かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

もうひとつの「不滅の共和国」  「野生」の側にある本と本屋の本分

2017年07月27日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)

・・・と言うわけで、
同業者間の半年ほど前の話の続きです。
なんのことかって?自分でもよくわかりませんが(笑) 

「独立系書店の独立宣言」http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/cb2c95d367966a5fdb09f45880a4739f
「10年後に生き残る書店像」http://www.hosinopro.com/about1
などを書いてから、あれよあれよと言う間にもう10年は間近に迫ってしまいました。
その間、現実はさらに変化して、現象を見ると私の軸足も微妙に変わってきたような気がします。

まだ右肩上がりの余韻の残る時代は「こうすれば売り上げはまだ伸ばせる」といった方法論に魅力がありました。
それが市場縮小時代が確実になると、売り上げが伸びようが伸びまいがそれらにかかわりなく、「仕事のためにする仕事」ではなく、また「売上げのための仕事」でもなく、「生きていることが仕事になる働き方」こそが、単に目指すべきことというだけでなく、無視することができない不可欠の要素になってきたように見えます。

あらためて「独立系」という言葉にこだわって考えてみれば、これこそが何も変わらない普遍の軸足であることも再確認できます。

最近、こうした考えをさらに深く掘り下げてくれている一文に出会いました。

その文章をより多くの人に知っていただきたく、以下に引用させていただきます。
菅啓次郎という詩人(翻訳家)の文章なので、わずかな引用でも著者にはシビアに見られるものと考えられますが、とても内容が濃く凝縮された文章なので、勝手に改行などネット画面向きにあらためておりますが、一語一語嚙みしめて読んでいただけたらと思います。

 

 

効率よく利潤を上げることを最大の目的として動く貨幣の「共和国」に対して、すべての書物を「共有物」とする第二の「共和国」は、反響と共鳴と類推を原理として、いたるところで新たな連結を作り出してゆく。

そこでは効率や利潤といった言葉は、口にすることすら恥ずかしい。

人々は好んで効率の悪さ、むだな努力、実利につながらない小さな消費と盛大な時間の投資をくりかえし、くりかえしつついつのまにか世界という全体を想像し、自分の生活や、社会の流れや、自然史に対する態度を、変えようと試みはじめる。

きみもすでにそこに属しているに違いない書店の共和派は、たったひとりの日々の反乱、孤独な永久革命を、無言のうちに誓っているのだ。

ただ本屋を訪ねつづけることが、彼/女の唯一の方法論であり、偶然の出会いが、彼/女のための唯一の報償であり、それによってもたらされるわくわくする覚醒感と知識の小さな連鎖的爆発が、彼/女の原動力だ。


 そして書店の「共和国」は、ドルを参照枠とするお金の「共和国」に、対抗する。

反乱を宣告する。

この理由も、また明らかだ。

後者が全地球的規模のひとつの「システム」であるのに対して、前者は各地の新刊書店、古書店、学校図書館、地域の図書館、個人個人の蔵書などと突発的に無限につながりつつ、あくまでも不可算の「反システム」でありつづけるから。

世界を単純にまとめようとする力と、世界を分散させ見出された複雑さにおいて知ろうとする力は、水と油よりも相容れない。


たしかに書店は、ある程度まで商業の論理にしたがい、システムの一部をなすだろう。

けれども本という物体には、どこか動物じみたところがある。

それは生まれ、飼い馴らされ、売買されることがあっても、どこか得体の知れないところ、人の裏をかくところ、隠された爪や牙、みなぎる野生がある。

そんな本という物体の流通の場をなす書店の「共和国」が、だから森林や平原や砂漠や海岸に似ているのは、あたりまえだ。

本をあてどなく探すという行為がしばしば狩猟にたとえられることも、頷ける。

あとは、そうした本の(途方もない集合として見られた書物の)手のつけられない本性、脈打つ根塊にひそむ想像への無数の芽吹きを、よく感じとりそれに対応することが、個々の書店におけるローカルなミニ気候を決定することになるだろう。

その気候を、気概と呼んでもいい。

 

