以前「子持の眠り姫」(俗称)という、子持神社の参道から西側に見える山裾が、参道松並木からみると女性の寝姿に見えることを紹介したことがあります。
この参道から見る小野子山の山裾が、女性の寝姿に見えること自体は地元でもよく知られたことでした。
それが改めて注目されるようになったのは、この眠り姫が子持神社の参道を登るにしたがって、なんとお腹が膨らんでくるように見えるということを発見してからでした。
それを知っただけでも大興奮だったのですが、その話の先にはさらなる驚きがありました。
もしかしたら、西側に沈む月がこの眠り姫のちょうどお腹の位置に沈む瞬間があるのではないかという仮説を思いついたことです。
つまり、「子持の眠り姫の受胎の瞬間」です。
月の出月の入りをアプリで確認してみると、時期によるのですが、十五夜の翌日、翌々日ころ、明け方の月が沈む時、子持の眠り姫の寝姿の上に満月が沈むことが確認できました。
確かに月の沈む位置が、ちょうど眠り姫のお腹のところに落ちていく時期があります。
薄々想像はしていたものの、月の沈む位置の季節の問題と、眠り姫と月の位置関係で見る場所の問題があり、それを実際に確認するまでは至っていませんでした。
それがようやく2018年12月の満月の翌々日早朝、みなかみ町を朝早く出て渋川市に向かい、月の入り時刻は午前7時55分であったので、山の高さを考慮して1時間ほど前からスタンバイすることができました。
すると、
西の空に雲が流れておりハラハラしましたが、雲の流れが早かったのでなんとかなるだろうと待っていたならば、ちょうど眠り姫の上に雲の下から月が でてきました。
そのまま降りてくれれば、なんとか眠り姫のお腹に降りてくれるかと期待しましたが、降りた先は真下に位置するお腹より、もう少し上のオッパイの位置でした。
月の出月の入りマップで見てみると
まだ冬至直後で、月の入り方角は小野子山方面になります。
しかし、のちに気づいたことですが、場所を変えればほぼピッタリの位置で見ることができます。
やはりできれば、子持神社の参道上で見れる位置を確認したいものです。
また1、2月の満月直後の数日にもチャンスがあります。
そもそも、古代において祭礼、祈りの多くは夜を徹して行われるものでした。
西暦での暮らしが日常化した現代ではなかなか気付かれないかもしれませんが、伝統行事の多くにこうした習慣は最近まで残っていました。
そうした夜の祈りの中でも、1年のうちで最も夜の長い日(冬至)、この日から太陽のエネルギーが増していく日に祈り続け、その夜明けに、自然歴の上での生と死の転換、生命の授受が行われると言われます。
大嘗祭も天皇霊の授受がそのような場として行われているようです。
1年のはじまりは、西暦の1月1日に意味がないのは言わずもがなですが、旧暦の1月1日と共にこの冬至こそ、陰陽のリズムからは1年のはじまりにふさわしい日と見られていました。
(天皇の神事として謎の多い大嘗祭についてはこちらを参照 大嘗祭に秘密の儀式が・・・)
こうした古来の月に関わる習慣のことを知ると、まったくの推測ですが、子持神社のこの参道の位置、もしくはこの東西のどこかの場所で、子宝を願う女性が満月の夜を徹して祈り続けて、明け方になりようやく東から太陽がのぼる時。
眠り姫のお腹に月が沈み、まさに感動をもって生命受胎の瞬間を見て祈りが成就されたことが想像されるのです。
私の勝手な推測にすぎませんが、古代の人々がこれを意識していなかったとはとても思えません。
関連ページ「年のはじまり、月のはじまり、1日のはじまりのこと」
なお、『子持の眠り姫』という呼称は、私たちが勝手につけたものですが、このストーリーと命名の由来については、『神道集』のなかの以下の記述に依拠しています。(『神道集』は、関東など東国の神社の縁起を中心とした、本地垂迹説に基づいた神仏に関する説話集)
『神道集』第三十四 上野国児持山之事
日本国第四十代天武天皇の御代に、伊勢国渡会郡から荒人神として出現し、上野国群馬郡白井に保(保は律令制下の郷里の単位で、庶民開墾の私田の地)に神となって現れたのが児持大明神である。
