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かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

意味は「つながる」のか。空間は「つながる」のか。

2014年10月27日 | 映画・音楽・舞台・美術などの評

10月25日に前橋の旧大竹レンガ蔵で行なわれた演劇、
劇団レレレレンガ 演劇公演「前橋出口」https://www.facebook.com/rerererengaを見てきました。 

ちょっと遅くなりましたが、雑感メモを以下に思いつくまま。

 

記憶はつながるのか

言葉はつながるのか

意味はつながるのか

道はつながるのか

時はつながるのか

そんなイメージがわいてくる演劇でした。


正直なところ前半部分は、もしかして既存の形式や意味、空間を破壊するだけのよくある前衛演劇なのかと、ハラハラ心配しながら見ていました。

それが、レンガの上をMさんが歩くシーンでいろいろ具体的な言葉があらわれて、
やっとその後の展開が想像、把握でき、おちついて見れるようになった次第です。

でも、それら如何にかかわらず、Nさんの発声、身体力はすばらしい。
舞台を引き締める力があるのを感じました。


最初の戸惑いは、あのレンガ倉庫という空間が、異空間の利用でありながら
あまりに立派な舞台装置になりきっていることに起因するようにも思えました。

この演劇は、本来は屋外こそふさわしい。
芝居する側と観客との断絶破壊の構図で進行するイメージの歪みが、
狙いなのかどうかはわかりませんが、
見るも側の意識にゆらぎを与えたという意味では成功だったかもしれません。

でも、様々に分断され、断ち切られた空間や言葉や意味が、
空間をつなぐ、
言葉をつなぐ、
意味をつなぐ、
道をつなぐ、
という方向に流れたのかといえば、
それはまさに前橋という街そのものが持っている特徴のまま、
個々の断片は
「つながりきらない」
ものであったと思います。

それは、前橋などの都市で行なわれるまちづくりイベントの特徴そのものであるとも感じられました。

シネマまえばし、
レンガ倉庫、旧安田銀行担保倉庫
アーツ前橋、アーツ桑町・・・

など、意欲的な文化空間やイベントを行っている姿は
私の住む田舎からみるととても羨ましいものに見えます。

既存の設備をどう活かすか、
衰退の一途の街中をどう活性化させるか
しかけてくれる人がたくさんいることも、とても羨ましい限りです。

ところが、それらが活性化し刺激として成功しても
何か「つなげる」ものが欠けているような感じがぬぐえない思いがしたのです。

同時期に行なわれている「まちフェス」のイベントマップをみていても、それは強く感じました。

その辺が、この芝居テーマの狙いだとしたら、
とてもうまく表現できていたような気もします。

 

かたや私の住むみなかみ町の月夜野では、
文化活動といえば、年寄の俳句、歌、和讃、大正琴などの趣味の世界ばかりです。

こちらの田舎のレベルでも、高齢化のもと隣近所は、
なかなか「つながらない」傾向は深まっており、
都会と同じ厳しい現実があります。

しかし、それでも月夜野の場合は、自然の景観が
高度経済成長以来、環境破壊が進んだとはいえ、
田園風景や山々の景色を通じて記憶や意味、空間を
間違いなく「つないで」くれています。

「景観」がささえているものではありますが、
それは自然の「命」がつないでいるものです。
自然の生命がベースにあれば、すべては無条件に「つながる」のです。

もちろん、決して今のままで「つながる」楽園というわけではありません。

でもここが、企画やイベント、文化創造や新たな開発によって
「つながる」努力を重ねながら、つながりが連続するのかどうかの不安をぬぐえない環境と、
自然と人間の生命の連続が「つなぐ」ベースにある環境との
決定的な違いになっているような気がしました。

言葉や意味、
人や記憶、場所など

「つなぐ」ために「商品」を媒介することでしか「つなげない」「再構築できない」都市文化と
商品化されることのない「自然の生命」を基盤とする田舎文化の違いを
今回の企画は考えさせてもらえました。

「商品化」がすべて悪いということではありません。
あらゆるものが「商品化」に依存することなく、
「暮らし」のつながり、「働き方」のつながりを再構築することは、
都会においては、田舎とは比べものにならないとても難しい現実があります。 

今、日本各地でアートの力で地域を再生する事例が増えており、
それはとても良い事で、私の地元でも是非、その方向でもっと頑張りたいと思っているのですが、
今見えている次の課題としてどうもこういったことが最近は気になります。

