かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

質量のない世界、ほとんどないように見える世界

2024年10月08日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

世の中には、「質量のある世界」と「質量のない世界」があると言いますが、私たちが普通に質量のない世界というと、多くの人は心の世界や思考の働き、または霊とか魂の世界を思い浮かべることと思います。

あるいは、哲学の根本問題の物質と精神のどちらが第一次的か、唯物論と観念論の対立もこの流れかもしれません。

 

ところが、ここ数年ほどの間に人間の心や思考の世界というものは、決して質量のない世界ではなく、極めて物質的な活動であることが急速に意識され始めました。

心や思考の働きが、人間の神経細胞の連携スピードや興奮した時に心臓から大脳に送られる血液の量などによって決定的な制約を受けていることで、異常にのろい活動であることがわかり始めたからです。

というのも、chat GPTやAIの普及で、日常的に物理的抵抗をほとんど感じさせないスピードで情報が処理され「思考」されるような世界を目の当たりにすると、人間の思考や心の働きがいかに遅い活動であるか、人間という存在がいかに物質的制約を受けたものであるを痛感させられているからです。

今わたしたちが体験している「質量のない世界」というのは、ほとんど質量がないかのように感じられる世界と、実際に質量のない世界とが混在してるのが実態ですが、どちらにしてもそうした考えを日常の世界と科学の進歩で実感して普通に受け入れられる時代に生きているというのがスゴい!

物理的抵抗が限りなくゼロに近いような宇宙空間での常識と、地球上の大気や重力の影響を受けていることが常識のこの世界が、急速に折り合えるかの、数学的知性や、何か音楽的感覚のようなものが急激に花開いていくような感じです。だからこそ、地上の「私」という個人のもつ身体性や社会性の制約そのものが、創造や個性のとても愛おしい条件になっていることにも改めて気づかされます。

そこに何か答えがあるわけではないけれど、時代の変化とともにものの見方が根本から変わりはじめることで、人類の本史がようやく始まりだしたような感覚に襲われています。

ゼロポイントフィールド、レンマ学、華厳経、神の世界などが急速に交差して感覚で理解されだしているのが今面白くてたまらない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 沼田市に4カ所ある「月夜野... | トップ | 未来の仕事 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜」カテゴリの最新記事