々と続くお花畑というのは、管理されたスキー場オフシーズンのお花畑ばかりでなく、尾瀬のニッコウキスゲの群落のように、確かに自然界にも存在します。

でも日本の里ならではの美しい風景というのは、そのようなものではありません。 

 

単一時期に花が咲き、収穫できる経済林や園芸畑とは異なる花の育つ時期も、実のなる時期も、
花の色も、木の高さも多種多様なものが入り混じった世界です。

 

 

また日常の生活エリアでは、都会に限らず田舎道でも、大地にフタをしてしまったが如く

コンクリートによって、農業・林業の作業効率を上げるためには舗装されなくてはなりません。

 

 

 

こうしたことは、景観の上の変化だけではありません。

私たちは安心、安全のために進化した靴をはき、防寒、防風、暴雨の衣服を季節や気候の変化に応じて着込み、時には日差しを避けるためにサングラスをかけ帽子をかぶり、さらには頑丈な家に住むことで多くの安らぎ得ることができました。

それらは、決して悪いことではありません。

ただそれらのすべての過程で私たちは、

大地との接触、

気温の変化をカラダで、肌で感じること、

広い空の雲や日差しの変化を感じ取る感覚やその機会を失い続けてきたのです。

 

 

 

 

先のヤノマミの共同住居が天の入り口なのだから丸い、という世界観と暮らしは

「人間」がヤノマミのいう意味での本来の「人間」に近づいていくために、

これから人間社会が「進歩」することを通じて、ひとつ、ひとつ、

建物、電柱、看板、植栽、住居、景観のあり方を具体的なカタチとして実現していかなければならないものです。 

 

宇宙=天と繋がった日常を取り戻すだけで、

どれだけ世界観が変わり、

心が自然に向かってスッと通り抜けるように、生き方も変わるものだということを

日常風景のひとつひとつを大切にすることで、

かつての東京オリンピックが開かれた頃までは、日本中どこにもあたりまえのようにあった風景を

私たちは少しずつ取り戻していくことができるのだと私は信じています。

 

もちろんそれは、歴史の後戻りをさせる意味ではなく、

また自己やアイデンティティー確立の方向一辺倒でもない、

先端技術も駆使した文明の発展を前提としたものです。

 

こうした意味で、わたしたちはまさに「人類の本史」にさしかかろうとしているのだと思います。

 

 

「天円地方」に関する過去の記事

① 「地方」の本来の意味は「天円地方」から

② 「自然(天円)」につつまれた人間界(地方)」の力学」旅のイメージ(覚書)

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新緑の季節。 生命の誕生が緑色であることの意味

2018年04月06日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

  

 現代では、「西暦」の問題に象徴されるように、あまりにも世界観が、光、陽、太陽、あるいはアマテラスの側に偏り過ぎていています。夜や影、あるいは月の存在は、影の側だから仕方がないといい捨られがちですが、なぜか現代日本ではひと際、虐げられた存在になっています。

 そんな時代に、月夜野から「夜」や「暗いこと」、さらには「ツクヨミ復権」の意味や価値を発信することの難しさをいつも感じています。

 

光と影

陰と陽

月と太陽

月暦(旧暦)と太陽暦

 

本来、両者は一体不可分な関係であり、また互いを必要とした表裏半々の関係であるはずです。確かに、ものごとなんでも明るい方が良いに決まっているといわれれば、反論はできないのですが、私たち月夜野タヌキ自治共和国にいる者は必ずしもそうは考えません。

このことを現代人にどう理解してもらえるかを、ずっと考え続けています。

それが最近ようやく、光と影を軸にそこから色彩(生命)が誕生する原理を考えることで、もう一つの分かりやすい視点を見出すことができました。それはゲーテの『色彩論』に出てくる以下の説明です。

  

光のすぐそばには我われが「黄」とよぶ色彩があらわれ、

闇のすぐそばには「青」という色があらわれる。

この黄と青が最も純粋な状態で完全な均衡を保つように混合されると、

「緑」と呼ばれる第三の色彩が出現する。

          (ゲーテ『色彩論』より)

 

 

これは聞き慣れた「光の三原色」、「色材の三原色」との関係はどうなのかというと、

 

物質界を物理学から捉えたのが光の三原色で、化学面から捉えたのが色材の三原色。

それぞれの三原色を混ぜ合わせた中心が、

光の場合は「白」になり、

色材の場合は「黒」になります。

厳密には、ここでいう光の白は白色ではなく無色

同じく色材の「黒」も色材という意味では確かに黒色ですが、本当は色の黒ではなく無色の闇ということのはずです。

まさに、この物理法則、化学法則両方の中心、無色の極みの「白」「黒」こそが自然全体の出発点であるわけで、先のゲーテ『色彩論』の説明がこの図を見ても成り立っているわけです。

 

つまり、

「白」=光の一番近くにある色が「黄」

「黒」=闇の一番近くにある色が「青」

 

この無色である光りの代弁者である黄色と、無色の闇の代弁者である青を混ぜると

「緑」が生まれるわけです。

 

 

 

こんな素敵な絵本も出ています。

 レオ・レオーニ・作 藤田圭雄・訳 『あおくん と きいろちゃん』至光社ブッククラブ国際絵本 

 

 

