町田駅でほぼ3年ぶりに仲間と飲んだ九月に、駅界隈を撮影した。新宿から急行電車で30分程の東京都西端で神奈川県相模原市と接している。
絹の道道標(八王子街道)桑都八王子から横浜・・・生糸の輸送ルート
町田駅は、小田急線(新宿—小田原)とJR横浜線(桜木町—八王子)が乗り入れている。タイトルは、小田急線東口広場。
1976年(昭和51年)4月:小田急線・新原町田駅を町田駅に改称。
1980年(昭和55年)4月:駅前の再開発に伴い、小田急線・町田駅側に移転し、国鉄・原町田駅を町田駅に改称。乗換が少し便利になった。
実は、1968年から2年間を町田に下宿していた。
新原町田駅に歩いて1分だったが、原町田駅は遠くて宅急便もなく借りた自転車に布団を積んで運んだことがある。宛てた荷物も、受け主が国鉄駅まで取りに行く必要があった。それほど国鉄のサービスは悪くて、1976年にはじめたヤマト運輸の宅急便は運輸の革命と思えたものだ。
1987年に国鉄分割民営化してJRになるのは当然の帰結。
(2019年) (1975年)
小田急線北口バスロータリー
JR町田駅前
JR町田駅前の道路
見えている階段がコチラ
よさこい町田
絹の道道標(八王子街道)桑都八王子から横浜・・・生糸の輸送ルート
町田駅は、小田急線(新宿—小田原)とJR横浜線(桜木町—八王子)が乗り入れている。タイトルは、小田急線東口広場。
1976年(昭和51年)4月:小田急線・新原町田駅を町田駅に改称。
1980年(昭和55年)4月:駅前の再開発に伴い、小田急線・町田駅側に移転し、国鉄・原町田駅を町田駅に改称。乗換が少し便利になった。
実は、1968年から2年間を町田に下宿していた。
新原町田駅に歩いて1分だったが、原町田駅は遠くて宅急便もなく借りた自転車に布団を積んで運んだことがある。宛てた荷物も、受け主が国鉄駅まで取りに行く必要があった。それほど国鉄のサービスは悪くて、1976年にはじめたヤマト運輸の宅急便は運輸の革命と思えたものだ。
1987年に国鉄分割民営化してJRになるのは当然の帰結。
(2019年) (1975年)
小田急線北口バスロータリー
JR町田駅前
JR町田駅前の道路
見えている階段がコチラ
よさこい町田
昔の国鉄は確かにサービスは悪かったです。
私も田舎から送ってきた荷物を熊取駅まで取りに行ったことが度々あります。
現在は宅急便が家まで配達してくれるので、JRを利用することはありません。
今でもJRの小荷物配達はあるのでしょうかね。
>おでん、おなじ汁にひたした具たちをつまみ合えば、家族も賑わいます。
おでんは酒のあてにもご飯のおかずにも食べやすくていいですね。
我が家でも時々食べています。
とはいえ、ニンゲンに争いが絶えぬ一例です。
国鉄労組は、乗客を人質にとったゼネストを平気でやって国民を困らせてました。
1987年に国鉄分割民営化してJRになるのも道理です。
「おふくろの味」肉じゃがは、家庭の味ですから大好きです。急に、食べたくなりました。
町田街道は、藤沢ー町田間を指すと思ってました❓
町田には。随分とご無沙汰しています。高校に町田が苗字の友がいました。
神奈川往還は、別称に浜街道、絹の道と呼ばれ、横浜側では八王子街道とも呼ばれる。経路は現在の町田街道及び国道16号に相当する。
町田街道は、八王子市東浅川町から町田市鶴間までを結ぶ道路の通称。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E5%BE%80%E9%82%84
おかげさまで、「絹の道」「八王子街道」「国道16号」の関係を学びました。そんなことから、本編の「町田街道」を省くことにしました。
絹の道の立派な石碑があるんですね。
そうですか、JRの小田急線の町田駅側への移転で乗換が便利になったのでしたか。
電車からの車窓も好いですね。紅葉をたのしめます。
若いころに、会津若松までを裏道をクルマで走りました。そのときに、道沿いに汽車が通っていました。
会津若松では、たまたま武者行列していてカメラで撮りました。遠い昔のことでした。
町田に「絹の道」があったとは知らなかったです。
「水道みち」が相模原市-町田市-横浜市を通っているのも最近に知ったことです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/7308a3674580804647c94d785488f978