ロッセリーニの名作映画『無防備都市』は、私には衝撃的な戦時下の悲劇的なシーンが強く印象に残るばかりですが、「無防備都市」という言葉のもつ意味は、まったく知らずに観ていました。
舞台は、ナチス統治下のローマ。
そこで活動するレジスタンスが描かれているのですが、おたずね者の指導者と、協力者の神父は、指導者のかつての恋人の裏切りでナチスに逮捕されてしまう・・・といった救いをどこに求めたら良いのだろうかというほどのストーリー。
この映画タイトルに対する私の印象は、厳しい戦時に対して、無防備な都市の姿くらいに考えていたのです。
当時のイタリアは、第二次世界大戦時、日本とドイツと三国同盟を結んで、米英連合国側と戦っていましたが、イタリアは自国諸都市への空爆が始まると、早々にムッソリーニを解任して、全世界に休戦を告げています。
この変わり身の早さは、ドイツや日本がその後の泥沼になっても戦い続けた姿からすると、イタリアの方が国民の正義感や平和嗜好が強かったというよりは、いささか失礼ながらも、あまりに軟弱すぎるのではないかと思われるほど早いものでした。それはのちに、ドイツと日本の間で、今度やるときはイタリア抜きでやろうぜ、と冗談話が交わされるほどでした。
でも、イタリアがこのようにいち早く休戦を告げた理由がどのようなものであったかということは、日本の景観政策の貧しさを追及指摘している井上章一の『日本の醜さについて』(幻冬舎新書)を読むことで初めて知りました。
またその理由は、木村裕主の『ムッソリーニを逮捕せよ』で、さらに詳しく知ることができます。
「戦争に勝つためではなく、それをやめさせるために全力をつすく。被害を最小限におさえる形で、イタリアの、いわば敗北を勝ち取ろうとする。そんな軍人の、どうどうたる姿が、この本にはえがかれている。」
イタリアがムッソリーニを解任して、休戦に至る経緯はちょっと複雑なので、もう少し詳しく補足しておきます。
日独伊の三国同盟を結んでいた枢軸国側ですが、三国の中でもイタリアは、国力、軍事力ともに弱い立場にありました。その国の弱さがムッソリーニ、ファシスト党の登場を生んだ背景でもあるわけですが、イタリアの場合、ムッソリーニの他に、国王とローマ法王という、3つのトップがいました。
始めのうちこそムッソリーニの勢いはあったものの、次第に国民の間だけでなく軍内部でも、この戦争はムッソリーニの戦争であって、イタリアのための戦争ではないといった空気も流れ始めていました。
そんなとき、1942年(昭和17年)に東京を初空襲したアメリカのドウリトル少将指揮下の爆撃機隊が、1943年にローマを爆撃します。
ローマは、カトリックの総本山ヴァチカンを擁することから、攻撃対象となるようなあらゆる軍事施設、兵力をおかない「無防備都市」の宣言を検討している最中のことでした。宣言によってローマが空襲されることはないだろうと、イタリア政府はもちろんローマ市民に至るまで等しく期待していまた。それだけにローマ爆撃は、ムッソリーニにもローマ市民にとっても青天の霹靂に等しいショックだったわけです。
しかも戦局は、ムッソリーニ周辺からも、ヒトラーに戦争からの離脱を伝えるべきとの声が囁かれていた時期のことです。
他方、連合軍はイタリア南部シチリア島からの侵攻を計画。総兵力16万、軍用車両1万4千、砲門千八百。これを海空軍の大部隊が援護。
「史上最大の作戦」で知られるノルマンディ上陸作戦が兵力10万7千です。それを遥かに上回る規模のものでした。
これを迎え撃つ軍事力はイタリアにはとてもないことから、休戦に持ち込むことはイタリアにとって不可避であったわけです。
ところが、先に休戦をしてしまうと、今度は国内にいるドイツが敵国となりイタリア全土がドイツの占領下となって連合軍と間の戦場と化すことになってしまう。
イタリアとしては、できるだけドイツにさとられないように、連合軍に対して休戦を伝え、いち早くドイツ軍を分断、敗走させるよう連合軍に協力することが最良の選択であると判断されていました。
そのような共通認識が広がる中で、ムッソリーニ逮捕を敢行し、敵である連合軍との接触を試みていたわけですが、戦時中の内部の動きの不統一や連絡の不備などがあり、計画通りにはなかなか進みませんでした。
結果、イタリアの裏切りを知ったドイツはイタリア全土を事実上の占領下に置き、連合軍と対峙することに。そのためにドイツは山中に幽閉されていたムッソリーニを救出するという離れ技を行い、イタリアファシスト勢力の復活を援助し、イタリアはムッソリーニとレジスタンの内戦状態となっていまします。
連合軍も、イタリア軍部からの助言で、ローマ以北に侵攻すれば、ドイツ兵力を分断して敗走させられる予定でしたが、予想外にドイツ軍がローマ周辺に集結しているとの誤報が原因で、想定外の長期の闘いとなってしまいました。
そんな軍事的にも、国の威信の上でも重要なローマが、刻々と変わる戦況の中で「無防備都市」となるはずであった目論見が崩れて、同盟関係であったときから必ずしも折り合いの良い関係ではなかったドイツが、完全な敵対国となってしまった直後の姿が、映画「無防備都市」の舞台であったわけです。
あらためて、なぜ「無防備都市」と言われるのか?
