旅の第2弾、「み仏の里」と呼ばれる国東半島は、崖に刻まれた石造物(磨崖仏)が数多く点在する。
半島の付け根に、全国4万八幡神社の総社である宇佐八幡宮があり、奈良時代から平安時代にかけて仏教(天台宗)に八幡信仰(神道)と修験道などが混ざり合い神仏習合した六郷満山と呼ばれる仏教文化が栄えた。山岳地域の険しい山道を歩く「峰入り」と呼ばれる難行が行われた。
両子寺は、仁聞菩薩が開き六郷満山の総持院として栄えた古刹。国東半島の最高峰、標高721mの両子山の中腹にあり、奥の院、総門、仁王像、苔むした石段などが往時をしのばせる。
国東半島最大級の石像の仁王像
奥の院本尊は十一面千手観音
国東塔と呼ばれる独特の石塔。
[ 磨崖仏一覧 ]
[ 熊野磨崖仏 ]につづく
半島の付け根に、全国4万八幡神社の総社である宇佐八幡宮があり、奈良時代から平安時代にかけて仏教(天台宗)に八幡信仰(神道)と修験道などが混ざり合い神仏習合した六郷満山と呼ばれる仏教文化が栄えた。山岳地域の険しい山道を歩く「峰入り」と呼ばれる難行が行われた。
両子寺は、仁聞菩薩が開き六郷満山の総持院として栄えた古刹。国東半島の最高峰、標高721mの両子山の中腹にあり、奥の院、総門、仁王像、苔むした石段などが往時をしのばせる。
国東半島最大級の石像の仁王像
奥の院本尊は十一面千手観音
国東塔と呼ばれる独特の石塔。
[ 磨崖仏一覧 ]
[ 熊野磨崖仏 ]につづく
大分以前ですが行ってきました。
“大分”――「ダイブ」と読んでも「オオイタ」と読んでくれてもいいです。
六郷満山と呼ばれる仏教文化財の内、国東塔と呼ばれる宝塔を見たみたいです。
特に最初の石。。。
遠い昔・・・日本の仁王、朝鮮のドッコイが
力くらべをしたそうです。結果、苦戦の末、仁王が勝ちましたがお互い相手の力に感心し、帰ってから人々に伝えたそうです。
だから、力を入れる時に日本では『どっこい』
韓国では『におう』と言うそうです。
行ってみたいところはたくさんあるなぁ~
由紀さおりの「夜明けのスキャット」は、いい歌です。
彼女のレコードを持っていますが、歌の流行は時代を超えますね。
国内と輸入盤の価格にちがいがあるというのは、随分前から指摘されています。
>“大分”――「ダイブ」と読んでも「オオイタ」と読んでくれてもいいです。
これと同じですね。歌はおなじですから・・・。
(鷲谷芝嵐)さん へ
5の温度差によるアスファルトがめくれたのではありませんか。
>垂直な高い崖壁に足場はどうしたのかな~???
国東半島の磨崖仏は、足場を組むことなく上の方から掘り起こしたそうです。荒っぽい掘りかた
ですが、素朴ですね。
(らいちゃん) へ
カラスは、集団行動をとるのですね。黒い烏が大群で飛び回るのは、不気味です。
iinaも富山で目撃しました、寒い雨の日でもこんな有様でした。見慣れるとインパクトは薄れます。
前から国東半島の磨崖仏を、見たいと思っていたことを実現させました。
(tamirin)さん へ
宇佐神宮が神仏混合の本場なので、其処の国東半島は岩が細工しやすく、修験者たちが仏を掘り
起こしたようです。
神社の総元締めである皇室がすすんで仏教を導入したことは、宗教問題にすると理解できません
が、仏教を新しい文明と考えたのでしょう。
(ハイジ) さん へ
広島を拠点に山陰を旅しましたから、古里の小倉から国東半島をめぐりました。
どっこんしょっ。
(ぼたん)さん へ
舶来ものにあこがれるきもちを理解しますが、日本人は自国のことを理解したうえで、
羽ばたくと更に大きく羽ばたけるように思えます。
・・・なんてね・・・
(イヴォンヌ)さん へ
白山を金沢に行ったときに眺めましたが、真っ白いやわらかな山容が印象的でした。
石仏は、原始的です。
仏さまをたくさん掘って、肩を抱いて手を握り合った頬笑ましい石仏は、彫った者のあこがれた姿
だったのでしょうか・・・。