かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

ビデオニュース 2013 09 07 東電に任せてる場合ですか

2013年10月31日 | 無償の労働、贈与とお金

ビデオニュース 2013 09 07 東電に任せてる場合ですか

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東電広報7/29 "原子力ムラ"仲間の記者クラブもダメ出し7/29テレビ朝日の質問

2013年10月31日 | 無償の労働、贈与とお金

7月の映像ですが、これだけ指摘され続けても変われない驚くべき体質。

 

東電広報7/29 "原子力ムラ"仲間の記者クラブもダメ出し7/29テレビ朝日の質問

 

こんな組織のもとでこれから燃料棒の危険な取り出し作業が始まると思うと、確かに日本から逃げ出したくなるほど怖さがこみ上げてきます。

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閻魔大王に会いたい

2013年10月28日 | 議論、分析ばかりしてないで攻めてみろ!

先日、「昭和ラヂオ」の収録で「昭和の差別と貧困」といったテーマの話しに参加してきました。

「日本残酷物語」(平凡社)という本を最初に取り上げたのですが、幅広い分野にわたって様々な階層で差別や貧困の実態が全7巻(内、別巻2冊)にまとめられているのを見ると、最近、貧農史観の見直しなどが行われたものの、やはり圧倒的多数の歴史の人びとはいつの時代でも貧困や差別のなかにあったのではないかと感じられます。

飢餓や貧困、あるいは戦争で亡くなった人びと、その多くは墓碑も残らないような最期であったかもしれません。運よく旅の僧が亡骸を弔い、天国へ行けた人はどれだけいたでしょうか。

 

などといったようなことを考えていたら、ふと思いました。

 

地獄の閻魔さま。

はるか昔から地獄に堕ちた人びとを裁いている大王さまです。

 

 

彼は、これまで相当多くの人間の業(ごう)を見て来たことでしょう。

 

いやと言えずに人を殺してしまった兵士。

貧困から逃れるために犯罪にはしってしまった人びと。

家庭の事情で間引きすることしか出来なかった母親。

人を騙すことでしか日銭を得ることを知らなかった男。

             ・・・などなど数多の人たち

 

歴史を振りかえってそのひとつひとつを見ると、多くの人びとは、そのときそうすることしか出来なかった人びとで、いったい誰がそれを裁くことができるのだろうかと思えてきます。

ただ、地獄の閻魔さまだけがその困難を引き受けてくれている。

考えてみれば地獄の閻魔さまほど、人間の深い闇の部分、弱さをつぶさに見つづけて来た人(?)はいないと思います。

 

慈悲のこころで優しくつつみ込む天国の仏さま以上に、個別の罪悪の実態を詳細に知り、人間というものの生々しい姿をもっとも知りつくしている人(?)こそ閻魔大王でしょう。

 

・・・・とするならば、

閻魔大王こそが、この世とあの世で最も話のわかるヤツなんじゃないかな?

 

 

私は、人から自分の最も尊敬する人物は誰かと聞かれても、なかなかすぐに思い浮かぶ人はいませんでした。

 

上杉鷹山?

二宮金次郎?

ガンジー?

聖徳太子?

暴君に仕えた名参謀、周恩来?

モノづくりの師匠、摺本好作さん?

自分の両親?

私を支えてくれている妻?

 

これらどのひとりも良いけれど、今やっと自信を持って言える人が現れました。

地獄の閻魔さま!

 

人間の最も弱い部分、醜い部分を知り尽くした男。

彼ほど話のわかる男は、おそらく他にはいないだろう。

 

彼なら、どんな話を持ちかけても、しっかり眼を見て、微動だにせず聞いてくれること間違いない。

おそらく地獄絵に出てくるような顔よりもずっといい男であると思います。

 

「地獄は一定すみかぞかし」の我が心情と、最高の酒を一升持っていけば、閻魔さまこそ最高の話し相手になってくれるのではないかと思われます。

今すぐ会うのは、帰ってくるのが難しいので、老後の先の楽しみとしてとっておくことにします。

このことに気づいたおかげで、生きるのも死ぬのもどちらも、私にとっては同等に楽しくなりました(笑)

 

 

 

 

 

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仮に等価交換であっても、「行って帰ってこい」ではない経済

2013年10月03日 | 「近代化」でくくれない人々

 

ひとたび大災害が起きると、もうこれ以上はないという苦しみの中にありながら

さらにそれに追い打ちをかけるような大被害の連鎖が起きる。

今回の東日本大震災で、私たちはそれを思い知りました。

 

歴史は、何度もそうしたことを繰り返しています。

そして私たち日本人は、何度もそれを

それぞれの時代の与えられた条件の中で乗り越えてきています。

 

天明三(1783)年の浅間山大噴火とそれに続く天明の大飢饉。

これも、そうした事例のひとつ。

 

天明七年には、江戸に打ちこわしが勃発。

 

打ちこわしが起きると、有力町人たちには、幕府から施行の要請がありました。

 

北原糸子著『地震の社会史 安政大地震と民衆』(講談社学術文庫)に

この「施行」の実態について、とても興味深い記述があります。

 

 

まず豪商三井などもこれ(施行)にこたえているが、「施行」の本来の趣旨からみると、

「私的利益関係にある店子や出入り職人層への施行」は、「店賃収入として再び家持へ還元され得るし、

出入り職人は施行を励みに、よりいっそうの仕事への精進が期待できる」ため、

それが「奇特」な施行であるとは判断しがたい。

 

「施行を奇特とするのは、本来ならば救済しなくてもよいところまでに救済の手が

差し延べられるという点である。」(同書)