   (管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』左右社より)

 

 

つまり、もともと広大な荒野へ飛び出す魅力に取り憑かれたわれわれの側からすれば、一つふたつの取次が無くなったり、一つふたつの大手出版社が消えたり、一つふたつの業界団体が消えたところで、「ギョーカイ」にとっては大問題かもしれませんが、こちらの「共和国」にとっては、それほど大きな問題にはなりえないのです。

はなからその先に何が待っているかは想像もつかない広大な荒野に飛び出すことこそが、自由溢れる「共和国」の側にいる本と本屋の本分なのですから。

見ることができないその先には、断崖絶壁があるのか、はたまたオアシスがあるのか、あるいは竜宮城のような夢の世界が待ち受けているのか、ハーレムあるのか、そもそも自然界では全く予測のつかない環境の中で生きていることこそが「自然」なのです。 

また「予測がつかない」と言ってしまうと、ここで生き抜く「野生的」なるものを、ついオオカミやライオンのような強い肉食動物ばかりが勝つ姿を想像しがちですが、現実の自然界の動物は圧倒的多数が草食動物です。

筋骨隆々のゴリラは草食ですし、象やサイも草食です。
そういうことだけではなく、度重なる地球生命の危機を乗り越えてきたのは、爬虫類でありゴキブリであり、バクテリア・微生物たちであったわけです。 

この第二の共和国の側にある「野生」が意味しているのは、必ずしも「強さ」のみによって表現されるものではなく、むしろそれは、「単一性」や「均質性」といったものに対立する「多様性」こそが本分なのだと思います。

「単一性」や「均質性」こそが、自然界の歴史では滅びる側の摂理です。

サバンナを生き延びる野生動物ほどの苦労はせずとも、温帯気候の中で生きている私たち人間は、圧倒的な大自然の恵みの中で豊かに暮らしてきました。

それと同じく、私たち本屋も、その恵みである本や情報は、決して枯渇する心配など不要なほどの豊かな恵みをもたらしてくれています。

さしあたって本が開いたからといって、突然その野生の本性をあらわし、ページをパタパタ羽ばたかせてどこかへ飛んで行ってしまう心配はありません。
また、本から突然足が出て、ものすごいスピードで逃げて行ってしまう恐れもありません。

現代社会には「情報洪水」などという言い方もありますが、そもそもこの大自然、宇宙にいる限り私たちは、絶対に汲み尽くせない「情報」や果てしない「謎」の中で私たちは生きているわけですから、私たちの側に存在する「不滅の共和国」への信頼が揺らぐことはありません。

大自然の恵みのなかで「野生」という本分を備えて「多様性」や「はみ出す力」こそを生存の条件とする側に生きている私たちには、どんな「ギョーカイ」側の大きな衝撃があったところで、ダメージは受けてもそもそも「困ったこと」などおこりえないのです。 

ちょっと暴論に聞こえるかもしれませんが、長い歴史を見れば、これが必ずしも暴論ではないことに気づいていただけるかと思います。 

野生の大地に立っているからこそ、数多の未知の世界についての本をあさるのであり、社会の未来を知る手がかりを求めるのであり、経営の本、営業方法の本、自己啓発の本地域や歴史の本、人間関係や家族のあり方をえがく物語にとめどなく惹き込まれつづけるわけです。 

切実に困った現実に直面している私やあなたこそが、もっとも多くの本や情報を得ながらチャレンジし続ける野生の本性を持っているわけですから。 

 

 

関連ページ

序 「たて糸」を断ち切りひらすら「よこ糸」のみをかき集めてきた時代

1、「たて糸」の読書と「よこ糸」の読書

2、「読書」は本来、(どくしょ)ではなく(よみかき)です

3、数字が如実に示すネット時代に生き残れる業界の姿

 

 

