先週、ダムに沈んだ幻の湯ノ花温泉の痕跡を探しにカヌー探索に行ってきましたが、その際、私たちは気づきませんでしたが、後方でクマが泳いでいるのを子ども達が目撃していました。
このことはその後、このニュースでも映像が流されていたようです。
今までは、湖をクマが泳いでいる珍しさにばかり気をとられていましたが、こうした珍しい姿がみれるもの、考えたらいろいろな悲しい条件が重なることで起きていたように思えます。
記録的な渇水ならではの条件で、湖底に沈んだ湯ノ花温泉の痕跡が見れるのではないかとの期待で奥利根湖へ行った私たちですが、記録的な渇水ゆえに、当初、湖面へ降りること自体難しいのではないかと心配していました。
ところが、ちょうど最近、水位の下がった湖面にまでの道が整備されなおされたばかりで、運良くカヌーを漕ぎ出すことは出来たのですが、その次に気がついたのは、休憩をとるためにカヌーを寄せられるような沢筋の淵がなかなかないという現実でした。
水位が記録的に下がってしまったために、水面と岸との間はどこも、急な砂の固まった斜面ばかりです。
その斜面は、水面から10m〜30m近くもあるほどの急斜面で、ほとんどが取りつく岩も木もない砂礫だけが固まったような斜面です。
私たちは1時間ほど漕いでようやく、カヌーを寄せられるような浅瀬をみつけることが出来ました。
こうした特殊な今のダム湖の地形を思い出したら、湖を泳いでいたクマのことが、ただ珍しい姿としてしか感じていなかった自分がなんか情けなく思えてきました。
どこも20mはあろうかという湖面からの砂の斜面。
あれでは、クマは一度足を踏み込んだら、ズルズル滑り落ちるばかりか、一度、湖面に落ちてしまったなら爪をかける岩も木もなく、這い上がれる場所を探すのは容易ではありません。
クマが泳げることは、他のシカやイノシシも泳ぐことなどから決して不思議なことではありませんが、自らすすんで水の中に入って泳ぐなどということが、どれだけありうるでしょうか。
対岸に向かうために近道として泳ぐことを選択するなど、通常は考えられません。
また水の中の魚を求めて飛び込むなどということは、北海道のヒグマが魚影の濃い鮭の群れに飛び込むような場合以外に、そうあるものでもないと思います。
とすると、あの泳いでいたクマは、ダム湖の淵から滑り落ちたクマであり、そこから這い上がろうと思っても、取りつく岩も木もなく、ただ宛ても無くどこか這い上がれる場所を探して泳いでした姿である可能性が限りなく高いのです。
春先になると、山の道路の除雪を観光のためにより早く行ない、雪の回廊などを楽しむ姿もありますが、そうした雪の絶壁は周辺の動物たちには予想外の危険をもたらします。
それと同じような地形が、異常渇水のダム湖にいまあらわれています。
泳いでいたクマは、見方によっては、ただのドジなクマだったのかもしれません。
(6月8日にも、ここで泳ぐクマが目撃されたニュースがあったので、もしかしたら泳ぎを覚えた同じクマかもしれません。)
でも、私たちが1時間以上カヌーで漕いだ距離を思うと、はたしてクマは無事に這い上がれるような場所を見つけることはできただろうかと、心配に思わずにはいられません。
おそらく、いままで経験のない情況に追い込まれただ必死で泳いでいたのが、あのクマの実体であったと思います。
もしかしたら現実には、繁殖期にメスを探して行動エリアを拡大していた姿であったり、新しい餌場を求めて移動しているとこであったり、他のクマから縄張りから追い出されただけの姿であったのかもしれませんけどね。
その辺のクマ側の詳しい事情については「人里に出没するクマ側の事情を息子ヨコチンが取材してきた」に書きました。
もちろん、生きるためには、何度失敗してでも這い上がれる場所を見つけなければならないわけですから、きっと彼は最後はどこかにたどりついていることと思います。
運良く、這い上がれる岸にたどり着いたならば、「オレこんなに泳いだことはなかったぜ」くらいの気持ちで良い経験として記憶に残ったかもしれませんが、なかなか上がれる場所にたどりつけず、ヘトヘトになり朦朧となっていたかもしれません。
厳しい自然界で生き残るには、いついかなるときでも、猟師に撃たれるのも、ドングリの不作の年に飢えて死ぬのも、紙一重の世界です。
しかし、湖を泳ぐクマを目撃できて無邪気に喜ぶ子ども達の姿と、
それを見損ねたというだけの私たちのその直後の感覚と、
予期せぬ情況に追い込まれて無心に泳いでいたクマの気持ちをいま並べて思うと、
なにも文句も愚痴も言わずに、ただ自分たちの生息域が侵され破壊され続けている彼らの世界に対する
人間界の無神経さを、いまさらながらにただ申し訳なく思うばかりです。
あとになって妻から聞いて知ったのですが、泳いでいるクマをみつけた子どもはそのことを一生懸命先生に伝えていたのに、その先生はどれどれと見るわけでもなくさあさあ時間だからとその次の予定の行動を促していたそうです。
時間を守ることに気をとられて、クマに興味を示さない教師、子どもの声にも耳を傾けない教師の姿。
話しを聞いただけでその様子が目に浮かびます。
せっかくこのすばらしい大自然のなかにつれてきていながら、いったい何を見せようとしていたのでしょうか。
奥利根湖は、数多くあるダム湖のなかでも、標高が高く利根川最深部にまでたどるダム湖であるだけに、その残雪期にみられる景観はまるでカナダや北海道のような自然を堪能することができるので私にとっては大好きな場所でした。
ところが、この渇水時の姿をみると、首都圏の深刻な水不足問題の原因をみる一時的な視点ではなく、これほどまでに山奥の純粋な自然を大規模に破壊していたのかという私たちの罪の大きさを思わずにいられません。