昨夜は二十三夜でした。
月の出は、深夜1時半過ぎ。
その月夜野の夜とロサンゼルスの朝の対話おさらい整理。
何か新しいことを始めようとする時、予算の獲得や周りの人たちの説得には、常に大変な労力を要するものです。
大抵は企画書をつくり、説明する相手に応じて表現を練り込んで、発表時間の数倍の準備時間をかけるものです。
でも、それだけ手間をかけても、その企画が通るとは限りません。
なぜなら、多くの場合、その提案を聞く人は、それまで考えていなかったことを聞かされることが多いだけでなく、自分があまり興味のないことを聞かされる場合が多いからです。
企画提案というのは、そういうもので、そこで相手を説得出来ないようであれば、仕事は出来ないに等しいと言われ続けて来ました。
ところが、これを当たり前のことと思ってしまうのは、組織の論理。
組織の枠を外してしまえば、これまで企画提案の準備、説得にあてていた時間はすべて、実際の活動に取り掛かる時間として使えるようになります。
むしろ、企画書などの紙で一生懸命伝えるよりも、いち早く具体的な形をつくってしまい、それを見せた方がはるかに説得力があるものです。
実際には、提案する側も、具体的な作業を始めないと、その先にどういう問題かあるか分からないことが多い。
そうしたリスクを考えたら、大抵の経費は自腹をきってやってしまった方が得です。
ところが、組織の論理は、自腹というのは経費に計上されないコストだから正しいビジネスモデルにはならないと、ストップがかけられる。
こんな風景で、右肩上がりの時代にはかろうじて出来ていたことも、今はことごとく不可能な時代になってしまいました。
だからこそ現代では、より小さな組織で勝手に自腹を切ってでも(ほんとうの自己投資)やってしまうところの方が、いい仕事ができています。
この、まず勝手にやってしまう方法は、従来型組織でも結構効果があることが証明されています。
勝手にやってしまうと、必ず怒られますが、実はそこからが勝負どころです。
多くの場合、勝手に作ってしまったもののデザイン性が良ければ、かつてそれをやる意義はどこにあるんだとか、費用対効果はどうなんだとブレーキをかけていた人たちは、案外あっさりと認めてくれるからです。
つまり、企画段階で説得のために要した膨大な時間に、意味がないとは言わないまでも、少なくとも大半が実際には無くても済むことに労力を注ぎ込んでいたことが証明できるからです。
こうしたことの積み重ねこそが、従来型の組織体質を変える確実な一歩になります。
みんなでやる横並びの仕事など、もうほとんど価値をうめない時代になっています。
もちろん、事業規模にもよりますが、一人でもやり切る覚悟のある人が集める仲間こそが、チームを作ることができるのだと思います。
決して誰にでも勧められることではありませんが、自腹をきってリスクを背負ってでもやる価値のあることでなければ、そもそも自分の貴重な時間を使う意味などないないはずです。
これも必ずしも能力のあるなしではなく、生活の固定費が低ければ、恐れることなく誰もがもっと積極的に踏み込んでいける社会になると思います。
小さなチャレンジは、やったもん勝ちの世界。
月夜野タヌキ自治共和国は、そんな世界です。
「財源がないのだから仕方がない」
「軍備を増強せずにどうやって守る」など。
エリート層は「国民が受容し、屈服すれば」、自分たちは権力を維持できるとわかっている。
世の中が多様化することを良しとするのならば、より異質のものを拒否することなく、異論があるのであれば互いに真正面から議論できる環境を大事にしていきたいものです。
先生が退屈の呼吸を吹きかけた日には生徒は窒息してしまう。」
この引用文、写真の本から寺田寅彦の言葉と思われるかもしれませんが、そうではありません。
この本来の教育目的や認識を欠いたまま、教育予算を増やしたところで、おそらく真の解決にはつながらないことと思います。もちろん予算増額や制度改革は不可欠ですが、教育目的への認識がしっかりしていれば、現状の不本意な教育制度下でも出来ることはたくさん見えてくるものです。
ロッセリーニの名作映画『無防備都市』は、私には衝撃的な戦時下の悲劇的なシーンが強く印象に残るばかりですが、「無防備都市」という言葉のもつ意味は、まったく知らずに観ていました。
舞台は、ナチス統治下のローマ。
そこで活動するレジスタンスが描かれているのですが、おたずね者の指導者と、協力者の神父は、指導者のかつての恋人の裏切りでナチスに逮捕されてしまう・・・といった救いをどこに求めたら良いのだろうかというほどのストーリー。
この映画タイトルに対する私の印象は、厳しい戦時に対して、無防備な都市の姿くらいに考えていたのです。
当時のイタリアは、第二次世界大戦時、日本とドイツと三国同盟を結んで、米英連合国側と戦っていましたが、イタリアは自国諸都市への空爆が始まると、早々にムッソリーニを解任して、全世界に休戦を告げています。
この変わり身の早さは、ドイツや日本がその後の泥沼になっても戦い続けた姿からすると、イタリアの方が国民の正義感や平和嗜好が強かったというよりは、いささか失礼ながらも、あまりに軟弱すぎるのではないかと思われるほど早いものでした。それはのちに、ドイツと日本の間で、今度やるときはイタリア抜きでやろうぜ、と冗談話が交わされるほどでした。
でも、イタリアがこのようにいち早く休戦を告げた理由がどのようなものであったかということは、日本の景観政策の貧しさを追及指摘している井上章一の『日本の醜さについて』(幻冬舎新書)を読むことで初めて知りました。
またその理由は、木村裕主の『ムッソリーニを逮捕せよ』で、さらに詳しく知ることができます。
「戦争に勝つためではなく、それをやめさせるために全力をつすく。被害を最小限におさえる形で、イタリアの、いわば敗北を勝ち取ろうとする。そんな軍人の、どうどうたる姿が、この本にはえがかれている。」
イタリアがムッソリーニを解任して、休戦に至る経緯はちょっと複雑なので、もう少し詳しく補足しておきます。
日独伊の三国同盟を結んでいた枢軸国側ですが、三国の中でもイタリアは、国力、軍事力ともに弱い立場にありました。その国の弱さがムッソリーニ、ファシスト党の登場を生んだ背景でもあるわけですが、イタリアの場合、ムッソリーニの他に、国王とローマ法王という、3つのトップがいました。
始めのうちこそムッソリーニの勢いはあったものの、次第に国民の間だけでなく軍内部でも、この戦争はムッソリーニの戦争であって、イタリアのための戦争ではないといった空気も流れ始めていました。
そんなとき、1942年(昭和17年)に東京を初空襲したアメリカのドウリトル少将指揮下の爆撃機隊が、1943年にローマを爆撃します。
ローマは、カトリックの総本山ヴァチカンを擁することから、攻撃対象となるようなあらゆる軍事施設、兵力をおかない「無防備都市」の宣言を検討している最中のことでした。宣言によってローマが空襲されることはないだろうと、イタリア政府はもちろんローマ市民に至るまで等しく期待していまた。それだけにローマ爆撃は、ムッソリーニにもローマ市民にとっても青天の霹靂に等しいショックだったわけです。
しかも戦局は、ムッソリーニ周辺からも、ヒトラーに戦争からの離脱を伝えるべきとの声が囁かれていた時期のことです。
他方、連合軍はイタリア南部シチリア島からの侵攻を計画。総兵力16万、軍用車両1万4千、砲門千八百。これを海空軍の大部隊が援護。
