かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

タコ壺化する言論 〜論争に発展しない社会の危険性〜

2023年02月20日 | 議論、分析ばかりしてないで攻めてみろ!
 以前、高校生が反応してくれたのには驚いたけど、現代は論争がとことん成立しない時代になってしまっています。
価値観や生き方が多様化したといいながら、それぞれの世界が完全にタコツボ化してしまっているのが今の実情。
 
最近、MMT論をめぐっての池戸万作と成田悠輔のやり取りが話題になっていましたが、本来、これからの経済を考える上で大事な論点なのに、それぞれの側が内部であいつらは全然わかっていないとヒートアップするだけで、真正面からぶつかり合う議論に全然発展しない。
 
 
 
おしゃべりの切り取り情報ばかりが拡散するという現代ならではの環境もあるけど、問題の重要性からすれば、お金の本質や積極財政か緊縮財政かなどは、専門家とジャーナリストと政治家と一般国民すべてを巻き込んで議論されなければならないテーマです。
それぞれが内輪だけで、あいつらは何もわかってないと言い張るのではなく、異質な相手とこそ、真正面から議論し合えることこそがこれからの時代はとくに大事なはず。
 
きちんとした論争になってこそ、それぞれの思い込みや立証不十分な点も見えてくる。
ただ対立を避けることばかりが、平和の条件ではない。 
フェアに闘うということは、戦いそのものが感情的になりやすいだけに、訓練や場数をふむことはとくに必要。
 
かといって昔の論争の方が優れていたかというと、現代以上に所属する立場、組織に依拠したポジショントークが多かった気もします。それでもタコツボ化する社会よりはマシなのではないでしょうか。
 
ほんとうの創造性を考えるなら、より異質なものと積極的に交わる姿勢を持ちたいものです。
 
イギリスのマーガレット・サッチャーは、There is no alternatives(TINA)ティーナという言葉を作ったようですが、国民を選択肢のない状態にもっていければ、為政者はその時点でもう勝ちだという。
「増税以外に解決策はない」
「財源がないのだから仕方がない」
「軍備を増強せずにどうやって守る」など。
 
社会の劣化は、論争が生まれないまま、他に選択肢がないかの意識状態になってしまうところからいつも始まる。
エリート層は「国民が受容し、屈服すれば」、自分たちは権力を維持できるとわかっている。
 

世の中が多様化することを良しとするのならば、より異質のものを拒否することなく、異論があるのであれば互いに真正面から議論できる環境を大事にしていきたいものです。
 
かつて日米開戦間際の陸軍参謀会議室の入り口で、ある参謀が辻政信に呼び止められ、「お前、この会議に同意するのか、しないのか。同意しないなら、会議したってしょうがない」と言われたのと同じ構図が、現代社会でもたくさんまかり通っています。
 
オープンな論争は、当事者以外にとても大切な学びの環境を与てくれるものです。
 
同質のものばかりの集団になってしまうと、それは生物学的にも、文化的にも、滅びる運命に至る。
 
 
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必ずしも本が主人公ではない読書会

2023年02月02日 | 気になる本

最近参加させていただいてる複数の読書会には、共通した特徴があります。

その第一は、30代半ば以降の若い世代が中心であること。
第二は、共通の課題図書を決めて、その本について語り合ったり、ビブリオバトル型とかではなく、参加者それぞれが持ち寄った本について自由に語り合うスタイルであること。
第三は、比較的少人数であることです。

といっても、いずれの読書もこれに強固にこだわっているわけではなく、結果的にそうした傾向を持っているだけです。

 

ただこのことが、従来多かった共通のテキスト講読型の読書会に比べると、参加者それぞれの本との個人的な関係、家族や恋愛、仕事や地域の関わり、育児や教育問題など、たっぷりと聞くことができるようになっています。
それは、ただ実用性においてばかりでなく、たとえSFや詩的空想世界に飛んで行ってしまう場合でも言えます。

そもそも読書は、極めて個人的な営みです。そのパーソナルなものを他人と共有するというのは、本来なら対極の関係にあります。
それが面白くてたまらないのは、面白い本の情報交換というだけでなく、異なる考えや生き方の人との出会いに醍醐味があるからです。
それをたっぷり味わうには、どうしても少人数であることが不可欠です。
また、無味乾燥な会議室などは使わずに、出来るだけユニークな空間であったり、屋外の自然空間で、さまざまなその土地固有のノイズを抱えて行うことも大事です。

本をより詳しく深く読むこと以上に、参加者それぞれのその本との関わりのノイズの部分の方が、意外と核心であったりするからです。

ここ数年で、従来型の書店ではなく副業型のブックカフェが急速に増えているのも、何か同じ背景があるような気がします。

私は読書というのは、知識や教養をためること以上に、その人が自分自身の直面している課題に立ち向かうエネルギーのあらわれであると思っていますが、最近は自然にそのような流れが広がってきているように見えて、とても嬉しく感じます。

もちろん、世の中にはいろいろなスタイルのものが幅広くある方が豊かな社会になっていけるものですが、右肩上がりの横並び社会が終わったおかげで、経済的には悲惨でも、何かとても良い流れが生まれているように思えてなりません。

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