かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

武内神社と武内宿禰

2009年10月29日 | 歴史、過去の語り方
お店のブログ「正林堂店長の雑記帖」で、渋川市に4つもある甲波宿禰神社の不思議について書きましたが、いろいろ調べるうちに興味深いことが次々と出てきたので、こちらのほうにも独立した記事として書いておくことにします。



三つほぼ等間隔で直線状に並ぶ甲波宿禰神社の真ん中にある神社は武内神社と呼ばれ、ここは武内宿禰を祀っているとされます。


甲波宿禰神社が川の信仰だといううのもいまひとつ理解できませんが、このような土地にいきなり武内宿禰というのも、どうもその因果関係が理解しがたいものがあります。

最近、前回のブログを見てくれたというお客さんも、同じような感想を言っておられたのを聞いて、わたしもこの個人的な疑問に少し自信がもてました。

武内宿禰は、戦前は皇国史観でまつりあげられたり、お札の肖像でも使われたりして結構知名度の高い人だったようですが、今では古代史に特別の興味でもない限り、知っている人もあまり多い人物ではないかもしれません。


ウィキペディアによると

景行天皇14年(84年) - 仁徳天皇55年(367年)4月?)は、『古事記』『日本書紀』で大和朝廷初期(景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5代の天皇の時期)に棟梁之臣・大臣として仕え、国政を補佐したとされる伝説的人物。
建内宿禰とも表記される。
紀・巨勢・平群・葛城・蘇我氏などの中央諸豪族の祖とされるが詳細は不明。

第13代成務天皇と同年同日の生まれという。
第12代景行天皇の時に北陸・東国を視察して、蝦夷の征討を進言した。成務天皇3年に大臣となる。

神功皇后の朝鮮出兵を決定づけ、忍熊皇子らの反乱鎮圧にも功があった。第15代応神天皇の時、渡来人を率いて韓人池を造る。また、異母弟の甘美内宿禰から謀反の讒言を受けたが、探湯(くかたち)を行って濡れ衣を晴らした。仁徳天皇50年が『書紀』に現われる最後。『公卿補任』『水鏡』は同天皇55年、『帝王編年記』所引一書は同天皇78年に薨じたといい、年齢についても280歳・295歳・306歳・312歳・360歳などの諸説がある。





〇 実在・非実在論

 武内宿禰に関しては、300年以上生きたというその異常な長寿などの理由から、非実在の人物と一般的には言われています。

 しかし、実在の根拠が乏しいのは古代の人物ではなにも武内宿禰に限ったことではありません。
 今では、聖徳太子ですらその実在性が疑われるくらいの時代です。

 大事なのは実在の根拠が乏しいことだけではなく、非実在を証明する根拠もそれほど確かな理由があるわけではないということです。
 よって、わたしは確たる根拠があるわけでもありませんが、武内宿禰は実在した人物、もしくはそれなりのモデルの存在する人物の名前であるとの推測のもとに以下の問題整理をしてみます。


○ 長寿年齢の謎


井上ひさしの戯曲(小説?)『道元』のなかに出てくる歴代天皇を紹介するとても面白い歌があるのですが、そのなかに
  
孝昭(こうしょう)ー百十四歳

孝安-これまた長生き百三十七歳

孝霊 またまた長生き百二十八歳

孝元 嘘か真実か百十六歳

開化 眉唾ものの百十一歳

崇神 膵臓腎臓みんな丈夫で百十九歳

垂仁 葬儀屋泣かせの百四十一歳



と、どの天皇も皆、ちょっと考えられない長寿であったことが出てきます。

 武内宿禰に限らず上記のように古代の天皇も常識では考えられない長寿になっているのです。
 これにはなにか別のからくりがあるとみも良いのではないでしょうか。
 この年齢をみると無闇に長寿ということではなく、百十歳から百三十歳あたりまでの範囲の長寿となっています。

 ある人は、「神武記」によると神武の没後1年で終わっている「山陵の事」が、「すいぜい記」によると3年かかったことになっている。
  こうしたことから、紀年が3倍に延長されているので、1年が3年になることを意味しているのではなと見る考えもあります。