「史上最大の作戦」で知られるノルマンディ上陸作戦が兵力10万7千です。それを遥かに上回る規模のものでした。
これを迎え撃つ軍事力はイタリアにはとてもないことから、休戦に持ち込むことはイタリアにとって不可避であったわけです。
ところが、先に休戦をしてしまうと、今度は国内にいるドイツが敵国となりイタリア全土がドイツの占領下となって連合軍と間の戦場と化すことになってしまう。
イタリアとしては、できるだけドイツにさとられないように、連合軍に対して休戦を伝え、いち早くドイツ軍を分断、敗走させるよう連合軍に協力することが最良の選択であると判断されていました。
そのような共通認識が広がる中で、ムッソリーニ逮捕を敢行し、敵である連合軍との接触を試みていたわけですが、戦時中の内部の動きの不統一や連絡の不備などがあり、計画通りにはなかなか進みませんでした。
結果、イタリアの裏切りを知ったドイツはイタリア全土を事実上の占領下に置き、連合軍と対峙することに。そのためにドイツは山中に幽閉されていたムッソリーニを救出するという離れ技を行い、イタリアファシスト勢力の復活を援助し、イタリアはムッソリーニとレジスタンの内戦状態となっていまします。
連合軍も、イタリア軍部からの助言で、ローマ以北に侵攻すれば、ドイツ兵力を分断して敗走させられる予定でしたが、予想外にドイツ軍がローマ周辺に集結しているとの誤報が原因で、想定外の長期の闘いとなってしまいました。
そんな軍事的にも、国の威信の上でも重要なローマが、刻々と変わる戦況の中で「無防備都市」となるはずであった目論見が崩れて、同盟関係であったときから必ずしも折り合いの良い関係ではなかったドイツが、完全な敵対国となってしまった直後の姿が、映画「無防備都市」の舞台であったわけです。
あらためて、なぜ「無防備都市」と言われるのか?
それは空爆に曝されるようになって、イタリアの歴史的建造物が無残に破壊される姿は、多くのイタリア国民にとって、耐えがたいことでした。
戦争による破壊が、その国民にとって耐え難いことであることに民族の差はないと思いますが、歴史建造物に対する思いは、やはりイタリアならではのものがあったようです。
そこでイタリアは、都市への空爆が始まるや否や、まずローマの非軍事化をはかり、攻撃対象となるような軍隊、軍事施設を一切おかない都市にしようとしたのです。それに本来は同盟国であったドイツも同意し、撤退していくはずであったのですが、ドイツ軍がそのまま駐留してし、寝返ったイタリアを占領下にしてしまったために悲劇が生まれました。
ちょうどこの「無防備都市」という非軍事化政策のことを知った同じ時期に、アフガニスタンで活躍されていた中村哲医師の殺害という悲報が流れてきました。
実は、中村医師の危険なアフガニスタンでの活動スタイルも、この「無防備都市」と共通の考えです。
紛争地域での危険な支援の立場が、必ずしもこうすれば絶対に大丈夫などということが保証されるものではありません。
アフガニスタンをはじめ世界の紛争地域に入るには、ジャーナリストであろうが国際支援団体であろうが、必ず武装した兵士を護衛につけることが常識です。
しかし、中村医師が最も有効な方法としてとった方法は、自らの安全のためであっても武装はせず、中立の立場を貫くことであったわけです。武装すればそれ以上の武力で必ず襲われる。狙われれば防ぎようはない。
つまり、選んでいたのは「無防備都市」が目指していたのと同じやり方です。
実際に中村医師は、長年そのスタイルで身の安全を保つことができていました。
外部から来た人間としてではなく、現地で同じ服装や習慣内部に溶け込むことを第一にして、決して武装した護衛をつけることは考えませんでした。
さらに素晴らしいのは、中村医師の主宰していたNGOは、その活動資金に、いわゆる公的資金、政府、国連からの資金が一切入っていないことです。この資金の面でも中立性は担保されていたわけです。
それが最近になって、中村医師が狙われているとの情報が噂されるように変わってしまいました。
中村医師がアフガニスタンへの貢献を感謝され、2018年2月にアフガン政府から勲章を、2019年10月にはガニ大統領から「名誉市民権」を授与され、大統領とのツーショット写真が撮られて出回り、それまでに保たれていた中立性が壊れてしまったのです。
国のトップから感謝されたのだから光栄ではないかと言われるかもしれませんが、国のトップというのは、中東などの紛争地域に限らず、先進国であっても特定の政治的な立場を持っているものです。それが、中東などの国ともなれば、言わずもがなです。
「そうです。まず生きることです。あとは、はっきり言ってタリバンが天下を取ろうが反タリバン政権になろうが、それはアフガンの内政問題なんですね。そのスタンスさえ崩さなければ我々を攻撃する連中なんかいませんよ。それどころか、政府、反政府どちらの勢力も、我々を守ってくれるわけです。」 中村哲医師
実は、これと真逆の構図からくる危険が、中東に派遣される自衛隊の姿にはあります。
軍隊を持たないことを憲法でうたう日本の自衛隊(戦うことを禁じられた軍隊)が、直接紛争には関わらないという建前で、「非戦闘的」軍人?が、純粋に中立的立場ではなく、露骨に米軍への肩入れを政府が表明したうえで、当該地域に派遣されてしまうのです。
中東諸国との関係だけでなく、何よりもアメリカへの絶対的支持を国際的に表明して、しかも使ってはいけない軍事装備を持ったまま紛争地域に入っていくのです。
敵の攻撃を受けないためにとられた「無防備都市」の思想とは、最も対称的な選択を「平和憲法?」の名のもとに国が行っているのです。
その異常な姿は
第一に、「平和」と当該地域の「安全」確保のための非戦闘的方法と言いながら、アメリカの意向には絶対に逆らわない政府の「軍隊」であることを国際的に表明して行動していること
第二に、派遣先の国々には、国連への協力であろうが、人道的援助であろうが、世界から見れば武装した軍艦や車両、小銃などの兵器を持った「軍隊」として対峙しているということ。
第三に、自衛隊の派遣先では、いかなることが起きても、軍隊を持たない国と規定されている「自衛隊」は、どんな不測の事故が起きたとしても、「軍隊」としての行動は禁じられていること。
こうした矛盾を抱えたままであるために、「軍隊」ではないという建前を通す自衛隊員には理不尽極まる環境を強いながら、まさに「無防備軍隊」としての姿で危険な紛争地域に派遣され続けているわけです。
この矛盾を放置したままの「護憲」「改憲」論議は、どんな現実的課題を語っても無意味であると私は思っています。
これを話すと友達をも失う恐れがあるのですが、日本にどんなに立派な平和憲法なり憲法九条があろうが、まず独立国として他国との条約を主権国家として自国の憲法の下におくことが出来ない限り、あらゆる憲法論議の前提は成り立たないものと思ってます。
日本が平和憲法を保持する条件も、まず「無防備都市」が成り立つ中立性と独立国としての主権の獲得が先で、その条件が欠けた「九条」は、「護憲」派の方々には申し訳ありませんが、どう考えても欠陥条文と言わずにはいられません。
かといって今の大半の「改憲」派は、もっと遠い立場にありますが。
そして「戦うことを禁じられた軍隊」という自衛隊の法的矛盾をまず解決することも不可欠です。
また、安保のような軍事同盟を結んだ場合であっても、まず第一に主権国家としての憲法判断が他国の意思に優先されることを抜きにして「平和」を語ることはできません。
