#ChatGPT の日常への浸透スピードが凄い!もう、この勢いは止まりません。
AIやロボット、ChatGPTにどんどん人間の仕事が取って代わられる話もしきりです。
でも、ものごとを深く考えることで、これらの技術で取って代わる論理的思考のレベルは、人間の思考では極めて初歩段階のものにすぎないことがわかってきます。
ただの情報や論理は、どんどんAI、#チャットGPT などに置き換えてなんら問題ないと思います。
確かに日常の仕事や暮らしは、膨大な情報の処理で成り立っている部分が圧倒的な比率を占めているので、そこに革命を起こすAI、ChatGPTが社会にもたらす変化は、間違いなく劇的なものがあります。
そもそも人間の活動にとって本当に肝心なのは、
①論理では貫けない感情の力
(どんなに理屈で筋が通っていても感情で受け入れられないと通用しない例など)
②確率統計をもひっくり返す意思の力
(たとえ1%の可能性であっても強い意志の力で乗り越えられる場合があることなど)
③人間のコントロールの及ばない圧倒的な偶然性の支配下にある自然界の現実、
(いかに科学技術や文明が進歩しても、私たちを覆う自然界では、隕石の衝突や様々な災害や疫病、気候変動などの偶然性や奇跡の連続ともいえる外的要因によって、今日のわれわれの存在は支えられている実態がある)
④意識を介在せずに成り立っている生命過程
(自然界はもとより人間の個体レベルでも、大脳意識の介在しない無意識の自律神経系の活動によって生命は成り立っていることなど)
など、これらを前提とした「社会一般」ではなく、
「私」と「あなた」の今日の思考と決断、行動と暮らしです。
AIや量子コンピュータの仕組みなどを見れば見るほど、人間の高次神経機能や思考の世界といっても、基本は基礎的な生命の化学反応の積み重ねで、99%以上は同じ物理法則の上で成り立っています。
人間のする仕事が無くなるかの議論がありますが、とんでもないことです。
先の四つの要素から考えれば、人間と自然の生命過程こそが、世界の基本構造なのだから、きちんとした食生活をしようとしたり、子育てや家族との時間を大切にしたり、生命を支える自分の畑を耕したりする生活、それらのことが日常の現実はとても忙しい毎日です。
関連ページ(「経済活動」よりも「生命活動」に「信」をおく社会)
食っていくために稼がなければならない仕事から解放されて、生きていくためにしなければならない膨大な生命時間にこそ、手間と労力をつぎ込む社会に向かいだすことは、なんら間違ったことではないはずです。
もちろん、その転換は容易いことではありませんが、その努力と苦労こそ、最も人間がやる価値のあることです。
生命と向き合うということは、そこにこそより手間暇をかける価値があるということですから、他の領域はどんどんAIやロボットに置き換えられてもなんら問題ないはずです(^^)
これまで私たちがイメージしてきた未来社会像とは、もっぱらこんなイメージでした。
でも、これからの私たちがイメージする未来社会は、AIやロボット技術などのおかげで膨大な情報や作業に支えられた部分は、限りなく見えない世界(地下やバーチャル世界)に押し込められて、普段目にするのは、以下のような世界なのだと思います。
コロナパンデミックで世界中がわずか数日ロックダウンしただけで、
私たちは見たこともないような澄んだ空を見ることができました。
人類は、あまりにも稼ぐためだけのしなくても良い仕事に追われ続けて、
GDPに換算されない大切な生命時間を犠牲にし過ぎてきたことに気づくだけの話です。
ここから私たち人類の自然過程にしっかり寄り添った人類の「本史」が、ようやく始まるのだと思います。
(この記事は、別ブログ「これから人類の本史がはじまる」「物語のいできはじめのおや ~月夜野タヌキ自治共和国」の記事を加筆訂正したものです)