 もしこうしたことが現実にありうるとすると、歴代長寿天皇の場合も武内宿禰の場合も3で割れば、天皇は30~40歳、武内宿禰は考えられる長寿の90歳くらいと、みなちょうど良いくらいのもっともらしい年齢となります。



〇 武内宿禰の複数人物説

 武内宿禰の長寿は、複数の天皇を補佐した有力な人物たちを総称したようなものではないかとの見方もあります。
 そもそも時代は下って弘法大師伝説のように、全国いたるところにある弘法大師伝説は、後世の作り話も多いことと思いますが、ひとり空海が実際に訪れた場所以外に、空海の教えを広める高野聖たちの活躍が、それぞれの地域で弘法大師のものと伝わっていったこともありうることとして考えられてます。
 
 こうしたことと同様に、中央から天皇を補佐する有力な人物が地方に赴いた場合、それが著名な人物の名として語りつがれたということも十分考えられます。


 またそうした複数人物説のなかでも、さらに強烈な説として、

「ヤマトタケルは武内宿禰の若き姿である」http://www.geocities.jp/shoki_otoku/index.html
というものがありました。

 いくつかの歌謡のなかにみられる表現を根拠にした説なのですが、以下上記サイトからの引用です。




仁徳記には武内宿禰に対して、「たまきはる、内の朝臣(あそ)、汝(な)こそは 世の遠人(とおひと) 汝こそは 国の長人(ながひと)・・・・」

とする歌がある。これにより、内朝臣(うちのあそ=内宿禰)が一種の尊称であることが分かるので、武内宿禰の固有部分は「武(たけ)」一字と了解できる。

それは彼の弟が甘美(うまし)内宿禰として見えていることからも確認できる。すなわち武内宿禰は畿外の人からすれば、ヤマトの「武」であったと『書記』は告げているのである。




さらに、


その上、2人の誕生年が同じであることを匂わす巧妙な暗号がある。
 ヤマトタケルの誕生年は景行27年に16歳とあるので景行12年(昔流の数え年換算)と読み取れる。
 一方、武内宿禰は景行3年条に、父武雄心命(たけおごころのみこと)が9年間紀国(きのくに)に留まって生ませた子とあり、単純に足し合わせると景行12年となる。




 こんなことを知ってしまったら、この群馬に伝わる碓氷峠を越えたヤマトタケルの話やヤマトカケルを祀る上州武尊山のことなどがすぐに思いおこされます。

 蝦夷征伐の下見に東国へ来たといわれる武内宿禰と、鉄を求めて、あるいは蝦夷征伐として東国遠征にきたヤマトタケルの伝説ルートが、この武内神社のあたりで交差しているともみれます。


困ったなぁ。

こりゃ、大変な発見をしてしまった(笑)


甲波宿禰神社が、なんでこんな場所で全国でも珍しい川の信仰なのかどうも理解できない理由。
そこの真ん中にどうして忽然と武内宿禰を祀る神社が現れたのか、
その理由が一気に解けてしまったような気がしてしまうのです。


(以上書いたことは、歴史知識のない素人が目に付いた僅かの資料だけから推測したものですので、どうぞ真に受けないでください。)


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教科書のデジタル化のゆくえと展望 その3

2009年10月25日 | 出版業界とデジタル社会
今や全世界にはりめぐらされたインターネットというインフラとその検索技術が社会にもたらした変化は、情報を所有することには意味がなくなる時代に入りだしている、ということなのではないかと思います。

情報は、「所有権」の時代から「利用権」の時代へ移行しだしたといえるのではないでしょうか。

かつては、どれだけの知識があるかは、どれだけの蔵書を持っているのかといった条件とほぼ同じような意味がありました。
ところがいまでは、パソコンに限らず携帯電話、さらに間もなく地デジテレビなどを通じて、どこからでも必要な情報にアクセスできるようになりました。
国会図書館の蔵書の中身ですら、世界中から閲覧できるようになるのです。

蔵書の量に等しいような知識の量だけを売っている学者は、もう食べていけないのです。

このことは、情報というものが本来持っている性格があらためて浮き彫りになったものだと思います。
それは、「情報」とは、それを独占・秘匿する場合にのみお金が取れるものであって、本来「情報」そのものは、まず第一に人類の公共財であるのだと。