数年前から月夜野の地に定住するようになったせいか、
あらゆる問題をどうもこうした視点でばかりみてしまいがちなのですが、
私にとっては、個人的にとてもいい問題提起をしていただけた企画でした。

ご縁に感謝。

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災害に対する万全の備え方について

2014年10月13日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

台風が接近していますね。

前の台風以上にいろいろ被害が心配されています。
今度ばかりは、群馬も例外にはならないでしょう。

毎度、猛威をふるう災難を呪う気持ちは当然のことと思いますが、
個人的には、毎度不謹慎ながらワクワクしています。

何年か前にも書いたことがありますが、
私は台風ってそんなに「悪い人」ではないと思っています。
自然界には、いい人も悪い人もいません。

むしろ台風は、人間界にとっては、とてもいい先生であると思います。

そもそも、かたちのあるものは、きっかけが何であれ壊れるのが道理。

自分の命ですら、すべてが思いどおりにコントロールできるものではありません。

人間のコントロールのおよそ及ばない自然界に私たちは生きているのだという、あたりまえのことを気づかせてくれる「大事な先生」が台風なのだと思うのです。

そう思って、先生がやってくるときには、
いつもより少しだけ、ピシッとした気持ちでやりすごすことが大事。

もちろん災難は無いに越したことはありません。

自分の家族が災害で亡くなったりでもしたら、そのときは台風を恨んでも当然です。

さらに、どうにも我慢できない気持ちがあるのなら、
温帯低気圧になったあとも、北海道の先の海まで鉄砲もって追いかけて恨みを空に向かってバンバンぶっぱなすのも良いでしょう。
それで気が晴れるのなら、お手伝いもしましょう。

でも、災害の恐れがあるからといって、相手をただちに悪く言うのは出来ればひかえたいものです。

それは、限りなく軍備を拡張して、戦争をはじめるときの論理とどこか似た匂いがするからです。

自分よりも強い力で襲いかかってくるものに対して、
「万全の備え」をするということは、

決して「相手を倒す」ことを目的にするようなものではないからです。

「備えあれば憂いなし」
というのは正しいけれど、

備えるために、相手より強くなければならないとか、
相手を打ちのめさなければ安心できないとかの発想は、
毎度お越しになる先生からは何も学んでいないということではないでしょうか。

喉元過ぎればすぐに忘れる人間に、きちんと忘れないよう何度でも、
自分がどうするべきか、日本がどうするべきか考えさせてくれる先生は、
とても厳しいけれど、尊敬すべきお方であるかと思うのであります。

てなわけで、苦手な人はいても当然だと思いますが、
先生のことはできるだけ「悪く」言わないようにお願いします。

 

ネット上にこうしたこと書くと、いろいろ突っ込まれそうですが、どうかご容赦ください。

 

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ヤッサ祭り 2014年

2014年10月09日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

 

 

 県下でも奇祭として知られる、みなかみ町月夜野地区の小川島の鎮守である若宮八幡宮のヤッサ祭りを見ることができました。

 9月の最終土曜日に行なわれるとの情報でしたが、直前に検索をしても、当日の詳細情報はありませんでした。とても面白いお祭りなのですが、対外的にはあまり宣伝せず、地元の祭りとしてだけ親しまれているようです。確かに祭りの会場は村内神社前の小さな広場。それほど多くの人がつめかけられても困るようなところでした。でも、実際に見せてもらったら、地元の行事だけにしておくにはもったいない、とても魅力、迫力にあふれたものでした。

 

祭りは、まず盆踊りからはじまって、加えて今年は矢瀬太鼓が続き、大いに盛り上げてくれました。

この夜の明かりのもとで演じられる矢瀬太鼓も、とても見物なのですが、このことは別の記事で書かせていただきました。

http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/7932c12ea8072a72458beb08457b9cf5 

 

 祭りは夜になって行なわれる。

ドドン、ドンドンの太鼓を合図に、壮健と呼ばれる若者組が、猿股の上に褌をつけた裸体となって集まってくる。

神主が一拝みしたのち、お神酒をいただく。

二番太鼓の音とともに裸祭りがはじまる。

 

 

