かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

数字が如実に示すネット時代で生き残れる業界の姿

2018年06月30日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)

妻と車で移動している時や食事をしている時にいろいろ話していると、これまで知っていた情報が思わぬところでつながり、新しい発見に至ることがあります。

そんなことの一つで、今回、書きたいのは各業界の数字の比較のことです。

よく同業者と話しをしていると、本屋の数が減って大変だという話題になりますが、いつも数が減って大変なのは本屋に限ったことではないことを強調しています。

問題は数ではないのだと。

そのような数の変化を起こしている現実はどういうことなのか、それを問うことなしにただ数だけを増やしてもダメでしょう。また、粗利の高い低いの議論も同じです。

 

 

そこで、まず増減の問題を抜きにして業界の実態としてみたときに、よく引き合いに出させてもらうのが、「2万」という基礎数字です。

どんな業界でも、全国合わせたその業界内の店舗(事業所)数が「2万」を切ると、その土地にその業種の店がないという町が現れ始めます。

 

日本の人口を約1億と見て、

1億 ➗ 2万 = 5,000

つまり、5千人の商圏人口で成り立つビジネスを基本として捉えられないと、一般的な話にはならないのではないかと。

 

事実、いろいろな業界を比較してみると

本屋の数、ピーク時2万3千店が現在1万3千店程度に。 

他方、少ない、自分の町になくて不自由していると言われる業界の代表

  産婦人科の数  約5千

 

多いと言われる業界の代表例

  歯医者 約6万8千

  お寺  約7万7千

  コンビニ 5〜6万(未だ増加中)

この比較だけで、およその地域の多い業種、少ない業種の感覚はつかめるかと思います。

 

そこで私はもうだいぶ前のことになりますが、目安となる数字を
「80:20の原則」に従って以下のように整理してみました。

 

        私たちのMISSION

全国(1億の市場)どこでも最低限存在するサービスレベルを実現するために。

全国の小売窓口  5,000人の商圏人口

5,000人商圏の2割、約1,000人の来店客

1,000人のうち2割、約200人の固定客把握

200人の固定客のうちの2割、40人のヘビーユーザへ個別付加価値提供

つまり1,000人の顧客で成立つビジネスモデルが目標

 

残念ながら今振り返ると、これもあくまでも一般的なガイドラインの話で、決して答えにはなっているわけではありません。市場分析が決してマーケティングではないというのと同じです。

 

また、衰退を続ける商店街のことでは、少し前までよく使われていたネタで次のような例がありました。
 
全国どこでも衰退が止まらない町の商店街ですが、そうした中で、全国どこへ行っても唯一元気な業種があります。

それは何かというと、和菓子屋さんです。

他の小売店はどれも、日本全国どこへ行っても買えるものばかり置いている商売なのに対して、和菓子屋さんだけは、その町に行かないと買えない。
そこに行かないと買えない、これこそが小売業復活の鍵になるのだと。
 
ところが、これも過去の話になりつつあります。
そこに行かないと買えないレアな商品であっても、今はその多くがネットで買えてしまうからです。 
 
 
さあ皆さん、どうします?
 
ここからが今日の本題です。
妻との会話のなかで気づかされたことです。
 
 
先の業界ごとの事業施設数の比較には、その先のもっとずっとすごい数字の業界があります。
皆さん、それが何だかご存じでしょうか?
 
身の回りでお寺やコンビニよりも多い業界です。
 
そうです。美容室、床屋さんです。
全国にある理美容室の施設数は、先のコンビニやお寺の比ではありません。
 
なんとその数、およそ35万件
 
 
人口の密集地であるかなど関係なく、簡素な住宅地でも、山間の村落でも理美容室は衰えることなく存在し続けています。それが桁違いに多いにもかかわらずです。
 
ここでもう一度先の商圏モデルの図式に当てはめてみると、
1億の商圏を2万の店舗で割った商圏人口が5000人でした。
その1億の商圏をこの理美容室30万の店舗で割ったら、その商圏人口は、ざっと300(333)人です。
333人の商圏人口の約2割の来店客といったら66人です。
66人の2割の固定客と行ったらたった13人です。
 
この構造だけでもびっくりですが、こんな業態がなんで生き続けていられるのかといったら、
ネットの技術がどんなに進歩しても容易に代替しようがない
「前回はこんなでしたが、今日はどんな風な髪型にしますか?」
といった技術が週刊誌ネタの日常会話のなかで行なわれているからです。
 
この一番のツボは、一人ひとりのお客さんに合わせられるアナログ技術です。
 
もちろんネット・デジタル技術でもこれからビッグデータがどんどん蓄積されて
「この本を買った人はこんな本も買っています」 のようなデータが人工知能によって
「こんな髪型を好む方は、こんなような髪型もお似合いです」なんていう
一層気の利いたカスタマイズが可能になることと思います。