これも説明しだすと長くなるので、詳細は著作権論議についての項でまた詳しく書きます。


ここで強調したいのは、このことが教育そのものにもこれから大きな変化をもたらすのではないかということです。


小学校までは、読み書き計算と遊びを徹底して身につけることが無条件に大事なことと思います。
しかし中学あたりからは既成の知識の体系を教え込むことには、意味がなくなる時代になりつつあるのだと思います。


早くからこのことに気づいたフィンランドでは、一定の年齢に達したら、既存の知識の体系を教え込むという教育は、はじめからせずに、子ども自身が興味を持ったことから学習させ、教師はそのサポート役に徹するということをはじめています。


既存の知識を社会人の基礎として教えることが大事だと言っていながら、多くの高等学校での日本史の授業は平気で近代まで、明治維新以降の歴史は時間切れで教わらないなどということが日常的におきていたり、これまで常識と言われた学説が簡単にひっくり返ったりするのを見ると、そもそもそれほど既存の知識の体系にこだわる意味もないのではないかと考えられるようになってきました。

しかも、子ども自身が興味を持ったことから学習させるということが、結果的に学力も世界一になる方法であったということが実証されたのです。
(福田誠治『競争やめたら学力世界一』朝日選書 2006)


そこにある程度の情報であれば、無理に覚えなくてもいつでもどこでも手に入る時代が来たとなると、こうしたフィンランドの事例に習うでもなく、これからの時代の教育目的自体が変わってこざるとえないと思うのです。

受験のための特殊技能教育に特化してしまった日本の教育を変える契機が、ようやく訪れた気がします。

答えを覚えることではなく、調べる力、問題を発見する力、それらの人に伝える力こそが、学ぶことの根幹であるのだと。
つい最近、総合学習などでそのようなことが提起されていましたが、現場の教師がすぐには対応できない現実がありました。

でもようやくそれを実現するインフラとともに現実のものとして教育現場でそれが受け入れられようとする時代が来たのを感じます。

デジタル教科書を、ただ今のキンドルのようなかたちで捉えても意味がありません。
これらはハードの問題よりも、
どのような教育がなされるのか、
現場の教師の自由な授業プランに応じて、
子ども自身の意欲や興味関心に応じて、
それぞれにもっとも相応しい方法が、たくさん用意されている時代がやってくるのだと思います。


教科書デジタル化のゆくえと展望 その1

教科書デジタル化のゆくえと展望 その2

補足 デジタル技術への抵抗感について

モノの記憶
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教科書のデジタル化のゆくえと展望  その2

2009年10月24日 | 出版業界とデジタル社会
前回はデジタル教科書導入の方向へはたらくメーカーや出版社、文部科学省などの思惑と動きなどについて書きましたが、政権交代がおきたことで、学校教育そのものもこれから10年では、おそらく大きくかわっていくことと思います。

 私個人としては、検定教科書なんていらない、義務教育も社会が一定レベルになれば、受けない自由があっても良いと思っていますが、そこはおいておいて、もう少しここでは一般的な立場で発言します。

 私個人の希望的観測も含めて、変わりゆく教育のなかでのデジタル化がすすむことで教科書や学校教育の現場の姿がどのように変わっていくのかを、わたしなりに少し書いてみることにします。

 前回の記事を書いたときに、デジタルは「貧しい」、紙の質感を含めた情報の豊かさにはかなわないといった旨の意見がありました。
デジタル化がすすめば進むほど、アナログの良さが再評価されたり、部分的に復活することは大いにありうることと思います。

しかし、いろいろと議論が混交しやすいので難しいところですが、まず、今の紙の教科書であっても、原稿から編集、製版に至るまで、大半の作業はデジタルでなされている現実にはかわりないと思います。


それはデジタルでつくられた情報を紙に出力するか、ディスプレイに表示するかの違いであって、そこに起きている差というのは、第一に表現方法の差であり、使われる紙質、印刷のグレード、ディスプレイの大きさ、画面の見易さなど必ずしもデジタル云々が質を左右する決定的な理由になるものとは限らないのだと思います。


進学校での電子辞書の普及が100%に近いところまできていることにみられるように、他方で紙の辞書の再評価がおきているのは当然のことと思いますが、それは授業法の選択肢のひとつとして出ているだけであって、進学校の大半が紙の辞書に戻るというようなことは、もうありえないことです。


