いろいろ迷っているうちに、目が覚めてしまった。
いろいろ迷っているうちに、目が覚めてしまった。
今日は、お世話になっている刀鍛冶の師匠に何か特別な席を用意していただき、急にうなぎをご馳走になることになりました。
ところが、前の職場の仲間との会食も同じ店で行う予定が決まっており、どうこの身を処したら良いものかいささか困ってしまった。
師匠はそんなこちらの事情など、当然知らず構わず、急な話をどんどん進めてしまう。
誘われるままに鰻屋に入ると、そこにはすでに大テーブルに席が設けられていて、横のテーブルには私がぎこちなく鍛錬した鋼の途中サンプルとともに、師匠のものと誰のものかわからないものの3つがおかれていた。
その比較説明によると、経験も技術も全く不足している私の鉄と玉鋼の合わせ方で、この部分だけが妙によくできているのだと、わけのわからない説明をしてくれる。それは素人目でもどうにもならない下手くそにしか過ぎないのに、何を持ってそう言うのかどうにも私には理解できない。
もしかしたら、こいつならばうまくおだてれば、なんとかあとを継がせることができるかもしれないと、その一点で見込まれた師匠の策略なのか。
そんな師匠のわけのわからない説明が続いている間に、職場の同僚の人たちが来て先に席についてしまった。師匠は相変わらず話に熱中してそれに気づかないので、私は申し訳ない顔だけして黙って目で挨拶した。
困っていると、師匠がぜひお前に会わせたいと言っていた何の分野だかわからない偉い先生も来てしまった。師匠はそれにも気づかず話に熱中している。
さすがに入って来た大先生に背を向けたまま、これはまずいだろうと、師匠の腕を突いて後ろを向かせると、師匠は慌てて平身低頭、今度は大先生に頭を下げ続ける。
ちょっと最初に失礼があったとはいえ、そこまで執拗に頭を下げるのはどうかを思いながらも、一応私もそれに合わせざるをえず、身の入らない思いで後ろで頭を下げ、やはり職人の世界というのはこのようなものなのかと何とも言えない気持ち。
しかし、困ったことに、その位置で師匠が頭を下げ続けていたら、大先生をテーブルの上座に誘導することができない。見るとさらに困ったことに、先に来ていた同僚たちはすでにお膳に手をつけ始めており、簡単に席を移動することもできなくなってしまっている。
そんな一連の様子を見ていると、ご縁とはいえ、本当にこの師匠について行って大丈夫なのかと心配になって来てしまった。
私は、自ら斯くあるべしで選ぶ道よりも、ご縁で始まる仕事を大切にしていくべきだと心に決めていますが、いくら何でもこの選択には無理があるのではないかと不安でたまらなくなってきた。
この歳になってやっと理想の暮らしが出来かけている身ではあるけれども、ご縁に導かれて大転換をはかるというのも、人生ありなのかな〜
などと募るモヤモヤで苦しんでいたら、
目が覚めました。
あ〜〜〜、夢で良かったw
でも、気づけばまだウナギを食べてないとこで目が覚めてしまってた。
もう一度、寝ることにします。
今度始める仕事のチームには、ホリエモンも関わっていて、彼がメンバーの名前を教えてやるよとテーブルの向こう側からこちら向きにサラサラと数人の名前を器用に書いてくれた。字なんていうのは、カタチになってればいいのだと。
チームリーダーは、概要を説明するために、リヤカーに乗せた畳大のパネルを田んぼ横の倉庫に何枚か立てかけて説明してくれた。
なるほど、これはすごいわかりやすかった。
デカイ計画はデカく表現するべきなんだ。
会社のオフィスに案内されると、社員たちが考えたカラフルなアイデア商品がたくさん並んでいた。
楽しくモノをつくるという雰囲気は十分伝わってくるものの、個々の作品からそれほど画期的な仕組みは伝わってこないので、半分ほっとする。
でも、これは秒単位で新しい発想を求められそうだなとビビりながらも、次々に見せられる斬新な仕事スタイルは、とても勉強になる。
提携もしくは、視察調査するべき会社リストを見せてもらっても、知っている名前は一つもない。
さてここで俺がいったい何をすることになるのだろうと、心配が頭をよぎったら、目が覚めた(^_^;)
ものすごく面白いアイデア、発想があふれていたので、忘れないうちに書いておこうと思ったのですが、なぜか記憶に残っているものを書き出してみると、これといって使えそうなものは見当りませんでした。
残念。
飲み屋で意気投合した大蔵官僚の現役とOBの二人が、酔った勢いでそのままうちに来てくれた。
B4くらいの見たことないほど大きなノートになんと鉛筆手書きでびっしり財務の数値や表が書き込まれているのを見せてくれた。
分析をするとはこういうことなのか、と思いつつ驚きのデータも見てしまった。
国家予算にはこんな事実があったのか。
酔った勢いとはいえ、ホントにこんなの見ちゃっていいの?