それは空爆に曝されるようになって、イタリアの歴史的建造物が無残に破壊される姿は、多くのイタリア国民にとって、耐えがたいことでした。
戦争による破壊が、その国民にとって耐え難いことであることに民族の差はないと思いますが、歴史建造物に対する思いは、やはりイタリアならではのものがあったようです。
そこでイタリアは、都市への空爆が始まるや否や、まずローマの非軍事化をはかり、攻撃対象となるような軍隊、軍事施設を一切おかない都市にしようとしたのです。それに本来は同盟国であったドイツも同意し、撤退していくはずであったのですが、ドイツ軍がそのまま駐留してし、寝返ったイタリアを占領下にしてしまったために悲劇が生まれました。
ちょうどこの「無防備都市」という非軍事化政策のことを知った同じ時期に、アフガニスタンで活躍されていた中村哲医師の殺害という悲報が流れてきました。
実は、中村医師の危険なアフガニスタンでの活動スタイルも、この「無防備都市」と共通の考えです。
紛争地域での危険な支援の立場が、必ずしもこうすれば絶対に大丈夫などということが保証されるものではありません。
アフガニスタンをはじめ世界の紛争地域に入るには、ジャーナリストであろうが国際支援団体であろうが、必ず武装した兵士を護衛につけることが常識です。
しかし、中村医師が最も有効な方法としてとった方法は、自らの安全のためであっても武装はせず、中立の立場を貫くことであったわけです。武装すればそれ以上の武力で必ず襲われる。狙われれば防ぎようはない。
つまり、選んでいたのは「無防備都市」が目指していたのと同じやり方です。
実際に中村医師は、長年そのスタイルで身の安全を保つことができていました。
外部から来た人間としてではなく、現地で同じ服装や習慣内部に溶け込むことを第一にして、決して武装した護衛をつけることは考えませんでした。
さらに素晴らしいのは、中村医師の主宰していたNGOは、その活動資金に、いわゆる公的資金、政府、国連からの資金が一切入っていないことです。この資金の面でも中立性は担保されていたわけです。
それが最近になって、中村医師が狙われているとの情報が噂されるように変わってしまいました。
中村医師がアフガニスタンへの貢献を感謝され、2018年2月にアフガン政府から勲章を、2019年10月にはガニ大統領から「名誉市民権」を授与され、大統領とのツーショット写真が撮られて出回り、それまでに保たれていた中立性が壊れてしまったのです。
国のトップから感謝されたのだから光栄ではないかと言われるかもしれませんが、国のトップというのは、中東などの紛争地域に限らず、先進国であっても特定の政治的な立場を持っているものです。それが、中東などの国ともなれば、言わずもがなです。
「そうです。まず生きることです。あとは、はっきり言ってタリバンが天下を取ろうが反タリバン政権になろうが、それはアフガンの内政問題なんですね。そのスタンスさえ崩さなければ我々を攻撃する連中なんかいませんよ。それどころか、政府、反政府どちらの勢力も、我々を守ってくれるわけです。」 中村哲医師
実は、これと真逆の構図からくる危険が、中東に派遣される自衛隊の姿にはあります。
軍隊を持たないことを憲法でうたう日本の自衛隊(戦うことを禁じられた軍隊)が、直接紛争には関わらないという建前で、「非戦闘的」軍人?が、純粋に中立的立場ではなく、露骨に米軍への肩入れを政府が表明したうえで、当該地域に派遣されてしまうのです。
中東諸国との関係だけでなく、何よりもアメリカへの絶対的支持を国際的に表明して、しかも使ってはいけない軍事装備を持ったまま紛争地域に入っていくのです。
敵の攻撃を受けないためにとられた「無防備都市」の思想とは、最も対称的な選択を「平和憲法?」の名のもとに国が行っているのです。
その異常な姿は
第一に、「平和」と当該地域の「安全」確保のための非戦闘的方法と言いながら、アメリカの意向には絶対に逆らわない政府の「軍隊」であることを国際的に表明して行動していること
第二に、派遣先の国々には、国連への協力であろうが、人道的援助であろうが、世界から見れば武装した軍艦や車両、小銃などの兵器を持った「軍隊」として対峙しているということ。
第三に、自衛隊の派遣先では、いかなることが起きても、軍隊を持たない国と規定されている「自衛隊」は、どんな不測の事故が起きたとしても、「軍隊」としての行動は禁じられていること。
