米沢城
2021年11月21日 | 旅
松ヶ岬公園にある米沢城址に上杉神社が建ち祭神・上杉謙信を祀る。 謙信像→
上杉景勝・直江兼続の主従の像
上右は、独眼竜の異名を持つ伊達政宗生誕地の石碑。米沢城は上杉家が名高くて、伊達政宗が生まれたことを知らない人が多い気がする。
永禄10年(1567)8月3日、伊達輝宗の嫡男として、正室である最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)から米沢城で生まれた。
明治35年、上杉神社に上杉謙信と共に祀られていた上杉鷹山を松岬神社に分祀した。上杉神社の前に建つ。
『なぜば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人のなさぬなりけり』は、上杉鷹山が家臣に示した和歌(遺訓)。
初代の上杉謙信から12代の斉定までが埋葬されている上杉家廟所は、別の地にある。
謙信が春日山城に没すると、その遺骸は甲冑を着せて甕の中に埋葬された。
後継者の景勝は、会津若松から米沢へと移封させられ、謙信の霊柩を伴って移動した。
<<もどる<
上杉景勝・直江兼続の主従の像
上右は、独眼竜の異名を持つ伊達政宗生誕地の石碑。米沢城は上杉家が名高くて、伊達政宗が生まれたことを知らない人が多い気がする。
永禄10年(1567)8月3日、伊達輝宗の嫡男として、正室である最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)から米沢城で生まれた。
明治35年、上杉神社に上杉謙信と共に祀られていた上杉鷹山を松岬神社に分祀した。上杉神社の前に建つ。
『なぜば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人のなさぬなりけり』は、上杉鷹山が家臣に示した和歌(遺訓)。
初代の上杉謙信から12代の斉定までが埋葬されている上杉家廟所は、別の地にある。
謙信が春日山城に没すると、その遺骸は甲冑を着せて甕の中に埋葬された。
後継者の景勝は、会津若松から米沢へと移封させられ、謙信の霊柩を伴って移動した。
上杉謙信が有名すぎて、伊達政宗がここで生まれていたなんて知らなかったです。
伊達政宗が米沢城で生まれたのは知りませんでした。
そうか、景勝が会津若松から米沢へ移封になったときに謙信の霊柩も移動したんですね。
上杉謙信から12代までが埋葬されている上杉家廟所、行ってみたいです。
崖上に建つお堂は、容易に登れなさそうで霊感を感じます。建てるのも、修行の一環なのでしょう・・・。
iinaも一度だけ。このような崖に建つ宇佐界隈の龍岩寺 奥院に登りました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/1a27c7f6789cc8c3b1757fd2af7ff0d2
「馬つなぎ石」は素朴ですが、穴を石にあけるのは大変な作業です。
西部劇で、カーボーイが野ってきた馬の手綱を柵に結ばないで掛けるのを見ますが、無頓着ぶりを強調するためにしていることなのでしょうね・・・❔
夢枕に母の胎内を借りたいと頼まれて、生まれたのが伊達政宗という伝説があります。
米沢郊外、高畠の亀岡文殊堂の近くに住む行者・長海上人に男子の誕生の祈願をした後のことです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/055aa82699c80a9cc87222be8d6f6303
https://www.wikiwand.com/ja/%E7%B1%B3%E6%B2%A2%E5%9F%8E
1380年、伊達氏が置賜地方に侵攻し、亀岡文珠堂の近くの高畠に城を構えて支配したのだといいます。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/4f455950db6dbbe39c95fb8208e1e0fb
その翌年に大河ドラマ「天地人」が放送されるということでその幟がたくさん立っていました。
上杉家の家臣・直江兼続(妻夫木聡)の人生を描くドラマでした。
今場所は上杉景勝が好きだと言う、貴景勝が頑張っています。
このまま優勝争いを引っ張ってほしいものです。
藤井聡太4冠誕生に大谷翔平のア・リーグMVP授賞は、コロナ禍下に清風を起こしました。
ふたり共、前代未聞の活躍ですから拍手喝采です。
直江兼続は、2代上杉景勝によく仕え、上杉家の菩提寺・林泉寺に藩主たちと一緒に埋葬されているほどの人物です。
いまも人気者で、田んぼアートにも描かれています。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/8cccb905bf6609937ae9678f9d967994
きのう月曜10時から健康麻雀を楽しんできました。😃