本社から少し離れたところに集まり隊列を整える。

先頭は「鉦」をたたきながら「ヤッサ」「シンジュウロウ」とかけ声をかける。

「シンジュウロウ」は略して「シンジョー」とも聞こえる。

一列になって前者の褌をしっかり握り、めまぐるしく走り回る。

隊列を横にふったり、くねくねうねったり。

振り回される勢いで、隊列が切れたり、後方が観客の方になだれ込んだりする勢いがあって面白い。

マキモミなどといって鐘打ちを中央に巻き込んでぐるぐる渦巻き状に巻き上げて頭上に巻き上げたり、一転してネロネロの気合いがかかると、一様に横に倒れて寝る。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Rw4YYblsaQ0&list=UUV5-8EKCT2PvF5fs1Vuxblw

 

やがて、本殿に向かい本殿のまわりを数回まわる。

その間、本殿を叩いて「起きろー」「起きろー」を叫んだりする。

そして鉦叩きを先頭に本殿横の柱をよじ上る、というより先頭の鉦叩きを人柱となって押し上げる。

 

他所では、若者が競い合って本殿に駆け上り、何かを取り合う裸祭りもありますが、ここはそうしたものではありません。

 

 

こうした一連のことを繰り返すこと7回。

これを七オトシといったそうですが、最近は五オトシくらいだといいます。

残念ながら、見ているとき数えていませんでした。

5回繰り返すだけでも、皆ヘトヘトになるほど。

本殿の裏で、へたり込んでいる人もいました。

見物人にとっては、それが面白く「頑張れー」とさらにあおる。

 

 

最後は、本殿に下げられた鈴の鉦を、鉦叩きがつかみ、全員でひきちぎる。

このとき鈴と一緒に縄が早く切れるほど、その年は豊作であるという。

 

約400年前から伝えられる祭りだというが、起源や云われはよくわからないらしい。

村史によると、その昔、現在の小川島は今より川寄りにあり、ある年の洪水に、おぼれた村人を、村の若者が数珠つなぎになって川に入り救助したため、この方法を後代に残すためにできたという話。

あるいは天正七年名胡桃城の戦いに、村の郷士大木新重郎景夏が、村人を逃がすため、やはり数珠つなぎになて赤谷川を渡って非難し、これも神の加護ということで、この形が神事となって奉納されたものともいわれているようです。

 

実におもしろい祭りです。

来年の9月最終土曜日がまた楽しみ。

 

 

 

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期待膨らむ矢瀬太鼓

2014年10月09日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

月夜野の地に定住するようになって三年。

はじめて矢瀬太鼓をみることができました。

 

1999年から活動をはじめた矢瀬太鼓、歴史はまだ浅いにもかかわらず、予想を越えた見事な演技にとても感心させられました。

 

 

月夜野の地に根付く覚悟を決めてから様々なこの地域の活動をみてきましたが、わたしにとっては、はじめて若い人たちが主体になった文化活動をみることができたような気がします。

 

 

 

普段のプログラムがどのような構成で行われているのかはわかりませんが、この日の演奏は、思っていた以上に演目や表現に幅があり、 ただ太鼓を叩く楽しさにとどまらず、メンバーの皆さんが相当意欲的にこの活動に参加されていることを感じました。

 

 

 

親と子の世代が一緒に叩く姿がいい。

 

 

国際色も豊かなのがいい。

 

 

なによりも、メンバーの皆さんの表情がいい。

創作曲「アラサー」は、とても盛り上がり、小さな子どもも「アラサー、アラサー」と覚えて歌っていました。

 

こんな写真を使って大きなポスターをつくってみたい 

 

幸い私がはじめて見ることができたのが、室内での演奏やビニールシートで囲われた特設舞台などではなく、「やっさ祭り」の夜の屋外という素晴らしいロケーションであったこともあり、実に絵になるシーンが随所にみられるすばらしい芸能に思えました。

それは歴史の浅さにもかかわらず、すでに十分な力量を感じられるものです。

でも、太鼓の芸能文化はとても層が厚いので、リズムのキレなどをみると、まだまだ上がたくさんあります。

それでも、伝統曲に留まらず、メンバーの創作曲を意欲的に取り入れたり、様々な地域行事に積極的に出演できているところをみると、チームがまとまって練習することが一定度きちんど出来ているのではないかと思われます。

一度、本来の矢瀬遺跡をバックにした演奏や、利根川の河原などで演奏した場面でプロモーション映像でもつくれれば、一挙にメジャーになることも十分考えられる演奏だと思いました。

 