平和を獲得するには、必要な階段のひとつひとつ、どれを抜かしても勝ち取れるものではないので、時間はかかっても、はじめの一段からしっかり築いていく覚悟がまず求められます。
どんなに困難であっても、日本が正常な独立国としての立場を貫けることを目指さずして、どこに平和がきずけるというのでしょうか。
このことを抜きにして、これがあれば平和は絶対に守れるなどというものはない(九条問題を含め)と私は思っています。
映画「無防備都市」の意味と、中村医師の悲劇を思うほどに、ここは譲れない気持ちがあらためて強くなり、毎度未整理な文で恐縮ですが、書かずにはいられませんでした。
中村哲医師は、確かに最期は殺害という悲しい結末に至ってしまいましたが、殺害される直前までは(殺害されたときでさえ)かたくなに護衛の武装兵士をつけることを断わり続けていました。
中村哲医師のその行動こそが、あの世界一ともいえる危険なアフガニスタン国内で長年にわたって支援活動を続け、信頼と実績を勝ち取ることができたのだということを忘れてはなりません。くれぐれも、中村医師が身をもって立証してくれたのは、あんな危険な地域にいれば結局こういう結末になるのだということではありません。「中立」(特定の立場に立たないというだけではなく、政府からの金銭的物的支援・援助も受けない)、「非武装」(護衛のためであっても武装兵士をつけない)という前提が壊れた瞬間に、長年積み重ねてきた信用や安全が崩れてしまったのだという現実です。
確かに非武装という選択は、大変な勇気のいることです。
ただちに安全を保障するものではないので、決して安易に他人にすすめられるものではありません。
それでも、武器を持って守り戦うことに比べたら、あらゆるこちらの権利の侵害を想定したとしても、双方の死傷者の数は間違いなく減らすことができることは間違いありません。
くれぐれも誤解のないよう繰り返しますが、中村医師が身を持って示してくれたのは、決して「九条」なり「非武装」や「中立」の法律や概念さえあれば、自動的に平和が保証され守られるといったようなことではありません。互いに異なる文化に対する相互理解、人的・文化的・経済的交流を築く人びとの「行為の積み重ね」によってのみそれは保証されるのです。幅広い人びとが中村医師の平和活動への貢献は評価してくれていますが、この点を見落とさないよう願うばかりです。
もちろん簡単なことではありませんが、この中村哲医師の行動こそが、世界がどのようにして戦争のない平和な社会を築いていけるのかという難題への大事な道すじを世界に示してくれたのだと私は思います。
*****************
補足 アフガニスタンでの非合法武装組織解体プログラム
アフガニスタンにおける様々な国際支援活動で日本はどのような活動を行なっているのでしょうか。紛争地域への支援では、自衛隊派遣の仕方や医療活動ばかりがニュースになりがちですが、他に行われている大切な取り組みのことをひとつ紹介させていただきます。
国連ミッションで通常行われる平和構築活動は、「政治的な役割と、軍事的な役割(国連PKO活動や国連警察活動など)の双方を指揮、コントロールする」ことにありますが、アフガニスタンでは、アメリカが国連の枠外で「不朽の自由作戦」を展開してしまっているため、この方法は取れませんでした。
そのため、「アメリカがアフガン軍の再建をリードし、ドイツが警察の整備を指導し、イギリスが麻薬対策をリード、イタリアが司法改革を担当し、日本が武装解除を担当する」といった国際分業のかたちになりました。この方法をとると、国連の権限が弱いことや各ミッションの連携が取れないなどの弊害が生じます。
しかし、制約がありながらもアフガニスタンでの地方軍閥の解体プログラム「非合法武装組織解体プログラム=DIAG」は、世界のこれからの非武装化活動を考える上でも、貴重な経験を積んでいます。
「非合法武装組織解体プログラム=DIAG」は、国家の根幹的な治安機能を回復するために必要な「武装解除」「政府改革」「警察改革」「司法改革」「刑法改革」の5つの要素で構成されています。そして日本が中心となって「武装解除」の分野の指揮をとっていたのが、先に紹介した『国際貢献のウソ』の著者、伊勢崎賢治さんです。
長い戦争の歴史を持っているアフガニスタンでは、国土の多くが4,000〜7,000メートル級の山々に囲まれていることもあり、地方ごとに様々な軍閥勢力が点在しています。
したがって、広い国土をひとつにまとめること自体がとても難しいのですが、にもかかわらずタリバンは急激にアフガニスタン全土にその勢力を拡大しました。
短期間に勢力を拡大できた最大の理由は、アフガニスタンの貧困です。
背景には、隣国パキスタンがアフガン領内を通過する天然ガスのパイプライン計画が立ち上がり、その遂行のためにタリバン勢力をお金で支援したことがあります。
「タリバン兵士が420人いるとすれば、そのうち400人は、1ヶ月100ドルの給料をタリバンからもらうために働いている兵士です。パキスタンに支援され、イデオロギーのために戦っている核となるグループは20人にすぎません」
そこでDIAGの活動は武器の放棄だけではなく、その後彼らに仕事を与えることをセットにして武装解除の取り組みを行うようにしました。もちろん、タリバン勢力の強いアフガニスタン南部では、まだ対話すらも成立しない困難な環境にありますが、北部では十分とは言えませんが徐々にその成果が広がりつつあります。
戦争が常態化したようなアフガニスタンではありますが、それだけに意外と「もう戦争は終わらせたい」と願う国民や、「国連がバックについているなら信用する」といった国民も多いものです。
しかしそれも当然のことながら、そう容易いものではありません。
信頼を手がかりに武装解除を進めるのですが、現実には武装解除と引き換えに約束した復興開発プロジェクトが、「計画がなかなか実行されない」、「予算が足りない」などの自体が起こり、そのたびに「騙された」「裏切られた」などと言われるはめになってしまうのです。
実は、この点こそが平和構築のプロセスではとても大事なことです。
計画は着実に計画され実行され続けることが不可欠です。組織が大きくなれば、なかには汚職や裏切りがはびこる危険も伴います。
まさに中村医師はこうした期待を裏切らない信頼の積み重ねにこそ最も気を配っていたと言えます。
また日本の場合でも、どんなに平和憲法があろうが、そのもとに一つひとつ信頼を得られる行為の積み重ねがなければ、たったひとつの裏切り行為があっただけで、その理念も支援活動も台無しになってしまいます。
このようなことは、こうした武装解除の活動に限りませんが、計画や理念の正しさ以上に、それを信頼してもらえるような行為の積み重ねこそが、何よりも大事なことです。
国際社会のなかで、かつては多くの信頼を持っていた日本こそが、それを裏切ることなく更なる信頼の行為の積み重ねをしていきたいものです。
(参照 東大作『平和構築 ーアフガン、東ティモールの現場から』(岩波新書)
さらに、中村医師の名誉のために付け加えますが、こうした平和構築に繋がる中村医師の姿は、世界平和のためにはとても重要な示唆を与えるものに違いありませんが、中村医師自身にとっては、より多くの命を救うための強い意志からすれば、あくまでも命を助ける活動に付随した必然行為の一つにすぎません。
