病院には津波に巻き込まれて、複雑骨折の人もいた。改めて無事に生き残ったというのはすごい奇跡なのだなと感じた。翻って私は自分で転んで骨折だったから、なんとなくうしろめたい所がある。そのせいか取引先の社員が私が泥酔して転んだと言いふらしているのを、徹底的に抗議出来ないでいる。
ましてや盛岡に住んでいるということで、悪い事している訳でないのになんとなく気にしている。
さて入院中にNHKが独占インタビューと、子供がいっぱい亡くなった大川小学校の生存者にきいた放送を思い出している。二人出演していたが、高学年の女の子は津波の直前に親が車で迎えにきたので助かった子だ。彼女ははっきりと受け答えしてた。ただ中学年らしい男の子のインタビューは、不思議なものだった。体験談なのにほとんどが伝聞なのだ。彼は津波に巻き込まれた小学生の中でも、奇跡的に助かったのにだ。もちろんこれはインタビュアーの問題もあると思う。小学生に難しい事をきいたりしたからこうなったのかもしれない。
でも今は、彼がまだ全く整理がついていなかったからこうなったのだと考えている。実際あまりもの事で、前後の記憶がなくなっていてもおかしくないのだ。そこで自分に起きた事を整理しようとがんばればがんばるほど、伝聞だらけになってしまう。見ている時は不思議に思ったのだが、今思えばその姿は痛々しい。
でも彼はどうしてマイクに向かわなければ行けなかったのだろうか。彼はこの体験を語らなければ行けないと、向かった。でも本当は、後ろめたかったのではないのだろうか。先の女の子と違って、みんなと一緒に津波に巻き込まれたからだ。生き残ったという事に、個人を超えた、様々なものがのしかかっていたのではないだろうか。
日航ジャンボ墜落事故のとき、少女が一人助かった。社会は彼女を守ったと思う。でも彼は出て行かなければ自分が守れないようだ。