ちょっと昔と違って、今の2~30代の若い人たちは、ほんとに頼もしい。

といっても、昔のハングリーな上昇志向の目立つ力強さではなく、今いる場所で自分を発見できるたくましさのようなものを持っているという感じです。

 

是非みんなで応援して盛り上げていきたいですね、矢瀬太鼓。 

 

 

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食べものと私たちの命を取りもどす暮らし

2014年10月07日 | 暮らしのしつらえ

 わたしは、専業農家が減り兼業農家が増えることは、必ずしも悪いことではないと思っています。

 もちろん、農家が専業で食べていけないという実態は好ましくないことですが、他方で農業を収入目的でなく、自らが食べて行くためだけに生産するところが増えるのは、本来の人間の命の再生産の意味では、とても素晴らしいことです。

 市場に出して、流通経路を経ることで農産物の本来持っている鮮度は、致命的な打撃を受けます。それを避けるために、様々な無理(冷凍による膨大なエネルギー消費や有害な保存料の使用)をしているのが今の食の実態です。


 それよりも、自分の親やおばあちゃんが作ってくれた自家栽培の新鮮な野菜を毎朝食べられる子どもが、一人でも増えることの価値には、はかりしれないものがあります。

 

 

「 もっと野菜を多く食べなさい」

 

ヘルシー志向が高まるなか、しきりにこうした言葉が繰り返されます。

それは「良いこと」「間違いのないこと」には違いないのですが、

ほんとうに大事なことが何も語られていないことを最近痛感しています。


必要なのは、健康のために「野菜をもっと食べなさい」
ではなく、


「ナスってなんておいしいんだろう」


「ニンジンでなんておいしんだろう」


という体験が先になければ、栄養成分を説明する栄養学なんていくら繰り返しても意味が無いと思うのです。

 

収穫してから一日以上経って店頭におかれたままの野菜が、いくら産地直送などといっても新鮮であるはずがありません。

新鮮なおいしい野菜は、買う時間で考えれば、朝、店頭にならんだものであれば、昼までが勝負です。

 

事実、近所の農産物直売所は、午後に行っても良い野菜はもうおかれていないと妻は言います。

それは、単に商品量が少なく売り切れてしまうということではなく、

おいしい野菜がなにかをそこの消費者が知っているということなのです。

 

 

F1種(種を買い続けない限り実のならない種)などを使わず、化学肥料や農薬も使わず

本来の生命力にあふれた新鮮な野菜を食べることで

まず第一に、「食」というものが、本来、自然の「生命をいただく」ことなのだという基本を取り戻し、体験することができるようになります。

第二に、その命をいただくということが、なによりもアレルギーや冷え性などを無くし、 カロリー栄養学に勝る最良の健康法であることに気づきます。

第三には、新鮮な生命力あふれる食品を食べると、本来の食品そのもの持っている豊かな味を知ることができ、不要な化学調味料や塩分、マヨネーズなどを加えることなく、おいしさを感じ味わえるようになり、忘れていた私たちの味覚を取り戻すことができるということです。

 

流通市場にあふれている食品の多くは、これらに逆行したものにあふれています。

 

企業は、食品のなかの塩分、糖分、脂肪分さえ増やせば、売上げは確実に伸びることを知っています。

フードトラップ 食品に仕掛けられた至福の罠
クリエーター情報なし
日経BP社

 

仮にそうした食品産業の戦略を知ったとしても、現代人の味覚は、すでにどっぷりとその感覚に汚染されつくしています。

 

私は、亡くなった義父に本来の「食」のあり方を学んだのですが、本来、「おいしい」「おいしくない」という味覚は、なによりも、自分の体に良いか悪いかが一番の判断基準であるはずなのです。

健康な人は、まずそういった「自分の体に聞く」感覚としての味覚を持っています。

97歳で亡くなった義父にはナイショでしたが、食卓で義父に先に食べてもらって、これはおいしい、といってくれたものはカラダにいい。

これはマズイといったものは、きっとカラダに悪いと判断させてもらっていました(笑)。 

 

この健康な感覚を取り戻すことを第一に考えないで、カロリー計算やビタミンがどうのこうのを気にしても、健康になることはありえません。

 

おいしい新鮮な野菜を食べると、日頃慣れ親しんだ加工食品や清涼飲料水の甘みが、おいしくは感じられなくなります。ドレッシングやマヨネーズをかけない方が、野菜の味をよく味わえるようになります。 

 

 