そこで、そもそも情報がデジタル化されることとはどういったことなのか、といったようなことから確認しながら話をすすめてみます。

デジタル化という変化がわたしたちの生活にもたらす変化を考えると、以下の主な特徴に要約できるかと思います。

第一は、あらゆる異質な音、映像、文字などの情報を、同質の記号に置き換え変換することができること。
第二は、そうしたあらゆる異質な情報をデジタル信号におきかえることで、どこへでも瞬時に移動・転送できるということ。
第三は、デジタル信号に変換されることで、膨大な情報をコンパクトに収納できること


なんか社会に果たす役割の特徴をみると「お金」と極めてよく似た性格のものであると感じます。
そのことはとても大事なことなので、おそらくまた別の機会に書きますが、こうした技術は、必然的に教育そのものも大きく変えるものだと思います。

まず第一、第二の特徴から言えることは、教科書、教材、辞書などあらゆる情報が既にデジタル化されていますが、このことによって、今は印刷された教科書や教材を全国に発送されていますが、すでに元情報がデジタル化いるので、各地区や学校で必要な印刷することも不可能ではない時代になったこと。
あるいは必要な箇所だけその都度現場で印刷して渡すということも不可能ではありません。

また元の情報を著作権などを保持したまま渡してもらえれば、教師の授業プランに応じて、自由に見やすいよにあるいは子どもがわかりやすいように再編集してわたすことも可能なのです。

その方法は、デジタルデータのまま子どもが持っている端末に送るのもよし、
先生が必要な部分を拡大カラー印刷して配布するもよし、
教室の大型ディスプレイ、もしくは電子黒板に写しだすもよし、

それらに自由に参考教材もリンクして組み立てられるのです。

大概一回の授業で使用する教科書は、1,2ページの範囲である場合が多いのではないでしょうか。
そうであるならば、1冊の本を持ち込むことよりも、その日の授業内容により集中して広げることの方が授業は魅力的なものにしやすいと思います。
見開きA3にまとめられた情報よりも、拡大・縮小、写真、動画などを自由に組み合わせたものの方が(もちろんすべてを使う必要なはく)
教師が自由に授業プランをたてられ(現状では自由でなく決めてもらった方が良い教師が多い時代かもしれませんが・・・)
そうした様々な授業プランを公開、共有することができたらどんなに面白いことでしょう。

そもそも、私は昔から疑問に思っていたのですが、一つの教科を20年も30年も教えていたならば、自分で納得のいく教科書をつくってそれを使いたいという先生がいて当然なのではないかと思うのです。

すべての先生がそうである必要はありませんが、ひとつの地域でひとりでもいて、それらをネット上に公開でもできれば、現場の先生が自分の授業で使いやすいものを自由に選べる。

そんなことができる時代であれば、当然授業風景そのものも、すでに予備校が実現しているように評判の先生の授業は衛星画像で自由に見ることもできる。
大事なポイントになるようなテーマの日や、その担当の先生の苦手な項目の日などは、名物教師の授業を大画面で受けることもできる。

デジタル化という現実は、すでにそのような授業風景のインフラを私たちに提供しているのです。


次に第二、第三の特徴からでる主にインターネット環境のもたらすことについて次回に書きます。


教科書デジタル化のゆくえと展望 その1

教科書デジタル化のゆくえと展望 その3

補足 デジタル技術への抵抗感について

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教科書のデジタル化のゆくえと展望 その1

2009年10月21日 | 出版業界とデジタル社会
同業者のみなさんの感想を拝見して、わたしたちは情報というものをただニュースリンクの紹介にとどまるだけではなく、きちんとその情報の持つ意味を整理して伝えないといけないのではないかと強く感じました。

そこで、タイミングは少し遅いかもしれませんが、うちも経営の4分の1を教科書に依存している店なので、教科書のデジタル化、電子ブックへの移行の見通しについての問題を私なりにこの機会に整理してみたいと思います。





1、現在、すでに起きている変化


 すでに紹介されていますが、今年アメリカで高校の教科書にアマゾンが開発した読書端末キンドルが導入されました。
 アメリカの場合、教科書版元の独占が進んでいるので、今回導入した大手三社で全体の教科書市場の6割を占めると言われます。