あえて極端な言い方をすれば、法律も理念もいらない、あの小柄な風貌からは想像つかないほどただひたすらに強い意志を持って、その貫徹のためには強盗さえしなければ手段も選ぶなと強弁するほどの精神に支えられていたことこそを忘れないでいただきたいものです。
インフルエンザ死亡者数については年末時点で激減しているという情報のみで具体的数値はまだわかりません
こういう数字は、統計の取り方で誤差がある前提として見なければなりません。しかしそれを加味しても、明らかに今年は新型コロナのおかげ(他の要因もあったとしても)で、インフルエンザ感染者、死者ともに激減しました。
それは、政策の優先順位こそが誤りの最大原因であると思います。
在来のベッドをコロナ用に転換して、空きベッドを確保しなければならない現状が、他の医療を圧迫しているだけでなく、病院経営そのものを大きく圧迫し続けています。
どうか政策決定は、対処療法ではなく優先順位を明確にしてから行ってもらいたいものです。
どうぞ皆さま、良い年をお迎えください。
I am the master of my fate:
私が我が運命の支配者
I am the captain of my soul.
私が我が魂の指揮官なのだ
映画「インビクタス」で知った詩の一節です。
これはなにも獄中で戦い抜いたマンデラや世界一のラグビーチームを率いた強い意志を有する者、特別な「私」だけの言葉ではなく、普通の人びとが持てる言葉と理解したいので、訳も少しだけ変えたほうがいい気がします。
意訳ということになりますが、
我こそが我が運命の支配者
我こそが我が魂の指揮官だ
ようやく重版され入荷ました。
以上、ブログ「正林堂 本の気休め」掲載文を加筆転載しました。
毎度、どこに書いたか見つからなくなったテーマです。
最近、繰り返しこのことの重要性を感じる場面に直面しているので、
もう10年近く前ですが、mixi全盛期のコミュで行ったやり取りをここに転載することにします。
何人かの方々とのやり取りですが、相手の方々の了承を取るのが難しくなってしまったので、
自分の部分のみ書き写すことにしました。
**** 以下、引用 ****
はじめまして。
実態を見れば見るほど。日本中の商店街の多くが絶望的現実に直面しているのを見て、こうしたコミュニティにとても期待をしております。
全国各地で地域活性化、商店街復活のさまざまな取り組みがされていながら、どうしてこれほどまで長年、ほとんどの地域で衰退に歯止めがかからない実態があるのでしょうか。
私は、問題の立て方の多くが、街や商店街に人が集まる最大の理由は、「そこに魅力のある商品やサービスがあること」が第一であるはずなのに、そのことを本気で取り組まずにイベントや行政依存の企画に終始してしまう場合があまりにも多いのではないかと思ってます。
今、伸びている業態、郊外店やショッピングセンターに人が入っているのは、ただ単に大きいから、便利だから、駐車場が広いから、安いからというだけではなく、確実にそこに魅力のある商品やサービスがあることが第一であり、どこもそのための努力を必死に続けているものです。
巨大ショッピングセンターですら、その競争に負けたら10年も経たずに巨大ゴーストタウンになってしまう現実が、アメリカではすでに始まっています。
膨大なお金と労力を投下して幹部の多くが夜中まで競争にしのぎを削ってしる業界に対して、商店街のお店の多くは、満足な掃除もせず、商品の入れ替えもせず、あまりにも他人のせいにしたまま、「考えている」といいながら、会議や企画、視察研修などにあけくれてはいないでしょうか。
でも、個々の意識の問題だけにしてしまったら、問題解決の糸口は遠のいてしまいます。
現実には個々の成功例をいかに広げ普及していくか、ということになってしまいますが、もう少し視野を広げてみれば、誰もが「いかに食べていくか」という、根本的視野にたって仕事というものをとらえ直す作業も大事であるかと思います。
「どこになら参加できるか」といった仕事観から、自分が「何をすることができるのか」をはっきりととらえられる仕事観に切り替えていくプロセスが求められます。
私自身、まだ十分整理しきれていない問題なのですが、
下記のサイトで関連する雑文スケッチを書いています。
「起業力・創業力(イノベーション)の時代」
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page174.html
「アワニー原則、サスティナブル・コミュニティのこと」
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page178.html
「議論・分析ばかりしてないで攻めてみよ」
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page153.html
問題の整理に助言をいただけたら幸いです。
かみつけ岩坊
みなさん、貴重なご意見、反応ありがとうございます。
mixiに参加してほんとによかったと思います。
最初のBさんの整理、「二つの主体」という整理をうけると、もう少し、強調しておきたいことがあります。
実は今年、6月に長浜の黒壁の街を奈良へ行くついでに見てきたのですが、すばらしい街並みをつくられてとても関心させられたのですが、あそこの成功は、商店街としての成功ではなく、観光地化としての成功であると感じたことです。
すばらしい街並み、おしゃれな店が立ち並んで平日にもかかわらず、結構人が入っていましたが、商店街のなかに、地元の人たちが繰り返して日常の買い物をするような衣料品や八百屋や魚屋などの食品関係の繁盛店はあまり含まれていない、と感じました。
全国で求められている商店街の復活とは、まず、そこで生活している人々の日常の欲求が満たされるところであると思います。
この点がSさんの指摘されるような、たとえイベントで成功しても売上げにつながらない問題につながると思います。
この日常ということに付け加えれば、よくおしゃれな店やこだわりのお店の成功例が、話題性のわりに長続きしていない現実があります。
雑貨店などに多いのですが、よく努力して作ったこだわりの店ほど、いい品がありますね、と褒めてもらえながら、いつ行っても先月、先週来た時と同じものがならんでるので、褒めてあげても買うものがないという姿を目にします。
私の本屋などでも、すぐそうなるのですが、お客さんは必ずポケットに千円二千円の金は持って、何かいいものがあれば買っていこうと思っているのに買うものがない、という実態がほとんどなのです。
このことが、イベント・企画依存の発想と同じ問題をはらんでいます。
その意味であくまでも、主人公は、お客さんでも、従業員でもなく、一番の主人公は商品なのだと思います。
商品が季節によって、時代のトレンドによって変わるから、人(お客や従業員)のシフトが変わるのではないかと。
魅力のある商品があるから人が集まるのであり、また新しい別の商品が入っている期待があるこらこそ、また来ようという気になるのだと思います。
そこに個々の業種ごとに力を入れていくこと、最優先で手をかけていくを抜きにして、人が集まっても、やはりエネルギーーのそそぎ場所が違うのではないかと思います。
地域活動やボランティアも大事ですが、まずその前に、その街を支えているそれぞれの仕事を通じて、その人ならではの関係を築いていくことが、街づくりなのだと思います。
肉屋さんは、肉の販売を通じて街をささえることが大事、魚屋さんは「今日は旬のいい魚が入ったよ」と薦めてくれることでそこの人間関係が育てられるのだと思います。
