どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

マゼンタな花

2012-06-17 02:34:39 | インポート
前回の白い花ですが、2時間探しまわってお題にあった花を撮ると言ったある意味コンセプチャルな作業でした。ついでに大体正方形にトリミングするのも前提で撮影すると言うもの。こうしてブログに出す際には一応花の名前を調べて出すと言うのが前提です。
子供の宿題に良さそうな感じです。さて今回のお題はマゼンタピンクの花です。マゼンタと言えばよくわからない色だと思います。まあパソコンのプリンターの色調整で苦労した人とか、デザインをかじった人なら解っている色です。印刷でつかうインクがシアン・マゼンタ・イエロー・ブラックなのでCMYKと呼ばれていますが、この中で自然界にあまり無いのがシアンで、気色悪い水色です。あまり単独で使われない色です。イエローは自然界にもありふれた色です。この中でマゼンタの定義がとても難しい。赤紫とも言えるのですが、濃いピンクとも言えます。赤に白を混ぜたピンクではないと言った具合でしょうか。花の世界ではかなりポピュラーな色なのですが、その色素の微妙な条件で赤く見えたり青っぽく見えたりと変化する色でもあります。



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いきなり面倒な。とりあえずイブキノエンドウの仲間だとしますが、タキイ種苗のカタログでヘアリーベッチという緑肥用作物が野生化したもの、でしょう。



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紫蘭です。マゼンタピンクなのに紫、マゼンタの表現範囲がいかに大きいか。なお青花紫蘭という園芸種もありますが、これが花の色素の特徴。大体このマゼンタの発色する花は、黄色以外はどんな色でも出します。バラやペチュニアはたまたま黄色の色素を持っていたから、黄色の花がある訳で。



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マツバギクですね。キクとはいってますがツルナ科の植物です。南アフリカ原産。



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さあこれは解らない。多分ヒメフウロだが、ヨーロッパからの外来種かな?



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これはルナリア。種のさやの形から小判草とも言ったりする。ちょっとこの種にしては遅めの花だ。



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ムシトリナデシコ。



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スイセンノウの赤。だがよく見るととっても濃いマゼンタ。



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サクラマテンマ。外来種ですね。近所でよく植えられています。



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キンギョソウ。



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ずいぶん青っぽく撮影されてしまったが、ヒメキンギョソウの多年草型。


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えーっとフウロウソウでいいんだけど、ガーデニング素材として植えられていたからゲラニウム。



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バラです。3年くらい前に流行した品種。バラに関してはマゼンタだらけなので、ちょっと青っぽいものにしました。



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アカツメクサ。ここまでポピュラーな花だといい個体を探すのが大変。なおムラサキツメクサとも言う。本当に真っ赤で「ストロベリートーチ」と言う品種もある。




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ムラサキツユクサ。これはちょっと青によりすぎたか。



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ツツジです。園芸品種なのでもう何がなんだか解りません。サツキにレンゲツツジを掛け合わせて黄色いサツキを作ろうとしている人がいるくらいですから。



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ヒメジョンです。この花は色の変異が大きい。かなり紫な個体もありますし白い個体もあります。



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マゼンタと言えばペチュニア。大体園芸品種名にマゼンタと書いたものがあるくらいマゼンタな花。



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紫と言っていいかもしれないが、コンフリーです。和名はヒレハリソウ。若芽は食べられます。


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ムラサキハナナです。すいません。かなり青に寄ってしまいました。


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でマゼンタと言えばコイツ。インパチェンスです。
このマゼンタと言う色の特徴ですが、緑に対して補色の関係にあります。なので緑の中にあると、浮いて見えます。白い花もそうですが、緑が濃くなってゆく初夏から夏にかけて、白い花が多いのは光を全部反射させて昆虫にアピールさせるためだという説があります。一方昆虫は青から紫外線領域の光に反応しているとも言われています。春に黄色の花が多いのは、周りが全反射させる枯れ草ばかりの所に昆虫の目から見たら黒い点になるようです。これで目立たせていると言われています。それではマゼンタはどうかと言えば、青領域の反射も確保しつつ補色で周囲の緑から浮き立たせている可能性があります。
さてこの花の周りに赤や青、黄色の細い線が見えるかもしれません。これは画像処理のエッジで生じた現象。更に人間の認識まで関わってきます。
ほぼ純色というのがいかに暴力的なのかと言う事です。それほどまでにインパチェンスのマゼンタは純色です。