 このニュースは、日本でも衝撃的に伝えられましたが、にもかかわらずまだキンドルは英語版しか出ていないことや、日本のメーカーが過去、電子ブックで失敗していることなどから、日本で同様な変化が起きるのはまだ先のことになるかの憶測もされています。
 しかし、以下の項目で説明するような理由で、すぐではないといっても、それは決して遠い先のことでなく近いうちに必ず起きる変化であることも間違いがないのではないかと思います。


 電子ブックというかたちではなくとも、すでに教材のなかには印刷製本せず、ダウンロード版のみというものも出だしています。


 それと見過ごせないのは、教科書問題とはまったく別次元で実際の教科書取り扱い店が経営難に陥り、その業務を受け継ぐ場所がなくなる問題が多発している現実もあります。
 今、扱っている書店の延命・保護も大事ですが、外部からみると衰退しつづける教科書取り扱い店の延命を考えることよりも、「既得権にしがみついている業者」は、これを機会に整理してしまおうとの意見も時代の流れからすると無視できないものがあります。


 取り扱い書店と教科書取次ぎを除くすべての業界関係者が、教育現場、子供と父兄、版元などどの立場からもデジタル化することの方がメリットがあるとデジタルアレルギーの精神的な抵抗感以外は、世論の多くがまとまってしまう流れは否めないのではないでしょうか。



2、デジタル化の持つ意味への根深い誤解
 
 それでも、紙の良さはデジタルに変えられるものではないという意見は、教育現場でも根強く存在し続けます。
 事実、デジタル化が進めば進むほど紙ならではの良さの再評価も高まることも間違いありません。
 しかし、受験勉強などの学習方法の効率を問う分野ほど、その差は歴然と開いていきます。
 デジタル化とは、ただ紙の情報をデジタルに置き換えたコンパクトで便利なものということではありません。
 学習の方法が革命的といっても良いほど大きく変わるのです。
 既に電子辞書の普及は、英語学習において先生以上に正確なネイティブの発音で単語にとどまらず例文や問題まで生徒がいつでも聞ける環境になりました。
 昔の「アイ、キャノット、スピーク、イングリッシュ」などという先生はもう生徒からも相手にされない時代なのです。


 こうした音声機能とともに、画像表現や画面の拡大縮小機能、情報のリンク、ジャンプ機能、快適な操作性などの進歩にはこの数年を見ても目覚しいものがありますが、これらは今後日々さらなる進化を遂げていくものです。
 
紙の良さはあります。またそれゆえに残るものもあります。
しかしそれは、高価な特殊付加価値商品ということです。
圧倒的部分は、デジタル化することで、経済的でエコでもあるゆえに多くの人が恩恵を受けることができます。


3、出版社側の事情


 日本では光村教育図書が、デジタル教科書の開発をすでにすすめて商品化していますが、そうした開発を急ぐ最大の理由は、出版社自身の延命策としてなによりも有効であるからです。


 児童数の減少により市場そのものが縮小し続けるだけでなく、大判教科書の比率が増たり、カラー刷りページもどんどん増えていながら、 定価は簡単に上げることの出来ない今のままでは、出版社の自助努力の範囲ではとても対応しきれない現実があります。
 そこに紙の印刷と製本、物流のコストを省けるデジタル教科書は、版権製作料部分の純利益比率を上げても、 最終商品価格を下げられる競争力をつけられる有望な商品になります。


 これまで長い歴史のあるつきあいをしてきた書店に対して冷酷な発言をすることはできない立場ですが、こうした事情をみると出版社がたやすく書店を擁護できるわけではありません。



4、ハードメーカー側の事情


 電子ブックは、かつていくつかの日本メーカーが参入しながら失敗に終わった苦い経験がありますが、amazonのキンドルがアメリカで急速に普及したことで、完全に仕切りなおしがされたといえます。

 これまで普及の障害になってしたのは、
  1、コンテンツの絶対量不足
  2、液晶画面の見にくさ
  3、バッテリー寿命
 などがありましたが、すでにこれらの問題はどれも日本メーカーはその気になれば十分解決できる時代に入っています。


 さらに決定的なのは、電子辞書の普及で経験したことですが、児童・生徒へのこうしたハードの普及は、一般市場のヒット商品を産むことよりもはるかに「大きな市場に化ける」ということです。


