時間は事件を運んでくるが、その事件を受けとめるための猶予も与えてくれる。
事件と共にやってくる前方の時間はいつも突然で大きく、
悲哀をつれて過去へ去っていく時間は、いつまでも細長く、尾をひく。
去っていこうとする悲哀の時間を、残された者は必死になって引き止める。
時の風化と遺族の激しい追想がぶつかり合ったところに、悲哀の時間が層をなして跡をとどめる。
v
被災者支援の物資などが、時間とともに必要とされるものが変わるのと同じように、被災者に接するときの心のありようも、時とともに変わることを私たちは知っておかなければなりません。
日航機123便の墜落事故や阪神淡路大震災などの遺族と長い間接してきた精神科医で評論家、ノンフィクション作家でもある野田正彰さんは、
かけがえのない人を事故で喪った遺族の心理過程を整理し、段階ごとの看護や治療の在り方を以下のようにまとめています。
(品切れで入手できない本なので、少し長い引用をさせていただきます。)
第一段階はショックに始まり、第二段階で死亡という事実の否認、第三に怒り、第四に回想と抑うつ状態、そうして第五段階で死別の受容――と、段階を経ると要約できる。
まず、第一段階では、ショックでとり乱すとは逆に異常な平静さを装う人が少なくない。だが、よく診ていれば、平静と呆然が交代しているのがわかるはずである。だから、一応平静に見えても内面は色々なショック状態にあると考え、十二分な配慮が必要である。温かく幼児をつつみこむ思いで対処し、色々な決定を求めてはならない。事務的なことは周囲が代行し、重要な決断については、決断で疲れさせないために「こうしたらどうだろうか」という意見を添えて、遺族に伝えるべきである。
第二段階では、死という事実を客観的には知りながら、主観的にはなお生きているという想念を往き来している。もし、この時、あの人が生きているという希望や情景を遺族が語ることがあれば、無理な励ましや嘘の期待、事実による否定をしてはいけない。遺族の心の地平線に降りていって、死亡しているけれども生きて私に語りかけてくるという想いに、「そうね」と深く同意したい。遺族と同じ想いがしてきた瞬間に、「きっと、そうよ」とだけ言うことが、最大のいたわりである。
第三の怒りの段階では、攻撃的な言動を関係者は受容しなければならない。時には、あえて怒られ役になってあげることも必要である。怒りを外に導き出してあげるのである。加害者への怒り、理不尽な運命への怒りが表出されないと、攻撃性は反転して自己破壊に向かいやすい。後を追って死ぬことを想い、危険にあえて飛び込もうとし、あるいは危険を感じる能力を抑えてしまう。また、自分の身体をいたわることを忘れ、いくつかの症状を無視することになる。
とりわけ怒りから、第四期の抑うつ状態への移行期は、自己破壊の衝動が突出しやすい。そっとしておくと同時に、二次的な事故がおこらないように、時々見守っていないといけない。
また第一期から第三期までの間に、自分が何について泣いているのか――故人の無念な思いを秘めた死についてか、自分から愛する人が奪われたことについてか、それとも自分がこれから先の人生を生きていきたくないと思って泣いているのか、いずれとも分からないままに、激しく泣くことは大切である。閉じこもって泣いている内に、悲しみが形をなしてくるといえる。
こうして第四期の永い回想と抑うつの時期を通り抜ければ、事故の処理に向かって立ち上がれるようになる。この期は、多くの時間、黙って横に居てあげるのは良いことである。
〈略)
補償交渉などは、第四期がすぎてからにすべきである。今日のように、死別後すぐに補償の話を遺族に伝えるのは愚劣なことだ。この段階では、故人をカネと交換する気持ちにさせ、未解決の罪意識をさらに強める。また、多くの弁護士や代理人が行っているような、遺族の感情表出を認めない代行交渉は、喪の作業を阻害する。(略)多くの補償金を取ることこそが有能であると思いこんでいる代理人は、実は遺族の怒りや抑うつを遷延化させている。
私はこのようなマニュアル的な配慮について、書きたくはなかった。気遣いとは、相手と自分との個別的なものであるからだ。知識ではなく、両者の人間性の交渉だからだ。それでもなお、こうして述べたのは、今日の事故に係わる人々――加害者側、警察、マスコミ、社葬をすすめる人、親族などに、いかに遺族の喪を奪う行為が多いか、あきれるが故である。
(以上 野田正彰『喪の途上にて』岩波書店より)
大きな災害ともなると、どうしても組織に依存した対応に流されがちですが、何事も、いかなる場合でも1対1の人間関係において、ものごとはなされなければならないということを、私たちはよく心しなければならないと思います。
