小塚原刑場は、1651年(慶安4年)に創設。
死体は埋葬せず申しわけ程度に土を被せるだけで、夏になると周囲に臭気が充満し、野犬やイタチの類が食い散らかして地獄のような有様だったという。
刑死者を弔うため、1667年(寛文7年)に本所回向院の住職・弟誉義観が隣接する場所に常行堂を創建した。これが後に南千住回向院となり、橋本左内等安政の大獄で処刑された志士たちもここに埋葬された。
1741年(寛保元年)には、高さ3mほどの首切地蔵が建てられた。
吉田松陰の墓に、花が生けられていた。
刑場で、吉田松陰や橋本左内を斬ったのは「首斬り浅右衛門」という浪人だった。
右は、ねずみ小僧の墓。
誘拐されて殺された吉展ちゃんのお地蔵さま。
南千住駅
吉原大門前に「土手の伊勢屋」と「桜なべ 中江」が並ぶ。
2店共に有形文化財。
伊勢屋はタレが甘辛くておいしい。中江も少し辛いもののそれは個人差の問題ゆえ、鮮度よい馬刺しに舌鼓。
とは、数年前に食した印象。
見返り柳 →
吉原遊郭の出入口の大門にある柳。朝帰りの客が、後ろ髪を引かれる思いを抱いて振り返ったという。
きぬぎぬの うしろ髪ひく やなぎかな
*見返り柳のうしろには、スカイツリーも気に懸けている風情。
吉原前の日本堤は、二本の堤があったことから「日本堤」の地名となった。
治水のために堤防を設け、遊郭に行く遊び客に歩かせて踏み固めさせた。
古来の祭りには土を踏み固めるための意味があったと考えられるという。
あとは20に、記事を書いている程度です。
帰り次第、コメントさせていただきますから、コメントをお願いいたします。
時代劇でよく耳にする刑場ですね
吉田松陰や鼠小僧のお墓がここに有ったとは知りませんでした。
やはり 処刑場跡と言う事でやはり異様な雰囲気を感じますね
厳かな気分で
歴史探訪 させていただきました。
申し訳程度に砂を被せるだけで、野犬やイタチに食い散らされるとは、罪人とはいえ惨たらしいです。
この方たち(罪人)はお地蔵さんにおすがりするしかないと言うことですね。
とても美味しくて忘れられない味ですが、ほかの土地では食べる気がせず、今に至っています。
罪人を、供養するお坊さんが現れるのも、仏のか慈悲でしょうか。
Iina さんは、ご旅行でもされているようですね♪いいな♪
吉田松陰や鼠小僧のお墓がこちらにあったんですね。
大河ドラマを毎週見ていますが、
歴史探訪 は楽しいです。
刑場はやはり引いてしまいそうな雰囲気があり、
背筋がピンとなってしまいます。
「土手の伊勢屋」と「桜なべ 中江」、タイムスリップしたようです。
吉田松陰、鼠小僧等のお墓は、ここにあったんですね。
「桜なべ 中江」、懐かしいです。
次回は、「土手の伊勢屋」へ行ってみたいと思います。
大修理を終えたばかりの 「 姫路城 」は、真っ白けっけだそうですね。まさに白鷺城。しかし、貴重な体験でした。
次に、このような姿になるには、また大修理のタイミングを待たねばなりません。
それにしても、大人気です。雨の日に、傘をさしてご苦労さまでした。
小塚原刑場に、吉田松陰や橋本左内に鼠小僧もココで斬られました。
(らいちゃん) へ
土産物を、「つまらないもの」とは使わなくなりました。
「人気のお店のものだから」とか「おいしそうだったから」のように伝えている気がします。
刑場で処刑された者をきちんと埋葬しなかったのは、世間に対しても悪さをするとこんな風にされるのだという見せしめもあったでしょう。
(焼酎学生)さん へ
馬刺しよりも、牛刺しの方がおいしく、また鹿刺しも甘くてうまいです。
ただ、馬刺しの後に鹿刺しを食べるのは、ご法度です。ハイ、「馬鹿」になりますからね・・・(^^ゞ
(ムツゴロウ) さん へ
江戸でも、市中引き回しもあったらしく、首をさらされたようです。
小塚原刑場を「こづかっぱら」と呼ぶのは、骨をさらす原っぱという意味もあったようです。
(あき) さん へ
台湾リスは、江の島や鎌倉にも生息しています。
小塚原刑場は、ちょっと引いてしまうかも知れませんが、吉原大門前の「土手の伊勢屋」と「桜なべ 中江」は、おすすめです。^^
地獄覗きはしましたが、バンジージャンプは遠慮したいです。
ここの奥には、日本寺の大仏さまか座っています。
(更家) さん へ
横浜散策は、いい気晴らしになりますね。万歩計も、相当に稼げると思います。
最後にプロ野球観戦とは、シーズンにはいりました。
よく歩いた後のは、ノドゴシに快適だったことでしょう。・・・ほろ苦い味でしたか・・・。
リンクを貼ってあったので飛んできました。
小塚原刑場跡にはそのうち行こうと思いつつ行けてなかったので、こちらの記事で吉田松陰の墓があると知りました。世田谷の松蔭神社のお墓へは参拝したことがありますが。涼しくなったら行ってみようと思いました。
それを売ることを許されたのが山田浅右衛門でした。
この人胆丸は、の浅草弾左衛門が一手に引き受けて莫大な財力を得ていました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/0c8ec7d0a1e9271c9d5e3c1e1c659474
この弾左衛門をシリーズ化しています。