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これはニワフジ。近所では電信柱の脇に生えている。ただどうも寿命が短いのか、フト現れてはフト消える花のようにも思える。



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さて最後は、ゼニアオイでしょうか。園芸種のようなのでMalvaと曖昧にしておきます。
さてマゼンタピンクの花は実際度の程度あるのかと言えば、まずバラですがピンクの品種で明らかにサーモンピンクと赤以外はかなりマゼンタです。ナデシコの仲間もそうです。今回美女ナデシコを落としていますが、あんな色です。近所に無かったのですがシバザクラのピンクもかなりマゼンタです。
今回多すぎて躊躇した所があります。それほど普遍的な色でもあります。


4月のセシウムさんウロウロ

2012-06-14 03:32:32 | インポート
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さてようやっと4月に降ったセシウムの量が発表になった、
http://www.pref.iwate.jp/~hp031501/houshano/sokuhou_24_4gatu.pdf
6月6日発表なので、ネットに載せるのはやっぱり遅い。それでも3月分発表よりはかなり改善した。
さてこのデーターなのだが、やはりセシウム134が半減期から減少しつつある。新たな発生源が無いと言う事だろう。
実は今回の発表では、4月に浮遊塵の集中調査が行われているのが解る。これは北朝鮮のミサイル発射に伴うなんらかの対策だろう。同時期に核実験を行う可能性があると政府は考えていたようだ。
今回昨年6月からの動きを出して見たが、これだけでは全然判断が出来ない。



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岩手県の発表ですばらしいと思うのが、降水量を出している事だ。雨は空気中の塵をたたき落とすので、雨が多いとセシウムが増えると仮説できるが、そうではない。事故からしばらく経った現在では、土壌からの飛散などが考えられると言う事になるのではないのかなとも思いつつ、よくわかりません。
なお一応ガレキからの放出も検討しましたが、計測している場所から盛岡市のクリーンセンターまでグーグル検索で北東の13.7キロでした。この場合おおざっぱなこの数字が大体かと思います。と言うのは東北では3月4月は大体南西の風が吹くからです。
ガレキの受け入れでは、宮古・山田地区から三月には601トン、4月には503トン受け入れています。放射能汚染には濃淡がありますが、この二つの地域は汚染度が低いとされています。これがどの程度なのかはよくわかりませんが100Bq/kgとすれば、4月のガレキ受入量から全部のセシウムが大気中に放出されたとして、50MBqになります。ただこれは全く考えにくい事です。野焼き状態の焼却炉があり得ないからです。評判は悪いのですが、バグフィルターは有効です。
それでは更に悪評高い同心円状に均一に拡散すると言う計算では、ガレキのみからの放出では150GBqセシウムが降らないと今回の観測結果に繋がらないと考えています。もちろんガレキの放射能レベルを変えればいくらでも推論できますが、1000Bq/kgとしてもガレキの影響はとても少ないと計算できます。
更に風の関係もあります。私でも1月2月は北東の風が吹いていたとして、それで低い値なので、ガレキの影響は盛岡では軽微だと考えています。
土壌からの飛散がとても大きいのではないのかと考えています。



PS
陸前高田のお茶についてなのだが、抽出物についての放射能検査で1Bqで引っかかった。これで出荷制限になったが、若干補足したい。
実は陸前高田の茶園は、静岡とか名産地にあるものとかなり様相が違う。管理がとても甘いものだ。どの程度甘いのかと言えば、ほぼ自家消費用で大昔に植えた木を残しているだけだ、といえば失礼かもしれないが産地ではない。
静岡がお茶の木の、セシウムを吸い取った古い葉をすべて取り除いた(木の生長を考えれば相当な決断だった)というレベルの管理はしていなかったと考えられる。
北限の茶と言うことで売り出してはいたが、流通量はほとんどないし、ブレンドされる事も無い茶葉だ。
このニュースを聞いたとき、イラっとした。甘すぎる。


白い花

2012-06-11 21:13:46 | インポート
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春から夏になりました。そこで白い花ばっかり集めてみました。
6月10日を中心に行き当たりばったりで撮影する。ただし同じ花は撮影しないとか制限をかけているのですが、最初っからそうなっていない所も、コンセプチャルでないですね。
クローバーですね。もうそろそろ終わりです。