自然界にはたくさんの色彩が溢れています。

ところが鮮やかな色彩の代表のような草花を見ると、赤や黄色、青や白の花はあっても、なぜか緑色の花というのは見ません。

かたや秋の紅葉シーズンには、鮮やかな赤や黄色を見せる木々ですが、春の草花は艶やかに赤や黄、白の花を咲かせているとなりで、新緑の葉っぱは、なかには赤や黄色に色づく木があっても良さそうなものですが、色鮮やかな花が咲いている隣りで木々の葉は緑のみです。 

自然界に葉っぱとして緑色はこれほど溢れているのに、これは一体どういうことなのでしょうか。

 

先日、桜を見にドライブしていたら、ふと桜の木の間に薄緑色の綺麗なサクラのような花が見えました。

 

ところが、よく近づいてみると

それはやはり白い花ビラに新緑の葉が並んでいることによる錯覚でした。

花と同時に葉が出るヤマザクラなどの特徴です。

 改めて緑色の花は、自然界にはないのだと思いました。

自然界にたくさん色彩は溢れているのに、ほんとうに緑色は植物の葉のみなのでしょうか。 

厳密には無いわけではなさそうですが、大半は葉っぱや花のガクの新芽などの若い時期の姿に過ぎない気がします。また、花屋さんでつくってもらった花束には、緑色のカーネーションがあったので、人工的な園芸植物の世界には、緑色の花というのはすでに存在するようです。

それでもやはり緑は、他の色彩とは別次元の何かがあると思えてなりません。

 

 

染織の世界を極めている志村ふくみが、植物は緑であり、緑は植物であるといいたいほどの植物から、なぜ直接緑が出ないかということを繰り返し語り問い続けています。

今では、草木染めで緑色を出す技術はあるようですが、それでも自然界に緑色がこれほど溢れていながら、その色を単純に緑の葉っぱから取り出すことはできないのです。

 

緑はまさに「光」と「闇」の間に、不可視の世界と現界の間に、

「緑はその両界に、生と死のあわいに明滅する色であり、

この世にあっては生命の色、

みどり児の誕生の色なのである。

 

 志村ふくみ『母なる色』求竜堂 (1999年)

 

別のところでこうもいってます。

(草木染めの場合)私たちは、どうかしてその色を生かしたい、その主張を聞きとどけたいと思う。
その色と他の色を交ぜることはできない、梅と桜を交ぜて新しい色をつくることはできない。
それは梅や桜を犯すことである。色が単なる色ではないからである。

また宇佐美英治との共著『一茎有情』(ちくま文庫)のなかでは、とさらに具体的に述べています。

あのとき私は黄色の糸が、藍甕の中にひそみ、藍分を吸い込んで緑に生まれ変わって出てきたことが光と闇、その中間の生、束の間のいのちこそ緑だと、嬰児こそ闇から光をうけて誕生したことの意をそのまま表しているのだと思いました。

 

なるほど、色彩を無理に交ぜるから黒に近くなっていってしまう。色彩は、本来、その色固有の存在。なかでもまた緑は格別の存在のようです。

 

まさに緑色は、「生命誕生」の色なのです。

むしろその本質は、色彩ではなく「生命」そのものなのです。

 


奥四万湖の新緑

 


青い(緑の)地球が、いまだ宇宙において奇蹟の星であるのは、
きっとこうした意味があるのでしょう。

 

緑=生命というものが、光と闇(影)の両者の存在あっての世界であり、またその奇蹟のバランスの瞬間にのみ生まれるものだということが、いかなる生命科学の説明よりも根源にあることだと知ることができました。

ただ明るいばかりでなく、半分の暗さがあってこそ生命(新緑)の鮮やかさと輝きは増すのであり、また、半分の暗さを自然のままに残してこそ未来は明るくなるものと思います。

 

 

 

 

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色即是食う!

2018年03月11日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

 

違うか?

 

 

 

色即是食う!

 

 

 

 

これも違う?

 

 

色即是食う!

 

 

 

 

違う?

 

 

色即是食う!

 

 

 

 

 



 

 

 

 

誰がなんと言おうが、私は悟った!

 

色即是食う!

 

 

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日本という「大国」の美しい実態

2018年02月07日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

 

日本の海岸線の総延長は、約3万5千キロ。



アメリカ、中国ともに国土面積は日本の約25倍ですが、
日本の海岸線はアメリカの約1.5倍、中国の約2倍。

 

この数字、信じられますか?

この数字を高橋裕『川と国土の危機』(岩波新書)で知りました。
私も俄かには信じ難く、データを検索してみましたが確かにだいたいこのような数字であることが確認できました。


 
確かに、広大な中国といえども海岸線は東側にしかありません。
 
アメリカもカナダに接する北側とメキシコに接する南部をのぞき、
ほぼまっすぐな海岸線が続くばかり。

それら大国の面積にすっぽり収まる小さな日本とはいえその姿は、
四方を海に囲まれた地形であるばかりか、
北海道、九州、四国、淡路島、佐渡、沖縄など大小多数の島々を持っています。 

 

さらにそのかたちは、ただの海岸線ではなく

 

♫ 今は山中、今は浜、

  今は鉄橋を渡るぞと、

  思う間もなくトンネルの、

  闇を通って広野原 ♪

の歌のごとく、ところや場所により、めまぐるしくその姿が変わる地形がどこまでも続きます。



まさにこれが日本人の魂の故郷であり、多くの文学の舞台にもなってきたものです。

日本の古代史などを学ぶほどに、日本という国が海洋民族であることを知りますが、それが単なる海洋民族というだけでなく、世界に類を見ない美しく長い海岸線に囲まれた海洋国家、海洋大国であることを痛感させられるのです。