これが大事だということがわかっているから、伸びている大手ほど、その店独自の商品開発に力をいれるのだと思います。
もう一度言わせてください。
街づくりを考えるのであれば、あなたの扱っている商品に最大の関心を向けるべきではないかと。
新鮮な野菜や旬の魚が手に入り、先月、先週来た時と違うものがお店にある
かみつけ岩坊
Bさん
度重なる失礼、深くお詫びいたします。
そればかりか、懲りずに丁寧な情報をいただきありがとうございます。
Nさん、とても内容のある書き込みありがとうございます。
(つい先ほど別なコミュではなさんという方から書き込みいただいたのですが、別な方ですね。また間違えないように気をつけます。)
はじめにもう少し明確に言っておくべきだったかもしれませんが、私は企画・イベント自体に反対はしておりません。
そればかりか、私のホームページをのぞいていただければ、利益につながらない催事でも積極的にやる方の人間であることも想像していただけるかと思います。
どうしても、問題提起する側の立場から、多少、挑発的な出だしになってしまっていた面があったかと思います。
こと企画・イベントに関しては、私は利益につながらなくても、それを実行する当事者が、それが面白いからやる、楽しいからやるという性格のものでなければ、人に訴える価値のあるものにはならないと考えてます。仕方なしに参加するひと、イヤイヤ参加する人の問題は二の次にして、「何々のため」よりも、まず自分たちが面白いと思うことをやるべきだと思います。
それと商人であれば、また事業者であれば、出来ることであればなんでもやる、というのがまず基本。
このことを前提にしたうえで再度、言わせてください。
「企画・イベントよりも、まず、競争力のある商品!サービス!」と。
商いとは、よく言われるように文字どおり「飽きない」です。
それは、従業員にとっても、お客さんにとってもです。
そして商売とは、ひとりひとりのお客さんとの信用の積み重ね、ひとつひとつの商品の信頼の積み重ねによって長い年月をかけて培われるものです。(これを私が言うのはとてもおこがましいことですが・・・)
今、10年、20年という長い歴史で売り上げが落ちる、客数が減るという現実をかかえた商店街が、これから10年、20年とかけてお客さんとあらためて築いていかなければならない「信頼関係」とは何でしょうか?
信頼を築くというのは、決してひとつのことでなせるものではありません。
親しみのある接客やコミュニケーション、あるいは地域の話題性などが支えるものも不可分のものであると思います。
しかし、繰り返しますが売り上げが落ちる、客数が減るという結果は、そこにお客さんが欲しい商品やサービスが無かったからであるという現実を、まずしっかりと受け止めるべきだと思います。
いくら愛想がよくても八百屋に行って新鮮なものがならんでいなかったら、その八百屋のお客さんとのコミュニケーションは成り立ちません。私のいる本屋の業界であれば、本のこと聞いてわからない店から買う気にはならないのは当然だと思います。
地域を支えるというのは、ボランティアやいろいろなの団体の活動も大切ですが、まず、そこにいるあなたの携わっている仕事、サービスを通じて地域に貢献することがなによりも基本でなければならないと思います。それが元気な商店街の基本ではないかと思うのですが。
ただ人のよい「人間一般」が地域を支えているのではなく、なんらかの職業、仕事を通じてこそ、そのひとの社会的役割が担われ、地域が育っていくものだと思います。
企画・イベントに意識が向かいすぎると、マスコミに取り上げられることで妙に喜んでしまう例もよく見ますが、それはあくまでも補助的な宣伝手段としてで、その地域のお客さんの間で先に話題になるようでなければ実質が伴ったとはいえないと思います。
自分の店の商品とお客さんに対する関心を第一に考えないで、商店街の活動や企画・イベント、マスコミ戦略に一生懸命になっているひとがあまりにも周りに目立つので、こうした問いかけをせずにはいられませんでした。
また寝不足になりそうなので、この辺までにしておきます。
かみつけ岩坊
昨日、地元の新聞記者が商店街の取材に来ました。
これまでの取材の話などを聞いていたら、どうもまだ自分の言っていることが強調し足りないのではと感じてしまいました。また、2,3のことを書かせてください。
まず今回は、どうして自分の店に魅力あるサービスや商品を生み出すことを優先して行えないのか?ということについて。
その実体をよく見てみると、自分の店でもそうなのですが、店の棚に商品が埋まってさえいれば、ついそれで売り上げがついてきて当然かのような錯覚に陥ってしまうということです。
客数が減る、売り上げが落ちる、ということは、どんなに競合店が出ようが、立地が悪くなろうが、そこに来たお客さんがそこに買うものがなかったという結果の積み重ねにすぎないのだと思います。立地が悪かろうが、駐車場が少なかろうが、そこにお客さんの欲しい商品や満足の出来るサービスがあれば、お客さんは必ず来てくれる時代だと思います。
そこに自分が踏み込むためには、まず、自分の店のなかのお客さんに支持されていない商品(売れていない商品)、実績のない商品を、店から無くすことを第一に考えなければならないと思います。
「返品できない売れない商品があるから、新しいものを入れられない・・・、」
これは商売の最悪のパターンです。
最近話題の健康哲学でもそうですが、栄養やカロリーをいかに取り入れるかを考えることよりも、まず、健康な排泄が出来ないと、入ったものも満足に吸収できないで終わってしまう。
ユニクロやセブンイレブンの成功例などを見ても、仕入れミスのリスクを自分が背負う覚悟のない仕事(返品できるからいい、廃棄処分はもったいないといった感覚)は、絶対に最終利益を生まないことがわかります。
仕入れの失敗の経験にほんとうに学ぼうとするならば、その失敗のコストは定価できちんと背負うべきなのです。
その意味でも、店のなかの「死に筋」といわれる商品は、火をつけて燃やしてでも、店から排除する覚悟が商人にはなによりも必要なのだと思います。
よく単純に死に筋を排除すると、回転の低い大事なものも無くなってしまうといわれますが、実際に実践しているお店はそうはなっていません。死に筋を排除していない店の多くは、売れ筋も死に筋も区別しない売り方をしているからです。
この死に筋を店から無くす、実績のない商品を店から排除するということが、個々のお店にとって最大の企画・イベントの前提条件になっているのだと思います。
繰り返しになりますが、お店の商品が、まず新鮮なものに入れ替わること、これこそお客さんのポケットのなかにある千円、二千円を出してもらえるかどうか、一番の決定打だと思います。
「老害」トピでななさんが言っていた「やる気のない前例踏襲主義」の問題にも共通しますが、
売れない商品は、火をつけて燃やしてでも、店からまず無くす勇気と覚悟は、常に私たちに問われている問題だと思います。
かみつけ岩坊
ここのところ、仕事で少し滅入っていたところ
ななさんのおかげで、ちょっと元気が戻りました。
何度も繰り返しますが、
商売やビジネスたるもの、出来ることはなんでもするのが原則ですが、
最大の経営資源を投入するべきところは、
なによりも競争力のある商品とサービスの開拓だと思います。
そこに熱くなるものがなければ
経理収支計算や企画イベントをいくらやってもダメ!
