白山神社のあじさい祭を見学したときに登った富士塚に寄るも、祭(6月13日~21日)に公開するだけと空振り。 住所 東京都文京区白山5-31-26 富士信仰と富士講 江戸時代後期、江戸一帯では富士山に対する信仰が急速に広まり、富士講とよばれる信仰組織が「江戸八百八講、講中八万人」といわれるまでに発展した。 中興の祖といわれる食行身禄の墓は、此処にあると思ったが、近くの海蔵寺(文京区向山2-25-10)にあるとのことだった。 | |
境内に八幡神社がある。奥に小祠。 平安時代の永承6年(1051年)、八幡太郎義家が奥州平定の途中、この地を通った時、旗をこの樹にかけ戦勝を祈願したと伝わり、この事から白旗桜とも呼ばれる。 その白旗桜が八幡神社の御神木になっていて、かつては江戸三名桜に数えられていた。 白山神社は、社伝によると天暦二年(948)、加賀一宮白山比神社を武蔵国豊島郡元岡本と号して、今の本郷元町に勧請したのが起源。 元和二年(1616)徳川秀忠公の命により、小石川白山御殿(巣鴨原)へ遷座。小石川の名は、加賀国石川郡より勧請されたことによるらしい。 なるほど、加賀国は石川県だ。 慶安四年(1651)徳川家綱公の用地となったため、明暦元年(1655)現社地に遷座した。 |
>江戸時代後期、江戸一帯では富士山に対する信仰が急速に広まり、富士講とよばれる信仰組織が「江戸八百八講、講中八万人」といわれるまでに発展した。
昔、私が八重洲勤務の時に入っていた独身寮の所在地が千代田区の富士見町でした。
昔はそこから富士山が見えたから地名になったと聞いていましたが、或いは富士山信仰も地名の由来の遠因かもしれませんね。
>田んぼアート、精度高い機器で図を象り稲を植えますから、CGではありません。
前田慶次と直江兼続の田んぼアートがCGでないとのこと、素晴らしい作品です。
しかし、いろいろな色の稲があるものですね。
稲の種類の多さにも驚きます。
石川県と岐阜県県境のあの「白山」かと思いました。
お江戸の文京区に白山という地名と「白山神社」が
有るとは知りませんでした (@_@)。
>小石川の名は、加賀国石川郡より勧請されたことによるらしい。
ラストに、石川県が登場しましたが
「白山」との関連は無いのですね
富士講の昔、江戸から富士山へは遠かったですからね。
「源氏物語」を読んだことがありませんが、ところ所で関連の地であったりします。
北陸では、福井に出向いたときに、紫式部の父が越前守に任ぜられていて武生で共に暮らしたことを知りました。
また、京都御所を歩くと、廬山寺を見つけましたが、此処は紫式部の邸宅跡でした。そして、宇治に近い三室戸寺は、
源氏物語の中に描写される地という説明がありました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/78b04b83582fa1a36166342e61137888
加賀の白山神社を本郷に勧請したのですから、お察しのとおり大本は石川県の白山神社です。
(延岡の山歩人K) さん へ
Kさんは、ほぼ毎週、山に登ってますから、宮崎のヒラリーですね。
「なぜエベレストに登るのか?」の質問に「そこにエベレストがあるから」と答えたことは、あまりに有名です。
明日に投稿予定の白口岳は、登頂を果たしているはずですが、おそらく今週末もどこかの山にとりかかるのでしょう。
うん、優雅だなぁ~。
白山神社は、加賀一宮白山比神社を本郷元町に勧請したのが起源。と、説明したとおり石川県の全国に2,000社以上
ある白山神社の総本社ですよ。(^^ゞ
(焼酎学生) さん へ
台風で大荒れの日は、富士山は休息のためお目覚めしないです。
「憲法9条を保持する日本国民」がノーベル平和賞を受賞すると、われわれがもらえるので愉快です。
・・・極めてユニークな発想ですから、あるいは・・・・・・
ノーベル賞は政治的に利用されますから、9条見直しに待ったがかかりますね。
あのー 写真ですが 私のパソにiinaさんのブログ写真
3~4枚くらい 載っていません。空白ですが・・
そんなわけってあるでしょうか?
>私のパソにiinaさんのブログ写真3~4枚くらい 載っていません。空白ですが・・
?どういう意味でしょうか?
もしかして、野の花さんブログにiina宅写真をアップしたけど、のらぬということでしょうか?
あるいは、ブログないしホームページの相性があるらしく無効になるケースがあるので、そのケースかもしれません。
その場合は、写真をダウンロードして自分のページにアップし直す必要があります。