 

長い間、日本は東洋の小さな島国に過ぎないとよく言われてきました。
それがいつの間にか、ジャパンアズナンバーワンとまで言われた経済大国の時代も遠く過ぎさり、
かつての繁栄を再び望むかの政策が未だに繰り返されています。


いろいろな機会によく話すことですが、日本の人口、1億3千万弱。

世界の国々で、米中ロシアなどの超大国を除いて、国民人口が1億を超える国など先進国では他にありません。
ヨーロッパの国々はどこも7〜8千万人以下です。
つまり、世界の圧倒的多数の国ぐには、日本の人口の半分以下なのです。 
この意味で、日本はどう転んでも大国です。

私の属している出版業界でもずっと危機が叫ばれていますが、
世界の圧倒的多数の国ぐにの国民文学などというのは、
日本の半分以下の市場で成り立っているのです。
成り立っているのかどうかは、難しい例も多いでしょうが、
それでもその環境が当たり前のものとして今も生きているわけです。



こうした意味で、毎度の繰り返しになりますが、
日本という国は、どんなに経済の停滞が叫ばれようが、
少子高齢化の危機がいわれようが、 
世界の国々に比べれば圧倒的な規模の国力をいまも備えており、
変化に富んだ海岸線に象徴される豊かな生命環境を持っているわけです。

(何も自然生命の理想論だけでなく、経済面でも国家財政赤字がどんなに膨らんでも莫大な資産を持つ大国です)

土地、風土、地形の多様性、人口を含めた自然生命の豊かさをみれば
政治や経済の失策には確かに失望を禁じえませんが、
厳しい現実がどんなにあろうとも、将来を約束する豊かな資産が今もあることを思えば
何も問題はありません。

 

経済活動より生命活動に信をおく社会へ」 

  

 

この豊かな国土を象徴する

日本海側の海岸線を、

青森から北陸、山陰へと

ずーーっと走ってみたい!

 

 
 
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「秀才」を育てる教育はやめて、誰もが「天才」の時代へ

2018年01月20日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

かつて江戸や明治のころ、身分制が残る時代では、先祖から受け継いだ職業で一人前の職人になることこそが多くの人びとの目標でもありました。そして、さらにその先を目指すのは「名人」への道でした。

それが近代に入ると、賃労働型の労働が一般的になり、一つの技能のみで一生働くことは稀になり、むしろ平均点の高い労働力こそが求められるようになります。その頂点が、英数国の3教科こそが高い配点比率を占める受験システムであり、いかなる配置転換も組織の要求にも対応できるタイプの人材育成を重視する社会のはじまりです。

それは平均点の高い人間とその先の「秀才」の育成こそが第一目標とされる社会なので、英数国の平均点をあげられない特殊な資質をもつ子どもは、どんなに特定の才能に長けていても、その分野の最先端を目指すことはとても不利な社会です。事実、基礎学力こそが大事とは言いますが、今の日本で最先端の専門技能を得るためのスペシャルな教育環境は、そうした受験システムの問題だけでなく、莫大な教育投資余裕のない家庭から這い上がることは、かなり厳しいものがあります。

 努力したものこそが報われることは大事ですが、今のこの社会システムは、意外と多くの人にとっては「生きづらい」ものです。この意味では、むしろ落ちこぼれや不登校の子どもたちの方が、無理に環境に適応できる子どもたちよりも健全な感性を持っていると言えそうです。

 

 

でも、そんな時代はようやく終わろうとし始めています。

現実には、今の教育業界の人びとの意識を変えることの困難はありますが、世界の現実がどんどんそうした意識を吹き飛ばすような変化が現れているので、予想以上にこの変化は早く訪れるのではないかと思います。

 それは、すべての子どもたちが天から与えられた才能や能力を伸ばすことこそを第一に考えられた社会で、現在のような平均的な秀才をより多く育てることを目標とした社会からの卒業を意味します。

 

五味太郎『大人問題』講談社文庫(2001年)

この表紙デザインには「おとなもんだい」
「おとなもんだい」
「おとなもんだい」 が描かれてます。

 

ここでいう天から与えられた才能=「天才」とは、何もピカソやダビンチのような才能や、ノーベル賞をとったりGoogleのような先端企業で働くような人材のことばかりを言うのではありません。

そもそも子どもは、もともと誰もが「天才」であるからです。

本来、この世に生まれたすべての子どもには、天から与えられた才能があるはずです。

もちろん、生まれたままの姿で誰もがその才能を開花するわけではありませんが、金子みすゞや山下清などの感性は、多くの人間がもともと持っているものです。もともと天才と言って良いほどの才能、生命力を持つ子どもを「大人」こそが、あるいは「社会」こそが潰しています。人それぞれに天から与えられた才能を存分に伸ばすことこそが、本来の教育のあるべき姿であるはずなのに。

人は、オギャーと生まれた瞬間から生きていくのに必要な、高度な脳の働き、視力、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、筋力、運動能力、コミュニケーション能力などの基礎的素養をすべて備えて誕生しています。それらの能力、資質のどれをとっても無限ともいえる可能性を誰もが備えています。

確かに個々の人間に備わる天から与えられた才能の何が開花するかなど、事前にわかるものではありません。だからこそ、教育の現場では、個々の人間の興味、関心、疑問に応えていくことこそが基本で、元来、全員が同じ教科書で同じスピードで学ぶことなどそもそも論外のはずです。 

