かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

大切にしたいモノ・ヒトの文脈が生きる空間、朝陽堂

2023年03月20日 | 暮らしのしつらえ

10年くらい前になるでしょうか。私は、ある出版社の営業の方から、中之条の先にある原町旧道沿いに土間のあるお店があるという情報を聞いたことがありました。

その後しばらくしてから、それらしき場所へ車で行ってみると、通りから見ると店内に昔の商品陳列台のような平台が見え、その下に確かに土間らしき構造が見えました。

しかし、その時は車でちょっと徐行して覗いただけで、その様子は失礼ながら今も営業しているお店なのか確信が持てなかったので、そのまま立ち寄って確かめるまではせずに通過してしまいました。

 

そんなことはすっかり忘れていたとき、たまたま古民家を再生するプロセスをSNSでアップしている方を見つけました。

そしてその場所が、かつて立ち寄ることなく素通りしてしまった土間のある店であることは、またしばらく立ってから知ることが出来ました。

 

 

壁面などの構造を大胆にいじるアイデアも、よく考えられています。
改装後の西側壁面

 

 

かつては、このように長年にわたる遺産が山のようにあり、それらをただひたすら

片づけて、片づけて・・・

捨てて、捨てて、捨てて・・・

残すものを、

拭いて、拭いて、拭いて・・・

磨いて、磨いて、磨いて・・・・

 

それらをずっと繰り返すこと7年。

 

直近の4世代くらいの期間でも、家業や地域、家族の歴史や想い出が、たくさんのモノの中に蓄積しており、それらの選別はとても大変な作業です。

 

途中、出産で休んでいた時期もあったそうです。

都会の住宅と違って昔の広い屋敷のことですから、ものすごい量の作業であったことが想像されます。

なんとその片づけ処分作業のためだけに、軽トラックを1台買ったそうです。

 


でも、もっとも大切なのは、そうした膨大な片づけ作業を業者まかせにせず、ほとんど自らの手で行ったということです。
業者任せにせず自らが行ってこそ、そこにあるものの価値が見えてくるからです。

多くの古民家再生は、都会など他所に暮らす人が「買った物件」のアレンジか、他所から「移築した物件」をリノベーションするのが大半で、そこに元々暮らし住んでいた人が大規模にリノベーションすることは極めて稀なことです。

統計はありませんが、おそらく古民家再生の9割以上は、他所の人が買った物件か、他所から移築した物件であると思われます。

 

もちろん、物件により、予算により、人材により再生の仕方は千差万別であって当然であり、新しい店舗や宿泊施設など目的がはっきりしていれば、それ相応のことはしなければなりません。むしろ地元からすれば、いかなる理由であれ他所から新しい人が来てくれることは大歓迎であることに間違いはありません。

 

地元に暮らす人が自らの物件を自らの手でリノベーションする例がこれほどまでに少ないのには、それなりの理由もあります。

多くの古民家は、江戸時代から昭和初期までに建てられた家で、その構造は現代の食べて寝て余暇を過ごすだけの空間と違って、「生活の場」である以上に「生産の場」として造られていたという決定的な構造の違いがあります。

家の中でお蚕を飼ったり、同じ建物内に馬や牛がいたり、軒下にダイコンや柿を干したり、囲炉裏の廻りで藁細工をしたり、それは暮らしの場というよりはまず第一に「生産の場」であったわけです。したがって外との出入りはしやすく、お蚕のためには風通しが良くなければなりません。

そうした歴史条件の建物であることが、ただ構造が古いからという理由だけではなく、現代とは住宅の使用目的そのものが大きく違っていることを忘れてはなりません。それを生産活動をほとんどしない現代の暮らしに合うようにリノベーションするには、断熱、防寒など、相当の改装費用を覚悟しなければなりません。

それだけに、昔とは生活スタイルが変わってしまった家で、あえて暮らすことだけを考えたリノベーションする意義は単純には見いだせないのが普通かと思われます。

手間と経費をかけてリノベーションするならば、現代にあった生産の場として、宿泊施設や店舗、農家の母屋などとしてでないとなかなか活かせないのが実情です。

 

山口純音さん

そうしたことが、実際に山口純音さんにお話を伺うと、「良いもの」をたし算で増やしていくような従来の考え方と違って、たくさんのモノを処分したからこそなのでしょうが、残すものをどのような基準で選ぶかがとてもしっかりとしており、この空間にふさわしくないものはほとんど紛れ込んでいないことがわかります。

最近よく感じる30代半ば以降の世代に共通した特徴である、商品やモノの力だけに依存しないオーナーの世界観がとてもしっかりしているのです。
つまり、ただ「良いもの」のコレクションであったり、「売れる」ものの発掘とも違う、明らかにこの空間ならではの「文脈」が息づいているのです。

そうした朝陽堂さんの違いを、ただ純音さんの美大出ならではのセンスの良さであるとか、敬虔な信仰心に支えられた実直さのようなことに捉えられてしまうと(もちろんそれもとても大事な要素としてありますが)、私たちに必要な誰もがこれからの時代に求められている大切なことが、遠くの問題に押しやられてしまうような気がしてなりません。

実は、それを伝える表現やことばが見つからないばかりに、このブログを書き始めてから1年以上もの長い間、私はアップすることが出来ずにいました。

20年、30年くらい前までの時代であれば、そこそこの建築家やデザイナーに頼んで、また商品もそれなりのプロにセレクトやアドバイスをしてもらって揃えておけば、そこそこに素晴らしい空間はどこでもつくられていました。
ところが現代では、ただものが良い、センスが良いというだけのものは、スマホひとつで画像も豊富なテンプレートから選べて、そこそこのデザインで誰もが作れるようになってしまい、そうしたことだけでは大切な何かは伝わらない時代になっています。

私のような昭和世代であれば、世の中が右肩上がりで「成長」していった時代だったので、なんでもガムシャラに頑張ればそこそこの成果がついてくるものでした。

ところが30年デフレとも言われる右肩下がりの時代になると、ただより多くの人を集めたり、より多くの人に伝えたり、売ったりするだけでは、なかなか結果が持続しないものです。

そうした時代の変化にも対応した大切な何かを、朝陽堂さんは表現されているように思えます。

 

通常、こうした古い絵本は商品にならないものですが、
こうした古い「講談社の絵本」の看板がついて表紙を見せる陳列をすることで、きちんと活かされています。

同じ100円商品であっても、処分品の100円と付加価値、満足感を感じる100円の違いがあります。

 

その違いの第一は、先に書いた膨大な片付け作業を、ほとんど自らの手で行ったことに由来します。それらの作業も結果を見ると、私の勝手な印象ですが、なにか「指先の感覚」を大切にするような作業であったことがうかがえます。

何ごとも作業にはどんなに効率を求めるにしても、その絶対量というものにとても意味があります。
それが物質的なことであれ、精神的なことであれ、その基礎作業の絶対量を抜きになにかが創造的であることはありえません。しかも、その作業は単に几帳面ということだけでなく、まさに「指先の感覚」を大切にした作業でないと、このような空間は生まれないのです。その点が、外部のデザイナーや建築家まかせで造られたものとの決定的な差を生んでいます。

何十年、何百年という歴史の積み重ねのある空間で、残されたものや遺されたものを選別して活かすものを磨き、仕上げるには、単純な理屈や計算ではなく、まさに「指先の感覚」で判断を積み重ねていくことが重要です。

現代の暮らしでは、身の回りのほとんどのものが「買ってきたもの」で成り立っています。そこでつくられる暮らしは、ほとんどが選択された商品で成り立っています。商品の選択以外のことによる創造物というのは、極めて稀なものです。まさにそうした手作業の基本が、朝陽堂さんの空間にはあふれています。

古民家再生といった伝統や歴史を活かす活動であっても、このように徹底された事例は意外と少ないものです。

 

朝陽堂さん取材

 

youtube#video

 

これまで2回の訪問で、ドイツ人建築家、ブルーノ・タウトの訪問記録で1776(安永5)年建築とわかるこの空間の歴史は、とても簡単に語り尽くせるものではありませんが、本来は、どのような家でも100年、200年と歴史を積み重ねれば、そうした様々な固有の歴史浮かびあがるものです。

 

