今回は、久しぶりに本屋の業界ネタです。
相変わらず書店の数は減りつづけていますが、市場縮小の時代、経費削減や売り場面積の拡大以外に数字を伸ばす手立ては、もはやなにもないのでしょうか。
唯一残された手立ては、個人の資質に依存するしかないように見えますが、あらゆる経営の原則からすればそれは「資質の高め方」に対するノウハウ不足こそが、本来はこの問題の核心であるといえます。ただ残念ながら経費削減の最大ターゲットが人件費である時代にこの問いは、多くの現場ではむなしいひびきにも聞こえます。
接客のマナーや品揃えのレベルが大事であることは言うまでもありません。
しかし、これまで考えうるあらゆる手立てを打ちながらも、市場縮小のスピードには追いつけないかのような実態がいたるところにあります。
時代の流れには逆らえないので、より早くあきらめ見切りをつけることこそが賢明な判断なのでしょうか。多くの事業者がそのような判断を下すこと自体は、悲しいことですが誤りであるとは言い切れません。
でも大事なのは、本が地域には欠かせない文化であるとか、情報こそ社会にとっては大事であるとか言われていながら、私たちのビジネスそのものが、「情報」ではなく「本」という「モノ」のビジネスからいつまでも抜け出せないままであることこそ、問題の核心であるのではないかと感じています。
デジタルの大波に翻弄される現状から脱出できるかどうかの鍵も実はここにあるのではないかと私は思っています。
本を価値ある「モノ(紙)」として物流管理の精度を上げることから、価値ある「情報」を扱えるビジネスへ至るには、これまでの売り方と何が違うのでしょうか。
こうした問いに、今騒がれている返品率や賞味改善の議論は、必要なことではありますが、決してそれに答えるものではありません。
わたしは、それらのあらゆる問いに対する答えが「それはありません」という、日常のひと言のなかにこそあると思います。
お客さまにとって心地よいサービスが大事なことは言うまでもありませんが、心地よい「情報コミュニケーション」の姿がいったいどのようなものなのか、まだあまりにもビジネスとして業界での問いかけが浅いと感じずにはいられません。
「ありません」のひと言の持つ意味
「モノ」の有るなしより大事な「情報」の有るなし=売り損じの恐怖からの脱出路
「自分の世界」と「お客の世界」が一歩広がる楽しさの体験のために
(1)、「ありません」と即答されることの不快
問い合わせをうけた本が店になるのかないのかすぐにわかることは重要です。
しかし、それが事実であっても即答で「ありません」と返事をされると、お客さん
はとても不快に感じるものです。「ありません」の言葉とともに、お客さんとの関係
を断ち切る対応になってはいないでしょうか。
「お取り寄せになりますが、いかがいたしましょうか」
「在庫状況をお調べしましょうか」
などの言葉を続けて会話をつなげる気配りが大切です。
(2)、その本は、当店に置く意志はないというお客へのメッセージ
「ありません」の結論は、必ずしも売り場面積や在庫量の差の問題ではなく、顧客
との関係をこのお店はどうしたいのかという大事なメッセージを発しています。
当店にそういう本の在庫はないので、
「大型店へ行ってください」
「図書館へ行ってください」
「ネットで探してください」などの言葉があふれてます。
「ではこの店は何だったら売ってくれるのか」
というお客さんの気持ちを想像してみましょう。
何かを期待してその店に来店してくれたお客さんの気持ちを少しでも裏切らない努力
がないと、取り扱う商品の有無の問題ではなく、その店は確実に衰退します。
(3)、「ない」という事実の不正確さ、情報の広がり 想像力の欠如
商品をネットで検索してその情報が無かったからといって、それは必ずしも完璧
な情報であるとは限りません。
入力した情報の間違い、発売直前でデータが出ない、感じを間違えてる、等など
検索情報モレの様々な可能性について想像力を働かせることが大事です。
(検索ノウハウは、ネット技術の進歩も激しいのでメニュアル徹底が必要です)
(4)、「ない」情報こそ財産 ~情報の共有が力に~
「ない」現実の次の行動
�、速やかに仕入れる
�、品切れ(注文受付中)などの表示を出す