 

そうしたことを劇的に可能にする社会の裏付けのある理由がふたつ思い浮かびます。

一つは、人類の共通遺産である膨大な知識が、社会全体の公共財として、子供の親の所得や生育環境の違いに関わりなく、地球上の誰もが享受できる可能性が開けたからです。

突破口としてネット上の無料で得られる公共情報が加速的に増えていくことで、膨大な知識を覚えることの必要性が減少し、知識をためるような学習は急速に陳腐化していきます。その分、子どもたちは初級、中級、上級などという段階にはとらわれずに、どこからでもいくらでも必要なことを学び、興味がわいたことにのめり込んでいけるようになるわけです。

何事でも基礎は大事ですが、小さいうちの読み書き計算、体づくりさえ徹底すれば、現在の中学、高校で学んでいるような知識は莫大な無駄にしか過ぎません。たとえ若いうちに学ぶことを逸した分野に大人になって気づいたとしても、気づいた時こそが最大の学びのチャンスなわけですから、40になろうが、80になろうが、その時こそ学べば良いわけです。

いま大人の勉強というと、カルチャースクールや趣味の世界ばかりが目立ちますが、まさに生きて行くために大事なことを年齢に関わりなく、必要性を感じた時に、学びたいと思った時こそ学べる社会が本来あるべき姿です。それがようやく可能になり始めているわけです。

学校の勉強さえしっかりすれば、世の中生きていけるなんて勘違いは、すでに通用ししない時代になっています。

 

もう一つの面は、AI(人工知能)の劇的な発達と普及です。

誰もがその道に入る限り、その道を極めていきたいものですが、名人のもとで修業を重ねてもなかなか名人を乗り越えることはできないものです。

名人や天才の世界とは、常にその人固有の世界であるからです。

ところがこれから人工知能が一般の暮らしに普及しはじめると、常に世界の最先端の頭脳に誰もが接することができるようになるわけです。
もちろん、いかなる領域であってもその最先端を理解するには、身体的・精神的訓練の積み重ねが不可欠ですが、その努力のプロセス自体が、教える側の能力や資質、それを得るための経済力などに制約されることなく、誰もが吸収できるようになりはじめるのです。これは学ぶ側と同時に教える側にも同時並行で起こることです。

ホモサピエンスの長い歴史のほんの一瞬の間に、私たちは前頭葉肥大いというアンバランスな身体と精神を獲得してしまいました。それがようやくAIと外部記憶装置の発展によって解放され、健全な身体機能と感性の回復に努めることが可能になりだしたのです。

 

よくこういうことを言うとすぐに、それでは世の中の競争はどこで成り立つのだといった話しに持っていかれますが、そもそも人が目指すのは、「他人との比較」ではなく、昨日の自分との比較こそが大事なはずです。
他人や世間がどうであれ、昨日の自分よりも今日の自分が進歩していることこそがなによりのことであるはずです。

また、変わる自由が社会で保障されてこそ、変わらない自由もあえて選ぶことも可能になるのだと思います。 

 

そもそも「秀才」という言葉自体が、他人との比較でなりたつものなのに対して、「天才」という言葉は、はじめから他人との比較は成り立たないものです。

そもそも「天才」とは、一部の人間だけに与えられた才能という意味ではなく、誰もが天から与えられているはずの才能をどのように気付き、発見し、伸ばすかの問題だと思います。

この辺のことを、受験生をかかえているパートさんに話しても、いまひとつ通じなかったのですが、世間の評価が高いことを目標にするのではなく、子どもひとりひとりが興味を持ったことを最大限に伸ばしてやれる社会こそが、本来の教育のあるべき姿であり、自然に「天才」がいたるところから生まれ出てくる社会なのだと思います。

そもそも子どもたち全員に、同じ教科書を与えて、同じスピードで授業を行うことが、どれだけ無茶なことであるか、もう気づかなければいけません。

いま、こうした「常識」がようやく広がり、誰もが天才で、誰もがアーティストになれるすばらしい時代の幕開けを感じる今日のこごろです。

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「経済活動」より「生命活動」へ「信」をおく社会

2017年09月24日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

誰にとっても、仕事(経済活動)が大事であることに異論はありません。

しかし、現代人の暮らしは、あまりにも賃労働型の仕事に多くの暮らしが従属してしまっているように見えてなりません。このままでは、いくら経済的な豊かさを得ても、結果的に幸せな暮らしを手に入れることが難しい社会になってしまっています。このことを、人間社会と自然の生命活動全体から捉え直すことができないと、GDPさえ伸びれば幸せな社会が実現できるかの誤解はいつまで経ってもなかなか解きえないのではないかと思えます。

この問題は、いつか整理しなければと思っていたので、うまくまとめられるかどうかわかりませんが、以下このテーマに今回は挑戦してみることにします。

生命をも犠牲にして発展する経済活動の諸問題については、他の場でもいろいろ指摘され続けていますので、ここではそれとは違った角度から考えてみることにします。

 

 

そもそも人の一生のうちで、経済的収入を得るための仕事をしている時間の占める割合は、想像以上に少ないものです。成人するまでの20年、定年後の20年を除けば、人生80年と言われるうちの半分程度しか使っていません。

 

【図① 〔年単位〕 人生80年と見た場合の労働期間】 

                            * OECD基準での現役世代は、15-64歳

それどころか、年間労働日からすれば二百数十日、およそ1年の6割くらいなわけですから、生涯の総日数からみれば30%程度の労働日数となります。

 

【図② 〔日単位〕 人の一生の労働日の比率】

 

さらに、8時間労働に換算すれば、1日24時間のうちの3分の1しか仕事には使っていません。

 

【図③ 〔時間単位〕 一日24時間の構成比】

 

 

 この時点で、生涯就業時間は、その時代の社会の総時間からすれば、
単純に人生の10%程度の時間で担われていることになります。

この数字が信じられますか?