もう一つのポイントは、先のような作業によってこそ、空間とモノ、ヒトとの「関係の文脈」が、活きてくるということです。

現代の商売で個々の商品やサービスを売るには、商品やサービスの余計なノイズ(汚れ、個人的由来や義理や縁など)は可能な限り取り除き、より収穫された場所の泥などノイズを取り除いてこそ、取り引きしやすくなるものです。
どこでも作れて、どこでも売れることを目指す大量生産、大量消費にそうしたことは不可欠ですが、高付加価値を追求する場合は逆にモノにまつわるノイズこそが意味を持ってきます。
ノイズには当然、目には見えない微生物や細菌などの情報も含まれます。だから都会では嫌われます。

ただ、その固有のノイズを残すということは、一律にできない作業なので必ず余計な「手間」が必ずかかります。

世の中の軸足が変わったからこそ可能になった面もありますが、そのノイズを大切にする手間こそが、モノやヒトの文脈を活かす道につながります。

地域の歴史や伝統文化を保存するために、歴史郷土資料館のようなものが各地にありますが、どんなに歴史的価値のある展示物があったとしても、その土地固有の文脈が表現されていないと、せっかく保存陳列されていてもその歴史的価値はなかなか伝わってきません。

この「文脈」というものが朝陽堂さんの空間からは無意識のうちに伝わってきます。

 

 

その後の2階ギャラリー企画も、この空間ならではのセレクトで、他の場ではなかなか実現できない相乗効果を生んでます。

2022.4.14~5.1

作家企画展
 西島雄志 個展「神気」
 企画:gallery.studio.cafe new roll
 協力:内藤久幹(cdc.tokyo)

 

2021.11.3~11.21

作家企画展
「ヲリヲリヲ展」
現代美術家の小野田賢三と山極満博による二人展

なかでも、渋川市の六箇工房さんとのコラボは、
地域性もあり今後も定期的な開催が見込まれるすばらしいものに思えます。


2021.4.29~5.5

企画展01
ガラスと帽子 六箇工房
「階段を上って・・・展」

 

 

 

朝陽堂さんのこうした空間づくりは特別なことのように思われがちですが、「指先の感覚」を大切にしたような膨大な手作業でモノやヒトの文脈を活かすことは、決して特別なことではなく、これからの時代の主流になっていくはずです。

何ごとも無駄をはぶき、スピードや効率を上げることは大事です。でもそれらが価値を持つのは、より大切なヒトやモノにより多くの時間と手間を惜しみなく使うためにこそ行われるべきものです。

私には特定の信仰心のようなものはありませんが、こうした作業の積み重ねの中にこそ私たちに「共通の祈り」のようなものを感じさせてくれます。

世の中、誰もが努力はしているものですが、大切にしたいもののために祈り続けて、手作業を継続することこそが何か最後の大きな力となることを感じさせてくれます。

まったく予備知識なしで朝陽堂さんの空間に足を踏み入れても、その素晴らしさは十分伝わってくるかと思いますが、これからの時代に誰もが必要な大切なことを無言で語りかけてくれているようなこの空間の違いがどこから感じ取れるのか、ぜひ皆さんも実際に訪れて確かめてみてください。

 

 

 

 

建物の裏側に残るかつての土壁

 

 

一本の樹の蔭、一河の流れも、みな多生の縁

 

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「お米」本来の味で、日常の幸せをしみじみ味わう酒

2019年11月20日 | 暮らしのしつらえ

日本酒の分類というと、以下のような見方があります。

1989年に制定された「清酒の製法品質表示基準」で、造り方によって次の9種類に分類されています。このうち、「一般酒(または普通酒)」以外の8種類を、まとめて「特定名称酒」と呼んでいます。

 

・精米歩合70%以上:一般酒(または普通酒)...

精米歩合70%以下、醸造アルコールを添加:本醸造酒

 ・精米歩合60%以下、醸造アルコールを添加:特別本醸造酒

 ・精米歩合の規定なし、醸造アルコール添加なし:純米酒

 ・精米歩合60%以下、醸造アルコール添加なし:特別純米酒

 ・精米歩合60%以下、若干の醸造アルコールを添加:吟醸酒

 ・精米歩合60%以下、醸造アルコール添加なし:純米吟醸酒

 ・精米歩合50%以下、若干の醸造アルコールを添加:大吟醸酒

 ・精米歩合50%以下、醸造アルコール添加なし:純米大吟醸酒

 

精米歩合とは、原料の米をどれだけ削り、使用する部分が何%残っているかを示す値です。
米の中心まで削っていくほど、香りがよい、雑味の少ない清酒になりますが、その分使う米は小さくなります。

この精米歩合の差がそのまま価格の差、グレードの差になりますが、 当然のことながら味の差というのは、このような価格、グレードの差に比例して変わるものとは限りません。

そのことをあらためて教えてくれたのがこのお酒です。

 

 

 

これまで大利根酒造さんのお酒で熱燗に向いているのはこのお酒ですよ、とのおすすめの言葉の方にとらわれて飲んでいたのですが、酒米本来の味わいを引き出すために精米歩合を88%におさえてつくった酒という特質を侮っていました。

88という数字自体にどれだけの意味があるのかはわかりませんが、通常のお米の精米度合いが90くらいなわけですから、酒米としてはほとんど磨いてないに等しいレベルです。

大利根酒造さんでは2年前より「扁平精米法」を取り入れて酒を醸しました。

ある酒屋さんの説明によると、

扁平精米とは、お米の形にそって精米する方法で、低い精米歩合でも心白部分を多く残すことができる精米方法です。厳選した群馬県産酒造好適米「あさひの夢」を88%に精米し、尾瀬麓の伏流水と「ぐんまKAZE酵母2号」でゆっくりと低温発酵させました。

左大臣 純米生原酒 米(精米歩合88%)」は低精白酒ならではの「米の味」を堪能いただける骨太の味わいです。

 

   参考 精米歩合をおさえた酒 幻の日本酒「七田」

 

 

もちろん、88%というのは、八十八で「米」の字になるわけですが、漢字の意味と言葉あそびと蔵元の心意気で、これほど愉しめるお酒もありません。

しかもお手ごろ価格で!

しかし私はそう感じてからも長い間、この味はいったい何なのだろうかと、ずっとうまく言葉で表現することができないままいました。

実際、初めて呑んだときから飲むたびに、味の印象が違うようで、毎回考え考え味わっていたお酒です。

それが大利根酒造さん自身も、今年になってやっといい仕上がりにできたというのです。

多くの知人に薦めているお酒でありながら、この魅力をとんな言葉で伝えたら良いのか、私はずっと迷っていました。

 

そんな気持ちをある日、大利根酒造の阿部社長にぶつけてみました。

私にとってその味わいは、決してお酒のラベルや説明書に書かれたようなスペックで表現できるものではありません。
かといって「深い」とか「浅い」といったことではなく、
また「重い」とか「軽い」といった比較軸でもはかれません。

それにもかかわらず、紛れもなく決して薄っぺらな量産品のような味ではないのです。

すると社長もしばらく考えて言葉を探しているようでした。

しばらくの間をおいて社長は、うまく表現が浮かばない時は、どのような思いでつくった酒なのかを伝えるようにしていると言い、次のように語ってくれました。

このお酒は300年前のお酒をイメージしてつくったものであると。

 

300年前のお酒、それは精米そのものが現代ほどの技術はありませんでした。

また使用するお米は、まだ酒米などと区別されたものは使用されていませんでした。

そして現代のような温度管理もできなかった時代です。

 

私も、よく時代劇の蕎麦屋で酒を飲む雰囲気にあこがれて、それに近いロケーションを家で再現しようとしていますが、まさにそのようなお酒を目指してつくられたのがこのお酒だというらしいのです。

 

つまり、このお酒は、純米大吟醸などとといった精米度合いだけでなく、
考え方自体が対極に位置するようなもので、

日常の幸せをしみじみと味わうために造られたお酒

ということができるのではないかと思いました。

これはただの量産品では決して味わうことはできないもの。

なおかつ、ほとんどお米そのままということで、

そこはかない味わいを愉しむことができるお酒なのです。

 

 

これを写真の松尾昭典さんにつくってもらった盃「月香盃」と徳利でのむ至福の時間。

 

 

