昨日の東京新聞に、17年前に今回の原発事故を予言していた
南相馬の詩人の詩が紹介されていました。
細部にわたって絵に描いたように今回の出来事が描写されています。
神隠しされた街
若松丈太郎
四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
サッカーゲームが終わって競技場から立ち去ったのではない
人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ
(中略)
半径30㎞ゾーンといえば
東京電力福島原子力発電所を中心に捉えると
双葉町 大熊町 富岡町
(中略)
そして私の住む原町市がふくまれる
こちらもあわせて約十五万人
私たちが消えるべき先はどこか
私たちはどこに姿を消せばいいのか
(中略)
街路樹の葉が風に身をゆだねている
それなのに
人声のしない都市
人の歩いていない都市
(中略)
私たちの神隠しはきょうかもしれない
うしろで子どもの声がした気がする
ふりむいてもだれもいない
なにかが背筋をぞくっと襲う
広場にひとり立ちつくす
冷静に考えれば、これは決して「予言」などというものではなくて、
その時から予想されていた現実であったこと。
なぜか同じ日の上毛新聞には、
前橋出身の市民科学者、故高木仁三郎さんの16年前に発表した論文
「核施設と非常事態―地震対策を中心に」日本物理学界誌 1995年10月号
阪神大震災などのデータを元に、原発の耐震設計や老朽化、活断層などの問題を論じた上で、
政府や電力会社が決まり文句とする「想定外」の思考枠からでない硬直した姿勢を批判している。
考えうるあらゆる想定をして対策を考えていくことが、むしろ冷静で現実的な態度と指摘している。
さらに、同日の日経新聞では、
フランスやアメリカが、9・11以来、徹底した危機管理マニュアルをつくっており、日本へのスピーディーな支援は、マニュアルに基づいた原則対応がベースになっているとのこと。
加えて日本の原発の非常事態訓練は、あまりにもシュミレーション通りの訓練しかされていないことを憂えている。
高木仁三郎さんが、よく書いていることでもありますが原発というひとつの巨大事業は、様々な分野のすぐれた専門家がかかわっています。
ところが、それぞれの分野の原子力屋、物理屋、化学屋は、その専門の枠を出ることはなく、放射能という特殊な物質の計算通りにはいかない絶えず漏れやすい性格を、その専門家たちですら手や肌で感じている人はほとんどいないという。
プラント設計者、事業計画を練る経営者、政策決定する政治家しかり。
若松丈太郎さんのような詩人の感性こそ、
今、すべての分野の人に共通して求められている気がします。