妻がいないばかりに、お茶も出さずに話し込んでいたのに気づいて、慌てて台所に湯を沸かしに行ったら目が覚めてしまった。
あのノートの表(重大な国家機密)を写真に撮っておくんだったと後悔。
カメラ手にして、もう一度、寝てみるか。
家族だけのもので一日で準備。
白無垢を着るのだけど、なぜか着ているのはオレ。
こんなのもありかと考えたけど、
まわりの家族の顔色は、あまり疑問を感じていないようだ。
どうせお前のすることだから、といった感じ。
隣りの姉に
白無垢は、こういう風に着こなした方がいいんだと説明してあげる。
ところが、式のまだ始まらないうちに
今日、講演会が長野であることを思い出す。
まだなんの準備もしていない。
お清めの風呂に入りながら、段取りを考える。
部屋のなかにある洒落た風呂なので
服が濡れてしまう。
そんなとこに脱いだ服をおくからだ。
急いで車で飛び出すが、
途中、H堂のH会長から呼び出される。
こちらが望んでいた内容で相談があるとのこと。
え?
講演会はN会長で、社会福祉会館。
数時間はかかる。
だから資料は早めに準備しなきゃだめなのに。
コピー機に紅葉の枝を直接配置して資料をつくろうとするけど、
影が大きく映りすぎてこれでは使い物にならない。
コピー機もスピードがのろい。
20年前、一緒に仕事していた青木さんが
あとの作業は手伝ってくれた。
なんて頼りになる人なんだろう。
でも、とても間に合いそうにない。
ええい、もう資料なしだ。
社会福祉会館へは、30分遅れくらいになりそう。
車を降りてから、近くにあった輪っかをつかって馬跳びをしながら
スピードをあげる。
ん?
今、いる場所がわからない。
そうかナビか。
いや持ってない。
とにかく詳しい場所は近づいてから調べることで
スピードをあげることだ。
馬跳びの一回の飛距離をあげる工夫をする。
お?
このペースなら5分遅れくらいで着きそうだ。
5分くらいなら、連絡してないけど
岩田さんが話を引っ張ってくれているだろう。
馬跳び、馬跳び。
馬跳び、馬跳び。
あぁ~、疲れた。
うなされて4時に目覚める。
それは、画期的な手口であった。
なぜか私は、セレブのたくさんいるパーティーにもぐり込むことが出来た。
隣には高級ドレスを身にまとったナイズバディの相方がいる。
彼女は、多くを語らず、
おもむろに洗面台を外しだした。
え?まさかこの水道管の中を通りぬける気か?