その由来は、
伊勢の阿津野の地頭に阿野権守保明という長者がいた。保明は子の一人もいないのを悲しんで、伊勢大神宮に祈願した結果、児守明神に祈願するとよいという指示があった。そこで児守明神に参籠祈願すると、七日の満願の暁、御宝殿の内から二十二、三に見える女性が現れ鏡をくれる夢を見た。
帰国後間もなく阿野保明の奥方は懐妊。やがて持統天皇の七年の三月中ごろ無事安産。取り上げてみると鏡のように曇りのない美しい姫君で、父母共に大喜び、児持明神から授かったので児持御前と名付けた。
そして1月21日(月) 十六夜の日に、ようやく眠り姫のお腹に入る月を撮影することが出来ました。
残念ながら月の入りが8時頃であったため、太陽が上がってしまっているので、月の明かりが弱く微かにしか写りませんでした。それでも、子持神社の参道からこの受胎の瞬間が見れることは確認することが出来ました。
もう少し月の入り時刻の早い十五夜以前に再度撮影を試みてみます。
陰暦正月(睦月)十七夜 望・立待月 月齢15.9(2022年2月17日6時30分撮影)
ほとけは常にいませども
うつつなるぞあはれなる
人のおとせぬあかつきに
ほのかに夢にみえたまふ
『梁塵秘抄』より
2021年から幸いなことに叔母の家の犬の散歩当番がなくなったので、以前よりは撮影チャンスは増えましたが、天候や私の根性などの条件が折り合う機会がなかなかありませんでした。
それがようやく2月27日、雪が散らつくなかにもかかわらず西の空だけ運よく雲が切れて撮影することができました。
月の入り、6時26分
地平にかかる雲がわずかに遮っていますが、まさに受胎の瞬間です。
2月27日の月の出、月の入方向 月の入時刻6時26分、日の出時刻6時18分
翌日、もう少し南のお腹の上に落ちるチャンスを狙います。
2月28日の月の出、月の入方向 月の入時刻7時1分 日の出時刻6時16分
ところが、たった1日の違いですが、予想以上に月の入る位置は南にずれていました。
さらに追い討ちをかけるように、東からは太陽がのぼりはじめ、周囲はどんどん明るくなります。
ということは、改めて眠り姫が受胎する瞬間は、十五夜ではなくて限りなく満月の日に限られているのではないかと思われます。(のちに最も美しく見えるのは、十七夜あたりの月が最も美しくお腹に近く落ちるらしいことを知りました。)
つまり、旧暦・陰暦の新年、小正月のころに見られる現象ではないかということです。
月の入位置の変遷
このことを確認するには、来月の満月の日、来年の旧暦12月(西暦2022年1月18日)満月なども比較してみなければなりません。
また、より良い条件でこれらを撮影できたらまたこのページを更新させていただきます。
のちに陰暦の新年の満月のころ、かつては行事の多かった小正月の時期こそ、この「子持の眠り姫」に限らず、最も感動的な瞬間なのではないかと思えてきました。
庚申信仰などでは、「日待月待」という表現があります。
私はそれを、「日待ち」とか、「月待ち」とかを大切にする、楽しむといった意味で見ていましたが、こうした眠り姫受胎の瞬間の感動を体験すると、日の出と月の入りが同時におきる瞬間や月の出と月の入りが同時におこる瞬間のことこそを重視していたのではないかと思えてきました。
闇夜からしだいに空に青色が生まれ、
地平線、山並みの縁が美しい暁のグラデーションに彩られたとき、
眠り姫のお腹に月が徐々に近づいていきます。
やがて月が眠り姫のお腹に吸い込まれると、
程なくして背中側、東の赤城山に朝陽がのぼってきます。
これほど感動的な瞬間はありません。
ぜひ、皆さんも体験してみてください。
そして古代から人々がずっとそれを意識して暮らしていたことに思いをはせてみてください。
素敵なご活動ご活躍されている方とお見受けいたしました。
十何冊か本を書き、大手雑誌につまらない原稿をたまに掲載しております。差し支えなければご交流いたしたいので、ご検討よろしくお願いいたします。
ミクシィの「パタリロ先生」通じて御連絡いただければ幸いです。
パタリロこと渡辺
古代の人の思いが伝わってきました。とても興味深く拝見しました。