天台宗大円寺(通称:大黒寺)
「とろけ地蔵」があることから“悩み事解消”や、「薬師如来」に金箔を貼り付けて体の良くないところを祈願する“病気治癒”、そして「八百屋お七と吉三の墓碑」があることから“縁結び”のご利益があるという。
この寺に行くには、JR目黒駅西口から左方向を進み、三井住友銀行からはじまる行人坂を下って直ぐの左側にある。その奥に雅叙園がある。
「大円寺石仏群」
明和9(1772)年に起きた江戸市中を焼く大火「行人坂の火事」により亡くなった人々を供養するためのもので、釈迦三尊像を中心に、十大弟子像、十六羅漢、五百羅漢像がある。
八百屋お七の恋人吉三こと(出家後の名)西運の墓がある。
西運は江戸初期、隣の明王院(現在の雅叙園の位置)に住し、行人坂の修築などを行った。
西運が、この井戸でにお七の菩提を念じながら水垢離をとったことから「お七の井戸」と言われるようになった。
八百屋お七の放火事件。
お七は、火事にあって一家がお寺に避難した折り、吉三に出会い恋をした。やがて一家は再建された家に戻るも、男のことが忘れられない。その思いがつのって、もう一度火事が起きたら会えるかも知れないと考え、放火をしたと伝わる。
天和3年(1683)3月29日、鈴ヶ森刑場にて八百屋お七が火あぶりの刑に処せられた。
八百屋お七が振袖火事を起こしたと思っていたが、「振袖火事」と俗称される「明暦の大火」と、後に起こった「八百屋お七の火事」の間には25年もの隔たりがあって同じ火事ではなかった。
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「とろけ地蔵」があることから“悩み事解消”や、「薬師如来」に金箔を貼り付けて体の良くないところを祈願する“病気治癒”、そして「八百屋お七と吉三の墓碑」があることから“縁結び”のご利益があるという。
この寺に行くには、JR目黒駅西口から左方向を進み、三井住友銀行からはじまる行人坂を下って直ぐの左側にある。その奥に雅叙園がある。
「大円寺石仏群」
明和9(1772)年に起きた江戸市中を焼く大火「行人坂の火事」により亡くなった人々を供養するためのもので、釈迦三尊像を中心に、十大弟子像、十六羅漢、五百羅漢像がある。
八百屋お七の恋人吉三こと(出家後の名)西運の墓がある。
西運は江戸初期、隣の明王院(現在の雅叙園の位置)に住し、行人坂の修築などを行った。
西運が、この井戸でにお七の菩提を念じながら水垢離をとったことから「お七の井戸」と言われるようになった。
八百屋お七の放火事件。
お七は、火事にあって一家がお寺に避難した折り、吉三に出会い恋をした。やがて一家は再建された家に戻るも、男のことが忘れられない。その思いがつのって、もう一度火事が起きたら会えるかも知れないと考え、放火をしたと伝わる。
天和3年(1683)3月29日、鈴ヶ森刑場にて八百屋お七が火あぶりの刑に処せられた。
八百屋お七が振袖火事を起こしたと思っていたが、「振袖火事」と俗称される「明暦の大火」と、後に起こった「八百屋お七の火事」の間には25年もの隔たりがあって同じ火事ではなかった。
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iinaも、同じ火事だと勘違いしていました。
八百屋 お七 (旧中山道を歩く 12)を、拝読しました。
本郷通りにある天台宗「円乗寺」に、八百屋お七の墓があるのですね。
近くの中山道の白山にある曹洞宗「吉祥寺」には、八百屋お七と吉三の比翼塚なのでしたか。 φ(..)メモメモ
拙宅で記した目黒の天台宗「大円寺」にあるのは、お七の恋人・吉三の墓の方です。 ふたりの墓は、諸説あることが分かりました。
追って
(hide-san)さんの案内するアドレスでは、八百屋お七の記事に進めなかったです。
次のようにして、お七の記事を探し当てたので、その経緯を記します。
長いアドレスの基本部位の次①に進み、 そこで「八百屋お七」を検索して ②を 探し当てました。
①http://blog.goo.ne.jp/wxm68971-1936/
②http://blog.goo.ne.jp/wxm68971-1936/e/8aba417712301aaf5f1dd4144432fb3f
URL:http://blog.goo.ne.jp/wxm68971-1936/preview?eid=8aba417712301aaf5f1dd4144432fb3f&&t=803286623594e433f28797?0.4956780625005089
に訂正願います。
ボクが中山道を歩いた時に見つけたお墓です。
それが目黒の大円寺にもあると言うことは、少し頭をかしげますね。
お七は駒込の八百屋の娘らしいのですが・・・・。
昔の話ですから、いろいろ説はあっても良いのですが。
詳しくはボクのブログを見て下さい。
八百屋 お七(旧中山道を歩く12)
http://blog.goo.ne.jp/wxm68971-1936/preview?eid=8aba417712301aaf5f1dd4144432fb3f&&t=803286623594e433f28797?0.34804058833449786
「竹馬の友」の言葉が、行き違いを修復できない幼馴染みの一方からの泣き言から生まれたというのは、皮肉でした。
コメント欄が復活できて、またやり取りができるようになりました。
iinaは、1週間ほどブログを留守にしていましたから、きょうから再びコメントできる環境に戻りました。
おいおい、いままでの記事にいただいたコメントにお返ししてまいります。 ありがとうございました。
ツボミから咲くまでの過程をアップで紹介されて、いい図鑑になっています。
> 八百屋お七の物語 あまりにも有名ですが 実話ではなかったということですね
ことば足らずでしたが、いずれの火事も実話ですので、次の文言にあらためました。
「八百屋お七が振袖火事を起こしたと思っていたが、「振袖火事」と「八百屋お七の火事」の間には25年もの隔たりがあって同じ火事ではなかった。」
1週間ほど留守にしましたが、きょうからコメントを再開いたします。
恋する気持ちは今も昔も人を狂わせますね。
その舞台が雅叙園の傍でしたか。
歌舞伎や浄瑠璃の世界が体験できましたね。
八百屋お七の物語
あまりにも有名ですが
実話ではなかったということですね