かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

君子豹変の本来の意味は?

2016年03月23日 | 議論、分析ばかりしてないで攻めてみろ!

「君子豹変」という言葉の日常での使われ方は、立派な人が機をみて態度や考えを安易に変える、あるいは、突然、本性を現して恐ろしい人物に一変する、という否定的な意味で使われることが多いようです。 

 

しかし、「君子豹変」を検索してみると、この言葉は「易経」かきているようで、そこでは「君子豹変、小人革面」とあり、「立派な人物は、自分が誤っていると分かれば、豹の皮の斑点が、黒と黄ではっきりしているように、心を入れ変え、行動の上でも変化がみられるようになる。反対に、つまらぬ人間の場合は、表面上は変えたように見えても、内容は全然変わっていない」と述べています。

この解釈は「過ちては改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」(『論語』)と相通じる。

多くの国語辞典はこの解釈をひいています。


ところが安岡正篤は『十八史略』の解説で、これも間違いであると言ってます。

「君子豹変」は「大人虎変」と対の表現であると。

夏から秋にかけて虎の毛皮が抜け変わる

そのぬけ変わったときに実に光彩を発揮する。

豹は虎ほど一気に抜け替わることはないが、気づかぬうちに抜け替わり

そのときの光彩は目をみはるものがある。

ほんとうの指導者というものは、いよいよという時にこそ光彩を増しその力を発揮する。

これが「君子豹変」の本来の意味だというのです。

なるほど。

十八史略(上) 激動に生きる 強さの活学 (PHP文庫)
安岡 正篤
PHP研究所

いずれも、豹の毛皮の解釈の違いということになります。


 


 


 

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花粉症 仏も勝てず 修行中

2016年03月21日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

 

榛東村の柳沢寺で撮ったお気に入りの一枚、
額装してお店に飾りました。

でも、

 

     どちらの表現が良かったのか、

 

       修行中 ほとけも勝てず 花粉症

 

       花粉症 ほとけも勝てず 修行中

 

後者の方が写真への動きがあって良いかと思ったのですが、いずれにせよベタな表現には変わりありません。

   修行、

   修行。

 

 

 

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破れた障子の補修

2016年03月19日 | 暮らしのしつらえ

このところやたらと部屋の障子が破れます。

それは、わが家が普通の障子紙を使わずに、一部の場所は、お能の謡本をそのまま障子紙として使っているためでもあります。

 

貼ったときは、そのデザイン性に満足していましたが、紙質が障子紙に比べるとどうしても弱いのが難点です。

そればかりか、障子の手前に余計な物をおく構造にしてしまったため、花瓶や器などを後ろに落としたら、すぐに障子を破ってしまうことが十分予想されます。
 

ということで、案の定、穴をあけてしまいました。

謡本の折り目部分からも、次々と破れ始め1年後にこの部分は全面張り替えとなりました。


これは、ただのコピー用紙に、お気に入りの俵屋宗達と本阿弥光悦コラボの最高傑作の画像をネットから拾い、障子枠サイズに拡大トリミングしたもの。

これも色部分は」どんどんあせていくことと思いますが、まずはいろいろ試してみることです。

それでも、謡曲の謡本よりはずっと落ち着いた感じになりました。

 

 
本来は、きちんと原画どおりにひと続きの流れですべきところですが、拡大にたえられる適切な画像が見つからなかったので、2枚ずつのツギハギになってしまっています。

でも、とりあえずは満足。 

 

以前、他の破れた穴は上の方だったので、空海の「月」の字をA4の和紙にコピーしてひと枡ふさぎました。

 

今回は下の方で、よく見ると桟をまたいで破れていました。

そこで下の小さい部分を手抜きでコピー用紙をそのまま型をあわせて貼ったのですが、上の方が謡本にかかって破れてしまっていたので、なにかここにふさわしいい図案はないかと、和楽器の形などを画像検索してみました。

ところが、シンプルなシルエットで様になるものがなかなかみつかりません。

最終的には琵琶のかたちが一番良いかと思ったのですが、どうも糸巻き部分のかたちが切り抜くのが少し面倒。

はてと困っていたら、お能の謡本を使っているわけだから扇こそ最も良いだろうと気づき、画像検索したら、手頃なものはたくさん見つかりました。

はじめは形だけ切り抜いて使おうと思っていましたが、考えてみたらこれも画像をそのまま和紙に印刷してそれを切り抜けば、もっとそれなりの雰囲気に仕上げることができます。

それで貼ったのがこちら。

 

印刷の透かしであれば、扇の細い骨もきれいに表現されます。

ただ、空海の月の字を貼ったときと同じく、この障子面は東向きで朝日があたる方向なので、現在の和紙の色もおそらく数年で落ちてしまうことと思われます。

それでも、デザイン性は扇であることで、数段増すことができました。

 

これなら、もう数カ所破って、パラパラと散らして貼るのも一興でよいだろう。

などと考えていたら、何もこれを貼るのにわざわざ破る必用もないだろう、と妻が気づかせてくれた。

ふむ、賢い!

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「これをやればうまくいく」今どきそんな理屈はあてにできません

2016年03月15日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)

教科書販売が始まったあわただしいなか、今日は来てくれた版元の営業さんと面白い話しの流れになりました。

たまたまお店というか、会社の内情が大変なことになっていた矢先であったので、

少しずつこちらの内情を打ち明けるうちに、

私の持論「千人を敵にまわしてでも立証したい明るい未来」の話しになりました。

これは、このBlogにもいつかきちんと書かなければいけないネタです。

そんなことを話すきっかけも、

もしかしたら今人気の大河ドラマ「真田丸」の影響があったかもしれません。

 

決まったレールの上でことがすむひと昔前のことならともかく、

なにごとも未知の領域にチャレンジしなければ未来は開けない時代です。

動き出せば必ず違う情況があらわれてきます。

また予想外の結果も出てきます。

事前に相手を説得する材料は必用ですが、出だしの提案はあまり大事ではありません。



情況が変わっても、結果が予想外でも、手を変えて、知恵を出し

「試し続ける意思」こそが一番大事なことです。


このことを理解してもらえないと、

こちらが自信をもって提案していることでも

「それをやればうまくいく」と安易に思われてしまうのが

なんとも歯がゆい思いにかられてしまうのです。


世の中の前提が、国の総人口や生産者人口が増えない時代になった今、

未知の領域に向かってチャレンジし続ける意思なしには、

いかなる正解もありえない時代なのだということを

肝に銘じておかなければなりません。



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