ここで、もうひとつの視点で強調しておきたいのが
コンサルタントとの上手なつきあい方です。
コンサルタントも儲けることに対してはプロです。
コンサルタントの儲かることと、自分が儲かることはよく見極めることが必要です。
私も今、親しくおつきあいさせていただいているコンサルタントがいるので、言葉には気をつけたいのですが・・・。
コンサルタント業務の習性として、
どうしても「お金の取れる方」へ業務が流れる必然的傾向があります。
現実に商店街が伸び悩んでいても、
衰退しきっている個々のお店からお金を取ることは
とても難しいのが現実だと思います。
それよりは、商店街組合や行政についた方がはるかに
お金の取れる提案ができると思います。
実際には個々のお店の経営相談に
多くのコンサルタントが熱心に応じてくれていますが、
そこにお金の取れる関係はなかなかつくれないものです。
個々のお店に競争力がつかなければ、商店街は
いくら見かけをなおしても活性化されないことはわかっていても
お金の取れる方から手をつけざるをえなくなってしまい、
企画、イベントに話をもっていかれがちなのです。
ときたま、企画イベントこそ特効薬かのように思っている
私には理解できないコンサルタントもいますが・・。
もし、一流のコンサルタントであれば
「うちにはコンサル料払う余裕なんかないよ、
でも必ずなんとかしてみたいと思っている」という事業者にたいして、
事業者がコンサルを難題をふっかけて、いじめればいじめるほど
次の手や知恵を提供して食い下がってくると思います。
もし、二流のコンサルタントであれば
あなたが自分の企画にのらないことが、いかにわかっていないかということばかりを
懇々と説明してくれることと思います。
金を払えば払っただけなんとかしてくれるはず
なんて関係では、商人失格ではないでしょうか。
なにごとも自分の必要なものは、自分で見つけてくる力がなければ
いくら優秀なヒトを雇っても、いくら大金を払っても
成功するわけがないと、いまどきの行政のお仕事を見ていると
つくづく感じます。
**** 引用、ここまで ****
といったようなやり取りでした。
小阪裕司さんに言わせれば、
導入するシステムやプロモーションのテクニックの問題ではなくて、
「高い提供価値を持つことが最重要」なのであって、それは
「探される力」なのです。
人が逆境に陥ったときどう対処するかといったようなことを、時々妻と車の中で話しています。
そんなとき多くの人は減速してその逆風を避けようとするものです。
私自身も、ものごとうまくいかないときは何をやってもダメなもので、
そんなときは無理をしないに限る、とただやり過ごすことが多い気がします。
ところが妻は、私と違ってとてもきっちりとした性格なので、
どんな苦境に陥っても、やるべきことはやり続けなければダメだと決めています。
どちらを選ぶにしても、自分の性格に合わないことを無理してやっても報われないだろうくらいに考えていたのですが、斎藤一人さんから、ちょっと別の見方を教えてもらいました。
人は向い風にさらされると、つい減速してしまうけれども、
物理的な原則からすれば、飛行機が向い風にぶつかったならば、
減速ではなくて加速をするべきであると。
向い風が吹いた時には加速することでこそ、機体はふわっと浮き上がることができる。
その時に減速してしまったならば、機体は墜落してしまう。
そうそう、大事なのはここだよとよく妻に話していたのですが、
つい最近、またこんな会話をしているときに、とんでもないことが思い浮かんでしまいました。
ものごと逆風が吹いたときにこそ加速するべきだ、ということ
これを別の言い方をすると、
傷口に塩を塗る ⁉️
ということなんじゃないのか?
これに気づいたときは、その意味のギャップに思わず笑ってしまいました。
でも、しばらくときがたつと、これは大事な言葉なので、
笑ってごまかすわけにはいかないなと思いました。
そこでちょっと冷静に考えるとじきに答えは見えてきました。
逆風が吹いたときにこと加速するべきだという考えは、
「自分自身」がすることです。
それに対して、
傷口に塩を塗る、という行為は
「他人」がすることです。
ものごとを切り開く道は、自分の行いによってのみ切り開かれる
ということだけは確認することができました。
でも、この「逆風に出会ったときにこそ加速する」と類似の表現として
「傷口に塩を塗る」という表現の引き合いは、
今後もネタとして使わせていただきます(笑)
いまや暮らしの隅々にまで浸透しているコンピュータ。
その進化の目覚ましさを見れば見るほどに、人間の脳の素晴らしさがあらためて浮き彫りになってくる面もあります。
また、AI技術が進歩するにしたがって人間とその境界も難しくなってきますが、これもそもそも「人間性」とは何かということが真剣に問われる良い機会にもなっています。
でも、これから量子コンピューターの時代にでもなれば、人間の脳との境目などはほとんど感じられないくらいになってしまうのではないでしょうか。
そんなことをふと考えていたら、普段、パソコンを使うように自分の脳も使いこなせないものだろうかと思いました。
残念ながら私の脳とパソコンの力の差は歴然としています。
自分の脳をパソコンのように使うといっても、そもそも私のCPUは、どうしようもないほどのろい。
ただ私の脳のレベルでも、メモリー容量だけは相当あること間違いないらしいが、悲しいかなコンピューターのメモリーと違って、記憶した瞬間からどんどん消えてしまう。
このCPUがとてつもなく鈍いことと、メモリー容量はあっても、すぐに大半は消えてしまうことが、私の脳がパソコンと違う決定的なとこ。
幸いなことにこの差がとてつもなく大きいことが、私のCPUが人並み以上にのろいことを誤差のうちに消し去ってくれる。
およそ比較になりそうにないこうした差がありながらも、この問題を考えるにはむしろここからがポイント。
肝心なプログラムソフトをどのようなものを使うかこそが、ただのすぐれた回路システムとの違い。
では、私の脳を動かすソフトは何だろうか?
