かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

書肆いいだやさん、35年間ありがとう。

2010年08月18日 | 鶴舞うかたちの群馬県・広域情報
また、わたしの大好きなお店が1件、今月いっぱいで姿を消します。

伊勢崎市の書肆いいだやさんです。

かつては新刊書と古書を同時に扱っているお店としての特徴もありましたが、このお店のなによりの魅力は、郷土の文人の掛け軸や絵画などの発掘に力を入れていることです。

古書店が古美術などを扱っているのは普通のことですが、意外とどこの古書店でも地元の郷土史関連の書籍は力を入れていながらも地元の文人の書画までしっかり揃えているところは少ないものです。

その点、いいだやさんは、利益の出る全国的に名の知れた作家の美術品などには、バブル時代ですらも頼ることなく、地元の作品に徹して品揃えしてきてくれました。
実際にはこうした地域を限定した仕入れをしたほうが、効率もあがり贋作をつかまされる心配もなくなるというメリットがあるのですが、残念ながら多くの古書店がこのようなことをあまりしてくれていません。

先日、実家に帰ったときに居間に飾ってある書画をふとみたら、あれもこれも、いいだやさんから買ったものでした。
当然、わたしが購入するようなものですから、決して高価なものではありません。
しかし、いづれも十分気に入って買ったもので、自分なりに和紙で台紙をあてたりして額装したもので、著名な作家のものよりも今でもずっと気に入っているものばかりです。

定期的に送られてくる目録で、土門拳をはじめとする貴重な豪華本、画集も、いいだやさんで手に入れることが出来ました。

また、わたしの「かみつけの国 本のテーマ館」で必要とする足尾関連の本や尾瀬、上泉伊勢守関係の重要な本も、その多くをいいだやさんで入手することが出来ました。

地理的にやや遠いこともあり、訪問する回数はそれほど多くはありませんでしたが、良いものに出会えた頻度では一際お世話になっていました。

そんないいだやさんが、なんと今月いっぱいで閉店してしまうのです。

今、店内在庫を特価で販売していますが、普通の店の閉店と違って、いいだやさんの場合は、代わりの仕事をしてくれるところが他にありません。

ご主人は、急なことではなくだいぶ前から心に決めていたことらしいのですが、このようなお店が無くなってしまうことは惜しまれてなりません。
お客の勝手な気持ちからは、そんなカッコのいいやめ方はしないで、どうかボロボロになるまで続けてほしいと言いたくもなってしまいますが、やはりどうすることも出来ません。

さらにこのお店の場合、特別に残念なのは、ご主人が無類のサービス精神にあふれた方で、古書店、新刊書店を問わず、このご主人ほど、来た人を気持ちよくもてなして本や書画の話をアレコレと聞かせてくれる人はいないということです。

わたしは、ご主人にちょっとした書画の相場を教えてもらえるだけで、その地元の文人の評価を知ることも出来ました。

そんなことを教えてくれる場所は、もう群馬には無くなってしまいます。

もう残りわずかですが、どうか皆さん、まだ知らなかった人は「書肆いいだや」さんを訪ねてみてください。最後の特価品、掘り出し物もきっとあることと思います。

わたしも是非、もう一度、月内にお伺いしたいところですが、まだ行けるかどうかわかりません。
なんらかのかたちでこの感謝の気持ちをお伝えしたいと思ってます。

「書肆いいだや」さん
久保田泰造さん、
そして奥様、
35年間、ご苦労さまでした。
そして、ほんとうにありがとうございました。
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砂雪隠のある農家

2010年08月04日 | 「近代化」でくくれない人々
もう一カ月あまりも更新せず、ご無沙汰して申しわけありませんでした。
書きたいことは、いっぱい溜まっていたのですが、この暑さのなか
他のことに気をとられることが多く、なかなか書けずにいました。
すみません。

ところで皆さんは「砂雪隠(すなせっちん)」ってご存じでしょうか?

内部には投石をおき、穴に砂を敷き詰め、常に綺麗に掃除されている特殊な便所のことで、
実際にはほとんど使用されることはないものが大半のようです。
茶室などについていることもあるようですが、一部のお寺や城内などで、特別な客に対して、ここまで綺麗に掃除してありますよ、ということを見せるためのものらしいです。

これが、地元渋川のある農家にあったというのです。

この農家は、決して豪農といえるような大きな家ではありません。
見た目は広さも造りも普通の農家とほとんど変わりありません。

ところが、この農家は、なにかがちょっと違うのです。
お店に来られたこの農家のお爺さんが小さいころの話をしてくれました。

学校の宿題で俳句をつくる練習をしていたら、後ろからお婆さんが覗きこむや否や、
おまえはいったい何をしているんだ!
といきなり怒られたそうです。
俳句なんかやるもんじゃないと、
強引に和歌につくり変えさせられたというのです。

このお爺さんの小さい頃のそんな思い出も、それがどういう意味なのかは長い間まったくわからなかったようです。

しかし、大人になって村の外に出て名前を言うと、ときどき相手の態度が急に変わり、
おたくには先祖代々大変お世話になっていると頭を下げられることがあり、
それがどういうことなのかを少しずつ自分でも調べ出すようになりました。

するとこの家には、村史などでは語られてこなかった重要な村の「裏の歴史」が秘められていることが少しずつわかってきたのです。

自分の家の場所が、度々川の氾濫で被害を受ける場所にありながら、なぜ移動しようとしなかったのか。
白井城と社を結ぶ一直線状に自分の家が位置して、なお且つ
その南北の線と子持神社、さらに空恵寺への東西の線が交差する場所にこの家が位置している。

昔、殿様が公用としてではなく、家に遊びに来ていたという言い伝えもあるそうです。

どれも記録が残っていることではなく口伝ばかりなので、議論はなかなか成り立たないのですが、家のつくりや場所、名前のことなど細部をたどればたどるほど、この農家がただの家ではないことが見えてきます。

頼朝の時代、秀吉の時代それぞれに、墓石を削られるなどの被害を受けたなどの言い伝えと
その痕跡。

また、館林藩の重要な印鑑を預かっていたらしいことなど、
次から次と興味深い話は出てくるのです。

このお爺さんも、この事実を村の歴史に正式に書き残すことを目的としているのではなく、表に出ない重要な歴史でも、今に確実に伝わっているものがあるのだということを、これまでそうであったように、これからもずっと家族の間に伝えていきたい、といったような感じでした。

外部の人間としては、もっと聞きたい、いろいろほじくり返して文書記録として残したいという思いでいっぱいですが、このままであることも何かとても素敵なことにも思えます。

かなり細部を隠した表現にしましたが、遠野物語などの遠い世界に行かずとも
身近にこうした隠れた歴史が埋まっていること、
嬉しいですね。
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