それでも、それをご近所ネタを含めた週刊誌トークの流れでお客の要望を引き出すなんてことは、
まだまだずっと先のことだと思います。
 
実はネット技術も、まさにこの方向に向かって進化し続けているわけですが、
言い換えればこの「一人一人に合わせたサービス」こそが
どんなビジネスでも共通したこれからの究極目標であることがわかります。 
 
 
これまでも、業種を問わず誰もが、できる限りお客さんの名前を覚えて、
一人ひとりに気をつかった対応というのは必ず考えているものです。 
ところがその善意の努力が、そのまま与える商品やサービスの質の差になっているかどうかは
また次元の違う厄介な課題です。
 
これを岩田さんの「一万円選書」は、システムとして実現したわけです。
 
多くの本屋さんが、岩田さんと同じことは自分にはとても出来ないと思われがちですが、
同じことではなくても、一人ひとりに合わせたサービスの仕組みみこそが、
これからの商売の避けることの出来ない王道であることだけは、わかっていただけるのではないでしょうか。
 
全国の理美容室は、失礼ながらそれほど深くマーケティングなどを難しく考えてサービスを実現しているわけではないと思います。
ただひたすら地域の一人ひとりのお客さんの要望に合った髪型、仕上がりを目指して、
そして満足のいくような会話を目指してサービスをしているに尽きるかと思います。
 
もちろん粗利の構造やリピート率の高いサービスの形態など、理美容室特有の条件はありますが、なぜ変わらずに生き残れているのかという基本はすべて同じです。

また、一人ひとりの要望に合わせたサービスさえ実現できれば、市場の規模など関係なく、
地域で生き続けることができるのだということも、この事例によって確信することができないでしょうか。 
 
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旧山古志村の中山隧道以外の手掘り雪中トンネルのこと

2018年06月30日 | 歴史、過去の語り方

中越地震の被害で有名になった旧山古志村には、手掘りトンネルでは日本一といわれる有名な中山隧道とは別に、昭和の時代につくられた手掘りトンネルがいくつかあります。

    

今回私たちは、それを探しに行ってきました。

探しているそのトンネルの長さ632m。


昭和の時代に、なぜそのようなことが行われたのかを知ってビックリ!...



昭和47年3月、小松倉にあった山古志中学校芹坪校舎(芹坪分校)が廃止され、村内の他の3校舎(分校)とともに、竹沢地区にあった本校へ統合されました。

その結果、小松倉に住む中学生は、遠く約6kmも離れた山古志中学校へ通うことになりました。

さらに昭和52年には、中学校に続いて小学校も統合の対象になりました。

旧東竹沢村内にあった芹坪小学校と梶木小学校の2校が廃止され、中学生に続いて小学生も遠くへ通学をよぎなくされることになりました。



すると豪雪地帯で急峻な山間部を通う子供たちは冬の間は絶えず雪崩の危険にさらされながら学校に行かなければならなくなり、実際にその地を通行中の小松倉住民が2人が命を落としていました。

全国の山間部のなかでも、この山古志村周辺の地形には、独特のものがあります。

山といってもほとんどが1000m以下の丘陵部なのですが、その丘陵部高地から急激に切れ落ちた沢の部分が、いく筋もの谷あいを形成しています。

しかも、その斜面は岩盤部がほとんどなく、粘土層のような崖で成り立っているために、どこも高地からは一気に切れ落ちているのが特徴です。

先の中越地震でもっとも多くの被害がこの山古志村でおきたのは、ただこの地が山間部であったというだけでなく、こうした地形によるところがとても大きかったと思われます。

そんな地形の場所がさらに、全国屈指の豪雪地帯でもあるわけです。

雪崩の危険は、尋常ではありません。


そこで村の大人たちは、子供たちが冬でも安全に通学できるようにと自主的に手掘りでトンネルを村のいたるところに掘ったというのです。

それがどのようなものなのか、かつて震災被害の実態を見に行った際に手掘りの中山隧道には立ち寄ったのですが、他にこのような手掘りのトンネルが多数あることなど、当時は全く気づきませんでした。

 

今回、一度、旧道のそれらしい場所を通ったのですが、見つかりませんでした。

 

通りがかりの人やおばあちゃんに聞いても、こちらが方言を聞き取れないためか、会話そのものがなかなか通じませんでした。

そこで、震災復興資料館ならわかるだろうと、先ほど寄ったばかりのところへ戻り説明を聞いて走っていると、その説明された先に近づくとどうも中山隧道のことと勘違いされていたらしいと気づきました。

そして、その後一人のおじさんに出会い、私たちはようやくその場所へたどり着くことができました。

 

 これは確かに、説明を聞かなければ見落としてしまいそうな場所です。

 

 

縦横の大きさは中山隧道よりも少し小さいものです。

写真では明るく写っていますが、実際は何の照明もないので、中はほぼ真っ暗です。 

  

 

気づけば、先ほど通ってきた道に、このような横穴出入り口がいくつもありました。 

 

 

 

 

一本の長いトンネルの間に、このような横穴出入り口が何カ所もあるのです。 

  

