先日、新盆でお寺のお坊さんを見送りがてら外で立ち話をしていたら、竹林管理の話からはじまって萱葺き屋根のことに話が広がりました。
そのお坊さんの後輩がいるあるお寺では、1年に屋根の6分の1だったか、少しずつ屋根をふき替えていくとのことでした。
それでも費用はかなりのものなのですが、そのお寺の場合は萱場を持っていて、一度に使用するのは茅場のほんの僅かなので、残りの萱はその葺き替え業者が買っていくことで費用の多くが相殺されるということです。もちろんそれだけでは足りず、文化財助成金などのおかげでまわしていけるとのこと。
萱は毎年刈らないと良いものが育たず、どちらにしても刈らなければいけないので無駄が出ないとても良い方法です。
そこで思い出したのが渡良瀬遊水地の広大な敷地の萱です。
もしかしたらその話のお寺も、渡良瀬遊水地あたりに萱場を持っているのかと思いましたが、渡良瀬遊水地の萱は、茎が太く屋根の萱よりは簾や葦ずなどに適したものだそうです。
そんなことを偶然、次の本で知りました。この本からは、実に多くのことを教わりました。
川原にはえているヨシとアシは別ものですが、アシは悪しにつながるので吉原という地名と同じくみなヨシということが多い。
でも、屋根に葺く材料としては、ヨシとは言わずみな萱(カヤ)となる。
ところが現実にかつて日本中の萱ぶき屋根が、みなヨシを使っていたのかというと、そうどこでもヨシが手に入るものではなく、山間部など多くの萱ぶき屋根はススキを使っているのだそうだ。聞いてびっくり。
萱葺きの屋根師、熊谷貞好さんはいう
「全体から見て、茅屋根っていえば約80パーセント以上は山のススキでねえのかな。葦は限られたところでしか手に入らねえからな」
そもそも茅とは、ススキやチガヤのこと。
屋根の縁の大事な水切り部分にヨシなどを使うことは多いとしても、それぞれの地域でススキ、ヨシ、ワラなど入手できる材料が使われるのが実態。特に軒の部分は3層から4層の構造になるといいますが、それもすべてそうしたつくりであるとは限らない。
そこで思い出したのが、今年5月に行ってきた山形の出羽三山神社
萱葺きの厚みが2mもある日本最大の権現造社殿
行ったときは、その屋根の大きさに圧倒され、残念ながら細かい構造などよく見てきませんでした。
今、専門の業者に頼んで農家の屋根をふき替えるなどといったら膨大な費用がかかってしまいます。何十年に一回といえども、とても普通の農家でできることではありません。
それが昔は、ほとんどが村の結(ゆい)などを中心に自分たちでやる環境があったからできた。
しかも屋根全部を一度に葺き替えるなどということはせずに、傷んだ部分を自分で修復しながら、部分部分を葺き替えていくことが基本。
必要な萱は自分で刈り集め、家の周りの冬囲いとして干し、大規模な葺き替えのみ村の助っ人以外に専門業者をひとりかふたりを頼み仕上げる。これが一般的な姿であったのだろう。
私たちは、今年5月に福島県会津の大内宿へ行ったとき、偶然にも萱ぶき屋根の葺き替え作業をしているところを見ることができました。
上と下を見ると、ものすごい人数で作業をしていました。
こうした専門の業者も、最近では全国を渡りあるくことで年間仕事がけっこうとれるようになったと聞きます。
京都で茅葺民家を保存している美山町のように、職人を育成しているところもある。
昔の結いのつながりを活かして、村人相互がこの大仕事を助け合い行なうことは、自分の仕事がずっと村人にみられることになるので、失敗したところはずっと語りぐさになる。
それは恥というよりは、良い学びの環境でもある。
葺き替えのコストは、数百万円から数千万円まで大きな開きがあるといわれます。
単純に大きさの問題ではなく、小さくても角の処理が多ければ大きな屋根と変わらない。
上の写真のような意匠を凝らしたものや排煙窓などがあれば、当然高くなる。
でも、こともと昔からある多くの建物は、お金をかけない様々なしくみで支えられていたことを忘れてはならない。
それは現代でも同じことであると思う。
実例に見る茅葺き屋根http://www7a.biglobe.ne.jp/~qwerty/kaya2zitu.htm
茅葺とは別に、桧皮葺、杮(こけら)葺き屋根などもあります。こうした工法も結果としてはだいたい同じコストだといわれます。
