落語に、「転失気(てんしき)」という噺がある。
体調のすぐれない和尚が、往診に訪れた町医者から「てんしき」があるかないかを尋ねられる。
和尚は「てんしき」が何かわからず、知ったかぶりして誤魔化し、後で小僧の珍念を呼んで、それとなく尋ねるが、珍念も知らなかった。
和尚は、珍念を医者宅へ調合薬を取りに向かわせるついでに、近所で「てんしき」を借りてくるように命じる。
ところが聞く人がみな知ったかぶりして「棚の上から落ちて割れてしまった」「味噌汁の実にして食べてしまった」など、バラバラの説明をする。ようやく訪ねた医者から「転失気は『気を転(まろ)め失う』と書き、屁のことである。『傷寒論』にあり、腸の働きを診るため、有無をたずねたのだ」と聞き出す。
和尚が「てんしき」を知らないことを悟った珍念は、寺に帰って「『てんしき』とは盃のことです」と嘘を言うと、和尚は「その通りだ。『呑む酒の器』と書く」と答えた。「これから来客の折は、大事にしている『呑酒器(てんしき)』を見てもらおう」と言い、珍念に盃を出しておくよう命じる。
医者が再び寺に問診に訪れた際、和尚は「『てんしき』がありました」と言うので、医者が「それはよかった」と案じてみせると、和尚は盃を自慢したくてたまらず、「自慢の『てんしき』をお目にかけましょう」と言って医者を驚かせる。
「三つ組の『てんしき』でして、桐の箱に入れてある」
「ふたを開けた途端に臭うでしょうな」
珍念は笑いをこらえながら、桐の箱を運び入れ、ふたを取ってみせる。
医者は「これは盃ではありませんか」と問い、和尚は珍念に一杯食わされたことを知る。
和尚が「こんなことで人をだまして恥ずかしいと思わないのか」と珍念を叱ると、
「ええ、屁でもありません」
演目が「てんしき」だけに、和尚の見識(けんしき)を疑う噺でした。
その和尚が、後で「どおりで臭い話だと思ったんだ」といったとかいわなかったとか・・・。
体調のすぐれない和尚が、往診に訪れた町医者から「てんしき」があるかないかを尋ねられる。
和尚は「てんしき」が何かわからず、知ったかぶりして誤魔化し、後で小僧の珍念を呼んで、それとなく尋ねるが、珍念も知らなかった。
和尚は、珍念を医者宅へ調合薬を取りに向かわせるついでに、近所で「てんしき」を借りてくるように命じる。
ところが聞く人がみな知ったかぶりして「棚の上から落ちて割れてしまった」「味噌汁の実にして食べてしまった」など、バラバラの説明をする。ようやく訪ねた医者から「転失気は『気を転(まろ)め失う』と書き、屁のことである。『傷寒論』にあり、腸の働きを診るため、有無をたずねたのだ」と聞き出す。
和尚が「てんしき」を知らないことを悟った珍念は、寺に帰って「『てんしき』とは盃のことです」と嘘を言うと、和尚は「その通りだ。『呑む酒の器』と書く」と答えた。「これから来客の折は、大事にしている『呑酒器(てんしき)』を見てもらおう」と言い、珍念に盃を出しておくよう命じる。
医者が再び寺に問診に訪れた際、和尚は「『てんしき』がありました」と言うので、医者が「それはよかった」と案じてみせると、和尚は盃を自慢したくてたまらず、「自慢の『てんしき』をお目にかけましょう」と言って医者を驚かせる。
「三つ組の『てんしき』でして、桐の箱に入れてある」
「ふたを開けた途端に臭うでしょうな」
珍念は笑いをこらえながら、桐の箱を運び入れ、ふたを取ってみせる。
医者は「これは盃ではありませんか」と問い、和尚は珍念に一杯食わされたことを知る。
和尚が「こんなことで人をだまして恥ずかしいと思わないのか」と珍念を叱ると、
「ええ、屁でもありません」
演目が「てんしき」だけに、和尚の見識(けんしき)を疑う噺でした。
その和尚が、後で「どおりで臭い話だと思ったんだ」といったとかいわなかったとか・・・。
昔聞いたことがあるような気もしますが、思いだせません。
寺の和尚さんは博学と言うことになっているので、知らないとは言えないのでしょうね。
辛いお立場です。
浅学非才の私ならすぐに聞き直しますけどね。
「我以外皆我師也」を通しています。
>失敗から学べはそれも好いですが、晏子はその者の別の気質を見ぬいていて、「駄目でしょう」といったのかも知れませんね。
多分そうなのでしょうね。
昔の諺は創作されて、伝えられていることも多いのではないでしょうか。
落語も面白い
ちょっと くさいお話しの様ですが・・・
「へ~っ」と頷きニタニタしながら拝見しました(^^)/ 。
その昔、幹事をしたときにニアピン賞としてベンツのパンフレットを付属で渡したこともありました。 (^^ゞ
「転失気」という噺は、聴く者にも「てんしき」が何か分からずに進行して、後で医者の説明で識る仕掛けです。
ただ、iinaの場合は笑撃画像を通して「におわせて」います・・・。
知ったかぶりをして誤魔化す、という事は、今も昔もありそうな話ですが、落語らしく思わず笑い出してしまうオチがよく出来ています。
だからというわけではないでしょうが、阿蘇の中岳が騒がしく暴れて自己主張しているようですね。
「転失気(てんしき)」という噺には、オチがいくつかあるようです。
小僧が「屁でもない」といい放つのと、和尚が「臭い話と思った」はアップ済ですが、
医師が「何故 盃が『てんしき』なのか」と問うと、和尚が「盃を重ねると『ブーブー』が出る」と言うもの。「盃を重ねる」は
酒を飲むことの慣用表現で、酔って不平を言う擬態語と放屁の擬音語を掛けたことになっています。
これ実際の画像? なんでもおならを集めて火を付けると
燃えるんだとか・・小さいとき近所のおじさんに聞きました。
やっぱりホントの話だったんだね。フ~ン。
映画を優先しました。
かと思えば、おとといは1年ぶりに会う約束をした方とは雨で傘日和でしたから、天気はこちらの思うようには参りません。
「てんしき」を漢字でどう綴るのか分からず、WEBで「転失気」を検索できる今の世は便利です。
いま、スマホの使い方に、すこしは慣れてきましたが、お遊びでナビを使った程度です。しかし、このご時世に、電池の消耗が
早くて弱ります。
屋外で使えば、ディスプレーを明るくしなくてはならず、そうするとまた減りが早まります。
そうでした。寄席に這入るのに、木戸銭が必要でした。ハイ、「木」にまつわる話でした。
おならを集めて火を付けると燃えるらしいですね。
今朝の笑撃「おならファイヤー」は、背景に石油かガスが炎を上げているところで、お尻をだして撮っただけだと思いますょ。
面白いでしょう・・・尾が燃えているのですから・・・。