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ヒメジョンだと思うのですがどうでしょうか。



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またクローバーです。4つ葉は見つかりませんでした。



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ドクダミです。




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アカシアの花は終わりかけていました。なおアカシアの和名に明石家というのがあります。



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これは何なのでしょうか、ガマズミの類いと思います。



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これは何なのでしょうか。多分リキュウバイだと思います。



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まずセリ科の植物でしょう。撮影は北上川です。かなりでかい花です。



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この花の正式名称は牧野植物図鑑では、フランスギクです。学名はChrysanthemum leucanthemumでしょうか。なお後ろの黄色い花は、ミヤコグサです。



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えっとコンセプトから外れて、カワラヒワです。


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白花のハマナスです。




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オルレアと言うようです。


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マトリカリアの類いだと思います。



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ダッチアイリスの白花でしょうか。なんでしょうか。



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きんぽうげ科の植物であるのは確かです。バックの黄色はリシマキア・プンクタータかな?




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イヌバラ。日本原産の世界中での雑草。ローズヒップティー用の野バラではない。日本原産である事は重ねて言う。
私はとても好きです。




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アキレア、ノコギリソウです。のど飴に入っています。



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カモミール。倒れていた花なので、写真が変な感じです。


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ヤマボウシ。これは品種改良されたものだろう。花が大きい。この実はおいしい。



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ヒトツバタゴ。花の時期としては終わりかけ。別名ナンジャモンジャの木。



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バラです。品種はアイスバーグ。なぜ解るかと言えば札がついていたから。



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スイレン。




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シャクヤク。




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これは今日の撮影。コンセプトからズレています。モッコウバラの白。


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最後はウチの庭のハニーサックル。そういえばかっこいいがいつの間にか生えたものです。夕方から濃厚なヨーグルトフレーバーがあります。



ちゃぐちゃぐ馬っこだった

2012-06-10 19:12:00 | インポート
えー昨日はチャグチャグ馬っこだった事をすっかり忘れていました。






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なので8年前のチャグチャグ馬っこの写真です。今年は曇りです。それでも午前中は晴れだったのですが、11時過ぎから急速に悪化。12時から雨になりました。



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実はチャグチャグ馬っこのパレードは近年のもの。
ちょっとコピペでまとめますと、「南部領の農民は、 平均して田畑五反歩(約五十アール)につき1頭の馬を飼うのがしきたりであった」
「「蒼前」とは、昔東北地方において、病馬の治療法に秀でた人物のなで、 後に農神としてまつられた馬の守り神だという伝承があります。 「蒼前神社」は素朴な農民振興から生まれた“産土神(うぶすながみ)”ということができます。」
「 蒼前神社の縁日は馬にちなんだ旧暦の端午の節句(5月5日)にあたっていました。 この時期は田植え前の重労働が続くので、この日だけは仕事を休み、 神社の境内で1日を過ごすという風習が生まれました。 そしてこれを一種の「村決め」のようにして、お互いに守りあうようになりましたが、 なかには非情な飼い主もいて、この「村決め」を守らず、馬を酷使するものもあったことでしょう。 そこでこの端午の節句には、馬を連れて蒼前神社にお参りをし、無病息災を祈るとともに、 飼い主ともども境内で一日を過ごすという習慣が生まれてきました。」
「寛政ごろから小荷駄装束を着せて蒼前参りに行くようになったといいます。 (小荷駄(こにだ)とは、参勤交代で江戸に上る大名たちが、行列の後尾に従えて行った荷駄のことで、 五万石格につき十頭の定めだったと言います。)」
「明治に入ると、 小荷駄装束(こにだしょうぞく)を着せて出るような風習は一時廃れましたが、 日清・日露戦争を境にして軍馬の需要が増え、また馬耕技術が進歩して、 馬の数が急速に増えていきました。「チャグチャグ馬コ」の行事も盛んになり、 地元の滝沢村だけで1千頭が出た年もありました。しかし、行事そのものは地味でした。 大正時代の祭りは、いたって素朴なものだったのです。 「チャグチャグ馬コ」が盛岡まで出てくるようになったのは、 昭和5年に秩父宮が盛岡においでになったとき、たまたま祭りとかち合ったため、 八幡宮まで足をのばして神前馬場で馬ぞろいをしてお目にかけたのがきっかけでした。 その後は蒼前祭りの後、盛岡八幡宮をかけて解散するのが恒例になり、 農家や伯楽衆だけでなく、官民挙げての愛馬行事となり、 3千頭も参加する年もありましたが、装束は付けず,裸馬か鞍馬の行列でした。」

