浅草寺の五重塔の廻りに池はないから、古い写真と思うでしょうが、紛れもなく今週の景色。
撮った場所は、伝法院内の庭。「心」の字をかたどった心字池からは、高いビルが全く見えず、江戸時代にでもタイムスリップしたよう。
伝法院は、
浅草寺の総本坊で正しくは伝法心院、住職の居住する本坊の称号に用いられている。
現在の建物のうち客殿、表玄関、使者の間、大台所の一部は1777年(安永6)に建造。そのうち客殿には本尊阿弥陀如来像が安置されている。一時期上野寛永寺の宮様が浅草御殿として住んだので玄関上の瓦には菊の紋章が使用されている。
枝垂桜が咲きはじめた。
この庭園は江戸時代初期の小堀遠州の作と伝えられる大泉池を中心とする廻遊式庭園で、一般には非公開。約4000坪の庭園は水辺や多くの樹木が野鳥達の憩いの場所にもなっている。京の表千家の不審庵を模した茶室天佑庵(都重宝)、1387年(至徳4)鋳造の古鐘(都重美)、石棺などもある。
右は、時間差をつけて貼り付けました。4月4日の伝法院の庭。
撮った場所は、伝法院内の庭。「心」の字をかたどった心字池からは、高いビルが全く見えず、江戸時代にでもタイムスリップしたよう。
伝法院は、
浅草寺の総本坊で正しくは伝法心院、住職の居住する本坊の称号に用いられている。
現在の建物のうち客殿、表玄関、使者の間、大台所の一部は1777年(安永6)に建造。そのうち客殿には本尊阿弥陀如来像が安置されている。一時期上野寛永寺の宮様が浅草御殿として住んだので玄関上の瓦には菊の紋章が使用されている。
枝垂桜が咲きはじめた。
この庭園は江戸時代初期の小堀遠州の作と伝えられる大泉池を中心とする廻遊式庭園で、一般には非公開。約4000坪の庭園は水辺や多くの樹木が野鳥達の憩いの場所にもなっている。京の表千家の不審庵を模した茶室天佑庵(都重宝)、1387年(至徳4)鋳造の古鐘(都重美)、石棺などもある。
右は、時間差をつけて貼り付けました。4月4日の伝法院の庭。
都心にこのような空間があるとは驚きです。
iinaは、昼休みに千鳥が淵まで出かけて花見弁当を食べてきました。
茶陶遊人の部屋さんは、天佑庵で茶会されたのですか。
iinaは、京―今出川堀川の表千家が開放されていたため、門を通って
行ったら待合所で呼び止められ、ココは一般公開しておりませんと、
やんわり追い出されてしまいました。 タジタジ