昨日、八重桜の咲く隅田公園浅草側の特設馬場で流鏑馬がありました。台東区長を先頭にした行列が馬場を一巡して、二十名の射手が流鏑馬を三回します。[13:00~14:00]
小笠原宗家の嫡男は、三的すべてを的中させ堂々たるものです。宗家のお嬢さんも去年につづき出場し、二的を的中。的に当たると花吹雪が舞います。
一昨年は、的中率悪く、番外編で名誉回復した年もありましたが、ことしは、命中率が高く 観客は大喜び。
「草鹿」は11~12時で、去年の様子は
浅草の流鏑馬は、「浅草寺志」「東都歳時記」によると江戸時代に浅草神社の正月行事として毎年1月5日に実施されていた。今年は25回目。
語源は、馬を馳せながら矢を放つという意味から「やばせむま」が「やぶさめ」になったといわれる。鏑(かぶら)のついた矢(鏑矢)を馬上より射る意味を文字にしたという。文献には概ね900年前に遡る。
小笠原宗家の嫡男は、三的すべてを的中させ堂々たるものです。宗家のお嬢さんも去年につづき出場し、二的を的中。的に当たると花吹雪が舞います。
一昨年は、的中率悪く、番外編で名誉回復した年もありましたが、ことしは、命中率が高く 観客は大喜び。
「草鹿」は11~12時で、去年の様子は
浅草の流鏑馬は、「浅草寺志」「東都歳時記」によると江戸時代に浅草神社の正月行事として毎年1月5日に実施されていた。今年は25回目。
語源は、馬を馳せながら矢を放つという意味から「やばせむま」が「やぶさめ」になったといわれる。鏑(かぶら)のついた矢(鏑矢)を馬上より射る意味を文字にしたという。文献には概ね900年前に遡る。
私のブログにトラックバックしてくださって有難うございました。流鏑馬は、東京でも見られるのですか?
私は、京都か、鎌倉くらいだと思っていました。
それに、写真も見事に撮れていますね~
鎌倉では、到底こんな写真は撮れませんでした。
来年は行かれたら行ってみたいです。
情報有難うございました。これをご縁に、時々お邪魔します。
先日の弾左衛門のお話でiina様とお知り合いになりもう早いもので一年になります。これからも宜しくお願い致します。
若い頃に、鎌倉の流鏑馬を見ました。
毎年、浅草の流鏑馬を見るたびに、砂盛した馬場を疾走するので、鎌倉でも(記憶にない)砂を運びこんで馬場をつくっていたのかなと思っていました。
浅草の現代版流鏑馬は新しいですが、江戸時代からやっていたようです。
また、富山の下村・加茂神社で奇祭牛乗式と流鏑馬を赴任して体験したほどなので、全国にも散らばっているようです。
http://blog.goo.ne.jp/0630cookie/e/2ca4c9d69295bc78c81d67d9b6c14caf
(茶陶遊人の部屋)さん へ
今日は、4/22なので「いい夫婦の日」だったのですね。
選挙日だとばかり思っていました。考えが思い至りませんでした。
ブログでの浅草行事は、いつも事後報告ばかりなので、予告する必要を感じて、事前の案内を心がけたつもりでしたが、流鏑馬はうっかりしていて、前日になってしまいました。
流鏑馬は、本格的でそんなに疾走しなくともゆっくり走ればと思うほどスピードを出します。
かというと、格式あるしきたり等の口上はゆったりしたのどかなものです。
来年の4月の第3土曜日13時からと草鹿は11時?を記憶ください。
やはり小笠原流ですか?鎌倉でも秋に見た時は小笠原流だったと思ったのですが、記憶があいまいでした。
矢をたて続きに射るのですから、すごい技術ですね。
伝統の重みを感じますね。
浅草寺主催の流鏑馬は本当は四方八方に矢を放ち、その矢を拾った者に幸が訪れるというもので、現在は馬に跨る本格的な流鏑馬に変容した風です。
小笠原流の御曹司とお嬢様の流鏑馬は昨年につづき2年目ですが、やはり命中率が高く、みていると威風堂々としています。
流鏑馬した帰りの馬は上下にゆれますが、馬上の身体は一直線に進みます。