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土用の丑の日に食べるのは、ウナギではなくカワニナが本家

2017年07月14日 | 暮らしのしつらえ

夏の土用、丑の日にウナギを食べると夏バテ防止になるといわれます。

ところが、そもそもウナギの旬は晩秋から初冬にかけてです。

夏のこの季節にはあまり味がのっていないので、もともとは売れ行きが悪かったそうです。その季節の売り上げをなんとか伸ばすアイデアとして平賀源内が、丑の日の「う」にかけて土用の丑の日に鰻を食べると夏バテしないというキャッチコピーがヒットし、現代にまで受け継がれているわけです。

ウナギで商売している皆さん、どれだけ平賀源内のお墓にお参りしているでしょうかね。


私は、ウナギの旬が晩秋から初冬にかけてであることすら知りませんでした。

天然のウナギは8月から10月にかけて、産卵のために海へ下っていき、この「下りうなぎ」こそが本当は肉もしまり脂肪もなれてきて一番おいしいらしいそうです。

ただでさえその生態は謎が多く、漁業資源の枯渇も心配されてる時代です。
 

旬でもない時期に無理に食べるなど、ずいぶん野暮なことを粋がっているものです。
夏の暑いさ中、ウナギだって川の底できっとバテているでしょうに。 もっとも、脂ぎったウナギを焼いてさらにタレをかけて食べるわけですから、素材の違いなどあまり気にするほどのことではないのかもしれません。
 
 
参照 絶滅危惧種のウナギを食べて良いのか論争



ところが日本には、この夏の土用の丑の日に、ウナギではなくカワニナを食べる習慣が先にあったことを知りました。



カワニナは、地域によってはニラ・ニナ・ミナなどとも呼ばれており、
野本寛一『栃と餅』(岩波書店)のなかに以下のような例が紹介されています。



① 夏の土用の丑の日にニラ(カワニナ)を捕り、味噌汁に入れて食べた。
 ニラは腹薬になると伝えられた。  (広島県比婆郡比和町森脇・熊原富枝・大正一四年生まれ)

②夏の土用の丑の日の夕方ニナを捕り、塩茹でにして食べた。
 腹薬になると伝えられた。 (広島県比婆郡西城町油木・藤綱■・大正二年生まれ)

③ 土用の丑の日にはニラを味噌汁に入れて食べた。ニラは肝臓の薬になると伝えられた。
            (広島県双三郡君田村東君入・平岡義雄・大正一一年生まれ)
 なお同地の寺藤貴楽(大正十四年生まれ)家では、先祖が、ニラ・タニシの食絶ちをして願かけを
 したことがあるのでニラ・タニシは食べないという。

土用の丑の日の前日夕方ニナを捕り、一晩水につけアカ出し(泥出し)をし、翌朝味噌汁に
 入れて食べた。これをニナ汁と称し、夏負けの薬になると伝えた。
        (岡山県川上郡備中町志藤・芳賀恒治・大正一五年生まれ)

⑤夏の土用の丑の日にカワニナを捕り、味噌汁に入れて食べた。
        (岡山県阿哲郡上郷町志油野・普門秀男・昭和四年生まれ)

⑥夏の土用にミナを捕り、味噌汁にして食べた。夏負けを防ぐ薬だと伝えた。
        (島根県川上郡備中町志藤・芳賀恒治・大正一五年生まれ)

⑦「土用ニナ」と称して夏の土用にニナを味噌汁にして食べた。
  ハラワタまで食べると胃の薬になると伝えた。
        
(島根県飯石郡三刀屋町粟谷・板垣正一・大正六年生まれ) 



 私たちのいる月夜野で今は、カワニナはもっぱらホタルの餌としてしか話題になりませんが、日本の農村の食生活の中でカワニナはタニシなどとともに、ささやかなタンパク源として貴重な食べ物であったようです。

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それを土用の丑の日に鰻と同じく食べている習俗があるのを聞くと、ホタルも相当スタミナをつけないと、お尻を光らせることはできないのだろうかなどと思えてきます。 

そればかりか、そもそも土用の丑の日にウナギを食べることの方が、平賀源内のこじつけアイデアに過ぎず、ウナギ本来の旬の季節に対応した食べ方ではないだけに、むしろこのカワニナを食べることの方が、ずっと歴史も古く立派な根拠のある習慣であるといえそうです。