�、売れるかどうか迷うくらいなら、試しに仕入れてみる
�、なぜ聞かれたのか、なぜ売れるのかなど従業員間で情報を共有する
(5)、在庫を持たずに注文に答えられる理想のビジネスの入り口を閉鎖
「ありません」は大事な商機拡大のチャンスをどうみるかの入口の言葉。
ないからこそ、取り寄せて販売できるかどうか、
さらには、より少ない在庫でより大きなビジネスができるかどうかを決める大事な言葉
になります。広告宣伝費にお金をかける以上の経営上の効果がこの言葉には潜んでます。
(6)、不可欠なネット古書取り寄せ代行サービス
新刊が顧客の求める情報にマッチする領域は、どんどん狭くなりつつあります。
新刊書ではカバーできない情報領域を、ネット古書仕入れの代行や図書館情報検索
などのサービスと連携することは不可欠な時代になりました。
地域の買い物難民、情報難民を誰が救うのか、それは地域の切実な課題です。
(7)、かつての「量販」こそ儲けの時代は終わったことへの認識欠如
(量販で扱えないものは「ありません」の発想)
「そんなことをしていたら手間ばかりかかって儲けにならない」
よく言われる言葉ですが、手間をかけずに店にあるものから買ってもらう
というのは、右肩上がりの時代のみに通用した過去のモデルです。
そもそも手間をかけることでこそ、顧客の信頼を増し、さらには差別化を
はかることが可能になるのであり、それこそが利益の源であることを思い出
さねばなりません。
「普通」ではないお客が市場を支えている、
「普通」でないことでこそ、ギャラリー(観客)が増える。
サービスのコストを顧客の側は意識しません。
「そこまでしてくれるのか」という満足を得てはじめて、サービスがサービス
としての効果あるレベルになるといえます。
(8)、事実より優先されるお客の満足と納得 ~情報の共有・共感~
「ありません」のことばのなかには、お客さんとの情報の共有、共感につながる大切な
鍵がひそんでいます。
同じ「ありません」でも
「それはどんな本ですか」
「そんなに面白い本なんですか」
「それは今なかなか手に入らない人気の本なんですよ」
などの言葉とともに、その本に対する気持ちの共有につなげることが大切です。
また、なぜその本が欲しいのかなどの情報が得られれば、お店の重要な情報源としての
活用もできます。
在庫のあるなし、調べた結果の正確な伝達も大事ですが、お客さんの店に対する満足や
信頼は、それ以外の様々なことによって支えられています。
説明している内容が、相手が納得、満足したものになっているかどうか、十分注意しな
ければなりません。
「お客さんの後ろ姿」がすべてを語っています。
(9)、まったく異業種の問合せであっても、どこへ行けば手に入るのか
案内できるかどうかにそこの「地域力」があらわれる。
本屋にはまったく関係の無い業種の商品問合せがあった場合も、
「それはありません」ではなく、どこに行けば手に入れることができるのかどうか、
案内できるかどうかは、商店街の力が弱まっている現在、とても重要です。
本来、本屋は地域の情報がより集まる場でもあります。紙の本があるかどうか
だけでなく、地域の情報があるのかないのかが問われています。
(10)、形式的な「良い」マナーより、声をかけられやすい店員をめざす。
えてして忙しく店内を早足で移動している時に限って、お客さんから声をかけられる
ことが多いものです。かしこまって 手を前にあわせてレジにじっと立っているよりも
慌ただしく動いている店員の方がずっと目立ち、声をかけやすいようです。
馴れなれしい態度には気をつけなければなりませんが、よりフレンドリーであることが
のぞまれる傾向は小売業全体で増してきています。
年寄り、子ども、主婦、ビジネスマンなど、相手に応じた対応が大事ですが、それは
なによりもお客さんが声をかけやすいこと、聞きやすいことが目的です。
以上のことから、不用意な「それはありません」のひと言に注意を払った「検索問い合わせ応対」に手を抜かない姿勢やノウハウがとても大事であるといえます。
それには日々、次のような努力を継続することが不可欠です。
・ 客数を増やすことは第一目標にせず、今来ている顧客の満足度を上げる
・ 取次、版元都合の無駄な配本、仕入れを減らす努力を絶えず行う