(今の時代では、どれだけこの価値と意味が通じるだろうか)

 

これを理解してかどうかはわからないが、幕府は、

施行をした者に対して、なんと「褒美金」を出しています。

 

施行総数の半数は、10両以下の小額施行者。

これらの施行高は惣高の1パーセントにも満たない。

(こうした構図は今も昔もあまり変わらない。)

 

しかし、大事なポイントは

「10両以下の場合、一件宛の施行高は約金一分である。

さらに興味ある事実は、この層に対する褒美金は一件金200疋(ぴき)であり、

100疋が金一分であるから、施行に差し出した金額より幕府からの

褒美金がその倍額になっていることである。」(同書)

 

当然、このようなことがわかれば、取り分目当ての施行も広がり

長く続けられることではない。

 

ところが、そうしたことはわかっていたとしても、このシステムには

純粋に経済的にもメリットがあり、それ以外の効果も大きい。

 

まさに今のネット社会の無料サービスが広がっている所以と同じ。

少数であっても高額あるいは有料の商品やサービスの享受者がいれば、

多数の小額あるいは無料のサービスを享受する人がいても収支はとれる。

 

つまり、金100疋の施行者に褒美金200疋を与えても、全体の収支はプラスに出来る。

(悪用者が無制限に増えない限りという条件つきではあるが)

 

それともうひとつ重要なのは、同じ施行であっても、

幕府が直接に困窮者へ100疋配るのと、

町人が困窮者に直接100疋の施行を行い、

それを幕府があとから町人へ褒美として仮に100疋与えたとしても、

100疋のもたらす価値と意義がまったく異なってくるということです。

 

人格の薄い(あるいは広い)公共機関から受ける施行よりも、

近隣の人格のある特定個人からの施行の方が、

与える側も受ける側も、有り難みや価値を強く感じることができます。

また、そこにはお金の行き来だけではない人間の関係性も発生します。

 

私たちは、多くの「近代化」の流れのなかで、

この人間の「関係性」をより排除することによってこそ、

自由な交換経済が発展するものとして、その方向にばかり突き進んできました。

歴史の一定段階の発展のなかでは、それは必ずしもすべて間違いであったとはいえません。

 

でも、次の社会に進もうとしている現代では、経済的合理性を含めた考え方でも、

この手間がひとつ増える人間の関係性を挟むことが、合理的ですらあることに気づきだしています。

 

この「施行」の仕方の記述は、この『地震の社会史』という本全体からは、

必ずしも本筋の話題ではありませんが、災害に対して、人が、社会が、

どう対応していくかを考える上では大事なポイントです。

 

東日本大震災の被災地の問題、東電の福島第一原発の問題など

まだまだ深刻な危機が続く日本です。

財政危機のカンフル剤的な穴埋めにしか使われそうにない増税策よりも、

有効で生きた予算の使い方を考えてもらいたいものです。

 

お金が足りない、財政危機だから収入=税収を増やすではなく、

まず徹底した無駄な歳出カットと、今ある少ないお金の有効な使い方、回し方。

票集めのばらまき予算よりも、ずっと効果的なお金の使い方。

はたして今の政治家に理解できるだろうか。

 

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爆撃の痕

2013年10月03日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

平和な日本のなかでも、いたるところで激しい戦いが今も行われている。

ここのところ、家にいると時々

ドン。

ドン。

と大きな音がする。

 

車庫の屋根に隣の栗の木が爆撃を加えている音だ。

2階のベランダからみると、傾斜のない車庫の屋根の上に、栗がたくさんのっている。

 

こんなのが上から、人間に降ってきたらたまったもんじゃない。

まだ蒼い栗のイガは、ちょっと触れただけでもほんとうに痛い。

 

でも、栗はここまでして実を守る必要があるのだろうか。

種を遠くへ飛ばす必要はない。

数本、親木の周りから若木が育てば良いだけの木だろうに。

 

 

このイガグリは、どう考えても過剰防衛にしか見えない。

 

栗って、随分、気の小さいやつだったんだな。

今日の発見でした。

 

 

 

昨日、前の叔母から、最近、栗拾いをお爺さんと二人でしたら

お爺さんの腰が痛くなってしまったと聞いた。

 

 

頼むから、残りは拾っておいてくれ、だって。

 

 

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人を非難したくなったら気をつけよう。

2013年10月01日 | 脱・一票まる投げ「民主主義」 自治への道

能力はあってもお金がなくて報われない人。

能力も、財力もありながら、健康に恵まれない人。

能力も、財力も、健康も備わっていながら、人望のない人。

 

世の中、ほんとうに人それぞれですね。

 

誰もがみななんらかの欠点をかかえて生きている。

でも、立派な人を見ると、これらはすべて言い訳にすぎないことがわかる。

 

人は欠点があるからこそ、それをバネにして頑張っている。

 

ほとんどの人びとは、生涯をその努力の途上で終わる。

 

自然界では、働かないアリすら立派な役割がある。

人間界も、ほんとうは同じ原理で動いてるのだけど、

人間はそれを「言い訳け」として使うから間違った方向へ行ってしまう。

 

この時代、

家族4人かかえて頑張っているような人

あるいはシングルマザーで頑張っているような人の仕事の内容に

いろいろ問題があるからといって、

どうしてそれを非難することができるだろうか。

 

必要なのは非難ではなく

努力すべき方法や方向の提案だ。

 

それは、決して知識や能力のあるなしだけで決まるものではない。

 

それは、屍累々、乗り越えていく覚悟のある実践者

のみに見えてくるものだから。

 

 

 

 

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