いろいろあって、最近住宅に興味を持っています。
住宅の世界では、環境共生住宅とか、100年住宅とか、ちょっと前になるけど、高断熱高気密などといったキーワードがもてはやされています。。僕自身は、こういう思想とかは嫌いじゃないのだけれど、なんか胡散臭さを感じてしまいます。最近読んだ某小説に、それと内容的に近い言葉があったので引用しちゃいます。(一部改変)
「ぼくは自然保護や地球の環境問題に関心を持っているが、だからといってナチュラリストやエコロジストというわけではない。ただ愛する人たちと幸せに暮らしたい。そのためには、緑もオゾン層も残っていて欲しいという、それだけのことなのである。動物保護の考えには概ね賛成だが、それは動物たちが可哀相だからというより、彼らを殺したり虐待したりする人間の横暴さや傲慢さに腹が立つからだ。」
ちょっと、分かりにくい例えですみません。要するに何が言いたいかというと、環境に配慮した住まいや建築の考え方については、概ね賛成なのですが、そのためにデザインや機能性が制約されてしまうことには疑問があります。そのあたりが、「胡散臭さ」とか、「違和感」になっているような気がしています。
100という数を決めたのは、特に意味がないのですが、「100件くらい住宅を設計してみたい。」というひそかな野望と、100というきりのよさに惹かれました。また、100の住まい=百家(ひゃっか)が、どこか百科事典の百科と似ていて、いろいろな切り口で建築を眺めたいという、気持ちも表しています。
といいつつも・・・。
当分のあいだは、見に行った建築の話とか、日ごろの仕事の愚痴など、とりとめもない話になると思います。まあ、自分の考えって、考えているだけじゃだめで、何らかのアウトプットが必要になるので、そのための「書く」練習になればと考えています。
住宅の世界では、環境共生住宅とか、100年住宅とか、ちょっと前になるけど、高断熱高気密などといったキーワードがもてはやされています。。僕自身は、こういう思想とかは嫌いじゃないのだけれど、なんか胡散臭さを感じてしまいます。最近読んだ某小説に、それと内容的に近い言葉があったので引用しちゃいます。(一部改変)
「ぼくは自然保護や地球の環境問題に関心を持っているが、だからといってナチュラリストやエコロジストというわけではない。ただ愛する人たちと幸せに暮らしたい。そのためには、緑もオゾン層も残っていて欲しいという、それだけのことなのである。動物保護の考えには概ね賛成だが、それは動物たちが可哀相だからというより、彼らを殺したり虐待したりする人間の横暴さや傲慢さに腹が立つからだ。」
ちょっと、分かりにくい例えですみません。要するに何が言いたいかというと、環境に配慮した住まいや建築の考え方については、概ね賛成なのですが、そのためにデザインや機能性が制約されてしまうことには疑問があります。そのあたりが、「胡散臭さ」とか、「違和感」になっているような気がしています。
100という数を決めたのは、特に意味がないのですが、「100件くらい住宅を設計してみたい。」というひそかな野望と、100というきりのよさに惹かれました。また、100の住まい=百家(ひゃっか)が、どこか百科事典の百科と似ていて、いろいろな切り口で建築を眺めたいという、気持ちも表しています。
といいつつも・・・。
当分のあいだは、見に行った建築の話とか、日ごろの仕事の愚痴など、とりとめもない話になると思います。まあ、自分の考えって、考えているだけじゃだめで、何らかのアウトプットが必要になるので、そのための「書く」練習になればと考えています。
ぼくは、環境配慮型の住宅を作ることには、違和感はありません。違和感があるのは「環境共生住宅」をつくる事を「目的化」してしまって、声高に「環境共生住宅!」を唱える某ハウスメーカーや一部の建築家に対してです。
まず、住まいを作ることが「目的」であることを忘れてはいけないと思います。その住まいが結果的に「環境共生型」であれば、ぼくは十分なような気がします。
それと、テキストベースというのは、これまたよく見てる「ぽむ企画」というゆる~い建築関係のHPに触発されてます。
ああ、ここに五十嵐隊長が来てくれるのはいつの日やら・・・
100件くらい住宅を設計したいなぁという願望もあるのですが、100という数にこだわっているわけでもなく、要するに、「たくさん」設計したい。ということです。
なんか、英語で「たくさん」って、hundreds of ~ とか、習った記憶が・・・。