昔の話だが、事実だ。すかさずツッコミが入る。
「ミュージックたっていろいろですやん! それにしてもMacとは…、中国における世論のようなものです」
「どういう意味?」
「ありそうやけど、あり得ません!」
今どきの30代男性の時事感覚である。さらに追いうちが来る。
「北に対する韓国の電力供給の提案みたいなこと言うて…」
「…?」
噛み砕いて言えば、電力を供給するから核は廃絶しなさいという韓国の申し出はそれなりに評価され、感謝された途端、日本に対し費用を分担、もしくは全額負担せよと持ちかけて来るというような意味合いである。話の流れに論理の飛躍があり分かりにくいだろうがお許しいただきたい。ぼくとMacの取り合わせには違和感があるのだ。家人から言われるならともかく、ぼくのMacに対する憧れに対しこんな反応があろうとは…、ナンテェコッタイ!!
都会の話ではない、ここは立派な"地方"である。ネットに深まる彼には時事ネタにも冴えがある。新聞の上っ面な記事なんぞ軽々に乗らない。辛いヨミを持っている。メディアが伝える"nationalisticの方向"か。しかし、これが日本人の本音であろう。根っこには「拉致問題」がある。これさえとっくに解決していればここまで大げさに騒がず、世論もきっと別の展開になっていただろう。黙殺したメディアと、半端に放置プレイを決め込んだ政府の責任は大きいのではあるまいか。
閑話休題、Macでミュージックである。ぼくが初めて手にしたパソコンは作曲ソフトを載せていた。もちろんチープなものだったが、それでもサンプルはバッハをみごとに奏でていた。安価な分、操作が難しくて、案の定、挫折した。実は風呂場で子どもたちと「涙のリクエスト」をアカペラでハモりたかったのだ。パート譜をそのソフトで作成し、実際にその音を耳の柔らかい子らに聞かせて叩き込み、ぼくがソロをとる…この目論見ははかなく消えた。
最近のMacには、ガレージバンドという楽曲づくりのソフトがバンドルされているようだ。
「夢よ、再び!」
と、熱くなるのもむべなるかなである。