 地元でもおいてる酒屋さんはとても少ないので、
ぜひ、品質管理のきちんとできている取り扱い酒店、もしくは白沢の大利根酒造さんで、お求めください。 

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キャビアの梅和え 若いころの思い出の一品

2019年08月25日 | 暮らしのしつらえ

キャビアの梅和え


若いころの思い出の一品を再現してみました。

 

 

これは20代のころ住んでいた小田急線の経堂で、
とても魅力的なママがいた飲み屋で出してくれていたものです。

オーダーするとき「キャビアの梅和えお願いします」というたびに、まわりのお客が振り返った。

とても素敵な憧れのママさんだったけど、画家と一緒に暮らしているらしいとの噂でみんな諦めていた。

ある日そのママさんが坂口安吾のファンだという話になったら、常連のロシア文学の先生がそれに噛みついてきて
、ママも負けずに「あなたは私の何を知っているというの」と激しく反論していた。


それ以来、読む前から私は坂口安吾は素晴らしい作家であると確信していますw
 

 念のため、キャビアの梅和えとは、当時から「トンブリの梅和え」のこと。 

 冒頭の写真は、思いついたときに私が作ったものですが、

2枚目、3枚目の写真は、うちの洋子さんが本格的に再現してくれたもの。

梅肉を丁寧に刻みほぐして、ごま油と魚醤をちょっと垂らして作ってくれました。

 

その後、キャビアの山芋和えに進化し、
独立した一品料理に格上げされました。

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景観から白い壁面をなくす

2019年05月11日 | 暮らしのしつらえ

家の車庫が、庭の側(上の写真は庭の反対側から見たもの)から見たときに、白色の壁面が植木の背景として目障りなので、その面だけでも板を貼り付けたいと以前から思ってました。

しかし、スチールの壁面に木の板を貼り付ける面倒からなかなか踏み切れずにいました。

そんなある日、家に仕事の試作で使用した何種類かのペンキが残っており、もうだいぶ長くおいたままなので、それを使ってしまおうと、車庫をペンキ塗装してみることにしました。 

 

最初に手をつけたのは植木の陰になる面で、失敗しても目立たないところから塗りはじめました。

ここに使用したペンキは水性のワインブラウン。
ちょっと赤みがかった色が心配でしたが、ほとんど木の陰になる場所なのでよしとしました。

そして車庫全面扉部分は、これも水性のショコラブラウン。
色のコントラストはいい感じになりました。 

 

 

ここまでやると、屋根の庇部分や、浄化槽の煙突部分なども全部塗らないと見苦しいものです。

 

 

西側の壁は、正面ドアの二色のコントラストが良かったので、ショコラブラウンを塗りましたが、

塗る前に想像できていたものの、塗料が壁面半分塗ったところで終わってしまいました(笑)

これは塗り残しではなくて、何か違った素材が使われているものと思っていただければ幸いです。

 

この色合いを見て、できることなら塗料はツヤなしの物が良いと感じました。

テカテカの茶色だと、コンテナ倉庫のようになってしまうからです。

ショコラブラウンは終わってしまいましたが、よく見たらツヤなしチョコレートのペンキが1缶あることに気づきました。先にこれを使うべきでした。 

そこで我が家の敷地外になりますが、前の家の車庫のトタン壁を叔母の了解を得て塗ることにしました。

明るいブルーのトタンなのですが、これもいつか塗らせていただく話は以前にしてあった場所です。

縦塗りは比較的作業が早く進みます。

半ば塗り終わって初めて気づいたのですが、こちらで使っていた塗料はどうも重いと思ったら油性でした。

屋根の部分は、ツヤなしというわけにはいかず、別の油性塗料を調達してこなければなりません。

 

背景が茶色になったことで、白いフェンスも幾分おしゃれにも見えますが、元はこの白フェンスこそ、真っ先に茶色に塗りたかった場所です。

 

改めて見てみたら、手元のペンキは、

水性で、ワインブラウン、チョコレートブラック、チャコールブラック、

ショコラブラウン、ココアグレイ

油性でツヤなしチョコレートと6種類と、あり合わせとはいえバラバラ。

遠くから見る分にはほとんどの人は、おそらく気づかないでしょう。

 

前の家の叔母には了解をとったこととはいえ、後になって明るい青色だったのもをなんでわざわざあんな暗い茶色に塗ってしまったんだといわれかねません。

そうした印象を持たれることは、おそらく地域でも同じことと思われます。

より明るくカラフルで、人間の築いたものが溢れること自体に「豊かさ」を感じるというのも普通の感覚です。

でも、右肩上がりのスクラップ&ビルドの盛んな時代には、白い構造物やカラフルなデザインが持て囃されるかもしれませんが、右肩下がりや「成熟社会」になってくると、人口物よりも天然素材が、白色やカラフルなものようりも、地味で目立たないものが好まれるようになるものです。

自然に対する人間の優位性を誇る社会から、自然に調和し、さらには人間の側が「より慎む」社会こそが健全であると感じられるようになり出しているはずです。

そうした意味では、どのような色かというよりも、光を吸収する素材か、光を反射する素材かということの方が大事なことと言えます。

 

もともと私の当初からの計画にあったことではありますが、まず自分の生活空間からこのようなコストをかけないBefore & Afterの事例をたくさんつくっていかなければなりません。 

これらの事例をわかりやすくファイルにまとめて、景観づくりの提案素材としてまとめておきます。

 

とりあえずは、その前にまずは、無計画な思いつき作業の経過報告です。

 

 

 

関連ページ「新緑の季節。生命の誕生が緑色であることの意味」

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松尾昭典さん新作、家型の香炉

2019年01月19日 | 暮らしのしつらえ

  

 久しぶりに松尾昭典さんの工房にお邪魔したら、新作をみせてくれました。

家の形をした香炉です。

最初に見せて頂いた3つのバリエーション

 

 

西洋の古民家風の建物と、日本家屋2種類。

軒下をよく見れば、古民家というよりは土壁構造の納屋でした。

上の写真は反対向きになってしまいましたが、ちゃんと出入り口の穴(実際は空気穴)が空いています。

 

 https://www.youtube.com/watch?v=rGx_NkxW7o8

 

 

 

後日、見せて頂いた他のバリエーション。

 

形が変わるごとに、煙の流れをつくる空気穴の開け方に試行錯誤を要するようです。 

 

 

 

こんなバージョンも、

こちらは、さすがに香炉としての機能は失敗作だそうです。 

 

 

煙突や雪をかぶった茅葺き屋根の上から出る煙をみていると、従来の香炉とはまったく異なる世界が開けてきます。

これは単なる香炉のバリエーションとしてではなく、この独自の世界を表現できないものかと思い、イメージ画像を考えてみたくなり、幾つかのデザイン案を考えてみました。

 

 

 

香炉もこうしたデザインだと、香りとその煙も視覚で楽しむことができるので、

「過ぎゆく時間」というものを、どう感じるかと考え、

「時間(とき)は過ぎ去るものではなく、それは積み重なり続けるもの」

といった表現をベースにして、いろいろ検討してみました。

いまひとつ、しっくりした表現に練り至っていません。

 

 

「過ぎ去る時間ではなく、積み重なる時間」ということは、ずっと考え続けているキーワードなので、もう少し表現は煮詰めて考えてみたいと思います。 

月夜野百景
デジタル時計のようにただ直線的に過ぎゆく無機質な時間ではなく、生命の循環と再生の繰り返しで、足元に積み重なる私たち固有の時間を月は教えてくれます。

 

 

 

屋根をはずした内部の構造

 

  最後まで燃えやすいように網の台に乗せる構造になってます。

 

 

 

 

 

 これは、何よりも雪の降り積もった屋根の質感が売りなので、

その辺をうまく表現出来たらと思ったのですが、

 わたしの妻は、現物の質感の魅力が写真にはでていないといいます。

白い色は、むずかしいですね。

 

 。 

それでは、雪の上においてそれらしい雰囲気での撮影を試みましたが、

白い雪の中では煙が見えなくなってしまうので、

背景の写る場所と角度をぐっと下げてみました。 

 

 

 

松尾さんの一ファンの立場で、こんな風にいろいろ試してみるのは

とても楽しいものです。

 

もう少し頑張って、イメージパネルをなんとか仕上げてみたいと思っています。 

 

 

 

 

この香炉作品についての問い合せ・ご注文は (FAXのみ)

松尾昭典 FAX 0279-56-2933 

 

 