 

【図④ 〔時間単位〕 人の一生の生涯労働時間比率】

 

 

深刻な高齢化社会が加速する時代を象徴することとして、よく以下の事例が引き合いに出されます。

「1950年時点では、12.1人の生産年齢人口で1.0人の高齢者を支えていたのが、2016年時点では2.2人。

さらに2065年の予想人口比率では、おおよそ4人で3人を支える計算になるといいます。」

 

しかしこれも、頭数割りではなく、一生の総時間で割れば、全く違う風景に見えてくるはずです。

 

 そして、現役世代の就業率は、専業主婦の割合がさらに低下し続ける傾向にありますが、およそ70%程度です。

専業主婦の比率が大雑把に女性の半分。(1995年頃に逆転して専業主婦の比率は下がってますが、8時間労働に満たないパート労働が多いので仮に8時間労働換算ではトータル半分と見させていただきます)

「なぜ、こんなに多いのか?「専業主婦世帯数」720万!  http://president.jp/articles/-/18338

 

現実にこの世に生を受けた総時間の中で、働いている時間などというのは、転職・失業・病気・増え続ける非正規型労働などの条件も加味し、労働力人口の実質でみたら、社会全体の中で負担されている総労働時間の比率は、おそらく実態は7%にも満たないのではないでしょうか。

 

【図⑤ 〔時間単位〕 人の一生の生涯「労働」時間の実質推定比率】

 

 

 

生産活動以外の時間は、睡眠・休養や余暇の時間としてみることが一般化していますが、こうした図式でみると、それは余暇や自由時間であるどころか、むしろ仕事よりもこちらの方こそが生命活動の中心部分であることに気づけると思います。

間違いなく経済活動の方が、生命活動全体からみれば極めて限定的で特殊な活動領域であるわけです。

収入の多い人びとであれ、あるいは収入が少ない圧倒的多数の人びとであれ、仕事があってこそ、またより多く働いてこそ豊かな生活が保障されるかに思われがちですが、人生の90%以上を占めるこの仕事以外の時間の意味は何なのでしょうか。

 

こんな図式が見えてきたにもかかわらず、他方、日本では「過労死」するほどの長時間労働の実態があります。

実際、今なお週60時間以上労働する就労者が1割近く存在するといわれます。同時に、非正規型雇用の比率はどんどん増え、短時間労働の雇用形態も増すばかりです。

今なお経済成長のためには雇用の流動化を一層増すことなどが堂々と叫ばれていますが、実態は、圧倒的多数の労働者が、「働き方を選べない」環境下にあることこそが問題であると思います。

「働きすぎて死ぬのではありません。
働かされすぎて死んだり、辛くなって自殺したりするのです。」
                 (五味太郎) 

この意味で大事なのは、労働時間の短縮が国際水準から見て日本が深刻な出遅れ状態であることは間違いありませんが、問題の核心はむしろ「時間」よりも「働き方」の方にこそあるといえます。

しかし、今の私の周りには、こんな言葉を投げかけても聞く余裕もなく、1日1日を必死に働き、しかも私などよりもはるかに社会的責任を立派に果たして頑張っている人々がたくさんいます。

とりわけ日本の子育て世代やシングルマザーなどは、国際比較を見ても異常な環境下で多くの人が頑張っています。

それだけに、その先に目指すものが、より多く消費する社会や所得を上げることでしか解決できない暮らしの構造からの脱却を真剣に考えていかなければならないものと考えます。

現代人の生涯支出のうち生存のために最低限必要な食費を除いたならば圧倒的部分は、教育、医療、住宅、車などによって占められています。

右肩下がりの成熟社会では、この部分を圧縮することの方が所得を上げることよりも、はるかに豊かさを保証することにつながります。

そもそも子どもの幸せのためと言いながら、今いる子どもと一緒に食事をする時間や遊ぶ時間を犠牲にして何になるのでしょうか。

  

  

五味太郎 『大人問題』 講談社文庫 (品切れ2017年時点)

 

それにしても働くということが、人生の10%にも満たない時間の使い方であるにもかかわらず、現代人の暮らしは残りの90%までが、何故これほどまで仕事に従属してしまうのでしょうか。

 

武井壮は、「8時間働いたって16時間余ってんだから」と言ってました。

残念ながら、多くの人にとってそれらの時間は、自分の時間としてではなくテレビやネットなどの他人の世界の消費時間として消えていってしまっています。

私たちの仕事以外の時間は、単に「余暇」や「休息」、あるいは単なる「趣味」や「消費」の時間としてではなく、生命活動の本源的営みの時間として、もっと見直す必要があると思います。