それは、おそらく
これまでの自分の「体験」
他人の体験を取り込む「読書」
自分の想いをつなげるための「仲間」
大事なこと、価値あることにエネルギーを集中させる「情熱」
ん〜〜ん、やっぱり問題はそっちか!
とすると、思考のスピードや記憶力などの領域は、これからはパソコンにどんどんまかせて
「体験」「読書」「仲間」「情熱」などの領域に自分の意識を仕向けることが、
パソコンを使うように自分の脳を使うためのツボということになる。
はて、最初の問いは、いったい何を期待していたのだろうか。
前に「これをやればうまくいく」今どきそんな理屈はあてにならない http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/e66f1cc5282cdcd3bb09f8e0fbe84f8a
ということを書きました。
それは、まず努力し続ける情熱のようなものが根底になければ、
どんな優れた方法論があっても意味がなくなってしまう、
といったようなことを強調するものでした。
確かに、仕事ではどんな技術や知識があっても、まず根底を貫く強い「情熱」が無ければ何事も成せません。
でも最近になって私は、どうやら「情熱」よりももっと大事なものがあるのではないかと感じています。
こんなことを意識するようになったのは、「月夜野百景」などの活動で、本来「太陽」と「月」が一対の世界観として日本人の心に根付いていたものが、いつの間にか「太陽」にばかり偏った世界観がどんどん広がってきてしまった弊害をいろいろと意識するようになったからでもあります。
「情熱」の意義を強調することは、へたをすると「太陽」や「アマテラス」ばかりを強調するのと同じ誤りを侵しているのではないでしょうか。
「太陽」が私たちに与えてくれる恩恵は、とてつもなく大きく強いものです。
にもかかわらず「太陽」の力というものは、
一方通行の強い力、光であるために強い「影」を生みます。
地球という奇跡のバランスの上にある空間を除くと、灼熱の地獄であたり、強烈な放射能にさらされる空間でもあります。
そうした実態を意識しだすと、まさに太陽の本質は「核」「核爆発」そのものです。
とうてい私たちのコントロールの及ぶものではありません。
このとてもコントロールの及ぶはずのないエネルギーが、豊かな恵みとなり得ているのは、
絶妙の距離にある地球においてのみのことです。
またそれは大気があることによって、
あるいはオゾン層があることによって、
さらには大量の「水」があることによってなど
数々の奇跡によって支えられています。
私たちの日常において「情熱」は、何よりも豊かさをもたらす最大のエネルギーであると言って間違いはないと思うのですが、その「熱」の性格を「太陽」になぞらえると、どうも無条件にたたえてしまうことは、何か大事なことを見落としてしまっているように思えてならなかったのです。
そうしたことを「陰陽」の思想や「月」の存在意義を見直すことで、わたしに気づかせてくれました。
といってそれをまだきちんと説明することは出来ませんが、
それを「熱」という表現から想像すると「遠赤外線」のようなもののイメージです。
直線的に表面から焼き尽くす熱ではなく、深い所までじわりと温めることの出来る熱のことです。
さらには、無機的な物質の間で行われる熱交換ではなくて、「生命」の間でのみおこりうる「体温の温かさ」のようなもののことです。
確かに強い「信念」や「情熱」は、岩おも貫くことができるので、現代においてその意義はどんなに強調しても強調しすぎることはないように思えます。
でも、その力を信じて成功しても、目に見えていない弊害に気づいていないことも多いのではないでしょうか。
右肩上がりの時代が終わったことで、なんとなくそんな側面にいろいろと私たちは気づきだしたように思えます。
どんなにガシガシと頑張って成功したとしても、なんとなくひとりのお婆ちゃんの優しいまなざしには勝てないような理屈が、何か世の中ではとてつもなく大事で、現実に大きな力を担っているのではないかといった感じです。
道元の『普勧坐禅儀』のなかの文言に次のようなものがあります。
回光返照の退歩を学ぶべし。自然に身心脱落して、本来の面目現前せん
「前ばまり向いて歩かずに、ときには立ち止まって後ずさりして、自然と同化し、仲良く自然と語り合う気持ちのゆとりを持ちなさい。そうすれば、身も心も抜け落ちたようになり、自然の持っている本来の実相までが見えてきますよ」(松本章男)
道元の和歌 - 春は花 夏ほととぎす (中公新書 (1807)) | |
クリエーター情報なし | |
中央公論新社 |
またそれは母親の子どもに対する無条件の愛のようなものとも言えます。
それは確かに大切なことかもしれないが、直接の仕事には関係ないと言われるかもしれません。
でもビジネスの世界であったとしても持続的な成功をおさめている人をみると、「情熱」だけではなくて、このような「温かさ」のようなものをとても大切にしています。
広く世の中全体を見渡してみると、私たちに求められているのは、「情熱」といったような突破を目的とするエネルギーよりも、むしろ「生命の温かさ」のような包み込む「熱」の方がずっと大事であると感じます。
冷静に考えてみると、この温かさの方がビジネスにおいても、より大切なことなのではないかとさえ思えてきます。
成功の目的を、個別の事案にとどめることなく、持続的な生命の再生産と考えると、灼熱のエネルギーよりも「温かさ」といった性格の熱の方が大事であることが自然にわかるかと思います。
さらにこれは、一部の人に求められる「情熱」よりも、ずっと裾野が広く多くの人に幸せをもたらすものであるといえます。
強調したいのは、どちらが大事かということではなくて、「情熱」や「太陽」のようなエネルギーにばかり偏ってしまい、そうした力ではない別の「熱」「温かさ」のようなものの意義が見えなくなってしまっていることの危険性に気づくべきだということです。
近代の歴史で「太陽」「太陽暦」「アマテラス」などの優位が強調されるばかりに、一方で存在が忘れられてきた「月」や「陰暦」の再評価を考えるほど、わたしはこんなようなことを最近しきりに感じてます。
目指すは、
「太陽のような情熱にばかり偏ることなく、
回光返照の退歩を学ぶべし」といったところでしょうか。
「君子豹変」という言葉の日常での使われ方は、立派な人が機をみて態度や考えを安易に変える、あるいは、突然、本性を現して恐ろしい人物に一変する、という否定的な意味で使われることが多いようです。
しかし、「君子豹変」を検索してみると、この言葉は「易経」かきているようで、そこでは「君子豹変、小人革面」とあり、「立派な人物は、自分が誤っていると分かれば、豹の皮の斑点が、黒と黄ではっきりしているように、心を入れ変え、行動の上でも変化がみられるようになる。反対に、つまらぬ人間の場合は、表面上は変えたように見えても、内容は全然変わっていない」と述べています。