ちなみに余談ながら、杮(こけら)という字と柿(かき)の字とはつくりが違います。
ほとんど見分けはつかない、実態からすればどちらでも良いような話ですが、
柿(かき)の字のつくりは市ですが、このつくりが 杮(こけら)では、縦1本が繋がってます。虫眼鏡で見なければネット上の文字などわかりません。
折れやすい柿の木などおよそ板材には向かないのにどうして柿なのかといった疑問がこれで解けます。
この杮葺屋根も7月に秋田県の角館武家屋敷へ行き、私たちは見ることができました。
秋田では「ザク葺き」という。
茅葺は湿気を嫌うのに対して、このコッパ(木羽)葺きともいわれる柿葺き屋根は適度な湿気が木を守るので、苔の生えた姿がとても美しく映えて見えます。
ザク(「ザク」と聞くと別のイメージですぐに反応する人も多いと思う)とは、杉を鉈で薄く割った板を重ねていく工法で、鋸を使わず鉈のみで薄く割る技術。
ザクは、ネンボク(天然木)があれば一番よいという。
天然杉は、目が細かい。植林の杉は栄養が良いぶん目が粗いだけに傷みやすい。寿命に3年以上の違いがでるという。
阿仁街道から男鹿半島へ向けて走る道中、美しい秋田杉の山々をみてきました。
秋田杉の樹形の美しさには驚きました。
このブランド力にはスゴイものがあると感じましたが、それでも天然杉はほとんど今では手に入らない。
かつて伐採は、木の活動が休んでいる冬の仕事でした。
伐採で倒れても雪で木が痛まないことや運搬のしやすさなどもある。そのおかげで雪に埋れた根元を多く残すことができ、ザクに必要な良質な根株部分(8寸)が確保できた。
様々な要素がうまくつながって循環していた社会を、簡単に今取り戻すことはできない。
保存を観光地化することで守ることもできますが、美しい景観は、そこに暮らす人の営みがあってこそ守られるものです。
かつて大内宿が保存か開発か、村を二分する大論争の末に今の姿が守られたように、周囲がどんどん便利な生活に変わっていくなかで、ただ歴史保存のためだけにそれを維持しようとするのは大変なことです。
しかし、最近になってようやく、その一見不便な暮らしのなかにこそ守る価値のある豊かさがあるのだということが徐々に見えてきました。
観光地化によって守るか、
歴史文化遺産の保存として守るか、
自分たちの財産として守るか、
古民家の移築、再生など個人の趣味として守るかなど、
選択の仕方は、それぞれの地域によって条件は様々だと思います。
またいつもの論調になりますが、国の保護予算獲得は大事なことですが、誰がなんと言おうがこれは自分が守る価値があるといった人びとの手で、またそうした人への私たちの支援でこそ、このような消えかけている文化や技術を守り抜いていきたいものです。
価値ある伝統文化は、しっかりと守って後世に伝えていきたいものですが、国の予算がつけばそれは保証されるものではないということを強調しなければなりません。
塩野米松さんのすぐれた取材で伝わってくるのは、たとえその仕事が自分の代で終わるようなものであったとしても、それでは食べていけないことがわかったとしても、その仕事に誇りを持って生き生きとした姿で暮らしている職人たちの表情です。
これは、補助金、生活保障などで支えられてできる表情ではありません。
ひとりひとりが、戦争や貧困、様々な怪我や事故を乗り越えて年輪を重ねてつくられたものです。
必ずしもサラリーマン生活や企業社会が悪いのでもなく、決して脱サラで解決するものでもなく、自分の命を何によって燃やすかという「足元の何か」の問題であるようにずっと思えてならないのですが、まだうまく説明はできません。
そういえば、これも塩野米松さんの本に出てきたことですが、宣教師フロイスが日本に来たとき、冷静に観察した記述があります。
西洋の水夫と日本の舟を漕ぐ船頭の違いを数々列記したなかに、こんなような表現がありました。
われわれの国では、水夫はいつも黙って座って舟を漕ぐものだが、この国では、船頭は立って舟を漕ぐ。
しかも彼らはいつも歌を歌っていると・・・
そうだ、労働や生活のなかに歌とリズムの絶えない暮らし。
それこそが、生きている姿の大事なバロメーターになるのではないだろうか。
なんかそんな気がします。