 小中高の全校採用ともなれば、電子辞書とは比べものにならないほどの大きな需要が、一気に見込めるのです。
このことに気づいたメーカーが、文部科学省、教育委員会をはじめとした教育機関に相当な営業をかけることは間違いありません。
そして児童・生徒のそうしたデバイスの利便性を体験させたならば、さらに社会人への需要開拓の大きな布石になることも期待できます。


パソコンメーカーと、カシオやシャープなどが競って、これからamazonやMacの商品と開発を競いあう時代がはじまっています。




5、文部科学省、教育委員会など行政の対応


 一般にこれらの問題に対して行政は、保守的である場合が多いものですが、上記のような環境から各メーカーが競って営業をかけることが予想され、一部の先進的行政マンやその長がそれに気づけば一気に様相が変わります。
 本来であれば、教育現場でどのように活用されるべきか、しっかりとした現場との協議を経て決定されるべき問題ですが、過去のこうした問題の経緯から推測すると、トップダウン式にある日突然その決定がなされることもおおいにありえます。


 これはどのような可能性があるか推論の精度を争うよりも、まず、最悪の事態にいち早くそなえることを優先することが求められます。


5、当面の予測

 次回の教科書改訂は、すでに目前になってしまうので当然間に合わないと思いますが(ヘタをするとそれも・・・)、おそらくアメリカほど教科書会社の独占は進んでいないので急激でなないかもしれませんが、まず高校の進学校からデジタル教科書の普及がはじまることと予想されます。

既に電子辞書の普及率が有名進学校ほぼ100%に近い実態になっていることから、受験校であれば、デジタル化によるメリット、学習効率の違いに真っ先に注目すると思います。

その次に他の高等学校や中学校が続くと考えるのが自然ですが、この段階になると、もしかしたら徐々にということではなく、文部科学省などの行政判断によって、ある日突然、全国一斉にということも十分考えられます。


教科書のデジタル化が実施される前に、様々な教材類がデジタル化され、その利便性などが現場に実感されていくことと思います。

これが次の次の教科書改訂時期、つまり5年後までの間に大勢の流れは決まるのではないかと思います。

運良くか悪くか、最も長引くことを予想しても10年(2回の改定機会の範囲)はかからない話なのではないでしょうか。




教科書デジタル化のゆくえと展望 その2

教科書デジタル化のゆくえと展望 その3

補足 デジタル技術への抵抗感について

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「皇室の名宝」展での収穫

2009年10月18日 | 映画・音楽・舞台・美術などの評
一昨日、八王子の親戚のところへ挨拶に行くついでに、東京国立博物館の
「皇室の名宝」展に行ってきました。
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=01&event_id=6890

学生時代からあこがれていた狩野永徳の唐獅子図屏風をやっと見ることができました。

実物の大きさに圧倒されるほどでしたが、細部の筆致は大胆、かつ意外と大雑把であることにも驚きました。
この屏風の大きさは、とても普通の家屋の寸法には収まらない。

何度も何度も図版で見てきた作品ですが、意外と大きいものであると頭にあっただけで、
これほどの大きさとは想像していなかった。

当然のことながら縮小された図版と原寸で見るディテールはまったく違う。

あまり時間をかけた作品とは思えない筆致でしたが、かといってこの大きさを一気に書き上げたような感じではなく、
構成はしっかりと計算しつくしたうえで書かれている。

それは安土城などの戦国の立派な建築物が短時間でつくられるのに似ている。
場数を踏んでいるものだけが成しうるスピードといった感じだろうか。

このスケールの「部分」と「全体」の関係は、圧倒的に「全体」が優先されている。

続いてみた伊藤若沖などの、細部へ細部へ集中していきながらの全体バランスとは対照的。

そうした比較では、これまで巧さばかりが鼻につくかの印象だった応挙の迫力は感動的だった。


隣りの本館まで含めて、日本絵画史を一気に概観することができた。

まったく忘れていたことですが、私は日本美術史が専攻でした。
特定のゼミ以外は、あまり授業に出た記憶がないので、とても人前で日本美術史など語れる立場にはない。

そうした知識がないがゆえの思い込みかもしれませんが、今回安土桃山から近現代までの日本画を一気にみてみると、
明治の岡倉天心門下の横山大観、菱田春草、下村観山の作品が、日本美術史上に特別なクサビを打ち込んだ存在として
その他を寄せ付けない価値をあらためて感じられました。