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完全な菜食主義になる

2018年05月04日 | 暮らしのしつらえ

これまで私は冗談半分に、週休3日での菜食主義を自称していました。

週に2日か3日くらいは肉を食べても良いだろうと。

もともと菜食主義なる言葉自体、常に百パーセントでなければいけないなどと定義されているわけではないので、目標として菜食主義を目指しているのであれば、誰でも名乗ることは可能であると思います。

 

 

 でも週休3日、つまり7分の3が肉食、7分の4が菜食などというのでは冗談にしても、努力している目標だとはちと言い難い。

せめて週休2日くらいにしておかないと。

そんな程度の問題は、もともとどうでも良い話なのですが、そもそもは健康な食生活に近づきたいということが第一の目的です。

幸い私は妻のおかげで、脂分は減らし、新鮮な野菜を中心にかなり健康的な食生活が送れるようになりました。

そのせいか、30代の頃からほぼ4年に一度、オリンピック周期で結石の発作を繰り返していたのが、50代に入ってからはほぼ無くなりました。こちらの好みを踏まえたうえで、いろいろな食材や調理に気を使ってもらっていることには本当に感謝しています。

それでも、肉を完全には止められないこと、白いご飯の比率を下げられないことなどまだ理想の食生活には至りきれない課題はいくつか残っていました。

 

それが、こと「菜食主義」に関してだけは、この度、完全に克服する方法を得ることができました。

  

 

どこかの作家さんだか俳優だかがどこかで言っていたことで、
出典は毎度の事ながら定かな記憶ではないのですみません。


 

いわく


「肉食は良くないというけれど、草は牛が代わりに食べてくれている」


とのこと。

 

なるほど。

であれば完全な菜食主義を貫くことができるというわけだ。

これで週休2日での菜食主義なんていう方便も使うことなく、
また完全な菜食主義ではない負い目なども感じることなく、

堂々と「わたしは菜食主義です」と言い切ることができるわけです。

 

めでたし。めでたし。 

 

 

今日はここまででこの話は終わりますが、
もしかしたら草食動物の肉や筋肉のことを考えると、これは意外に奥の深い話かもしれません。
筋肉隆々のゴリラが草食動物であることなど、また考え出すと深みにはまりそうです。

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紅葉一葉、散る影を待つ

2017年11月17日 | 暮らしのしつらえ

 

 

数日前から庭の紅葉が盛りを迎えたかと思ったら、
早くも散り始めました。 

1週間の間に咲いて散ってしまう山の1本桜とまったく同じですね。

 

 

 

部屋からみる障子の影に一葉が散る瞬間をとらえてみたいものと

カメラを構えて待ってみましたが、なかなか叶いません。

 

 

 

ただひたすら障子の影を見つめて1日。

 

昼酒を飲んで待つ。

 

 

一週間もしないうちに、葉は落ちて、また影のかたちも変わりました。

 

 

おそらくそこには茶席の禅語の

「開門多落葉」

(門を開ければ落ち葉多し)

といった景色が開けていることでしょう。

 

小鳥の影も楽しい。

 

やがて陽が昇るとともに、障子の影は引いてしまいました。

 

 

 

月詠庵では、毎日このように日が過ぎていきます。

 

 

 

 

 

なんて暮らしをしてみたいものです。

 

でも、たとえほんのひと時でも、このような時と空間を味わえるようになったことは

アパート・マンション暮らしをしていた10年前までは考えられなかったことです。

 

 

ただひたすらこの家を残してくれた親に感謝^_^

 

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土用の丑の日に食べるのは、ウナギではなくカワニナが本家

2017年07月14日 | 暮らしのしつらえ

夏の土用、丑の日にウナギを食べると夏バテ防止になるといわれます。

ところが、そもそもウナギの旬は晩秋から初冬にかけてです。

夏のこの季節にはあまり味がのっていないので、もともとは売れ行きが悪かったそうです。その季節の売り上げをなんとか伸ばすアイデアとして平賀源内が、丑の日の「う」にかけて土用の丑の日に鰻を食べると夏バテしないというキャッチコピーがヒットし、現代にまで受け継がれているわけです。

ウナギで商売している皆さん、どれだけ平賀源内のお墓にお参りしているでしょうかね。


私は、ウナギの旬が晩秋から初冬にかけてであることすら知りませんでした。

天然のウナギは8月から10月にかけて、産卵のために海へ下っていき、この「下りうなぎ」こそが本当は肉もしまり脂肪もなれてきて一番おいしいらしいそうです。

ただでさえその生態は謎が多く、漁業資源の枯渇も心配されてる時代です。
 

旬でもない時期に無理に食べるなど、ずいぶん野暮なことを粋がっているものです。
夏の暑いさ中、ウナギだって川の底できっとバテているでしょうに。 もっとも、脂ぎったウナギを焼いてさらにタレをかけて食べるわけですから、素材の違いなどあまり気にするほどのことではないのかもしれません。
 
 
参照 絶滅危惧種のウナギを食べて良いのか論争



ところが日本には、この夏の土用の丑の日に、ウナギではなくカワニナを食べる習慣が先にあったことを知りました。



カワニナは、地域によってはニラ・ニナ・ミナなどとも呼ばれており、
野本寛一『栃と餅』(岩波書店)のなかに以下のような例が紹介されています。



① 夏の土用の丑の日にニラ(カワニナ)を捕り、味噌汁に入れて食べた。
 ニラは腹薬になると伝えられた。  (広島県比婆郡比和町森脇・熊原富枝・大正一四年生まれ)

②夏の土用の丑の日の夕方ニナを捕り、塩茹でにして食べた。
 腹薬になると伝えられた。 (広島県比婆郡西城町油木・藤綱■・大正二年生まれ)

③ 土用の丑の日にはニラを味噌汁に入れて食べた。ニラは肝臓の薬になると伝えられた。
            (広島県双三郡君田村東君入・平岡義雄・大正一一年生まれ)
 なお同地の寺藤貴楽(大正十四年生まれ)家では、先祖が、ニラ・タニシの食絶ちをして願かけを
 したことがあるのでニラ・タニシは食べないという。

土用の丑の日の前日夕方ニナを捕り、一晩水につけアカ出し(泥出し)をし、翌朝味噌汁に
 入れて食べた。これをニナ汁と称し、夏負けの薬になると伝えた。
        (岡山県川上郡備中町志藤・芳賀恒治・大正一五年生まれ)

⑤夏の土用の丑の日にカワニナを捕り、味噌汁に入れて食べた。
        (岡山県阿哲郡上郷町志油野・普門秀男・昭和四年生まれ)

⑥夏の土用にミナを捕り、味噌汁にして食べた。夏負けを防ぐ薬だと伝えた。
        (島根県川上郡備中町志藤・芳賀恒治・大正一五年生まれ)

⑦「土用ニナ」と称して夏の土用にニナを味噌汁にして食べた。
  ハラワタまで食べると胃の薬になると伝えた。
        
(島根県飯石郡三刀屋町粟谷・板垣正一・大正六年生まれ) 



 私たちのいる月夜野で今は、カワニナはもっぱらホタルの餌としてしか話題になりませんが、日本の農村の食生活の中でカワニナはタニシなどとともに、ささやかなタンパク源として貴重な食べ物であったようです。

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それを土用の丑の日に鰻と同じく食べている習俗があるのを聞くと、ホタルも相当スタミナをつけないと、お尻を光らせることはできないのだろうかなどと思えてきます。 

そればかりか、そもそも土用の丑の日にウナギを食べることの方が、平賀源内のこじつけアイデアに過ぎず、ウナギ本来の旬の季節に対応した食べ方ではないだけに、むしろこのカワニナを食べることの方が、ずっと歴史も古く立派な根拠のある習慣であるといえそうです。


そうです、土用の丑の日にはウナギを食べるよりも、カワニナを食べた方が、ずっと理にかなっているのです。

そうすれば、きっと私たちのお尻も輝き始め、輝くことはなくともキュートな形を増し、女性を惹きつける魅力となるに違いありません。

いえいえ、ホタルの里として知られる月夜野こそが、土用の丑の日にはウナギではなく、カワニナを食べるようにならなければなりません。

ホタルだけでなく、人間もたくさん食べているから地域がこんなに元気になるのだと(笑) 


 




