小学生のときには環境問題や核爆弾問題がいっぱいあって、未来がどうなるのかよくわからない状態だった。そのせいか私の上や同年台のアニメーターや漫画家で環境汚染や核戦争後の世界を書く人が多いように思える。
そんな折にそれじゃあそれらをいっさい解決しようと、小学生ならでは考えた事が究極のコンパクトシティだった。山一つをつぶして作る超巨大マンション、これに人口20万が住める。なかはエレベーターはもちろん歩く歩道も完備。息抜きの別荘エリアもあったりする。
このマンションから工業エリアや商業エリアまで電車で繋がっており、それが緊密化しているという形だった。
うん、ませた小学生だね。
大人になってもこの考え方は捨てきれないのだが、どうも問題がある。
まず、マンションの社会構造なのだ。小学生だから均一だろうと思っていたが、大人になるとさすがそれは出来ないのがよくわかっている。近所の問題も、物理的な距離があるから何とかなっているのもよくわかる。実際この考えをイラストにした直後に、アメリカの団地が地域崩壊した例をニュース9だと思うが見てこれは不可能だと思った。
コンパクトシティの概念そのものが出てきたのは、最近の事だ。縮小する人口と拡大して過疎化した郊外をどうするのかで考えだされた。ただこの概念がこうして出てくるためには、土地の所有に魅力がなくなったのが大きい。そして都市生活に日本人が慣れた事もあると思う。
このコンパクトシティの概念は、今回の復興に役立つだろうか?
実は難しいのではないのかと考えている。まず都市化されていない。その上土地の所有に対する概念が都市とは違う所にある。土地の所有はどうにでも使える可能性なのだ。
都市においては土地の所有は値上がりする可能性で、固定資産税もかかる厄介なものだ。これが値下がりする可能性と税金のバランスを考えればあきらめざるを得ない。ましてや利便性まで考えれば土地の所有は、マンションなりに換わって、可能性を犠牲にするしかない。
土地所有は、本来なら上屋をどう建ててもいいし何を作ってもいいものだ。法的な規制はとてつもなく大きいが、土地を所有する事はこの可能性を広げる。家庭菜園程度ならいくらでも大丈夫だ。将来マンションを建てる可能性もあるし、道路が通る可能性もある。しかも地方なら固定資産税も安い。維持は出来る。
コンパクトシティは、この可能性をあきらめる事からはじめなければ行けない。今回の復興では重要な概念だが、そこに問題がある。新しい土地の利用に関して、開発の可能性を担保した方がいいだろう。それがうまく出来なければ成功しないだろう。
これが小学生のときに見落としていた最大の欠陥だ。なにかの可能性が無ければ、そこに人は住まない。東京でがんばれる人も、可能性が無ければ住めないだろう。
これはまた小学生のときに聞いた、ブラジルの首都ブラジリアの失敗でもある。土地利用の可能性が全くなかったからだ。おまけに自動車保有が前提で計画された都市だったからだ。
そんな折にそれじゃあそれらをいっさい解決しようと、小学生ならでは考えた事が究極のコンパクトシティだった。山一つをつぶして作る超巨大マンション、これに人口20万が住める。なかはエレベーターはもちろん歩く歩道も完備。息抜きの別荘エリアもあったりする。
このマンションから工業エリアや商業エリアまで電車で繋がっており、それが緊密化しているという形だった。
うん、ませた小学生だね。
大人になってもこの考え方は捨てきれないのだが、どうも問題がある。
まず、マンションの社会構造なのだ。小学生だから均一だろうと思っていたが、大人になるとさすがそれは出来ないのがよくわかっている。近所の問題も、物理的な距離があるから何とかなっているのもよくわかる。実際この考えをイラストにした直後に、アメリカの団地が地域崩壊した例をニュース9だと思うが見てこれは不可能だと思った。
コンパクトシティの概念そのものが出てきたのは、最近の事だ。縮小する人口と拡大して過疎化した郊外をどうするのかで考えだされた。ただこの概念がこうして出てくるためには、土地の所有に魅力がなくなったのが大きい。そして都市生活に日本人が慣れた事もあると思う。
このコンパクトシティの概念は、今回の復興に役立つだろうか?
実は難しいのではないのかと考えている。まず都市化されていない。その上土地の所有に対する概念が都市とは違う所にある。土地の所有はどうにでも使える可能性なのだ。
都市においては土地の所有は値上がりする可能性で、固定資産税もかかる厄介なものだ。これが値下がりする可能性と税金のバランスを考えればあきらめざるを得ない。ましてや利便性まで考えれば土地の所有は、マンションなりに換わって、可能性を犠牲にするしかない。
土地所有は、本来なら上屋をどう建ててもいいし何を作ってもいいものだ。法的な規制はとてつもなく大きいが、土地を所有する事はこの可能性を広げる。家庭菜園程度ならいくらでも大丈夫だ。将来マンションを建てる可能性もあるし、道路が通る可能性もある。しかも地方なら固定資産税も安い。維持は出来る。
コンパクトシティは、この可能性をあきらめる事からはじめなければ行けない。今回の復興では重要な概念だが、そこに問題がある。新しい土地の利用に関して、開発の可能性を担保した方がいいだろう。それがうまく出来なければ成功しないだろう。
これが小学生のときに見落としていた最大の欠陥だ。なにかの可能性が無ければ、そこに人は住まない。東京でがんばれる人も、可能性が無ければ住めないだろう。
これはまた小学生のときに聞いた、ブラジルの首都ブラジリアの失敗でもある。土地利用の可能性が全くなかったからだ。おまけに自動車保有が前提で計画された都市だったからだ。