仕事で、大きな仕事と小さな仕事を区別してしまう人は、得てして「運」から見離されてしまうものですが、生命の本源的営みの領域である炊事、食事、洗濯、掃除、子育て、介護、さらには睡眠などこそ、様々なボランティア活動などとともに、大きい小さい、大事かどうかを問わず、一つひとつがかけ替えのない生命活動の重要な要素なのです。

どれもが決して「片付ける」「消化する」「はぶくべき」時間ではなく、それらが「自発的なもの」でさえあれば、どれもが美しく、輝きあふれ、楽しいものにできる時間であるはずです。

まさにこれこそが生命の創造と再生産の核心部分です。

わたし達が仕事以外の日常生活の領域で、どれほど豊かな創造的な生命の営み時間を持っているか、ということです。

 

今までわたしたちは何をもって生産的労働と非生産的労働を区別していたのでしょうか。

何をもって営利活動と非営利活動を区別していたのでしょうか。

単純にお金につながらない生命の営みのなかにこそ、大事な仕事はたくさんあり、また経済活動全体も、そうした土台の上にこそなりたっているのだということを、改めて考え直さなければなりません。

そもそも、人間や自然界で最も生産的な活動とは、子供を産んで育てることです。

日常生活のすべてをお金で手に入れなければならない都会生活を行っている人々には、なかなか想像しがたいことかもしれませんが、経済活動よりも、命の再生産の営みこそが、社会の根源として位置付けられなければならないものと考えます。

さあ定年後をどう生きようか、などといった次元の話ではないのです。

 

 

 

こうした気づきを通じてこそ、逆に何のために働くのか、仕事を通じて実現していく価値がどこにあるのかも見えてくるのではないかと思います。

経済を目的にすると、人が手段になる。

と言います。

このように子供を産み育てるということを軸とした生命活動を中心に考えれば、経済活動は、生命活動全体のほんの一側面にすぎないのだと思います。 

 

 

私のホームページタイトル http://www.hosinopro.com には、
「働き方」が変わる、「学び方」が変わる、「暮らし」が変わる、「地域」が変わる。

と書いていますが、誰かに「させられ」コントロールの及ばない「働き方」ではなく、自らがそれを選び創れる社会

誰かに「与えられ」る「学び方」ではなく、自らそれを発見し創れる社会

忙しさに追われて消化するだけの「日常の暮らし」ではなく、自らそれを組み立てて創れる社会

そんな豊かな社会が今始まり出しており、またそれを多くの人が手に入れられる時代になり出しているのではないのではないかと、感じています。

 

 

 

私たちは、これら多くの課題解決の糸口は、

夜の時間の過ごし方のなかにこそあると考え、

経済活動より生命活動に信をおいた暮らしを月夜野の地から

「月夜野百景」https://www.tsukiyono100.com/の活動などを通じて

表現していけたらと思っています。

 

 

過去の関連ページ 

「生産の基礎単位としての家族(再録)」
http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/62cc2ebc0943a89a2feefa7b6d2a48bd

 「ガムシャラ貧乏よりも、お気楽貧乏がつくる幸せ社会」
http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/516550e83f7e13656fa6f5802d3c19c6 

 「一生を棒にふってでもやる価値のあること」
https://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/cca382fe15b1274ccb672df495f8e5a1 

 

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一生を棒にふってでもやる価値のあること

2017年08月23日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

videonews.comの番組で、宮台真司が大学へ入って初めて受けた授業で、その教授がいきなり放った言葉のことを話していました。

それは統計学の教授の授業で、立錐の余地もなく自分の講義を聞きに集まった学生たちを前にして、その教授はいきなり怒り出したという。

「君たち、一体何のために大学へ来ているんだ!」と。

「大学というのは、

友をみつけ、友と語らい、

旅をし、知らなかったものを知り、

音楽、映画、書物、

そういったものに時間を使う(そういう場だ)」

「統計学なんて本を読めば一発でわかるだろう!」

 

時代が変わってしまった今では、この大学教授の常識は理解してもらえないかもしれませんが、この話、大学という特殊な教育環境だけの問題ではないと思います。

そもそも人はオギャーと生まれた瞬間から、

たまたまこの時代に生まれ

たまたまこの日本という国に生まれ

たまたまこの親のもとに生まれて

出会うものすべて、

見るものすべて

触るものすべて、

未知との遭遇を繰り返しているわけです。

その繰り返しのなかで多くは、やがて習慣となり、無意識で行われるようになるわけですが、どんなに多くのものを吸収したとしても、わずか80年くらいの人生の間で、果たしてこの世のものをどれだけを知りうるでしょうか。 

 

確かに学んでいる間、学校は大事かもしれません。

働いている間、仕事は大事かもしれません。

でも、その大事なその枠の外側には常に無限の未知の世界が開けていることを、どうして忘れてしまうのでしょうか。

そもそも、大事な仕事でさえ、成人するまでの20年、定年後の20年を除けば、人生80年と言われるうちの半分程度しか使っていません。いや、8時間労働に換算すれば、1日24時間のうちの3分の1しか使っていません。

それどころか、年間労働日からすれば二百数十日なわけですから、

単純にこの世に生を受けた総時間の中で、働いている時間などというのは、全体の10数%程度でしかないことがわかります。シビアに実態をみれば、おそらくその数字は7%にも満たないのではないでしょうか。

この計算、わかりますか?信じられますか?
(この辺は別の機会に詳しく書きます)
経済活動ではなく生命活動に信をおく社会へ 

 