この解釈は「過ちては改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」(『論語』)と相通じる。
多くの国語辞典はこの解釈をひいています。
ところが安岡正篤は『十八史略』の解説で、これも間違いであると言ってます。
「君子豹変」は「大人虎変」と対の表現であると。
夏から秋にかけて虎の毛皮が抜け変わる
そのぬけ変わったときに実に光彩を発揮する。
豹は虎ほど一気に抜け替わることはないが、気づかぬうちに抜け替わり
そのときの光彩は目をみはるものがある。
ほんとうの指導者というものは、いよいよという時にこそ光彩を増しその力を発揮する。
これが「君子豹変」の本来の意味だというのです。
なるほど。
十八史略(上) 激動に生きる 強さの活学 (PHP文庫) | |
安岡 正篤 | |
PHP研究所 |
いずれも、豹の毛皮の解釈の違いということになります。
私の使っているカーナビ、安物ながらとてもよく働いてくれており、
いつもとても感謝しています。
ところが、ひとつだけ、どうにも我慢ならないことがあります。
利用している地図が古いとか、
音声ガイドのタイミングが悪いとか、
しばしば理解に苦しむコースを案内するとか、
こここそ説明してほしいと思う判断の難しい交差点ではだんまりを決め込むとか、
そういったことは、まあ技術の限界として理解できないこともないので、
なんとか許せる。
ところが、どうゆずっても許しがたいことは、
ソフトの制約やちょっとしたGPSの判断ミスなどではなく、
どんな間違い、ミスをおかしても、
とぼけた顔して
「リルートします」
「リルートします」
を繰り返すことです。
おまえの能力に制約があることは、こっちは十分わかっている。
そのことを私は責めない。
だが、一度として、その制約からくるミスを
「間違いました」
と言うことも無く、
「申しわけありませんでした」
のひと言もなく、
「リルートします」
「リルートします」
を繰り返すばかりではないか。
一度として
「間違えました」も
「申しわけありません」も
言うことは無い。
この根性が、
性能、スペック、能力の問題ではなく
どう考えても許せない。
一度でいいから、
「リルートします」ではなく、
「間違えました」
と私のカーナビにきちんと言わせてみたい。
今の官僚にこの言葉を言わせるのと、
はたしてどっちのほうが難しいだろうか?
どんなに借金、赤字が膨らんでも
「間違えました」のひと言もなく
「財源が足りないので増税します」
医療の現場でも同じで、
診断や処方のミスなど、一度として認めることなく
病院をたらい回しにしたり、大量の薬を次々に投与されたり、
どんなに失敗を重ねても費用はみな患者の負担。
裁判することなく、
前回は診断を間違えたので、費用は請求しませんとか、
せめて、申しわけないので半額はことらが負担します、
なんて話し聞いたことがありません。
リルートします。
リルートします。
リルートします。
リルートします。
リルートします。
リルートします。
指導をしない作文教育ですばらしい成果を出されている飯塚先生のことは、何度かこのブログで取り上げてますが、もう久しく前からその飯塚先生が毎週のようにお店に来てくれて、私といろいろ話をしていってくれるようになりました。
今日は、子どもが書いた文によせる先生のコメントのことを「評語」と言っているのですが、その「評語」といった表現でこの活動を言い表すことがどうも誤解をうみやすく、なにかしっくりこないといった話題になりました。
子どもがどんなボールを投げても、教師や親はそのボールを先にジャッジすることなく、まず必死に受け止めてあげられるかどうかが大事なのだということなのですが、その受け止める作業を先生は、「評語」=「コメントを返す」というプロセスで目覚ましい成果を生んでいます。
そのコメントを飯塚先生は、ずっと「評語」という言葉を使っているのですが、それがたまたま今回の企画のチラシで「評価」と誤って印刷されてしまったらしいのです。
ところが、そのことによって訂正を説明する際に、ややもすれば見過ごされがちな「評語」と「評価」の違いをあらためて意識してもらうよい機会にすることができたというのです。
にもかかわらず「評語」という表現は、私も感じていたのですが、先生もどうもしっくりこない感じがしていたとのことでした。
確かに教師や親からの「評価」ではないということが大事なのですが、これでは教師側の視点の違いだけが協調されて、肝心な子どもとのその瞬間に築かれる「関係」の意味合いが欠けた表現になってしまう。
「評価」することなく、こどものあらゆる行動や意識を評語=コメントをそえてその瞬間の固有の関係を築くことこそが真骨頂なのですが、
子どものどんな行動であっても、
それが理不尽なものであっても、
非道徳的な行動であっても、
学校内で通常はは許しがたいイタズラであっても、
ジャッジすることではなく、
それを「共感」するとは言えないかもしれませんが、率直な驚きの感情などとともに、そうした子どもたちのエネルギーにきちんと寄り添う。
こうした飯塚先生のスタンスは、やはり「評語」といった表現だけでは伝わりにくい。
「関係」の作り方こそがミソであり、
そこに生まれる独自な関係こそが、
通常の教育現場とはまったく「異質な場」を生み出す。
そこに子どもたちは見事に反応し、
教科指導をしているわけでもないのに、
学力までも自然に向上していく。
これをいったいどんな表現で簡潔に言ったら良いのだろうか?
そんなことを今日は話したのですが、たまたま家に戻ってtwitterを見ていたら
M・エンデの言葉で以下のようなことが紹介されていました。
「私に言わせれば、ほとんどすべての芸術や文学の仕事は、
それまで名前をもっていなかった事柄に、名前をつける事なんですよ。
名前をつけられれば、人間はその事柄と関係をもてるようになるわけですからね。」
『芸術と政治をめぐる対話』
なるほど、飯塚先生のやっている「評語」というのは、子どもと教師とのその瞬間の固有な関係、固有の時間に 「名前」をつけてあげる活動なんだ。
ひとつひとつの貴重な子どもの「体験」=「時間」に、決して点数をつけたり正しいかどうかジャッジすることではなく、「名前」をつけてあげることでそれが「いのち」輝く無二の時間であったことに気づく作業、それが飯塚先生の「評語」なのだと。
まだ「評語」に替わる表現がなんなのかが見えたわけではありませんが、このエンデの言葉によって意味の理解では大きく前に進めることができました。