そしたらすぐに定期登録してくれて、早速読んでみたらほんとに素晴らしいので、是非店長も読みなさいと読み終えた本を毎回、私に貸し与えてくれることになってしまいました。
全16巻!
しかも、普通は読みにくいのであまり人気のない古典。
自分で読みにくい本がやっと読みやすくなった良い本だと薦めたのだから
当然、読まなければ失礼。
そんなことを悩んでいるうちに、机の上にはもう第4巻までが手付かずに積み上げられている。
そしたら先日は、関連書として古書で仕入れ代行してあげた『吾妻鏡』の編集者である五味文彦著『吾妻鏡の方法』を、これはほんとにすばらしいので店長にあげると、また届けてくれたのです。
いやいやほんとに困ってしまったものだと思いつつも、その本をパラパラめくっていたら、いつの間にやら引き込まれて3分の1ほども読み込んでいました。
なんだかんだ本を通じていろいろ話しているお客さんだけに、いつの間にやら私の関心領域もつかんでしまっているらしい。
本書のサブタイトルは、「事実と神話にみる中世」
なんか60~70代くらいかと思われるそのちょっと品のいいお客さん、
ググッっときてしまった。
吾妻鏡の舞台となる東国とは、そもそもどのような性格のものなのか。
時代によってそれは異なるが、古代からたどるとその境界は、次第に東に移ってきている。
他方、西国となると、それは一貫して海の向こうの大陸、中国であり朝鮮、あるいは天竺インド、伴天連のヨーロッパであった。
東国は、決してアメリカやカムチャッカではなく、日本国内の異国としてある。
はじめ東国とは、伊勢湾、琵琶湖の線から東を指していた。
それが次第に東海を経て箱根の関へと移っていく。
東国、坂東のイメージも江戸幕府が開かれると
東北、蝦夷こそが東国かのようにもなっていく。
その変遷のなかで鎌倉幕府は、中央の都からは異郷の地の地位のまま、ひとつの中心としての活力を持ち始める面白い時代にあたる。
鎌倉仏教の隆盛などをみても、道元が宋に渡り、親鸞が東国に移り住んだり、活発な移動が起きた時代として著者は、
「日本の内部世界が拡大し、さらに外部世界との交渉が活発になって」いった時代ととらえる。
鎌倉仏教という表現は、鎌倉時代の仏教という意味で、その時代に活躍した法然、親鸞、道元などが鎌倉を中心に活躍していたわけではない。
都からしきりに東国への関心が高まる理由として、金や朱砂(水銀)に代表される鉱物資源があげられるが、それととも絹や馬があげられる。
その馬の意味が想像以上に大きいことを本書で知りました。
絹と聞いても、
馬と聞いても、
群馬県人としては黙っていられない。
なんかこのあたりに政治経済の中枢としての鎌倉や江戸とは異なる次元で、めんめんと東国の拠点として栄えた上州群馬の背景があるように思えてなりません。
東北文化圏の話は、仙台や盛岡あたりは藤原京周辺の人たちに頑張っていただく。
蝦夷(エミシ、エゾ)にわたる文化の話は岩手、青森から北海道の人たちに頑張っていただく。
征夷大将軍などの言葉にみられるように、東国という方位にあたる地方には、
「中央に対する」辺境といった意味合いが昔から強い。
そもそも地質学者によると、東日本と西日本では地質構造そのものがまったく違い、別の大陸(島?)がくっついたような性格になっているらしい。
政治、経済、気候、風土まで、実に様々な要因によって東国は意味づけられている。
したがって、古代から続く東国という概念は、
鎌倉中心ではくくれない。
増してや江戸中心でも語れない。
これはまさに群馬(北関東)こそ、その中心になって語らなければいけない領域なのではないでしょうか。
というのは飛躍ですが、まんざら根拠のないことでもありません。
だからどうというほどのことでもないかもしれないけど、
これは古代から続く歴史の伏流として、常に意識され続けてきた大事な視点だと思うのです。
ググッときたお客さんと、
今度、ゆっくりお話してみたいですね。