日本画檀の写実への指向と、全体の構図の伝統、日本独特のテーマ性など、日本画の歴史は、
明治の岡倉天心のときに頂点を極めたのではないかと勝手に思ってしまいました。

明治以後の日本画の主流は、東山魁夷や平山郁夫などに代表される
美しい「全体」が優先されて「細部」が消滅していく時代に入ってしまったような気がします。

その「全体」と「部分・細部」の両極が、鋭い緊張感をもって対立しながら、ひとつのテーマに構成されるのは、
明治期の天心門下にこそ、その頂点を極めたのではないかと。

大観は、やや長生きした分だけ昭和や現代に通じる作風が多く感じられますが、観山の作品を見たときにひと際
菱田春草と同じ時代の鋭い緊張感で精神性を押しだす技法を感じました。

もちろんどれが良いかなどは、ひとそれぞれの好みの問題でしょうが、永徳の唐獅子屏風を最初にみることができたおかげで、
日本美術史の思わぬお宝を再認識することができました。

無性に春草、観山の作品が見たくなった。

春草、観山の作品収蔵の多い目白の「永青文庫」に行こう。
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経済と自治の基礎単位

2009年10月04日 | 脱・一票まる投げ「民主主義」 自治への道

以前、社会の基礎単位のこととしてブログに書いた内容ですが、大事な基礎数字の意味を最近の同業者の集まりで再認識したので、もう一度整理してみます。

日本中どこへ行っても、郊外の幹線沿いは良く知れた屋号の看板が並び、他方、中心地では衰退した街中商店街が細々と営業をしている姿をみます。

たまには例外的に元気な商店街をみたい、ナショナルチェーン以外の看板の並ぶ道路を走ってみたいと思っても、すでにその望みはほとんど断たれてしまっていると断言しても差し支えないほどにまでなってしまいました。

今どき、衰退した商店街でいくら頑張っても、顧客の絶対数が足りないのだからどうすることもできないかの嘆き声が聞こえてきます。

しかし、わたしはその考え方、発想は、根本から改めなければならないと感じています。

いついかなる業種であっても、そこにお客が来なくなったのは、規模の問題でも、立地の問題でもない。そこに「競争力のある商品とサービス」が無かったからであると。

今では、その「競争力のある商品とサービス」がなければ、たとえ全盛を誇った郊外店であっても、巨大ショッピングセンターであっても、たちまちに衰退してゴーストタウンと化す時代なのです。

「顧客のために」という言葉のもとに生まれる新しいサービスは、古いものを駆逐し、やがて自らも駆逐され、次々と新しい廃墟を生みだしていきます。

そこには、必ず新しい希望に満ちた街ができるといわれながら、その一方でこれまでに作られ続けた廃墟の量に私たちはようやく気づきはじめました。

はたして、市場はどれだけ拡大してきたのでしょうか?

私たちは企業経営の側からの市場規模拡大の論理に、あまりにも引きずられてしまっていないでしょうか。

以下に紹介する数字は、そんなことを考え直してみるためのものです。

それは、


1億 → 2万 → 5,000 → 1,000 → 200 → 40 → 2~8 


という数字の流れのことです。

この話だけでも詳しく説明しているとかなり長くなってしまうので、今回は、この考えの軸になっている

1億 → 2万 

という部分に限定して書くことにします。

1億というのは、日本の人口のことです。正確には1億何全万かなのですが、
乳幼児や一部高齢者など市場に影響のない(実際にはそんなことはないのですが)人々を除いて、わかりやすい数字としておよそ1億人を基礎数字としました。

次の2万というのは、書店、もしくは小売その他の営業所数のことです。

一番わかりやすい業種で、コンビニの店舗数が全国でおよそ5万店といわれます。
どこに行っても頻繁にわたしたちが目にする業種です。

それよりも多いのが歯医者さん。
全国に7万人もいるそうです。
他の医療に比べると、ほぼ医者の数が診療所の数と一致します。

ところが、この歯医者をさらに上回る業種があるのを知って驚きました。
それは、お寺です。全国に約7万5千あるそうです。
一部、廃寺同然のものもあるにしても、神社に比べたらはるかに専業の坊さんのいる事業体としてきちんと成り立っています。