こうした矛盾を抱えたままであるために、「軍隊」ではないという建前を通す自衛隊員には理不尽極まる環境を強いながら、まさに「無防備軍隊」としての姿で危険な紛争地域に派遣され続けているわけです。
この矛盾を放置したままの「護憲」「改憲」論議は、どんな現実的課題を語っても無意味であると私は思っています。
これを話すと友達をも失う恐れがあるのですが、日本にどんなに立派な平和憲法なり憲法九条があろうが、まず独立国として他国との条約を主権国家として自国の憲法の下におくことが出来ない限り、あらゆる憲法論議の前提は成り立たないものと思ってます。
日本が平和憲法を保持する条件も、まず「無防備都市」が成り立つ中立性と独立国としての主権の獲得が先で、その条件が欠けた「九条」は、「護憲」派の方々には申し訳ありませんが、どう考えても欠陥条文と言わずにはいられません。
かといって今の大半の「改憲」派は、もっと遠い立場にありますが。
そして「戦うことを禁じられた軍隊」という自衛隊の法的矛盾をまず解決することも不可欠です。
また、安保のような軍事同盟を結んだ場合であっても、まず第一に主権国家としての憲法判断が他国の意思に優先されることを抜きにして「平和」を語ることはできません。
平和を獲得するには、必要な階段のひとつひとつ、どれを抜かしても勝ち取れるものではないので、時間はかかっても、はじめの一段からしっかり築いていく覚悟がまず求められます。
どんなに困難であっても、日本が正常な独立国としての立場を貫けることを目指さずして、どこに平和がきずけるというのでしょうか。
このことを抜きにして、これがあれば平和は絶対に守れるなどというものはない(九条問題を含め)と私は思っています。
映画「無防備都市」の意味と、中村医師の悲劇を思うほどに、ここは譲れない気持ちがあらためて強くなり、毎度未整理な文で恐縮ですが、書かずにはいられませんでした。
中村哲医師は、確かに最期は殺害という悲しい結末に至ってしまいましたが、殺害される直前までは(殺害されたときでさえ)かたくなに護衛の武装兵士をつけることを断わり続けていました。
中村哲医師のその行動こそが、あの世界一ともいえる危険なアフガニスタン国内で長年にわたって支援活動を続け、信頼と実績を勝ち取ることができたのだということを忘れてはなりません。くれぐれも、中村医師が身をもって立証してくれたのは、あんな危険な地域にいれば結局こういう結末になるのだということではありません。「中立」(特定の立場に立たないというだけではなく、政府からの金銭的物的支援・援助も受けない)、「非武装」(護衛のためであっても武装兵士をつけない)という前提が壊れた瞬間に、長年積み重ねてきた信用や安全が崩れてしまったのだという現実です。
確かに非武装という選択は、大変な勇気のいることです。
ただちに安全を保障するものではないので、決して安易に他人にすすめられるものではありません。
それでも、武器を持って守り戦うことに比べたら、あらゆるこちらの権利の侵害を想定したとしても、双方の死傷者の数は間違いなく減らすことができることは間違いありません。
くれぐれも誤解のないよう繰り返しますが、中村医師が身を持って示してくれたのは、決して「九条」なり「非武装」や「中立」の法律や概念さえあれば、自動的に平和が保証され守られるといったようなことではありません。互いに異なる文化に対する相互理解、人的・文化的・経済的交流を築く人びとの「行為の積み重ね」によってのみそれは保証されるのです。幅広い人びとが中村医師の平和活動への貢献は評価してくれていますが、この点を見落とさないよう願うばかりです。
もちろん簡単なことではありませんが、この中村哲医師の行動こそが、世界がどのようにして戦争のない平和な社会を築いていけるのかという難題への大事な道すじを世界に示してくれたのだと私は思います。
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補足 アフガニスタンでの非合法武装組織解体プログラム
アフガニスタンにおける様々な国際支援活動で日本はどのような活動を行なっているのでしょうか。紛争地域への支援では、自衛隊派遣の仕方や医療活動ばかりがニュースになりがちですが、他に行われている大切な取り組みのことをひとつ紹介させていただきます。
国連ミッションで通常行われる平和構築活動は、「政治的な役割と、軍事的な役割(国連PKO活動や国連警察活動など)の双方を指揮、コントロールする」ことにありますが、アフガニスタンでは、アメリカが国連の枠外で「不朽の自由作戦」を展開してしまっているため、この方法は取れませんでした。
