「君子豹変」という言葉の日常での使われ方は、立派な人が機をみて態度や考えを安易に変える、あるいは、突然、本性を現して恐ろしい人物に一変する、という否定的な意味で使われることが多いようです。
しかし、「君子豹変」を検索してみると、この言葉は「易経」かきているようで、そこでは「君子豹変、小人革面」とあり、「立派な人物は、自分が誤っていると分かれば、豹の皮の斑点が、黒と黄ではっきりしているように、心を入れ変え、行動の上でも変化がみられるようになる。反対に、つまらぬ人間の場合は、表面上は変えたように見えても、内容は全然変わっていない」と述べています。
この解釈は「過ちては改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」(『論語』)と相通じる。
多くの国語辞典はこの解釈をひいています。
ところが安岡正篤は『十八史略』の解説で、これも間違いであると言ってます。
「君子豹変」は「大人虎変」と対の表現であると。
夏から秋にかけて虎の毛皮が抜け変わる
そのぬけ変わったときに実に光彩を発揮する。
豹は虎ほど一気に抜け替わることはないが、気づかぬうちに抜け替わり
そのときの光彩は目をみはるものがある。
ほんとうの指導者というものは、いよいよという時にこそ光彩を増しその力を発揮する。
これが「君子豹変」の本来の意味だというのです。
なるほど。
十八史略(上) 激動に生きる 強さの活学 (PHP文庫) | |
安岡 正篤 | |
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いずれも、豹の毛皮の解釈の違いということになります。