いくら細身の体でもそれは無理だろう。
と思ったら違った。
床下を這っていくつもりらしい。
この水道管伝いに床下を這っていくと
このビルの奥のトイレにたどり着き、
そこまで行ければ、すごい大金を盗ってくることが出来るらしい。
そのためにコンパクトにたためる高級ドレスを着ていたのだ。
スルスルとドレスを脱ぎ捨てて
その狭い床下に彼女は入っていった。
素っ裸でこんな狭いところ這って行ったら、
体中が擦り傷だらけになってしまうだろうに。
でも、素っ裸だからこそ通り抜けられるってことか。
細身の女体だからこそ、出来る技だ。
向こうのトイレへ出るときはどうするのだろうと思ったら、
下から固定しているネジを外す不思議なテクニックを持っているらしい。
大丈夫だろうか。
私は先回りしてそのトイレの便座を外すのを
上から手伝ってやろうか。
うまくすれば彼女の汚れたナイスバディを拭いてあげることが出来るかもしれない。
でも、上の通路を通って行くのも危険だしなぁ。
そんなことを迷っていたら
ナイスバディを見る前に目が覚めてしまった…
ここまでの記憶を整理しておいて、
もう一度寝てみる。
待ってろよ~~
あぁ~
残念ながら、目が冴えて眠れなかった。
まだ正面からナイスバディ拝んでなかったのに…、
眠れていたら、おそらく廊下を通って先回りした私が、
擦り傷だらけの彼女を救いあげ、
その画期的な方法と彼女のプロ魂を誉めたたえ、
傷だらけになってしまった体の出っ張っている部分、
肩だとか、肘だとか・・・
体の出っ張っている部分をいたわりつつ、
出来るだけさりげなく、触れながら、
何の疑問も感じることなく、
先を急いでいたことだろうに。
「一枚の写真は、100語に勝る。
しかし頭のなかでつくられたひとつのイメージは、100枚の写真に勝る」
伝説のコピーライターといわれた、ロバート・コリエの言葉だそうです。
一見、前回の記事「夢の記憶」で書いた内容と逆のことを指摘しているような言葉ですが、このふたつのことがらを整理して説明することはとても難しい。
以下、思いつくままにつらつらと書いてみます。
この言葉のなかには、客観的映像(そのようなものが存在するのかという問題は別にして)には存在しない意思の力というものが隠されています。
前回書いた「夢の記憶」の話では、潜在意識のあらわれであるかもしれないにしても、
夢で見たものの記憶というのは、それを「伝える」「表現する」努力を伴わないと、
なにもあとに残らないばかりか、自分自身、正確にはなにも理解していなかったことに気づかされることが多い、といったようなことを書きました。
さらに関連して、人に道を聞かれたときに、普段自分がよく理解しているつもりの道でありながら、
相手に説明できるかたちでどれだけ表現できるか、といった現実の問題につなげたわけですが、
このことと対になる問題として、このコリエの言葉はとてもいい内容になっています。
夢や見慣れた景色の記憶と違って、このコリエのことばには
見られる側、作り手と見る側の意思、視点というものがはっきりとはたらいた場合の違いをあらわしています。
たとえ強い意志はなくとも、撮影者の主観で四角い枠のかなに切り取られた空間の映像というのは、
作り手と見る側双方の意思がはたらいて情報を読み取ります。
この写真や映像から情報を読み取るというプロセスが、非映像言語が直接的なのに対して、直感的であるにもかかわらず、言葉の情報の場合は、多くの場合、ひとつひとつの言葉が情報を具体的に規定してしまっている側面が強いといった印象があります。
もちろん、言葉にも受け手の想像力をかきたてるような表現はたくさんあります。
詩や俳句の世界を考えれば、僅かな言葉で広がる映像の世界は、はてしのないような広がりを感じるものです。
やはり直接的か間接的かで説明するには無理がありそうです。
右脳か左脳かといったほうが良いのでしょうか。
頭のなかにつくられたひとつのイメージとは、さらに言葉の概念だけに規定されない映像プラス意志、テーマといったようなものが強くはたらくからだと思います。
同じ映像イメージでも、寝ているときにみた夢の映像と
自分の意志でつくられたイメージの映像ではどう違うのでしょうか。
わたしには、うまく説明できません。
でもひとつ思い出すことがあります。
昔、学生時代、キャンパスの向かい側にある山をいつも、ぼーっと眺めていたのですが、そのとき気づいたことがありました。
ただ漠然とその向かいの山を見ているときは、ただの木に覆われた山としてだけ見えていたのですが、
眼を一点に凝らすと、その焦点のあったところだけ、木々がワーイとばかりに喜んでくれるがごとく、