そうです、土用の丑の日にはウナギを食べるよりも、カワニナを食べた方が、ずっと理にかなっているのです。

そうすれば、きっと私たちのお尻も輝き始め、輝くことはなくともキュートな形を増し、女性を惹きつける魅力となるに違いありません。

いえいえ、ホタルの里として知られる月夜野こそが、土用の丑の日にはウナギではなく、カワニナを食べるようにならなければなりません。

ホタルだけでなく、人間もたくさん食べているから地域がこんなに元気になるのだと(笑) 


 




もともとタニシは、田の主(ぬし)ともいわれるように、カワニナやドジョウなどとともに田んぼ周辺を代表する生き物であったわけですから、ホタルの幻想的な光にばかり注目せずに、その餌となる周辺の生き物たちが一体となって私たちの暮らしの環境を支えていたことに、これを機にもう少し思いをめぐらせてみたいものです。
 
 

 

平賀源内に負けない月夜野発・脱ウナギキャンペーン

 

キャンペーン ①

「身を焦がすような恋がしたいならなら、
土用丑の日にはウナギじゃなくカワニナ食べてスタミナつけよう」
 

キャンペーン ②

「ウナギの旬は、秋冬です。
ただでさえ枯渇している資源を旬でもない時期に食べるのはやめましょう」
 

キャンペーン ③

「土用の丑の日に鰻を食べるのは、
旬でない時期に売れなかった鰻を売るために、200年前に平賀源内が出したアイデアです。
根拠のない習慣にいつまでも縛られるのはやめましょう!」
 

キャンペーン ④

「尻に火のついてるウナギ需要は、ホタルとカワニナが救う!」

 

キャンペーン ⑤

「今の旬は、カワニナやタニシ。夏バテ防止はこれだ!」

 

というわけでもありませんが、魯山人はタニシの薬効について次のような経験を話しています。

「妙な話だが、私は7歳のとき、腸カタルで三人の医者に見放された際(その時分から私は食道楽気があったものか、今や命数は時間の問題となっているにもかかわらず)、台所でたにしを煮る香りを嗅ぎ、たにしを食いたいと駄々をこね出した。なさぬ仲の父や母をはじめ皆の者は異口同音に、どうしましょうというわけで、不消化と言われるたにしを、いろいろなだめすかして私に食べさせようとしなかった。しかし、医者は、どうせ数刻の後にはない命である、死に臨んだ子どもがせっかく望むところだから食べさせてはどうかとすすめた。そのおかげで骨と皮に衰弱しきっていた私の口に、たにしの幾粒かが投げ入れられた。看護の者は眉をひそめ、不安げな面持ちで成り行きを見つめていた。
 するとどうしたことか。ふしぎなことに、たにしを食べてからというもの、あたかも霊薬が投ぜられた如く、七歳の私はメキメキ元気が出て、危うく命を取り止め、日ならずして全快した。爾来何十年も病気に煩わされたことがない。それかあらぬか、今もなお、私はたにしが好きだ。」『魯山人味道』(中公文庫)より 

といっています。 

もちろん、「これは私だけかもしれないが・・・・。」と付け加えたうえでの話。

 

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ホタルの里の「月夜野百八燈」

2017年07月03日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

 

歩いてこそ感じる里の景観

 

2017年、矢瀬親水公園脇から月夜野歴史郷土資料館前にかけての歩道フェンスに「月夜野百八燈か」の行灯を設置させていただく許可を頂きました。

この「月夜野百八燈」の展示は、道路沿いだからといって、そこを通行する車に見せることが第一の目的ではありません。


月やホタルを思いながら、ほのかな明かりのもとを少しでも多くの人に歩いてもらうのが一番の目的です。

おばあちゃんが孫の手を引きながら、ホタルの鑑賞地まではまだずっと先なんだよと、ぽっくらぽっくらとゆっくり、行灯の仄かな明かりを楽しみながら歩いている風景を想像して作りました。

 