もともとタニシは、田の主(ぬし)ともいわれるように、カワニナやドジョウなどとともに田んぼ周辺を代表する生き物であったわけですから、ホタルの幻想的な光にばかり注目せずに、その餌となる周辺の生き物たちが一体となって私たちの暮らしの環境を支えていたことに、これを機にもう少し思いをめぐらせてみたいものです。
 
 

 

平賀源内に負けない月夜野発・脱ウナギキャンペーン

 

キャンペーン ①

「身を焦がすような恋がしたいならなら、
土用丑の日にはウナギじゃなくカワニナ食べてスタミナつけよう」
 

キャンペーン ②

「ウナギの旬は、秋冬です。
ただでさえ枯渇している資源を旬でもない時期に食べるのはやめましょう」
 

キャンペーン ③

「土用の丑の日に鰻を食べるのは、
旬でない時期に売れなかった鰻を売るために、200年前に平賀源内が出したアイデアです。
根拠のない習慣にいつまでも縛られるのはやめましょう!」
 

キャンペーン ④

「尻に火のついてるウナギ需要は、ホタルとカワニナが救う!」

 

キャンペーン ⑤

「今の旬は、カワニナやタニシ。夏バテ防止はこれだ!」

 

というわけでもありませんが、魯山人はタニシの薬効について次のような経験を話しています。

「妙な話だが、私は7歳のとき、腸カタルで三人の医者に見放された際(その時分から私は食道楽気があったものか、今や命数は時間の問題となっているにもかかわらず)、台所でたにしを煮る香りを嗅ぎ、たにしを食いたいと駄々をこね出した。なさぬ仲の父や母をはじめ皆の者は異口同音に、どうしましょうというわけで、不消化と言われるたにしを、いろいろなだめすかして私に食べさせようとしなかった。しかし、医者は、どうせ数刻の後にはない命である、死に臨んだ子どもがせっかく望むところだから食べさせてはどうかとすすめた。そのおかげで骨と皮に衰弱しきっていた私の口に、たにしの幾粒かが投げ入れられた。看護の者は眉をひそめ、不安げな面持ちで成り行きを見つめていた。
 するとどうしたことか。ふしぎなことに、たにしを食べてからというもの、あたかも霊薬が投ぜられた如く、七歳の私はメキメキ元気が出て、危うく命を取り止め、日ならずして全快した。爾来何十年も病気に煩わされたことがない。それかあらぬか、今もなお、私はたにしが好きだ。」『魯山人味道』(中公文庫)より 

といっています。 

もちろん、「これは私だけかもしれないが・・・・。」と付け加えたうえでの話。

 

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生産の基礎単位としての「家族」  再録メモ

2017年06月28日 | 暮らしのしつらえ

宇根豊が、平均年齢72歳の百姓に、いつが一番楽しかったかと尋ねたところ、圧倒的に多くの百姓が昭和30年代の前半が一番充実していたと答えたそうです。

そのわけは「家族全員で仕事ができたから」

最近、何かにつけて私は、先の東京オリンピックの頃から日本中の風景(自然景観も人の心の風景も)が変わりだしたということを書いていますが、これほど本質をついた表現はありません。

最近、お店のパートさんと息子さんの進路の話をしていた時、長い目で見たら自営業、個人事業を立ち上げた方が、良い会社へ就職するよりもずっと良いと思うといったようなことを話したら、自分の子供は自営業には嫁には出したくない、と言われ改めてショックを受けました。

かつて国民の8割近くが農家であった時代、今思えばたしかに現金収入はサラリーマンに比べたら少ないので子育て養育費など不安は尽きなかったかもしれませんが、自営業が基本で成り立っていた社会であったことが、どれだけ強い地域を育てていたことかとつくづく感じます。

ところが先のパートさんに限らず、強い経済、強い地域社会をつくるためには、家族労働、自営・個人事業の比率を上げることこそが大事だ、などと言っても容易には受け入れられないことが多いので、とりあえず10年前に関わっていたNPOの場に出したレジュメを以下に転記しておきます。

8、9番目の項目は、今回書き加えたものです。
 

  *** キーワード「家族」について ** * 

 映画や文芸作品などを通じてみる家族は、 もっぱら「家族愛」がその多くのテーマになっていますが、 地域社会の復興においても「家族」「家族労働」「個人事業」といったことがらは、極めて重要な意味を持つと感じます。 

ここで家族というキーワードの「家族愛」以外の側面に注目して整理してみます。 



1、高度な資本主義が発達した現代でも 、世界中の生産の基本的形態は、いまだに圧倒的多数が「家族労働」 

・アジアに限らず、ヨーロッパの経営形態を見ても、 家族・血縁による経営形態は根強い。 
  人口構成比からみれば、世界の圧倒的多数が家族労働と個人事業。 
  巨大組織化した企業も、その実態の多くは膨大な下請け中小零細企業で成り立っている。 

・家族・血縁にこだわらない組織形態が発展したのは 、 
  アメリカと日本が突出している 
  日本も血縁にこだわるが、養子という血縁を越えた組織が可能な稀な国 
  (企業社会につながる「家」、これは他に例がない) 

最先端産業においても、時代のベクトルは「より小さく」の時代へ移ってきている。 
今は過渡期:「一極集中の巨大化」と「分散化」の時代。 



2、これまで企業に代表される大規規模生産こそが生産力発展の最大条件 とみられ、地域環境を支えていた個人事業、家族労働が限りなく企業に吸収されてきた歴史がある。 


・初めに農業労働 → 都会の工業労働者へ 
・地元の自営商業労働者→大型SCやスーパーマーケット、 
   チェーン店などの労働者(パート)へ 
 実際にこのことによって見かけの生産性は 飛躍的に増大してきた。 
  


3、自然と社会の再生産を前提とした、膨大な量の無償の労働(自然からの贈与、人間による贈与)によって社会が成り立っていることを忘れて、 一次的な利益につながらないそうした労働をすべて切り捨て、疲弊した自然、地域社会や企業風土、家庭をつくってきてしまった。 

・生産の基本部分は大自然からの贈与 
 この贈与に対して企業は対価を払っていない 
  略奪と破壊の繰り返しで、再生産の構造維持の費用負担をしてない) 
    電気・水道などの料金はもとより、化石燃料の消費は、大自然に対してその費用は払ってない。 

 これまで人類は、大自然の恩恵に対する尊敬、崇拝の念をもってその維持・再生産につとめてきた 

この無償の労働の意義や価値を見失うことが 会社から帰ったら役に立たない多くの父親の姿を生んでいる。 会社の利益追求以外のたくさんの仕事が地域を支える。 



4、安易な企業誘致や産業の育成よりも 、昔からその地に暮している人々による生業(なりわい) の復興支援の方が「強い地域」経済を育てることにつながる。 (大企業依存の地域経済が、いかに脆いものであるかは立証された) 

 個人事業・家族労働の生業(なりわい)は、もともと地域の再生産のために必要なことを不可分の業務として持っていた。 (国や行政にまかせることではなく、 自分たちのものとして必要とする作業) 

 企業誘致やベンチャー育成よりも、既存事業の復興、イノベーションの方が、決して簡単ではないが、はるかに容易い。 既存事業の復興の能力がないまま、新規事業に手を出しても成功しない。 



5、家族労働、個人事業を中心にした経済構造のが、ワークシェアリングや地域福祉、高齢者の健康維持と生きがいのためにも効果が大きい。 

 ひとりの年収300万円、500万円で家庭を支える労働ではなく、 子どもからお祖父さんまでが、出来ることで支えあう構造 の意義。 
 福祉予算を増額することよりも、実際のメリットが多い。 

 生涯、自分が他人が喜んでくれることで、何をしてあげることができるのか。
 持ち続けることが、生きがいになる。 (組織にうもれた肩書き人間が失ったもの) 



6、単一労働の組み合わせによる分業化を推進する企業社会に対して、ひとりひとりが自分の作業を管理して「総合的」に生きていける姿は、人間の一生をみわたしたうえでも限りなく価値がある。 

 「製品開発」「製造」「営業」「販売」、「経理」は、個人事業において特別な意識を持つことなく 、一つの必要な一連の行程として行なっている。ここに本来の人間の営みの姿がある。 


7、利害で結ばれた組織形態である企業にくらべて、地域コミュニティーや家族といった結びつきの関係は、たとえ条件の悪いことが多少あっても、「あきらめない」強さがあり、それが長い人間社会の歴史を築いてきたともいえます。 

