どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

車いす・4

2011-06-27 20:03:07 | インポート
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本当は車いすにせっかく乗っているのだから、いろんな所を車いすで写真を撮って歩きたいものだが、一眼レフはちょっと大きい。なのでなかなか持ち出せない。かといって携帯のカメラは何ともならない。
さて先に路駐の車が怖いと言ったが、本当に先が見えなくなる。対向車があるのかどうか本当に解らない。なので車いすで路駐の車を追い越すのはとても慎重になる。
でも一番危険なのは、ボーッと歩いている人間。車いすは足音もでないせいかさらに無防備になるようだ。どう動くか解らない。突然曲がるかもしれないし立ち止まるかもしれない。ぶつかって嫌な思いをさせたくないので特に気を使う。しかし結果は驚かせてしまうのだが。
しかしボーっと歩いている人のなんと多い事か!
その中で目をキラキラさせてくる人たちがいる。男の子だ!どんな乗り物でも興味があるらしい。スーパーなどで極端な小回りを(車いすは原理的に重心位置を中心に360度回る事が出来る)していると、好奇心むき出しの目をしてくる。
さて近所にある小道。この道は車いすには危険がいっぱい。ただでさえ道の山なりがきついのに、滑りやすいマンホールや下水の簀の子(この簀の子にキャスターがはまると大変。しかも規格では大丈夫なはずなのだが、この簀の子の裏表を間違えて設置していれば完全にアウト。そしてそれが多い)が連続で現れる。そしてそれらを回避するスペースがない。ギリギリ端を行くと角度が大きくなりすぎて、進むのが大変になる。
それでも車のほとんどいない、人通りも少ないこの小道は安心出来る通り道になっている。


車いす・視覚1

2011-06-27 19:21:39 | インポート
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さて車いすになって興味があったのは、その視覚だ。普段よりかなり低くなる。小学生の中学年程度だろうか。
一番の違いは、遠くがよくわからない所だ。車なんかとなりにいると視覚が遮られてしまう。路駐の自動車がいかに危険かがよくわかる。
逆に視覚の情報が制限されるためか、細かい所がよく見える。道ばたに生えている花なんかよく見えるが、どうも写真にしにくい。
そして非常にビビットな事なのだが、人間が生々しく見えるのだ。小学生なんかは同一の視点になるのだから確かにそうなのだが、25歳以上がやたらビビットなのだ。これが年をとればとるほど妙に生々しい。これは小学生の視点だからなと思い当たる所はある。
所が大学生だと全然違う。ぜんぜん生々しくないのだ。むしろどこか人形な感じがする。さてどうしてだろうか、もう少し実験を続ける必要がありそうだ。


団塊の世代・論

2011-06-27 13:48:59 | インポート
最近雑誌記事などで菅直人が団塊の世代なので、団塊の世代が悪く言われる事が多い。官僚のトップもその世代なので、ますます悪く言われる。
さてその実情はどうかと言えば、どうも世代論でくくれるほど単純ではない。
まず、第一次ベビーブーム生まれをさす年代なのだが、70年安保に関わった世代とすれば昭和19年生まれから昭和26年生まれまでだろう。思われているより幅が広い。そして人口も多い。多いという事は変わり者も多かったという事だ。確かにゲバ棒を持ってデモに参加する人も多かったがそうでも無い人も多かった。おまけに大学がロックアウトになるので、ヒマな中いろんな事に挑戦する人が多かった。
更に大学進学率は19%程度。8割が70年安保当時、就職している。社会情勢や社会矛盾が大きかった日本では、大学紛争の社会的な意義や思想は共有されていたろうが、大学生ほどは紛争に参加出来た人は多くないだろう。更にこの世代のほとんどが共産主義思想にかぶれていたとは言えない。右翼運動に飛び込んだ人もいる。
ひとくくりに出来ないのだ。
現実に70年安保の総括は未だかつて出来ていない。セクトに分かれて内ゲバを繰り返したのも原因の一つと思うが、学生運動に参加していた人間も様々な思いがあって参加しているのも理由の一つだろう。ここがもの凄く複雑で、全貌がよくわからない状態だ。ただ私の見た範囲だが、今でも革命がとか声を大にして話す親父がいるとすれば、学生運動に直接コミットしてこなかった人が多いように思う。
団塊の世代を批判するとすれば、その社会主義運動とその影響が大きい世代なのにどうしてこうなるのかという事だが、日本の社会の深さがそうさせたというべきだろうか。彼らを批判するときには、日本の前近代的な部分を同時に批判するべきだと思う。
逆に社会に取り込まれた結果、ある種のアナーキズムに陥っているように思える。例えば選挙への参加だ。社会に取り込まれても、社会を変革するための数少ない方法なのに、投票していないように思える。もちろん彼らが現在の政治体制に疑問があるからそうなるのだとも言えるのだが。疑問は多い。
さて、世界的に見てもある普遍的な法則がある。若者世代が他の世代に対して多く、貧困や就職難が加わると暴動が起きやすくなる。社会矛盾があればよりいっそう起こりやすくなる。
これは社会に責任が少ない若者だからこそ起こせるのだろうが、そこにある種の競争原理が働いてはいないだろうか。この暴動に参加する事で、その成果の果実を手に入れる事が出来る。
団塊の世代をその視点で考えると違う側面も見える。現実に就職したとたん資本主義でガムシャラに働きだしたのだ。彼らの社会での出世競争がとても厳しかったということだ。その前に学生運動そのものも競争圧がとても高かったのではないのか?セクトに分裂するのもここに原因があるのではないのだろうか。
この競争圧については団塊の世代は一様に拒否反応を示す。ただこの項目を入れた方が解りやすいと思うのだが、どうだろうか。仮説だが、この競争圧がこの年代はとても強く、それが強烈な出世競争に結びつき、些細なミスも許されなくなった。これが原因で無難な事しかしないエリートを逆に生んでしまった。
団塊の世代を簡単に言う事は出来ないと解っているつもりだ。