「誤変換」を「ことば遊び」にして、いままで幾通りも遊んできたので、きょうはその「誤」のルーツを追う。
「呉」の字形の「口」の部分は「くち」ではなくて、神様への祈りの祝詞を入れる器「口」(サイ)。それ以外の字形は、上の古代文字のように神前で舞い踊り、神を楽しませて祈る巫女さんの姿。
つまり、「呉」は巫女が神への祝詞を入れる「口」(サイ)をささげて踊り、神を楽しませている文字。それ故、「呉」には「たのしむ」の意味がある。
「呉」に「女」を加えた「娯」も、神に「口」(サイ)を奉げて舞い踊り、神を楽しませる女性のこと。意味は「たのしむ」。「呉」と同じ意味で、「娯」の元の字が「呉」。
「誤解」の「誤」にも「呉」がふくまれている。神前で「口」(サイ)を奉げて祈り、一心に踊り狂う巫女は正常な状態でなく、言葉が乱れ何を言っているのか分からない状態になってしまう。その状態が「誤」。そのことから、「あやまり」という意味になった。
「呉」に関する字の最後は「虞」。漢の劉邦と天下を争った項羽の愛した女性が虞美人。戦いで包囲されて四面楚歌となった項羽が「虞や虞やなんじをいかにせん」とうたった詩にも名を残す。
その「虞」は虎の頭「虍」と「呉」を合わせた形。この「虞」は虎頭のかぶり物をかぶって舞う獅子舞のようなものと考えられる。それは神の前で戦いに勝つことを祈る模擬演技だった。戦争について神意をはかるので「はかる」の意味がある。
一方の浄瑠璃寺は、京都というより奈良に近い位置にありました。^^
浄瑠璃寺では、彼岸の日に真東の三重塔の真上から陽が昇り、真西の本堂に陽が沈む極楽浄土を構成します。
九品往生の考えから、九つの如来が生前の信仰と善行の度合い9通りで迎えあまねくすべての人を救うとされています。
信仰度合いを上品・中品・下品、それぞれを善行度合いで上生・中生・下生と分け、この組み合わせで9通りになり、
われわれが死ぬと何れかの如来が迎えます。九体の阿弥陀さまは、そのように配置されているのだそうです。
そのようなことから、九体寺(くたいじ)とも呼ばれ、日常語になっている上品、下品は、この九品から派生しました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/215dfa12183b7b8f8340957ff3cb5962
フランス映画の「最強の二人」DVDを借りて観ました。
すごく面白かったですね。有り難うございました。
英語と漢字で字幕が出ると言うので、ボクは借りませんでしたが、
カミさんが日本語の同時通訳のイヤ・ホーンを借りました。
京劇は進んで、四面楚歌の場面になり、
「虞や虞や汝をいかにせん」で、
その後、虞美人が自刎するところで、
自刎ってどうやってするのかとすごく興味を持ちました。
日本の切腹に相当するのですが、
刀を(青竜刀でした)首の前に捧げ持ち、前に首を投げ出す所作でした。
すごく印象に残りました。
京劇は全員、猿のような化粧で興ざめでしたが・・・
面白かったですよ。
さいきんは、このような類の誤用をよく耳にします。きょうのiina宅は、そんな「誤」のルーツを追ってみました。
ファミレスの入口近くに席をとったiinaは、ほとんどの客が「すいません」と謝る言葉に耳を疑い、よーく聞き耳をたてると
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店員が「タバコ吸いますか?」と尋ねて、喫煙席と禁煙席の確認をしているのでした。(^^ゞ
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/92919e06bcd34a9b7dbc4a325df8bd8e
その状態で捧げる祝詞は神様も理解できなかったのでしょうし、それ故、神様も誤ったお告げを下されたのかも知れませんね。
「誤」のルーツがよく分かりました。