 企業や団体などの組織 : 特定の利害で結びついた集団。 目的達成のための一定の資質や能力を要求する。 
 家族や地域 : 構成員の能力や資質にかかわりなく、 与えられた条件を天賦のものとして受け入れ、 多くの場合は、あきらめることのない関係を築きながら問題を解決していく。 

 

8、「児童労働の禁止」は、労働環境の一般論としては正しいかもしれませんが、お父さん、お母さんと一緒に子どもが、あるいはおじいちゃん、おばあちゃんが、家族として一緒に働けることは、限りなく尊い。

 

9、そもそも「生産」は、子供を産んで育てることを根幹とした「生命の再生産」の活動です。このことを忘れた「経済」が、生命の破壊をもたらす。



* 家族愛や文化、宗教などの精神活動も、この点から見ると、純粋なイデオロギー上の問題ではなく、地球と人類の再生産を維持するための生産活動の大事な一要素であることに気づきます。

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毎週一度の食事のためのお品書き

2017年02月06日 | 暮らしのしつらえ

私が妻と月夜野の家で食事をするのは、訳あって毎週土曜日だけです。

それだけに、毎度、ようこさんが腕をふるって素晴らしい料理を作ってくれるので、二人だけの食事であってもたまには「お品書き」をちゃんと作ってみようと思いました。

考えてみれば、旅館などの季節ごとに大体決まったメニューが出されるのにに比べれば、こちらは毎回異なる料理なので、人数こそ少ないものの、こちらの方こそきちんとした「お品書き」を添える価値があると言えます。

これまでも、ようこさんの料理はできるだけ写真には残しネット上にアップもしていますが、レシピの説明まではなかなか記録を残せませんでした。https://photos.google.com/share/AF1QipNJBnbgtH-pK5rN1yCl6_enLLXRyZe5Y6hxxrbzqlKBdlhVpKk90LC2Zg2wPwx2sg?key=RG40WU9CMS1Lb0Z2N0tFWnNSMTBMMEc4cEtUeGdB

それを「お品書き」というかたちで、最低限のその日の食事の記録を、食事以外のロケーションなども含めて表現できたらと思いました。



手作りしおりの作成用にあったデザイン和紙を使用。

薄いのでわかるかどうか、今日の月の写真(お酒の上の空欄)も入ってます。


そもそも「献立」とは、と辻嘉一が以下のように語っています。

献立とは、もともと酒をすすめる者の味の起伏を決定するもので、江戸の古書に

「祝賀の宴などの式を正すに、式三献、七五三などの儀あり、皆、献の数によりて名づけたる也。献とは肴を出す毎に更にあらためて盃を勧むるをいふ。」

 

つまり、盃を重ねるごとの料理の起伏の組み立て方ということらしいです。


この日は、たまたま上弦の月で立春。

月に合わせてどのように料理を組み立てるか、

などと考えることは、とても楽しいものです。


当初はA3サイズで作るつもりでしたが、うちの箱膳にはA4サイズで十分でした。



いつも、週に一度だけということから力が入りすぎて分量は作り過ぎ。

これからは、もっともっと周辺の演出に力を入れて量を減らしていけたらと考えてます。


私の写真の技術のなさによるのですが、料理の写真は撮影用の照明をきちんと添えないとなかなかうまくは撮れません。

お気に入りの器の選択や、松尾昭典さんの陶芸のことなども、時には書き添えたいものです。

こうした作業をしていると、一流のお店が、料理だけではなく、器から出し方、周りの環境など、いかに細部に渡り気を配っているかということがよくわかります。


どの要素が一番というわけでもなく、

料理の味、

旬の食材

盛り付け

器の選択

食事をする部屋のしつらえ

選ばれたお酒

その日の体調

酔いがまわりだした頃の会話
 料理や酒のことはもちろん、
 仕事や読んだ本のこと、地域づくりのことなど

ようこさんと黙って聞き耳をたてる息子を相手にとりとめもなく話す時間

 

そんな世界をお金をかけずに「日常の食の世界」として
ひとつひとつ、かたちにしていくのはとても楽しいものです。



毎度ようこさんが一生懸命作ってくれている分、その素晴らしさをこれから表現するために、お品書きのデザインを毎回考えるくらいは続けていきたいものです。


関連ページ

「手作りの箱膳を使いこなす」

http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/98c70f8c7437259a39a9d21c2b237950

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汲み尽くせない魅力、幸田露伴『評釋芭蕉七部集』

2017年02月03日 | 暮らしのしつらえ

 

30年くらい前に出会い、
20年くらい前にようやく古書で購入し、
ずっと棚の肥やしになっていた本。

ようやく熟成して味わえる幸せ。

 

 幸田露伴『評釋芭蕉七部集』岩波書店

 

「七部集」の構成は、

「冬の日」

「春の日」

「阿羅野・員外」

「ひさご」

「猿蓑」

「炭俵」

「続猿蓑」

 

 

幸田露伴が「冬の日」の評釋のなかで見事に七部集の要を述べてます。

 

  

芭蕉は渋滞せず、執着せず、山を出蔓の水の、茂林深谷の間を行き、平野曠野の中を流れ、觸處に景をなして趣を變ずるが如く、峰にかかる雲の暁天に紫を横たへ、夕陽に紅を暈して、少時に態を換え観を異にするが如し。
 
春の日は冬の日に異なり、曠野は春の日に異なり、ひさごはまた曠野に異なり、猿蓑はまたひさごに異なり、炭俵また猿蓑に異なり、續猿蓑また炭俵に異なれるを看て知るべし。

猿蓑は好き集なり、されど猿蓑のみに芭蕉の眞◽️正體の籠れるが如くいふは、却って芭蕉を累するのあやまりに墜ちん。 

 

 

20年前、俳句も素人の自分にはとても理解できないと感じたことは今も大差はないのですが、十分の一程度の理解でも所どころ出会う玉のような文章は、言いようのない深い感動を覚えます。

これが、全くの解説なしの原文となると次のようなもの。

せめて行間くらいは、たっぷりと開けてもらいたいものですが、この『七部集』の場合、一行あけただけでも、相当分厚い1冊になりそうです。 

 

これを片っ端から読み解くことなど、俳諧のプロでもなければとてもできるとは思えません。

 

これを幸田露伴は、全編にわたり実に丁寧に読み解いてくれているのです。 

 

今読んでいる「冬の日」のなかでは

    窓に手づから薄葉を漉き     野水

の「薄葉」の解釈、説明など和紙漉きの知識から言葉の正確な読み取り方まで、白川静の漢字説明以上とも言えるほど、知識、洞察ともに素晴らしいものです。

 

歳時記に暦や民俗学的な情報が不可欠であるのは疑う余地もありませんが、一つひとつの句の解釈をこれほどまで多方面の古典や風俗などの事象を丁寧に添えて味読された本は、おそらくないのではないでしょうか。

 

    箕にこのしろの魚をいただき   杜國

この句の「このしろ」の解説も見事なものなのですが、漢字変換の出ない文字があまりに多い文なので、紹介はやめておきます。

 

 

「ともかく、写真機の在りどころをかえるように句は鍛錬しなきゃいけねぇ。」

「『歩きだす』ことが、たいせつだ。いきなり端的にいい句ができるということもむろんあるが、これァまずよほどえらくなってからのことだ。
こねくることは、芭蕉もいってるようによくはなし、又いつかの初一念ということもあるが、しかし工夫は怠っちゃいけねえ。

ほととぎすの句なら、ほととぎすが飛ぶところ鳴くところを見るか聞くか想像するかして、また花なら花にまずレンズをむけたらシャッタアをあけるまえに工夫しなきゃいけねえ。

句は、はっきりしたのもよし、幽玄なのもいいが、歩いて、動いて、ためて見る、そういう工夫や鍛錬が必要だ。

こうして句ができて、それにみずから確信がもてたらいいのだ。もっともいくら確信があっても道理にはずれちゃ困る。又、はっきりといっても法律や算術とは違う、算術の答はふつう一つだが、詩歌には数かぎりなくある。

明の某は詩経の註の詳しいのをつくったが、この註をみて金銀七宝ずくめながら得体がしれないと評した者がある。工夫も、ただやたらにこらすのじゃおもしろくない、といって安全確実ばかりでもつまらず、しかも不細工ァもとよりよろしくねえ。」