本来は、ホタルの生息域だけではなく、そこに至る田んぼ道に、ホタルやその他たくさんの生き物たちが棲息していました。

そうした豊かな自然を少しずつ取り戻していくための自然環境のバロメーターとして、ホタルは大事な役割を果たしています。

でも残念ながら現実は、完全無農薬の田園風景を取り戻して、直ちにたくさんの生きものたちを呼び戻すことができるわけではありません。ホタルを守る地道な活動の積み重ねと周辺の自然環境を取り戻すことは密接な関係にありますが、だからといってこのふたつは自動的につながるものでもありません。

私たちは、身の回りの景観のなかにある生命ひとつひとつに目を向け、同じ地域に暮らす住民としての気づきを私たちが感じられないと、何かひとつの行政施策で単純に解決できる問題ではないと考えています。

車こそが王様とも言えるような社会構造の中で、少しでも歩くことを大切にする環境を取り戻すことで、そうした景観を取り戻していく契機の一歩にこの「月夜野百八燈」がなれたらと思います。

そのために以下のような三つの視点で、私たちは「月夜野百八燈」の運動を積み重ねていく予定です。

 

 

 

 

 「こころの月百景」をかたちにする活動

  

 行灯には、月とホタルにまつわる古今の有名な短歌、俳句、川柳、都々逸などが書かれています。 

万葉集、古今集、百人一首などに始まり、俳句は芭蕉や一茶など比較的馴染み深いものから、2016年に第1回目として百選を選んでみました。
 

 

 百選の中から一部を抜き出してみます。

 

92、親一人、子一人蛍光りけり     久保田万太郎                        

93、物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる
                             和泉式部  

94、声はせで身をのみこがす蛍こそいふよりまさる思ひなるらめ
                              源氏物語 

95、軒しろき月の光に山かげの闇をしたひて行く蛍かな    
                          後鳥羽院宮内卿      

 

99、その子等に捕えられむと母が魂(たま)
      蛍となりて夜(よ)を来(きた)るらし    窪田空穂    

100、蛍火の今宵の闇の美しき   高浜虚子 
 

 

 「月夜のこころ百選」 http://tsukiyono.blog.jp/archives/1060128701.html

  

ホタルの季節に、春や秋の月の歌が入っていることにもなりますが、その辺はご愛嬌ということでご容赦ください。 

どのジャンルでも月やホタルにまつわるものはたくさんあるので、毎年情報を収集しながら少しずつ練りこんでいく予定です。

 

よく言われることですが、これまでは経済の時代でしたが、これからは哲学、心理学、倫理学の時代になると言われます。

確かにその通りに違いありませんが、私たちの住む月夜野では◯◯学と言っているうちは、人に伝わるものではないと考え、「物語のいでき始めのおや」と題してこの土地の物語を少しずつ育てながら書き始めているところです。

それは「哲学」や「心理学」、「倫理学」と並ぶような「文学」ではなくて、そこに暮らす人びとの日常の「ものがたり」として語られることを目指したものです。
 

「物語りのいでき始めのおや」 私たちの「物語り」び三つの顔
http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/bebcf3ddf9609cdbc6b8c9f1219096c5 

 

 

    学問は尻からぬけるほたる哉      蕪村

  

「月夜のこころ百景」のリーフレットに書いたことですが、私たちの暮らす月夜野にとって、観光も産業振興もたしかに大事ですが、何よりも大切なのは、そこに暮らす人びとの胸のうちに灯る仄かな明かりです。「月夜野百八燈」は、この地にそうした小さな幸せの明かりを一つひとつ灯していくことを目指しています。

それは、ひとつの表現との出会いであり、一人の人との出会いの積み重ねです。

 

 

 

夜は生命のゆりかご

ほのかな明かりが暮らしをつくる、まちをかえる

 

 

