日本では古来、誕生日にではなく、新年元日(旧暦)に年齢を加算していました。
したがって、年をとったことを祝うなら正月であり、生まれた日を祝う習慣はありませんでした。
大晦日の夕方から元日の日の出までの時間は、おじいさんから孫まで、ひとつ屋根の下の家族が、たいへんな高揚感をもってむかえられていたことと思われます。
(さらに一日のはじまりが、かつては午前0時でも日の出の時刻でもなく、日没の時から一日がはじまっていたことを
前に「一年のはじまり、月のはじまり、一日のはじまりについて」
http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/a6cd7eee2428ed18e62d5ab98d5cc637で書きました。)
私は、その習慣ははたしていつ頃から変わったのだろうかと思っていましたが、その習慣が昭和の法律によって廃止されたとは知りませんでした。
昭和25年(1950年)1月1日に施行された「年齢のとなえ方に関する法律」(昭和24年5月24日法律第96号)です。
西暦で誕生日を祝うことが当たり前になったかのような現代ですが、そうした習慣が定着したのは、昭和になってからのことで、古老の話を聞くと昭和24年のこの法律が施行されても、東京オリンピック(1964・昭和39年)の頃まではかなり広範にこうした習慣は残っていたようです。
誕生日を祝う習慣がなく、新年に一斉に歳をとるということは、誕生日を祝うことが定着した現代では跡形もなく消えたかにも思えますが、「数え年」という年齢の数え方には、そのまま名残として残っています。
「数え年」というのは、私はてっきり早生まれの人だけが意識することかと思っていましたが、これはそういうことではなく、誕生日に関わりなく年齢を計算する考え方で、まさに元旦を持って歳をとるという姿そのものです。
「数え年」というのは、0歳という考えがなく、生まれた時点で、1歳となる考え方です。
以降、1月1日を迎えるごとに、1歳プラスがプラスされていきます。
だいたいはこういった説明がされていますが、私たちにとって大事なのは、「数え年」は、こうした数え方がされていますということではなくて、誕生日を祝う習慣がなく新年に皆一斉に年をとっていたのだということの名残としてこの「数え年」があるのだということです。
私たちが「暦」というもののポイントを知るいくつもの大事な要素がこのテーマには含まれています。
そのひとつが、新年イコール太陽歴の元日では、太陽や月の運行に基づいた暦上では何の意味も持たないので、西暦が強要されても庶民の暮らしには、なかなか馴染めないものがあったということ。
つまり、365日の第1日目は、太陽周期の割り算の結果に過ぎず、1年の区切りを天体の運行から見れば、冬至や立春などの日の高さの極日や、満月や新月の日こそが自然界では合理的な区切りであったのです。
もう一つは、1日の始まりも午前0時という時間の合理性も、太陽や月の運行からは意味がなく、日の出・日の入り、月の出・月の入りこそが、区切りの大事な目安であるということです。
季節の行事で宵の〇〇、前夜祭などがあるのは、そもそもこうした1日の始まりというのは、午前0時を区切りとしたものではなく、日の入りや月の出こそが1日の始まりであるという古くからの習慣の表れ、名残りであり、それは地球生命のリズムに即して考えれば決して非合理なものでもないということです。
それにしても、長い年月親しまれている国民の生活習慣を、どうしてこれほどまでの強制力を持って変えなければならなかったのでしょうか。
実際には、給料計算や諸手当の支給方法などをケチったり矛盾を解決するためなどの理由もあったようですが、いつの時代でも、為政者は民衆の暮らしに介入して管理を強化し続けるものです。
ところが、明治維新以降は、執拗に国民の「心の習慣」にまで介入するようになりました。
「近代化」という名のもとに。
江戸時代以前も、封建的しがらみに苦しむ民衆は数多くいました。
それでも、ときの幕府が民衆の「こころの習慣」にまで介入することは、
キリシタン弾圧などの他には、それほどはありませんでした。
実際にあっても、様ざまな抜け道や現場の裁量のきくことも多かったと思います。
ところが、明治以降の政府の介入は、「近代国家」づくりのためには、
何事も国の隅々にまでゆきわたる管理でなければなりません。
それは戦後一貫して、一層その流れが強まる傾向にあります。
わたしたちは、この「近代化」という大きな歴史のうねりにやっと疑問をもち始めました。
「暦」というものは、「お金」とともに近代国家づくりの大きな要をなすものです。
合理性を求めることは社会に不可欠なことですが、
より自然の摂理にしたがうことと、心の習慣を大切にすることを
もっと社会全体で考え直していかなければならないと思います。
決して古いものが無条件に良いというわけではありません。
「近代化」という社会観は、あまりにもひとつの方向の価値観で
突き進みすぎたように思えるのです。
どちらが正しいか「国家」が決めるようなことではなく、
多元的な価値観が必要に応じて併存できる世の中を
もう少し取り戻してもよいのではないかと思うのです。
自然界の割り切れない世界をいかに合理的に割り切れるように説明するか問いう方向と、
自然界の割り切れないものは、割り切れないまま、いかにそれに忠実に生きていくかという方向とを、
無理やりどちらかに統合してしまうことなく、うまく使い分けていきたいものです。