        (高木 卓 『露伴の俳話』 講談社学術文庫より)

 

幸田露伴が果たしてどれだけ写真機を使いこなしていたかは知りませんが、この表現は俳句表現のことにとどまらず、このまま現代の写真撮影の真髄を表しているようでもあります。

幸田露伴『芭蕉入門』講談社文芸文庫

高木 卓 『露伴の俳話』 講談社学術文庫

 

たとえば釣りの話にしても露伴の談話は、ふかい経験とひろい知識によって裏づけられているので、何といったらいいか、泉の水面がもりあがって水がムクムク湧きでるような、とうていわれわれには受けきれないようなゆたかさがあった。

         (同上)

 

 後に柳田國男が『木綿以前の事』の中で、芭蕉俳諧と『七部集』の特徴について見事な解説をしていることを知りました。

柳田國男は、必ずしも俳諧を嗜む人ではなかったようですが、これほど本質をついた文章を書けるのは、やはり柳田國男ならではのことと思います。

まず「山伏と島流し」のなかで俳諧には時代の生活が現れている」とし、「その中には書き伝えておかなかった平凡人の心の隈々が、僅かにこの偶然の記録にばかり、保存せられていて我々をゆかしがらせるのである。卑属と文芸とを繋ぎ合わせようとする試みは、なるほど最初からの俳道の本志であったには相違ない。しかしその人を動かそうとした力の入れ処が、いつの間にか裏表にかわっていたのである。蕉翁の心構えは奇警にも奔らず、さりとてまた常套にも堕せずして、必ず各自の実験の間から、直接に詩境を求めさせていたところに新鮮味があった。」といい、それまでの「俳諧が芭蕉の世の東国を語るごとく、精彩を帯たる生活描写はかつて無かったのである。」と示す。

「独り俚俗の友であった俳諧の記録だけが、偶然にこれを我々には語っているのであった」と、『七部集』から数々の引用・解説を加えています。

さらに「西鶴や其磧や近松の世話物などは、ともに世相の写し絵として、繰り返し引用せられているが、言葉の多い割には題材の範囲が狭い。是と比べると俳諧が見て伝えたものは、あらゆる階級の小事件の、劇にも小説にもならぬものを包容している。そうしてこういう生活もあるということを、同情者の前に展開しようとする、作者気質には双方やや似通うた点があるのである。」

 

このような解説を知っても、今から20年後、30年後に紐解いたとき、私の理解は未だたどり着きえない世界かと思われますが、それでも味わうたびに得られる感動は、疑いなく深まるものと思えます。

 

露伴は、大正九年(1920)の53歳のころから80歳で亡くなるまで、ひたすらこの七部集の評釈を続けました。読む側も、それ相応の時間をかけて当然のことでしょう。

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企みのないもの

2017年02月03日 | 暮らしのしつらえ

カラダに染み込ませたい大事なことなので、

ここにメモとして残しておきます。



坦々とした波乱のないもの、

企みのないもの、

邪気のないもの、

素直なもの、

自然なもの、

無心なもの、

自然なもの、

奢らないもの、

誇らないもの、

それが美しくなくて何であろうか。

謙るもの、

質素なもの、

飾らないもの、

それは当然人間の敬愛を受けて良い

            (柳宗悦)


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「ものがたり」が「文学」になってしまうとき

2016年10月17日 | 暮らしのしつらえ

 

まだ蛍光灯の明かりが普及する前、囲炉裏を囲んで家族が語らう時代、

おばあちゃんが、悲しいことば、

怖いことばを発すれば、

それを聞いている子供達は、まったく同じ悲しい気持ち、こわい気持ちにおそわれました。

また、ほのかな明かりを語れば、

そのままそれを聞く子供の胸には、ほのかな明かりが灯りました。

 

それが、現代の蛍光灯の明かりのもとで語られる物語では、

なぜか、そこに同じ話を聞いている姿があっても

場を共有する「ものがたり」から、鑑賞を重視する「文学」への飛躍のようなものを

ふと感じてしまうことがあります。

 

 

そんなようなことを感じたのは、ある地方の民話の語り部の映像を見たときでした。

ある民話の里でおばあさんが、方言でその土地の昔話を語っているのですが、

なぜか熟練の語り口から方言の味わいはありながらも、

なにか不自然な伝わり方を感じてしまうのです。

どうも最近は、多くの伝統文化保存が観光目的に傾きすぎてしまうためか、そうした傾向が至る所で強まってるように思われます。

 

ところが最近、そうした疑念を払拭してくれるような素晴らしい映像を地元で見ることができました。

群馬県の猿ヶ京にある「民話と紙芝居の家」にある地元の語り部おばあちゃんたちの映像です。
https://minwa-kamishibai.com 

 

こちらでは何人かのおばあちゃんの語りを見ることができますが、どれもが素のままの姿でありながら見事な語りを見せてくれています。

残念ながらこの映像を紹介することはできませんが、是非「 民話と紙芝居の家」を訪ねてご覧になってみてください。

 

 

またこの自然さが失われた語り方に対する疑問と似たような感覚は、絵本の読み聞かせの場でも感じたことがあります。

絵本の読み聞かせも、ベテランの方ともなると随分違うもので、

経験の差で表現力がこんなに違うものかと感心させられました。

ところが、この場合も演出のテクニックにたくさん学ばされるものを感じながらも

何か子供との関係の姿に違和感を感じてしまうことがあるのです。

 

その差が何なのかをうまく説明することができませんが、

その違いの大切な要素になっているのではないかと思われることを二つだけ気づきました。

 

ひとつは、家でお母さんが子どもに絵本を読んであげるとき、

あるいは、ちょっと自信のないお父さんが子どもに読んであげるとき、

おそらくそれらのお母さん、お父さんは、ほとんど読み聞かせの練習などはせず、

その場その場で子どもにこれはと思う絵本やお話を読んで聞かせているものと思います。

その姿を見たとき、何の練習もテクニックも意識していない読み聞かせであっても、

聞いている子どもは、完璧で最高のものを子どもは受け取っているものと思います。

 

なぜかそこには、上手い下手がまったく問われない完璧な関係が成り立っている気がします。

 

 

もう一つの要素が、部屋の明るさのようなものです。

冒頭の囲炉裏を囲んでかわす会話や、お母さんが寝る前にベットで聞かせてくれるお話、

それらは、蛍光灯に煌煌と照らされる空間ではなく、仄かな明かりのもとで行われる場合が多いものです。
(現代では、そうとは言い切れない場合も多いことと思いますが)

そこには、同じ子どもの想像力で会っても、読み手、語り手と聞き手の子どもとの間には、

暗いからというだけでは説明しきれない、ストレートな感情の直結をもたらす何かが感じられるのです。

 

これらの漠然とした違いの中には、なにか本来の「うた」や「ものがたり」の世界とは異質な、

「文学」としての読み取り、聞き取り、解釈への飛躍が微かに介在してしまっているように見えます。 

 

これは、もしかしたら、「うた」や「祈り」、「ものがたり」の意識世界と、

「文字」「言語」を中心とした世界の質的飛躍の問題なのかもしれません。

 

 

 

こうした見方を通じてさらに見えてくるのは、一対一の信頼関係のことです。

それから労働歌が文化保存や観光のための歌になってしまったことの違いなども

とても大事な点であると思います。

 

 

 

歌、詩、詞、曲は、私はもともと民間のものだと思います。

文人がそれを取って自分のものとし、作るたびにいよいよ理解し難くしたのです。

それを結局は化石にしてしまうと、

さらに彼らは同じように他のものを取り、

またもや次第にそれを殺してしまうのです。

              (魯迅 高田淳著『魯迅詩話』訳文より)

 

 

でもなぜかこうした「文学」や「音楽」とは言えないような「うた」や「ものがたり」を

学校教育では、初めから対象にしてきませんでした。

 

こうした説明だけでは不十分と思いますが、この点を何とか

「夜」と「ほのかな明かり」の復権を目指した「月夜野百八燈」の活動で、

追求し続けていきたいと思っています。

それは、決してこうすれば説明がつく、といったようなことではなく、

とことん昼間の明かりに侵食され尽くした夜の復権を通じてなされることなので、

とても時間のかかることと覚悟しています。

 