他方、わたしたちの書店業界をみるとピーク時には2万3千あまりもあったものが、今では1万6千店ほどにまで減ってしまいました。
なんと6千店以上、約4分の1といっても良いほどの数が減っています。

さらに少ない業種としては、最近話題になっている産婦人科があります。
産婦人科や眼科などとなると1万人レベルになってしまいます。

日ごろまわりでちょっと探すのが難しくなる業種というのが、この1万人代の数字になるのです。

これらの数字をみて、私たちの業界、書店を振り返るととても実感としてもわかると思いますが、
全国で2万を切ると、ちょっとした田舎になるとその業種がない地域が出てくるということです。

わたしのまわりでも、もう住んでいる街にはコンビニ以外本屋はないという地域が少なからず出ています。

こうした実感から、2万という数字が、全国どこへ行っても身近に存在するかどうかのボーダーラインであると思って差し支えないのではないかと思うのです。

これを前提に考えると、

1億 ÷ 2万 = 5,000

という数式ができます。

もちろん、都市部と山村部では人口密度におおきな違いがありますが、
大雑把にみれば、業種を問わずひとつの店が対象とする市場の基礎単位は
5000人であるとみて間違いないのではないかと思うのです。

なにも高齢化社会対策に限らず、人が地域で健康で文化的な暮らし、安心して暮らせる環境をつくるには、
人が歩いていける範囲内(半径600m以内)で生活に必要なすべてのことが満たされる社会というのが、
これからの社会を考えた場合、国や地域を問わず求められる基本思想であると私は私は考え考えています。(参照:アワニー原則)

この半径600m以内という目安とともに、大事なのが5000人規模ということです。
もちろんこれには、地域によってかなりの幅をもたせて良い数字であると思いますが、全国平均で考えるとこれはかなり妥当な数字になっていることと思います。

平成の大合併などの発想ではなく、本来の住民自治を考えるならば、あらゆるコミュニティーの基礎単位として、このくらいの規模をベースに地域社会を組み立てることがこれからの時代、とても大事なことであると考えられるのです。

現実には、どんな業種でも5000人すべてが顧客になるわけではないので、
この内の2割、つまり1,000人程度の顧客を対象にしてビジネスが成り立たないといけないと考えることが、理想の地域社会のイメージのなかでは重要になります。

今の常識からすると、それではやっていけそうにないと感じるかもしれませんが、
かつての日本社会では、決してこの数字は高いレベルではなく、あたりまえの数字でした。
いえ世界の大半では、ヨーロッパも含めて5000人規模の市場の1,000人の顧客というのは、
普通の事業規模で考える数字であると思います。

むしろ、大事なのは、5000人規模の市場で成り立たない、やっていけない業種というのは、市場規模が小さいからやっていけないのではなく、その地域の5000人の需要にそこの商品やサービスの質が応えきれていないと考えることの方が重要になってくることです。
ここが大事です。

5,000人規模の市場で1,000人レベルの顧客の需要にきちんと応えられないビジネスが地域で生き残れないのであり、規模や立地の問題は、短期的な影響は大きいものがありますが、長期的に地域に生き残っているお店をみれば、なによりも大事なのは地域の要望に応える「競争力のある商品とサービス」の開発であることに例外はないことがわかります。

新規客を増やすことよりも、今わたしたちにわたしたに求められているのは、1000人の顧客の不満を解消し、その需要にきちんと応えることです。
その能力がないまま、企画やイベント、あるいは値引きポイントで新しい客を増やしても、それが優良常連客になることはありません。

たしかに業界の問題、地域や行政の問題などもたくさんありますが、まず、自分自身の問題としてこのことをしっかりとおさえることが、なによりも重要なのではないかと思うのです。




次回に、この1000人の顧客の実質部分といえる2割、つまる200人のコアの顧客をしっかりと捕まえる店づくりの考え方として北海道の岩田書店さんのやっている顧客カルテのことや、顧客情報と結びついたPOSのことなどについて書くことにします。

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