サイトはこちら。
http://www.odette.or.jp/citykankou/ka_c_fe_ch_i/ka_c_fe_ch_i.html


更にまとめると、「蒼前さま」「駒形様」の民間信仰があって農業の神様でもあり馬の神様であった。江戸時代にそれに馬共々お参りする風習が生まれて、更に馬と一緒に神社で一日過ごすという祭りになった。このとき 小荷駄装束という今の華やかな衣装を馬に着せるのが流行った。
このお祭りの時、沢内村から馬喰がやって来て馬の売買をしていた。本来は禁止されていたが、この日だけはお目こぼしがあった。なお沢内村は秋田県境にある村で、南部藩の隠田があったと言われる。まあこの土地を使って他の藩に馬を輸出していたんでしょうね。なお雫石町春木場の集落は立派な作りの家が多いのですが、馬喰の街とも言われていました。つまり馬の売買で発展した地域なのでしょう。長年の疑問が解けました。更にすぐそばに南部藩の直轄の「お止め」の山があります。現在の岩手大学農学部御明神演習林です。この位置関係もよくわかりました。
明治になって 小荷駄装束は廃れたが、神社に集まるという風習は残った。逆に馬産地としてますます盛んになった。なお明治以降ヨーロッパの荷引き馬とかアラブ、サラブレッドの血が導入され、現在のチャグチャグ馬っこは日本古来の馬の形ではない。主にヨーロッパの農耕馬や荷引き用の重さは最大で1トンになる大型馬種の血が入っている。推測だが、新しい血の入った大型の馬は人気があったろう。チャグチャグ馬っこが実は商取引の場だとすれば、盛んになるのはよくわかる。
官民上げてと書いているが、これは多分軍馬生産だろう。実際戦前の小岩井農場は軍馬生産がメインの事業だった。
盛岡市内の八幡神社に御参りするようになった理由だが、実はこれには以前から疑問があった。たとえ並足であったとしても、滝沢村の蒼前様から盛岡八幡宮は15キロくらいある。往復させたら馬の慰労にはならない。それがなぜそうなったかと言えば、昭和5年の秩父宮来盛がきっかけと解った。宮様が来るのだから軍馬生産基地の岩手の実力を見せたいという気持ちではじまった。これが慣例になったのが現在の形式になっている。
しかしこのサイトで「それ以後、 滝沢村の蒼前神社から盛岡八幡宮までの行進となりました。」だが、盛岡の馬関連の古文書からなんでも収集していた中村家からの伝聞によると、現在の滝沢村の蒼前神社に集まるのではなくて、各地域の蒼前神社や駒形神社から三々五々八幡神社に集まったもののようだ。しかも現在の引き馬ではなく大人が乗って走ってくるものだったようだ。一件だけの聞き取りで判断するのもどうかと思うが、材木町出身者から子供の頃、「チャグチャグ馬っこの日は危険だから道路に出るな」と言われていたそうです。
つまり盛岡市の八幡神社を目指して、ありとあらゆる方向から馬がやってくるお祭りだったようです。しかも走ってやってくる。鈴はこの警告音の役目だったようです。
祭りは旧暦の5月5日から、6月15日になり、現在の6月第2土曜日に変わりました。チャグチャグ馬っこの日は晴れるという伝説がありますが、旧暦から大体その辺りの15日まではそうなのですが、第2土曜日に変わってからはどうなのか。雨が降るようになったのは確かです。
馬の数の減少、自動車の普及から現在のパレード形式になっています。


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現在ではパレードで、上に乗っているのは大人ではなく子供です。乗りたい子供は公募で乗れるようになっています。とても安全な祭りになっています。
馬も馬運車で移動して蒼前神社に行き、八幡神社からまた車に載って帰ります。チャグチャグ馬っこを画こうとかいうイベントにかり出される馬もいます。もちろん帰りは馬運車です。
私としては、その昭和5年からの市内が馬でパニックになる祭りの方が今では面白いかもしれないと思います。




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さて午後から雨になったチャグチャグ馬っこは見ていませんが、祭りの日を観光客誘致目的で変えるのはどうなのかと思います。まだ旧暦に戻した方が良かったのではないのか、そう思います。今年の旧暦の5月5日は、今年は6月24日です。昔と違って今では農閑期になっています。