平たく言えば、「文学」や「音楽」に持っていかれるのことない

暮らしの「うた」や「ものがたり」をいかに取り戻せるのかということです。

 

似たようなことを少し別の視点から
「物語のいでき始めのおや」 私たちの「ものがたり」3つの顔」
http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/bebcf3ddf9609cdbc6b8c9f1219096c5 

 

どうぞ気長にこれからもおつきあいください。

 

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もはや死語なのかもしれない「灯火(ともしび)」という言葉

2016年05月06日 | 暮らしのしつらえ

現代の子どもには想像がつかないかもしれませんが、私たちが子どものころ一人でトイレに行くということは、それはそれはとても怖いものでした。 

トイレに電気が点くといっても、小さな裸電球があるだけでその明かりも暗く、そのトイレに至る廊下もとても暗いのが普通でした。

さらに昭和の中頃まで国民の8割が農家であった時代、多くの家のトイレは、むしろ屋外にありました。

その暗闇の彼方にあるトイレに行くことが怖いばかりに、究極の選択をせまられたあげくオネショをしてしまうことも。

暗いなら廊下にも電気をつければよいだろうにと思われるかもしれませんが、電気そのものが普及しだしたばかりで貴重だった時代です。

現代のように、どこにでも電気があるのがあたりまえなどといった世界ではありません。

 

 

そういえば、「灯油」とういう表現も本来は「ともしびあぶら」です。

「灯火」の役割の意味はすっかり忘れられ、
もっぱら「燃料」の意味でしか使われなくなりました。
 

 

またその油もかつては、菜の花からとることが一般的的であったことも忘れ去られています。

ナタネアブラをとることからその名は、アブラナが正式名称です。

 

 

 

この写真は、伊香保のホテルの露天風呂に燭台を設置させていただいたものです。

露天風呂の演出としてはうまくいきましたが、日常の生活空間で純粋に蝋燭の明かりだけにしたならば、あまりにも暗いものです。

しかし、この微かな明るさのもとでの夜こそが、かつては普通の姿でした。

これは決して単に安らぎ空間の演出として共感されるのではなく、人類や地球生命にとって、暗闇を保つ程度の夜の明かり(暗さ)こそ、生命にとって不可欠な本来の有り様だったのです。

 

現代のどこでも煌煌と昼のように照らす暮らしのなかでは、闇のなかにあらわれた一点の灯火(ともしび)の温かさなどといった感覚は、想像することすら難しくなってしまったかのようです。

 

 

家の中であろうが、野外の道路であろうが、暗い空間があればどこでもすぐに照明をつけて昼のように明るく照らすことに何の疑問も感じない現代の私たちの生活があります。

 でも、つい半世紀ほど前までは、

「夜」とは、暗いことが当たり前だったのです。

さらに言えば、わずかに月や星が輝く暗い夜空こそが、宇宙の最も一般的光景で、青い空のもとでの昼間の光景が見られるのは、大気におおわれた地球のみの特殊な光景ですらあるわけです。

 暗いものをより明るくすること事態は、決して悪いことではありません。

 しかし、明と暗、陰と陽、それぞれ相まってこそ、本来は意味があるものです。

 ひたすらすべての闇を明るくするばかりでは、人間の生命のバランス(交感神経と副交感神経)が壊れてしまいます。

 昼間の生産の拡大には、好都合かもしれませんが、夜ならではの創造的営みの時間は、絶えず削られる運命に追いやられてしまいます。

 

 

この写真の照明を見せると、室内ならともかく、この行灯の明かりは屋外では暗すぎるという人も少なくありません。

確かに現代では、そうした印象をもたれることは仕方がありません。

視力を悪くしてしまったり、事故の原因となるような暗さは、確かにできる限り無くしたいものです。

 

しかし、現代人のなかでも日本人はひと際、必用以上に「夜」の空間を明るくしすぎてはいないでしょうか。

欧米人は青い目の文化と黒い目の文化の違いから強い光を好まず、昼間サングラスをかけたり、夜の照明も暗めにしたりしますが、その分を割り引いても、日本人はどこもやたら明るくしすぎています。

 

大都会周辺でさえ、高速道路の圏央道がほとんど照明のないところを走っているのに驚きましたが、本来は、道路面すべてを照らす必用はなく、行く先々の目標やカーブが確認できる程度の「灯火(ともしび)」「仄かな明かり」があれば十分なはずです。

 

 

 

従来は、こうした視点は省エネ・節電のためでしか語られませんでした。

でも、私たち月夜野の住人は、そうした観点で不要な明かりを無くすことをいいたいわけではありません。

夜があってこそ、暗い闇があってこそ、

生命のリズムは健全な姿を取り戻せるのであり、深い眠りを約束する揺りかごでもあるのです。

また夜や闇こそが、経済活動にとらわれない「創造」の源泉なのだとも言えます。

 

夜こそ「創造」の時間であることに、多くの人が気づいてもらうには、

まずテレビやネットの「消費型」情報にどっぷりつかった暮らしから脱却していくこと、

そして、手間のかからない「消費」優先の暮らしよりも、手間のかかる「創造」優先の暮らしの方が、より豊かな幸せに至る道すじであることをひとつひとつ体験して取り戻していかなければなりません。

「月夜野百景」http://www.tsukiyono100.com は、そんな生活を「月」と「ホタル」と暮らしの「仄かな明かり」をキーワードに立証し実現していくことを目指していくものです。

 

 

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破れた障子の補修

2016年03月19日 | 暮らしのしつらえ

このところやたらと部屋の障子が破れます。

それは、わが家が普通の障子紙を使わずに、一部の場所は、お能の謡本をそのまま障子紙として使っているためでもあります。

 

貼ったときは、そのデザイン性に満足していましたが、紙質が障子紙に比べるとどうしても弱いのが難点です。

そればかりか、障子の手前に余計な物をおく構造にしてしまったため、花瓶や器などを後ろに落としたら、すぐに障子を破ってしまうことが十分予想されます。
 

ということで、案の定、穴をあけてしまいました。

謡本の折り目部分からも、次々と破れ始め1年後にこの部分は全面張り替えとなりました。


これは、ただのコピー用紙に、お気に入りの俵屋宗達と本阿弥光悦コラボの最高傑作の画像をネットから拾い、障子枠サイズに拡大トリミングしたもの。

これも色部分は」どんどんあせていくことと思いますが、まずはいろいろ試してみることです。

それでも、謡曲の謡本よりはずっと落ち着いた感じになりました。

 

 
本来は、きちんと原画どおりにひと続きの流れですべきところですが、拡大にたえられる適切な画像が見つからなかったので、2枚ずつのツギハギになってしまっています。

でも、とりあえずは満足。 

 

以前、他の破れた穴は上の方だったので、空海の「月」の字をA4の和紙にコピーしてひと枡ふさぎました。

 

今回は下の方で、よく見ると桟をまたいで破れていました。

そこで下の小さい部分を手抜きでコピー用紙をそのまま型をあわせて貼ったのですが、上の方が謡本にかかって破れてしまっていたので、なにかここにふさわしいい図案はないかと、和楽器の形などを画像検索してみました。

ところが、シンプルなシルエットで様になるものがなかなかみつかりません。

最終的には琵琶のかたちが一番良いかと思ったのですが、どうも糸巻き部分のかたちが切り抜くのが少し面倒。

はてと困っていたら、お能の謡本を使っているわけだから扇こそ最も良いだろうと気づき、画像検索したら、手頃なものはたくさん見つかりました。

はじめは形だけ切り抜いて使おうと思っていましたが、考えてみたらこれも画像をそのまま和紙に印刷してそれを切り抜けば、もっとそれなりの雰囲気に仕上げることができます。

それで貼ったのがこちら。

 

印刷の透かしであれば、扇の細い骨もきれいに表現されます。

ただ、空海の月の字を貼ったときと同じく、この障子面は東向きで朝日があたる方向なので、現在の和紙の色もおそらく数年で落ちてしまうことと思われます。

それでも、デザイン性は扇であることで、数段増すことができました。

 

これなら、もう数カ所破って、パラパラと散らして貼るのも一興でよいだろう。

などと考えていたら、何もこれを貼るのにわざわざ破る必用もないだろう、と妻が気づかせてくれた。

ふむ、賢い!

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