

平安朝の優雅な行列は平安貴族の姿で、京都御所から下鴨神社を経由して上賀茂神社に向かう。列の最後に斎王代(さいおうだい)が腰輿(およよ)に乗る。
待機したのは下鴨神社の参道・糺の森(ただすのもり)。
iinaの大阪時代最後の平成9年でも、ことしのように15日が雨で順延になり16日に行われた。ニュースを読むと、そのとき以来15年ぶりの順延なのだとか。


平安京が造営される前の京都に凶作が続いたため、当時の天皇(欽明天皇)が上賀茂神社と下鴨神社に勅使を送って五穀豊穣を祈願したのが葵祭の起源とされる。
下鴨神社の御手洗池(みたらしいけ)→
「みたらし団子」発祥の地
上賀茂神社

上賀茂神社は、賀茂別雷大神(かもわけいかづちのみこと)といい、賀茂氏の祖神。「別雷」は「若雷」の意で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という。
細殿前の円錐状の2つの砂の山は御神体である神山(こうやま)を模したものであり、立砂(たてずな)という。鬼門にまく清めの砂の起源とされる。



葵祭や時代祭などの有名な行事は、テレビニュースで流れるので懐かしいことでしょうね。
私は若い頃は“いつでも行けるから”と思って見に行っていませんでしたが、リタイアしてからは出不精になって、矢張り行けません。
何事もチャンスは逃さず、行く時には行く、見る時には見ておかないとだめですね。
これからも良いものをどんどん発信してくださいね~
ヽ(´ー`)ノ
浅草も今日からです・・・
いろいろたくさん京都を見学しているのですね。
(^^ゞ
はじめまして、里の部屋の里の子です。
トラックバックありがとうがざいました。
京都に住んで36年になりますが、まだまだ京都のことも詳しくは知らない部分が多くあります。
葵祭のことも、私の知らなかったところまで詳しく書かれていますので、感動しました。
これから時々ページに訪問させて頂きます。よろしくお願いします。
アップの「タニウツギ」の花が、ピンクで美しいですね。なるほど、先端が5つに裂けた“ろうと状”の花
になってます。目に優しいのでロート目薬の名になったのでしょうか。
ニュースで報じられて葵祭を想い出しました。御手洗池にひと気がありませんが、流れた15日当日の
様子なのです。行列が長いのでゆっくり見物できましたよ。
(たっしー) さん へ
伏し目の斎王代が美しいです。
ちょうど15年前の糺の森では、地元の方が訳知り顔にことしの斎王代はダメだなんて口さのない
批評を投げてました。
京都を走るタクシーは名所の説明が巧く、飲食情報にも重宝しました。
いちど飲み過ぎて、大阪まで帰るので京阪三条までというと、この時間帯は京橋まで行けぬからと
JR京都駅に飛ばし、お蔭で間に合うことができ助かりました。
(タミリン) さん へ
「私がウォシャウスキー」は映画館で観ました。1991年の作品でしたか。ストーリーはすっかり忘れてます。
主演のキャスリーン・ターナーを目的に行った気がしています。
三社祭のゆかたの会で飲食するために、きょう浅草に行きますよ。
(ムツゴロウ) さん へ
賀茂氏の下鴨神社と上賀茂神社も趣があります。
古代豪族のなにごとかある賀茂氏を思います。
徳川家の葵の紋の原型を保つ賀茂氏を篤く保護しました。祭に装束を双葉葵で飾るのは、賀茂氏の象徴
の葵のことです。
(ぼたん)さん へ
タマちゃん猫は、おとなしくて白い毛並みに、気品さえ感じます。
伝法院通り浅草公会堂の斜め前にある「お狸様の鎮護堂」に、面白い伝説があります。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5086e4bfcb2fe5ff6b76ea72a09882e9
(里の子) さん へ
縁あって京都で仕事をしたので、よく識るところとなりました。
カテゴリー「歴史街道」は、15年前に15分番組を放送していたのを使いました。アルバム集(100枚)がそろそろ
満杯になりますが、第2集にする必要に迫られています。まだまだ豊富に種をもっています。
途中に大田の沢のカキツバタ(ちょっと手遅れかな?)と大田の径や深泥池へも立ち寄る予定ですが、このblogが参考になします。
入社1年目に休暇をとって、葵祭を見に行きました。
”葵祭りなので休暇を頂きます”、と言ったら、支店の人達から、呆れられました・・・
葵祭は、午前中に撮影しないと、参加者のお疲れが見えてきます。
みたらし団子は、ここでは5個。
関東などは、4個。
北摂の幼稚園で「おむびを作って下さい。」と言われると思わない事が起きます。
みたらし団子の数より困ります。
おむすびの形が、三角、俵型、丸型となります。
実は、出身地でおむすびの形が違います。
北摂では、先生だけが大阪弁でした。