ゆらゆら風にゆれている姿が見えるのです。
また別の一点に目を凝らすと、またその部分だけが、ワーイと木々が風にゆれる。
そのときは既に前に見ていた場所の木々は見えず、森の全体に埋没してしまっている。
自分が見てあげたところだけが、ワーイと反応してくれる。
そのゆれる木の姿がいかにも自分にだけ応えてくれているようで、面白くてたまらなかった。
はじめの漠然と向かいの山の森をみていたときは、おそらく私の目の記憶は、夢を見た時とあまり変わらない状態にあったのだと思います。
それが、特定の木に意識を向けてズームを繰り返すようになると、物理的なズームレンズの機能だけでなく、
そこにまぎれもない意志をともなって、木をみて森を見るのか、森をみて木をみるのか、テーマがうまれている。
記憶力の長けた人や速読の出来るひとは、ものごとを写真を写すように、言葉による余計な思考を遮断して頭に焼き付けるといいますが、
記憶だけを問題にするような作業であれば、それはすばらしい技術だと思います。
しかしわたしは、そのような能力よりは、効率は悪くても、常にテーマや意志をもってものを見ることのほうが、
面白いし自分の身につくものだといつも思っています。
東大出のエリート官僚が、膨大な資料を簡潔に「客観」的に短時間でまとめあげる能力には驚かされますが、
ご立派と感嘆させられながらも、やっぱりそれはただの資料としか見えず、なんの面白みもない。
というと、資料なんだからそもそもそういうものなんだと言われます。
それに返す言葉はありません。
でも客観的と言われるような年表や数字のデータのなかにも、強い意志と説得力を感じるものと、
いくら精読してもなにも伝わってこないものがあります。
わたしは昔から、主観性を発揮しなければ、客観には到達できないと信じているので、
客観的データや映像、資料などといったものをはじめから信用しません。
客観的といわれるような映像や数字、資料であっても、胸に強く焼き付けられるようなテーマ、意志を感じさせるものこそ
わたしたちのものであると。
その意味で、ロバート・コリエの言う一枚の写真、ひとつのイメージとは、決して「客観的」なものではない。
強烈なベクトル、なんらかの方向への矢印によって貫かれた主観そのものであると思う。
100語に勝る一枚の写真。
100枚の写真に勝るひとつのイメージ。
それは必ず熱い!
わたしは時々、おまえはよくそんなに夢を覚えていられるものだと人から言われることがあります。
たしかに見た夢を人に話したり、ブログに書いたりすることはあるのですが、
決して見た夢を他人よりよく覚えているというわけではありません。
ほとんどの夢は、寝起きにわずかな記憶はありますが、
目覚めとともにすぐに忘れてしまうものです。
これは、多くの人とほぼ同じレベルだと思います。
いや、ほとんどのひとの夢の記憶というのは、きっと共通してそのように儚いものなのでしょう。
誰もが強烈な印象を受けたような夢の体験であっても、
悲しいほどにその記憶は瞬く間に消えていってしまいます。
もし多くの夢をそのまま記録することが出来たならば、シュールレアリズムのアートなど
吹っ飛んでしまうような作品がたくさん出てくるかと思います。
実にもったいないことです(笑)
ほぼ毎日のように世界中の人びとがみているにもかかわらず、
圧倒的な部分の夢は残ることなく消えていってしまっています。
それが、どのようにしてごく一部のものだけが
運よく、「覚えている」ことになるのでしょうか。
自分のことをあらためて振り返ると、それはある程度はっきりしているように思えます。
それは、頭のなかの映像の記憶を「文字」「言葉」の情報に置き換えたときです。
文字情報と映像の情報では、明らかに違うものですが、
その場面、情景、ストーリーを文字や言葉の情報に置き換えることによってのみ、
はっきりとした記憶として残すことができるのではないでしょうか。
わたしが見た夢を、誰かに話すとき、その多くの夢は断片的であったり、
話や場面の辻褄があわなかったりするものですが、
それは映像の上ではなんの矛盾もなく存在しているものです。
それを言葉に置き換えて人に伝えようとしたとき、
必至になって場面のつながりを思い起こしたり、
矛盾したストーリー展開を言葉で補ったり、
時には足りない部分を伝えやすくするために捏造、付けたしをしたりもしながら、
漠然とした映像や、時には鮮明でありながら言葉で表しがたいものをなんとか言語におきかえる作業をします。
言語におきかえるというよりも、
より正しくは、誰かに「わかってもらえる」、