追記
昭和5年以前から、あちこちから八幡神社に集まって来たという話しが入りました。これをどう説明できるのかといえば、八幡神社のすぐそばに馬検場があると言う事でしょうか。大正元年にこの馬検場が八幡神社のそばに移ってからはじまった風習と考えることが出来ると思います。
順番としては、地域の神社で馬を休ませる風習が成立→馬を見せ合う(小荷駄装束)→私的売買が行われ馬喰が活躍する(公設市場が閉鎖的だったので、闇売買になる)→その中で多くの馬が集まる滝沢村蒼前神社が大きく発展する。→明治以降公設市場が解放される。風習的にこの日が大きな市になる→質実的な売買の場なので小荷駄装束は否定され、裸馬が増える。→馬検場が現在の場所に移り、ついでに八幡神社に御参りする人が増える→昭和5年の宮様来盛から八幡神社もうでが固定化する。→(時期的に物資統制がはじまる頃で、馬の流通を統制しはじめたのかもしれない)→戦後馬の需要は急激に縮小、極初期から保存会が発足し今日に至る。
推測にしか過ぎませんが、農繁期に馬を休ませる風習が馬も人も疲れる事をわざわざしていたという疑問は、経済合理性を当てはめれば成り立つのではないのかと、考えています。


またしても猫

2012-06-10 01:46:17 | インポート
このところ面白かったのはニューズウイークの記事。ビン・ラディンがその後何を考えていたのかを考察する記事だ。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2012/06/post-2570.php
とてもいい。
さて、私はどうでも良い事を書き連ねる。



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桜の木から聞き覚えのある雛の声がある。どうした事かと見上げればシジュウカラ。



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木のウロに巣を作っているようです。しかし高さは90センチ程度でしょうか。相当低い位置に巣を作っています。蛇がいないだろう町中だからなのでしょうか。それにしてもこの前の消火栓といい今回といい、シジュウカラの無防備さには驚きます。野生というのは無理がある無防備さ。



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さてガリガリ君の新メニューの赤ぶどう&白ぶどうです。ちょっと甘めですがかなりおいしいです。残念ながら期間限定。食べるなら今です。
なぜなら今の所今年は冷夏が予想されていますが、これが外れる可能性があると思います。具体的なデーターを見ていませんが、冷夏だけは無いと直感的に感じています。
そこでここ2年のガリガリ君はどうだったかと言えば、2年前は猛暑で売れに売れて夏には欠品騒ぎになりました。なお新規工場を立ち上げてなお欠品騒動です。どれだけすごい事だったのかと解るでしょう。そして昨年は電力不足で冷房が弱まったせいか、欠品騒動まではならなかったのですがやっぱり売れました。



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そのガリガリ君赤ぶどう&白ぶどうですが、外が甘めの赤ぶどう。中がさっぱりした白ぶどうシャーベットです。このコンビネーションがいいです。彩りもきれいですし。


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さて日食の時の猫です。またしても同じ場所で寝ています。後ろから人が出て来たので目を覚ましています。



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そして寝ます。


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更に寝返りします。


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実はこの間、学生さんにモミクチャにされているのですが、一向にかまわず寝ています。そして最後にはこうやってオブジェとなりました。寝ながら腹筋を鍛えています。
この猫、名前がどうも5種類あるようです。私はクリームと呼んでいますが他にミルクティーもあります。あとは聞いたが忘れてしまいました。
さてここで典型的な三種類ののらねこを出しました。餌は潤沢だが人になれていない猫(この猫は人に飼われた事のあるのが何らかの理由で住み着いた可能性がある、餌の質もいいのだが子猫たちはやせたまま現在分散している)、レンズテストの猫は潤沢とは言えない餌と質、そして中と半端な飼育で分散も出来ない猫、そして今回の猫は地域猫として生きています。まあ親がそうだったので、子供を人前にわざと出しているフシもありました。そしてこの子はのらねこですが、実はボランティアが気を配っています。
さてどれが一番幸せなのでしょうか。
盛岡は自然豊富で狩猟でとれるえさも多いかもしれません。ただそれでも街なので限界はあります。そして猫は人に近い所で生きるように、人が飼育・改良して来た歴史もあります。結果人との関係性が猫に取っては大切になっていると思います。
のらねことの付き合いは、そこを深く考えるべきだと思います。