事件と共にやってくる前方の時間はいつも突然で大きく、
悲哀をつれて過去へ去っていく時間は、いつまでも細長く、尾をひく。
去っていこうとする悲哀の時間を、残された者は必死になって引き止める。
時の風化と遺族の激しい追想がぶつかり合ったところに、悲哀の時間が層をなして跡をとどめる。
v
被災者支援の物資などが、時間とともに必要とされるものが変わるのと同じように、被災者に接するときの心のありようも、時とともに変わることを私たちは知っておかなければなりません。
日航機123便の墜落事故や阪神淡路大震災などの遺族と長い間接してきた精神科医で評論家、ノンフィクション作家でもある野田正彰さんは、
かけがえのない人を事故で喪った遺族の心理過程を整理し、段階ごとの看護や治療の在り方を以下のようにまとめています。
(品切れで入手できない本なので、少し長い引用をさせていただきます。)
第一段階はショックに始まり、第二段階で死亡という事実の否認、第三に怒り、第四に回想と抑うつ状態、そうして第五段階で死別の受容――と、段階を経ると要約できる。
まず、第一段階では、ショックでとり乱すとは逆に異常な平静さを装う人が少なくない。だが、よく診ていれば、平静と呆然が交代しているのがわかるはずである。だから、一応平静に見えても内面は色々なショック状態にあると考え、十二分な配慮が必要である。温かく幼児をつつみこむ思いで対処し、色々な決定を求めてはならない。事務的なことは周囲が代行し、重要な決断については、決断で疲れさせないために「こうしたらどうだろうか」という意見を添えて、遺族に伝えるべきである。
第二段階では、死という事実を客観的には知りながら、主観的にはなお生きているという想念を往き来している。もし、この時、あの人が生きているという希望や情景を遺族が語ることがあれば、無理な励ましや嘘の期待、事実による否定をしてはいけない。遺族の心の地平線に降りていって、死亡しているけれども生きて私に語りかけてくるという想いに、「そうね」と深く同意したい。遺族と同じ想いがしてきた瞬間に、「きっと、そうよ」とだけ言うことが、最大のいたわりである。
第三の怒りの段階では、攻撃的な言動を関係者は受容しなければならない。時には、あえて怒られ役になってあげることも必要である。怒りを外に導き出してあげるのである。加害者への怒り、理不尽な運命への怒りが表出されないと、攻撃性は反転して自己破壊に向かいやすい。後を追って死ぬことを想い、危険にあえて飛び込もうとし、あるいは危険を感じる能力を抑えてしまう。また、自分の身体をいたわることを忘れ、いくつかの症状を無視することになる。
とりわけ怒りから、第四期の抑うつ状態への移行期は、自己破壊の衝動が突出しやすい。そっとしておくと同時に、二次的な事故がおこらないように、時々見守っていないといけない。
また第一期から第三期までの間に、自分が何について泣いているのか――故人の無念な思いを秘めた死についてか、自分から愛する人が奪われたことについてか、それとも自分がこれから先の人生を生きていきたくないと思って泣いているのか、いずれとも分からないままに、激しく泣くことは大切である。閉じこもって泣いている内に、悲しみが形をなしてくるといえる。
こうして第四期の永い回想と抑うつの時期を通り抜ければ、事故の処理に向かって立ち上がれるようになる。この期は、多くの時間、黙って横に居てあげるのは良いことである。
〈略)
補償交渉などは、第四期がすぎてからにすべきである。今日のように、死別後すぐに補償の話を遺族に伝えるのは愚劣なことだ。この段階では、故人をカネと交換する気持ちにさせ、未解決の罪意識をさらに強める。また、多くの弁護士や代理人が行っているような、遺族の感情表出を認めない代行交渉は、喪の作業を阻害する。(略)多くの補償金を取ることこそが有能であると思いこんでいる代理人は、実は遺族の怒りや抑うつを遷延化させている。
私はこのようなマニュアル的な配慮について、書きたくはなかった。気遣いとは、相手と自分との個別的なものであるからだ。知識ではなく、両者の人間性の交渉だからだ。それでもなお、こうして述べたのは、今日の事故に係わる人々――加害者側、警察、マスコミ、社葬をすすめる人、親族などに、いかに遺族の喪を奪う行為が多いか、あきれるが故である。
(以上 野田正彰『喪の途上にて』岩波書店より)
大きな災害ともなると、どうしても組織に依存した対応に流されがちですが、何事も、いかなる場合でも1対1の人間関係において、ものごとはなされなければならないということを、私たちはよく心しなければならないと思います。