この場所でも午前零時をまわる頃には、ホタルがす〜と飛んでいたりします。

零時をまわると、まわりの駐車場の明かりなども消え、車の通りもほとんどありません。

そんな夜の闇は、先の東京オリンピックのころまでは当たり前のようにあった世界です。
 

これまで私たちは、戦後一貫して、夜はただひたすらより明るくすることでこそ、「豊かさ」と「安全」が保障されるものと信じて、より「明るい」社会を実現してきました。

ところが宇宙から夜の地球の映像を見ると、異常なほどに夜の明かりが大地を照らしていることに気づかされます。

暗闇に明かりを灯すことは必要ですが、あまりにも昼間に近づけることばかりを求めすぎてはいないでしょうか。

本来夜は、暗いことでこそ生命(いのち)のゆりかごとしての役割を果たすものです。
 

「夜は生命(いのち)のゆりかご」
http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/3f8431f02a7fd6c0d3488f8ce2e85b7a?fm=entry_awc


月夜野の誇る「ホタル」や「月」の仄かな明かりは、そんな大切なことを私たちに気付かせてくれる大切な存在です。

ホタルの季節と秋の中秋の名月の前後の年2回、そんなことを考え味わう機会として、「月夜野百八燈」の設置を試みてみました。



 

      すっと来て袖に入たる蛍哉
                     杉風

 
 

普通の家のなかにまで、す〜とホタルが入ってくるまちを取り戻すこと、

それは決して夢物語ではありません。

 

 

 

 

 

みなかみ町の
観光振興や暮らしの復権のための
「本丸」=景観づくり
に近づくための第一歩
 

 

みなかみ町は観光を柱として栄えている町です。

ところが、どんなに魅力的な山々や渓谷の自然、たくさんの温泉やリゾート設備があっても、そこへいたる周辺の環境が、コンクリートの電信柱や送電線が乱立していたり、白ペンキのガードレールが続いていたり、道路脇の草刈りが徹底していなかったりしたら、いつまでたっても世界の観光地水準には追いつけません。

かといって電柱の地中化など、どれを取っても莫大な予算をかけて何十年もかかることなので、今すぐにそういった提案をしたところでなかなか取り合ってもらえるものでもありません。

しかし、観光のためだけではなくそうした本来あるべき暮らしの美しい景観を取り戻すことは、30年もしないうちに間違いなく当たり前のこととなります。今から可能なことから着手して、少しでも実現の時期を早めなければなりません。

かつては考えることもできなかったことですが、電柱の地中化よりも先にエネルギーの地産地消や自家発電の普及、マイクロ波などの技術革新などにより、電柱地下埋設費用の云々よりも、そもそも電柱が必要とされない社会の方が先に来てしまいそうな変化がすでに始まっています。

私たちは、そうした少しでも実現すべき景観の意義を考える入り口として、この行灯がつくる景観や車よりも歩くことを優先した環境づくりに近づくため、この「月夜野百八燈」を活用して問題提起をしていきたいと考えます。

 

 
「するとジョルジがぼそぼそといった。
 
もちろんさ、人間の生涯で何が最後に残るとおもう、
 
風景の記憶、それだけさ、
 
物の所有なんてぜんぜん問題にならない、
 
それに人間が他人と何を共有できるとおもう、
 
あるひとつの風景をあるときいっしょに見たという記憶、
 
それ以外には何もない、何も残らない。」
 
           菅啓次郎『狼が連れだって走る月』河出文庫より

  

 

 

「試行錯誤で練り上げる行灯の仕様」
http://tsukiyono.blog.jp/archives/1066760722.html

 

 

こうした野暮な長い能書きを要するようでは広い理解をともなった普段をすることができないので、まずは行灯そのもののデザインで、ただのイルミネーション演出のひとつではないことが伝えられなければなりませんが、なんとか簡潔にこの趣旨が伝わるよう以下のようなポスターを作っています。 

日常に「月夜野百八燈」を置いて、こうした趣旨を伝えてくださる店舗や施設もさらに増やしていきたいと考えています。 

この行灯は、みなかみ〈月〉の会の企画で、みなかみ町まちづくり協議会月夜野支部の支援により製作したものです。

 
 
まだまだ改良点もあり、たくさんの方々に協力もお願いしていかなければなりませんが、こうした、これから先の長い道のりの第一歩が踏み出せたことに心から感謝しております。 
 
 
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