この意味で、高齢化社会をむかえて働く世代の負担が重くなったことが騒がれていますが、前提そのものが、何かとんでもなくおかしいことにも気づけます。

私たちの生命活動を中心にした社会の枠は、もっと広いものとして考え直さなければならないと思います。

先立つものがあっての日々の暮らしであることに間違いはありませんが、生命活動そのものは、決して仕事の枠だけで捉え切れるものではないのも明らかです。

本来は、この意味で、仕事というのもの在り方を組み立て直す必要があるはずです。

 

話を戻して先の大学教授の表現を借りれば、

「君たち、一体何のためにこの世に生まれて来たんだ!」

 

大事な仕事でさえ、生涯生命活動の10数パーセントでしかないことを思うと、私は、アフターファイブの時間の使い方というと誤解されそうですが、賃労働の枠にとらわれない働き方、暮らし方こそが、労働時間いかんにかかわらず、価値ある時間の使い方として考え直ぐさなければならないことと思います。

もう一度、この世に生を受けた奇跡から考え起こせば、圧倒される未知の世界の中で私たちは今生きているわけです。 

その意味で、目の前に現れた現実のどこを切っても、いかなる些細なことでもそれは

一生を棒に振ってでもやる価値のあることばかりです。 

 

人生、一回ポッキリの招待旅行を何に使うか

 

この大事なことを、考えるのをおしむ必要はどこにもないと思います。

誤解しないでいただきたいのですが、黙々とただ家族のために働くことも、とても尊く価値ある人生です。

全生涯の生命活動を思うと、子供を育ててからの人生も長くなっただけに

しっかりと自分の心で決めたことで、

学ぶ

遊ぶ

働く

チャレンジし続ける

ということだと思います。

 

ただ、その幸せへの道は、所属や参加だけで果たせるようはものではなく、必ずリスクと責任を背負った孤独な闘いの道であることを忘れてはいけません。

 

ただ単に仕事なんかしている場合じゃないぞ!

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濁る世を澄めともよはずわがなりに 澄まして見する谷川の水 (良寛)

2017年05月12日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

新緑シーズン。

それも旬は5月の上旬から中旬にかけてのほんの一週間ほどの時期です。

豊富な雪解け水が流れるこの季節にみなかみ町を語る理想の表現なので、

多くは語らず、写真と歌のみ記しておきます。

 

 

関東の清らかな水源地、みなかみ町から濁りたる都会へ澄みたる水を送りたいところですが、

今の利根川の水は、みんな銚子沖へ流れてしまいます(笑)

 

散々このブログで「濁りたるを澄め」とばかりに語ってしまう私なので、

これは他人や他所のこととしてではなく自らのこととして肝に銘じています。

 

 

 

 

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賽の河原地蔵和讃

2017年05月01日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

一説には空也の作ともいわれる賽の河原地蔵和讃。

赤城山の祖霊信仰とともに、地蔵岳の信仰位置付けを考える大事な資料にもなるので、ここに一度記載しておくことにします。

宗派によって様々なバージョンがあるようですが、数々の和讃のなかでもひと際センチメンタルな感情をかきたてる仕掛けが凝らされているもので、文学的味わいも一入(ひとしお)です。

 

 

 

これは此の世の事ならず  死出の山路の裾野なる

西院の河原の物語  聞くにつけても哀れなり

二つや三つや四つ五つ  十にも足らぬみどり子が

西院の河原に集りて  父上戀し母戀し

戀し戀しと泣く聲は  此の世の聲とはこと變り

悲しき骨身を通すなり  かのみどり子の處作として

河原の石を取り集め  此にて廻向の塔を組む

一重組んでは父のため  二重組んでは母のため

三重組んでは故里の  兄弟我が身と廻向して

晝は一人で遊べども  陽も入相のその頃は

地獄の鬼が現れて  やれ汝等はなにをする

娑婆に残りし父母は  追善作善の勤めなく

ただ明け暮れの嘆きには  むごや悲しや不慇やと

親の嘆きは汝等が  苦患を受くる種となる

我れを恨むこと勿れと  黒鐡の棒を差し延べて

積みたる塔を押し崩す 其の時能化の地蔵尊

ゆるぎ出でさせ給ひつつ  汝等命短くて

冥途の旅に来るなり  娑婆と冥途は程遠し

我れを冥途の父母と  思うて明け暮れ頼めよと

幼きものをみ衣の  裳のうちにかき入れて

哀れみ給ふぞ有難き 未だ歩まぬみどり子を

錫杖の柄に取り付かせ  忍辱慈悲のみ肌に

抱き抱へて撫でさすり  哀れみ給ふぞ有難き

南無延命地蔵大菩薩 

 

 

参照 ウィリアム・R・ラフルーア著『水子〈中絶〉をめぐる日本文化の底流』青木書店

 

https://www.youtube.com/watch?v=SOO4ePanpnU 

 

小さな子供は皆、死ぬと賽の河原に行かなくてはなりません。

そしてそこでお地蔵さまに遊んでもらうのです。

賽の河原は私たちのいるこの地面の底の方にあります。

お地蔵さまの着物には長い袂がついています。

子供たちは遊びながらお地蔵さまの袂を引っ張るのです。

そしてお地蔵さまの前に小さな小石を積み上げては楽しみます。

そこの地蔵像の前に石が積んであるのが見えますが、それはそういう子供たちを思って人が積んだものです。

たいていは、子供を亡くしてお地蔵さまに祈りに来た母親たちの行いです。

でも大人は死んでも賽の河原には行きません。

 