そのため、「アメリカがアフガン軍の再建をリードし、ドイツが警察の整備を指導し、イギリスが麻薬対策をリード、イタリアが司法改革を担当し、日本が武装解除を担当する」といった国際分業のかたちになりました。この方法をとると、国連の権限が弱いことや各ミッションの連携が取れないなどの弊害が生じます。
しかし、制約がありながらもアフガニスタンでの地方軍閥の解体プログラム「非合法武装組織解体プログラム=DIAG」は、世界のこれからの非武装化活動を考える上でも、貴重な経験を積んでいます。
「非合法武装組織解体プログラム=DIAG」は、国家の根幹的な治安機能を回復するために必要な「武装解除」「政府改革」「警察改革」「司法改革」「刑法改革」の5つの要素で構成されています。そして日本が中心となって「武装解除」の分野の指揮をとっていたのが、先に紹介した『国際貢献のウソ』の著者、伊勢崎賢治さんです。
長い戦争の歴史を持っているアフガニスタンでは、国土の多くが4,000〜7,000メートル級の山々に囲まれていることもあり、地方ごとに様々な軍閥勢力が点在しています。
したがって、広い国土をひとつにまとめること自体がとても難しいのですが、にもかかわらずタリバンは急激にアフガニスタン全土にその勢力を拡大しました。
短期間に勢力を拡大できた最大の理由は、アフガニスタンの貧困です。
背景には、隣国パキスタンがアフガン領内を通過する天然ガスのパイプライン計画が立ち上がり、その遂行のためにタリバン勢力をお金で支援したことがあります。
「タリバン兵士が420人いるとすれば、そのうち400人は、1ヶ月100ドルの給料をタリバンからもらうために働いている兵士です。パキスタンに支援され、イデオロギーのために戦っている核となるグループは20人にすぎません」
そこでDIAGの活動は武器の放棄だけではなく、その後彼らに仕事を与えることをセットにして武装解除の取り組みを行うようにしました。もちろん、タリバン勢力の強いアフガニスタン南部では、まだ対話すらも成立しない困難な環境にありますが、北部では十分とは言えませんが徐々にその成果が広がりつつあります。
戦争が常態化したようなアフガニスタンではありますが、それだけに意外と「もう戦争は終わらせたい」と願う国民や、「国連がバックについているなら信用する」といった国民も多いものです。
しかしそれも当然のことながら、そう容易いものではありません。
信頼を手がかりに武装解除を進めるのですが、現実には武装解除と引き換えに約束した復興開発プロジェクトが、「計画がなかなか実行されない」、「予算が足りない」などの自体が起こり、そのたびに「騙された」「裏切られた」などと言われるはめになってしまうのです。
実は、この点こそが平和構築のプロセスではとても大事なことです。
計画は着実に計画され実行され続けることが不可欠です。組織が大きくなれば、なかには汚職や裏切りがはびこる危険も伴います。
まさに中村医師はこうした期待を裏切らない信頼の積み重ねにこそ最も気を配っていたと言えます。
また日本の場合でも、どんなに平和憲法があろうが、そのもとに一つひとつ信頼を得られる行為の積み重ねがなければ、たったひとつの裏切り行為があっただけで、その理念も支援活動も台無しになってしまいます。
このようなことは、こうした武装解除の活動に限りませんが、計画や理念の正しさ以上に、それを信頼してもらえるような行為の積み重ねこそが、何よりも大事なことです。
国際社会のなかで、かつては多くの信頼を持っていた日本こそが、それを裏切ることなく更なる信頼の行為の積み重ねをしていきたいものです。
(参照 東大作『平和構築 ーアフガン、東ティモールの現場から』(岩波新書)
さらに、中村医師の名誉のために付け加えますが、こうした平和構築に繋がる中村医師の姿は、世界平和のためにはとても重要な示唆を与えるものに違いありませんが、中村医師自身にとっては、より多くの命を救うための強い意志からすれば、あくまでも命を助ける活動に付随した必然行為の一つにすぎません。
あえて極端な言い方をすれば、法律も理念もいらない、あの小柄な風貌からは想像つかないほどただひたすらに強い意志を持って、その貫徹のためには強盗さえしなければ手段も選ぶなと強弁するほどの精神に支えられていたことこそを忘れないでいただきたいものです。