 

私たちが、これらのトンネルの価値が中山隧道以上に価値があると思うのは、これが遠い昔に隔絶された山村の生活を守るために掘られたものではなく、昭和の時代に学校の統廃合が進んだ結果、親たちが子供の通学の安全を守ることを第一の目的として作られたということです。

その親たちの大変な労力と子供たちへの思いには、ただ頭がさがるばかりです。

 

ここで、決してその話に水を差す意味ではないのですが、そうした作業を可能にしたと思われる背景に触れさせていただきます。

それは、私も妻も別の立場で幼いころ新潟県の南魚沼地方や十日町市方面にそれぞれ家庭の事情で縁がありました。

そのころの思い出話を互いにしていると、山へ登ったり泥んこ道で転んだ時の記憶に、必ず粘土質の滑りやすい土の記憶が一緒についているのです。群馬で山に登ったり里で遊んだりしているときには、赤土の粘土で足を滑らせるという記憶はあまりありません。群馬は結構かたい岩盤質が多いのです。そして土も粘土質のものはほとんどなく、さらさらした砂がほとんどです。

もちろん、同じ新潟でも湯沢から八海山の方へいたる山間部はまた違った固い岩盤地質なのですが、そうした地形地質は、スキー場が続く南魚沼から小出にいたる区間、ずっと続きます。

何年か前にトンネル工事の最中にガスが発生し事故につながってしまったことがありましたが、そうした事故も多分に柔らかい地盤によることが想像されます。

妻と十日町のビエンナーレや棚田を見にいく時によく冗談として言っているのですが、
「このあたりのトンネルは鼻くそほじくるよりも簡単に掘れるんだ 」
などと不謹慎なことを言っていました。 

この冗談の深い意味に改めて気付かされたのですが、こうした柔らかい粘土質の地盤という特殊な条件こそが、まず第一に、子どもたちの通学路を守るためだけに作られた手掘りトンネルを可能にさせたのだと思われます。

もちろん柔らかいと言っても、何百メートルも機械を使わない手掘り作業をしたわけですから、どんなに甘く見ても簡単な作業でなかったことに変わりはありませんが、少なくともノミで岩盤を砕くような作業の連続ではなくツルハシなどで掘り進めることが可能であったからこそ、着手することができたのだと思われます。

 

そして、そうした柔らかい粘土質の多い地形がまた、先の中越地震の被害をこの旧山古志村で一層拡大してしまうことにもつながってしまったのではないかと感じました。

事実、新潟県は全国の土砂災害の2割を占めるといわれるほど地盤のゆるい土地です。

 

 

 

 

 すべては、この1冊の本との出会いから始まりました。

平沼義之著『廃道踏破 山さ行がねが 伝説の道編』じっぴコンパクト文庫

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「逆境の乗り越え方」いろいろ

2018年06月08日 | 議論、分析ばかりしてないで攻めてみろ!

人が逆境に陥ったときどう対処するかといったようなことを、時々妻と車の中で話しています。

そんなとき多くの人は減速してその逆風を避けようとするものです。

私自身も、ものごとうまくいかないときは何をやってもダメなもので、
そんなときは無理をしないに限る、とただやり過ごすことが多い気がします。

ところが妻は、私と違ってとてもきっちりとした性格なので、
どんな苦境に陥っても、やるべきことはやり続けなければダメだと決めています。

どちらを選ぶにしても、自分の性格に合わないことを無理してやっても報われないだろうくらいに考えていたのですが、斎藤一人さんから、ちょっと別の見方を教えてもらいました。

 

人は向い風にさらされると、つい減速してしまうけれども、
物理的な原則からすれば、飛行機が向い風にぶつかったならば、
減速ではなくて加速をするべきであると。


向い風が吹いた時には加速することでこそ、機体はふわっと浮き上がることができる。
その時に減速してしまったならば、機体は墜落してしまう。

 

 

 

そうそう、大事なのはここだよとよく妻に話していたのですが、
つい最近、またこんな会話をしているときに、とんでもないことが思い浮かんでしまいました。

ものごと逆風が吹いたときにこそ加速するべきだ、ということ
これを別の言い方をすると、

 

傷口に塩を塗る ⁉️

 

ということなんじゃないのか?

 

これに気づいたときは、その意味のギャップに思わず笑ってしまいました。

 

でも、しばらくときがたつと、これは大事な言葉なので、

笑ってごまかすわけにはいかないなと思いました。

そこでちょっと冷静に考えるとじきに答えは見えてきました。

 

逆風が吹いたときにこと加速するべきだという考えは、
「自分自身」がすることです。

それに対して、
傷口に塩を塗る、という行為は
「他人」がすることです。 

ものごとを切り開く道は、自分の行いによってのみ切り開かれる
ということだけは確認することができました。

 

でも、この「逆風に出会ったときにこそ加速する」と類似の表現として

「傷口に塩を塗る」という表現の引き合いは、

今後もネタとして使わせていただきます(笑)

 

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