            小泉八雲『神々の国の首都』講談社学術文庫より

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風景から人と生き物の姿が消えた社会 〜いのちのにぎわいを取り戻すために〜

2017年04月29日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

数年前になりますが、叔父が毎朝、叔母とふたりで犬の散歩をしていた頃、
しみじみと朝の風景が急速に変わってきたことをつぶやいていました。

近所付き合いが、昔と比べると疎遠にはなったけれども、それでも朝の犬の散歩の時だけは、
畑に出ている人や同じ犬の散歩の人たちと頻繁に出会い挨拶を交わすことができていました。

ところが、最近はその散歩で出会う人さえもめっきり少なくなってしまったと嘆いていました。

 

 

東京で暮らす人には想像つかないかもしれませんが、

今、地方レベルでは都会、田舎を問わず、

まちを歩いている人がいない、

外で人に出会わない、

遊んでいる子どもの姿を見ない

などと言われる、人と人との距離がとても遠い地域社会になってしまいました。

 

 

 いつもこのようなことが話題になると、

「市民の生活様式の変化」

「郊外の大型店の進出」

などが理由として語られますが、

これらは「結果」であって決して真の「原因」ではありません。(村上敦)

 

 

 日本に限らず先進国共通の人口減少社会に移行しだした現代、私たちは自分の産業や地域の繁栄を再び取り戻すといっただけの発想では、太刀打ちできない現実に直面しています。


 日本には都市計画など、現実の利害当事者を前にするとおよそ成立しえないかの環境にありますが、起きた現実への対処法ではない議論を今こそしっかりと起こさなければなりません。

 

村上敦『ドイツのコンパクトシティはなぜ成功するのか』学芸出版

 

 かつての社会では、人々が肩を寄せ合って生きていたからこそ、また、貧しかったからこそ、お互いが助け合うことで生きていました。

 

 それに対する「近代」社会の成立とは、村社会や路地裏コミュニティの外側の見ず知らずの人間であっても、いつでもどこでも公平な取引や人間関係が結べる社会になったことなのだともいいます。

 そこには、「公平」「平等」などの言葉と一対で、個人の「主権」が認められた社会です。

  ところが、それまでの社会の前提としてあった地域の「共同体」が崩壊し始めると、個人の主権だけが暴走しはじめ、モンスターペアレントに代表されるような自分の「権利」ばかりを主張する人びとが溢れてきてしまいました。

 さらに、共同体が崩壊すればするほど、排他的なナショナリズムこそわれわれの共同体精神であるかの傾向も世界的な流れとして強まってきています。

 

 人口減少社会になったにもかかわらず、このままでは今後も人と人との間は隙間だらけのままなのです。 

 関連ページ「異常な人口爆発の時代が終わり、適正サイズに向かっていく日本」
 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/0312ca2d3c3186168253684cd8c6a1da 

 

 

 

 つまり、この世の栄華というのは、お金で贖う栄華じゃなくて、天の与えたもうた恵みであって、そういう世界をついこの間まで全生活にわたって持っていたんだという、言葉にすればですね。

                                石牟礼道子『花をたてまつる』葦書房


 石牟礼道子は「にぎわい」とはそもそも、山や森や川や海に生き物たちが、鳥や魚や動物や昆虫たち、草花が賑わっている時、人間たちも賑わっているのだという考えです。

 いのち同士の賑わいと、都市の賑わいは違うのだ、と。

 

 私の暮らしている土地も、都会に比べれば、とても豊かな自然に恵まれた土地に見えるでしょうが、ここでもつぶさにみれば、一昔前には当たり前のいようにいたメダカやゲンゴロウ、サワガニやテントウムシ、さらにはモンシロチョウやアゲハチョウまで、すっかり見なくなってしまいました。

 関連ページ「脱落したページは気付かれない」
 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/49446e0d80060843c35886ab4056d138

 

 この「いのちの賑わい」の欠落したままで行われる都市計画や人口減少対策とは、いったいどのようなものなのでしょうか。

 もちろん切迫した現状を解決するための施策はいくつも打つ必要がありますが、最終的に私たちが目指している世界像そのものを見誤ってはなりません。

 

 いづれこのテーマの各論を書いてみたいと思いますが、まずその柱となるのが、

 「家」です。

 この「家」とは、まず第一に建築学的な意味での「家」のことです。

 これは、村上敦『ドイツのコンパクトシティはなぜ成功するのか』(学芸出版)で語られているようなことが中心になります。

 第二には、「家」=「家族」の側面から問題が二つに分かれるのですが、その一つは「生産」の基礎単位としての「家」=「家族」の問題

 もうひとつが、生命の基礎単位としての「家」=「家族」の問題です。

 そして第三が、家で営まれる「食」のあり方です。栄養面と食べ方双方で「にぎわい」のある「食」ということです。

 第四が、これら全ての前提となる「自然界」のにぎわいのことです。

 これらどれもが「生命の再生産」という前提を考えれば「三世代」を基礎に置かないと語れない世界なのですが、なんとかまとめられるようにチャレンジしたいと考えています。

  確かに、文学でもなければ表現しがたいようなこのテーマに、自分には到底太刀打ちできないかもしれませんが、これを避けて私の仕事は前に進むことはできません。

 

 まだまだ、手に負えない課題を前に途方にくれる私のつぶやきごとに過ぎませんが。

 

 

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