これらの食生活を現代の食品流通業界で取り戻すのは、とても難しいことです。

また、自然のままの食品を手に入れることは、なぜかかえって高コストになる現実があります。

多くの生産者が、こうした矛盾をなんとか解決しようと真剣に挑んでいることも事実です。


でも、最も確実に解決に向けて成果を上げているのが、専業農家でない兼業農家や家庭菜園のようなかたちで、自家消費される農産物の生産が増えることです。

 

食料の自給率を上げようとか、国内農業の生産性を上げるために経営の大規模化をはかることは、経済学では大事なことでしょうが、私たちの暮らしと健康のためには、むしろ市場には出回らず経済統計には繁栄されない自家消費型の農業が増えることは、何重の意味でもすばらしいことです。 

それでは、肝心な経済発展による豊かさが後退してしまうではないかと言われそうですが、そんな「豊かさ」を求めて、私たちの暮らしと健康がどんどん破壊される世の中は、もう誰ものぞみません。 

 

 

経済学や社会政策は、「食」の持つ根源的な役割と世の中全体に与える経済を含めたほんとうの効果を未だに評価できない。

でも、政策とはまったく別の次元で、多くの生活者が自分自身を守るために正しい判断をするように少しずつなり始めています。

 

 

そういえば、同じような視点のことを、以前に

「キューバを乗りこえたキューバのキューバしのぎ」
http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/5992ff0f480aae1f3208bd37290e69c8

と題して書きました。

 

 

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犬と散歩の朝

2014年10月04日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

先月から前の家の叔父が、少し体調を崩し、毎日の犬の散歩が難しくなったので、時々そこの愛犬チロを散歩に連れ出すようになりました。

 まだ、渋川と月夜野の間を行ったり来たりの不規則な生活なので、従兄に頼まれた日のみを連れ出すことにしていますが、いずれ散歩の日は徐々に増えていくことと思います。

チロは、 柴犬で気が小さいというか、人を見るというか、
良く言えば、連れ出す相手の顔色をみながら、人間にペースをあわせてくれる。

入れ替わりチロの散歩の相手をするメンバーの中では、私が一番若い部類に入るので、時には駆け足など無理をしながら、比較的ハイペースで歩くようにしている。

先日、頼まれた日は、渋川へ行く仕事のない日でちょうど家内も月夜野へ来ていた日だったので、いつもよりも遠くまでまわるコースにチャレンジしてみました。

犬によっては、慣れない道に入ると、もう家に帰りたいと催促するような犬もいますが、チロはちょっとおどおどしたようなしぐさを見せますが、リードを引けば、元気にどこまでもついてくる。

今回は、時間に余裕もあったので、秋の朝の気分を満喫しようと、いつもは引き返す場所の牧野神社よりもさらに上の方にまで足を延ばしてみました。

ちょうど、稲刈りがはじまった季節。

遠くにかすんで見える山並みの景色が、とても気持ちのよい朝でした。

 

 

 

「おお、月夜野の野よ、山々よ」

と、しばしばチロも立ち止まり感慨にふけっている様子。

 

いつも繰り返しますが、この景観に電信柱や送電線の鉄塔さえなければ、

完璧な風景になるのですが。。。

 

それでも、この景観は、ほぼ完璧に近い。

 

 

以前、伯父が最近は田舎道では、朝の犬の散歩のときが最も近所の人たちと顔をあわせて挨拶を交わすときだと思っていたけど、

最近では、その朝の散歩のときですら、めっきり人に会わなくなったと言ってました。

確かに、昔に比べると、畑に出ている人の数も、

犬の散歩をしている人の数も、めっきり減った。

 

しかし、家の前の栗の実は、確実にいろいろな人が来て採っていく。

 

この日の散歩コースにも、うちの前よりずっと大きな実がなる栗の木があり、

お婆さんが、せっせと採っていましたが、

みんなが採っていくのだとぼやいていました。

 

姿は見えないけれど、

多くの人の目は、いろいろなところで光っていて人の活動は、いつでもきちんと行われているものです。

 

いつもは30分程度で終わる散歩ですが、今回は1時間くらいかけて楽しみました。

 

 ところが、待っている年寄りには、善意で遠くまで連れ出してあげた散歩のつもりが、なかなか帰ってこないことが心配でたまらなく、結果としてはサービスしてあげたことにはなりませんでした。

今度からは、出発前に、今日のコースと帰宅予定時刻を告げて出発することにします。

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