・ 店の需要を読み、もう一歩踏み込んだ積極的な仕入れ行う
・ 不要な在庫はおかず、情報を増やすために絶えず店頭商品の絞込みを行う
・ 在庫を絞ることでこそ、情報が増える。情報を増やさないと在庫は減らせない
・ たとえ売上げの伸びが落ちても、商品を入れ替える努力を怠ったら小売業は終わり
・ 在庫がないことが評価されることもある
・ 在庫を絞る力を得てこそ積極的な仕入れもできるようになる
・ 売り場面積を減らさず、在庫を減らす。効果的な面陳列を絶えず増やす
・ 「信頼」がうまれるともっと意欲的に在庫を絞れる
・ 「~がない」からこそ、わたしたちの仕事がある
紙の本の市場が縮小し続けるだけではなく、人口減少時代に入り、成熟社会への移行とともに可処分所得の低下は、これから変わらぬ前提と考えなければなりません。
そのような時代に、これをやれば売上げは必ず伸びますなどと容易に語ることはできません。
様々なコストダウン、経営の多角化などあらゆる手だては必要です。
しかし、本屋の看板を持った「経営の柱」が何であるかを見失ってはいけません。
私たちは「本」をキーワードに集まる様々な人びとの期待にどのように応えるのか。
それは、必ずしも「本」という「モノ」だけによって支えられなければならないという意味ではなく、そこに期待してくるお客さんと、どのような情報のキャッチボールがなされるかの問題です。
私は、「それはありません」というひと言の言葉のトーンやニュアンスのなかにこそ、そしてそのあとに続く言葉のなかにこそ、この問いに対するすべての答えがあらわれているのではないかと思えてなりません。
(失態を重ねた自分への戒めとして。2014年7月20日)
【ある日の会話】
先日、店に来たおばあちゃん。
水夫の本はないか?という。
水夫?
漁師じゃないですよね。
昔の海軍ですか?
こちらから質問をしても、なかなか受け答えが通じない。
どうやら、図書館対応レベルの話になりそうなのだけど、
運良く、他のお客さんも少ないので、もう少し聞き出してみる。
昔のカット集の絵のなかから探すような話なのかなと思い、
集文館のレトロなカット集を引っ張り出して見せてみる。
この辺で、おばあさん、自分の探している情報にたどりつくことが
どう表現するか、いかに難しいことなのかが少し気づきだしてくれた。
さらに話を聞いていくと、
どうやらバタヤンの歌に出てくるイメージを探しているのだという。
では、と田端義夫を検索して昔のレコードジャケットの画像などを探してみる。
そんなことをしながらさらに話ていると、おばあちゃん
実は、バタヤンの「かえり船」という歌の踊りをひとりでやるので<
それにあった衣装をつくりたいのだということがわかった。
なるほど。
しかも踊るのは、おばあちゃん一人。
これでやっと目指すゴールはどこなのかが見えた。
水夫の衣装として昔のセーラー服を探すのではなくて
バタヤンの歌バックで踊るための
「マドロス歌謡」の雰囲気を出す衣装がどんなものかがつかめれば良いのだ。
忙しいときだと、なかなか話をここまで持っていけない。
対応している間に他のお客さんが入って、
いかに話を要領よく打ち切るかとか、
面倒なことが顔に出てしまったりしてしまう。
ネット検索で出た画像をいくつか見せると、
おばあちゃん、詰襟の服になんかこだわってるようだけど、
ヨコシマのTシャツでも、十分雰囲気が出せることがわかってきた。
パイプをくわえて、帽子をかぶって・・・
あっ!それポパイのかっこうだ。
なんとおばあちゃん、その帽子はもう持ってるとのこと。
ならば、あとはパンタロンだ。
それって白がいい?黒がいい?
そりゃ白でしょう。
5センチくらい裾を広げればいいのかね?
そんなもんじゃないですよ。
パンタロンの裾はこの靴の長さがすっぽり入るくらいだから、
生地の幅で考えたら10cmとか20cmとかですよ。
これでなんとか、全体のイメージはだいたい出来たようで
およそは納得して帰ってくれました。
大丈夫かな~?
おばあちゃん、踊りの発表の健闘を祈る。
店が暇だからこそ出来た応対でした。
暇なお店に、心から感謝。
・・・だね。
「それはありません」のひと言の先を意識するようになると、
こうした小さなドラマがお店のなかでたくさん起こるようになります。