あるいは「伝わる」表現に、映像の記憶を置き換える作業であるともいえます。
こうしたことから結果は、
記録に残したもの、
誰かに伝えようとしたものだけが、
記憶に残るのだともいえます。
ちょっと別の話になりますが、私のいる店は伊香保、草津、四万温泉へ通じる道の途上にあるためか、
遠方から来た人に道を聞かれることがよくあります。
その時、うちの従業員が、どこどこへは、この道をまっすぐ行けば大丈夫です。
と、軽く教えているのを目にします。
たしかに大体はまっすぐ道なりで間違いないのですが、
まず最初の信号を右折しなければならないこと、
先にY字路などがあればどちらが本線なのか、
余所から来た人にはまったくわからないことが
すべて省略されてしまっているのです。
地元の人間からすれば、いつも通っている道だから、まっすぐでわかるつもりなのですが、
はじめて通る人にとっては、正しいことを教えてもらっても、
これでいいのだろうかと迷う材料には事欠かないものです。
ならば、紙に書いてきちんと説明してあげればよいと思うのですが、
このように、まっすぐ行けば大丈夫と言ってしまう人ほど、
では具体的にどのように線を書いて説明したらよいのか、
まったくペンが動かなくなってしまうものです。
紙にはうまく書けないから言葉で済ませる。
ここです。問題は。
紙にきちんと書けないようなことは、
言葉でもうまく相手に伝わるような表現にはなっていない場合がほとんどなのです。
体験的に頭で十分わかっているつもりのことでも、人に理解してもらうには、
しばしば大変な労力を伴わなければ満足のいくものにはならないものです。
これは、夢の記憶をまったく同じ世界です。
わたしは、長い文章のブログをいつもよく書くねと言われることもしばしばありますが、
これも、ブログやホームページに書いたこと以上の体験や思考はしているはずなのですが、
書き遺したこと以上の記憶は、残念ながらわたしにもほとんど残りません。
今年5月に奈良、吉野、熊野へ行った旅行も、
言葉には表せない貴重な体験をたくさんしましたが、
おそらく今回作成した文集に残した写真や文章以上の記憶は、
残念ながら、ほとんど残らないものなのかもしれません。
これは、写真に撮って残す情報と絵に書いて残す情報の違いを比べると顕著です。
前回引用したコリエの言葉のように、確かに写真には膨大な情報が詰まっていますが、
その情報のディテールは、見る側に無条件に与えられているわけではありません。
同じ対象を絵に描くように、その部分部分が、どのようなカタチをしているのか、
どんな色彩をしているのか、確認する作業は経ることなく、
一瞬のうちに写しとっているからです。
だれもが唯一無二の貴重な体験をしたり、
常識では考えられないような面白い夢をみたりしながら、
日々すばらしい時間をすごしているはずなのですが、
その貴重な体験は、
人に伝える言葉におきかえたもの、あるいは絵画など何らかのカタチで書き遺したものだけが、
自分自身の記憶が財産として積み重ねられたものになるのではないかと感じます。
でも、言語化されないもの、絵画化されないものに実態がないはずはないだろうということは、
また厄介な文になるので、またの機会にさせていただきます。
(以上、「手作り本・小冊子」活動の営業文でした。)
最近、どうも疲れが取れない。
mixiやブログの書き込みもなかなか出来なくなった。
時々お腹が痛む。
わき腹が妙に膨らんできた。
年相応にいろいろ出てくる時期だと
ある程度覚悟はしていたものの
自分では、やっかいな病気にはならない性質だと自負していたものが
急に揺らいできた。
とうとう我慢しきれなくなったので
勇気を出してお腹のフタを開けてみた。
すると、胃の左側に真っ黒な腫瘍が不気味な形をして広がっているのが見えた。
こんなにでかいのが、脇腹を押していたのか?
でも胃の周り、腹のなか全体が妙に乾いていて
血や体液などの湿り気がまったく無いのが気になる。
普通なら、この辺で、
これは夢であると気がつくのだけれども
深刻な事態はそのままなんの疑いも無く続いていく。
日ごろの不摂生をこのときばかりは反省して
お腹のフタを閉じた。
この後も夢はいろいろと続いた気がするけど
覚えていない。
おきてしばらくは、夢であったと気づかないままだった。
夢から覚めて
あらためてフタをしたお腹を見直してみると
腫れているのは、左側だけではなく
右側も、前も、
同じように腫れていた。
予想以上に進行してしまっているのか?
胃ガン
じゃなくてメタボ!
もっと一生懸命、
遊ばなくては!